そういえばパリコミューンの残党でルソー主義からカソリックへ改宗した
貴族のヴェルシーロフは自らを理神論者と位置付けている
だから農奴階級出身のマカール老人の遺品である
分離派の聖像を真っ二つに叩き割るのだけど
結局「二重人格」のゴリャートキンのように分裂してしまう

この聖像は2人の聖人を模したものであり
これをきれいに分割することによって
理神論者としての純化を目指したのかもしれない
まあ、一種の知的グノーシス主義と理解し得るわけです

たとえば「悪霊」でステパン氏の口を借りて言及していたように
快楽と苦痛は分離不可能であり
次作である「未成年」の第一部で述べられていたように
知と情もやはり分離不可能である

そして人知で観察し得るこれらの動きを「表層」とすると
さらに「深層」に何か神秘的なものが存在する、
というのが作者であるドスト氏の結論であり
ここからカラマーゾフに向かう