ではドストエフスキーはどうか
善と悪の概念がなくなったとき、上のレスであるように、単純に精神は疲れてしまいもたなくなる
自殺という結果のみがそこにある
そこで救済を見つめなければいけなくなる
ドストエフスキーは、すべて無いならば「自分を神に支配してもらう」ことで、創造を見つけようととしたのではないだろうか
それでは言い方がまだ足りないくらいに、雀が落ちるのもすべて神の意志でありように一切を委託する

個人的読解では、ヘッセは、善と悪や創造と破壊・秩序と混沌・理性と感情などを自己の中に求めることで幸福と自己実現を求めた作家だと思うんだ
一方でドストエフスキーは、それらを自己の外に置き、それらを自己の外に求めることで幸福を実現しようとしたのではないかと思っている
ぼくもまだまだ読みとれていない部分が多いとは思うが今のところはこんな感じが持ってる感想かな