第2のカラマーゾフの予定作品名があったっぽい
ドストエフスキーは「続編」のタイトルを『子どもたち』と考えていたらしい。
『カラマーゾフの子どもたち』。

ドスト氏は1880年11月に現『カラ兄弟』の「ロシア報知」への連載を終えた際、 「ロシア報知」の編集者宛の手紙の中で、 「私としては貴兄とこれでお別れしたくはありません。私はまだ20年も生きて、書き続けるつもりなのですから。」 と言っていること。
妻アンナの後の回想記によれば、1880年11月に『カラ兄弟』の連載を終えた後、ドスト氏は妻アンナに、
1881年と1882年は、『カラ兄弟』の執筆・連載のために休刊にしていた「作家の日記」の執筆と刊行に専念し、 『カラ兄弟』の続編は、1883年から取り組むつもりだ、 と、もらした、とのこと。[以上、江川卓著『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』より