>>574

例によってあなたの引用文のみによって、ドストエフスキーに対して、ぼくがコメントをつける。

> キリストの教えに従って、人を自分自身のごとく愛することは、不可能である。地上の個性の法則に縛られる。われ が妨げる。キリストだけが出来た。

おいドスト! 「キリストだけが出来た。」ってなんやねん?そんなのキリスト教徒だけの感想やろ。

> しかしキリストは太古からの人間の理想であり、人間がそれをめざし、自然の法則からいってもめざさざるをえない理想である。

ハァ?

> しかしながら、肉体に宿った人間の理想としてのキリストが出現して以来、白昼のごとく明らかになったのは、個性の最高度の最終的な発達は、まさしく次の点にまで(発達の極限、目標到達の最終地点で)達しなければならないということだ。
> すなわち、人間が自分の個性、自分のわれの完全な発達に基づいて出来る最高の行為は、そのわれを滅却し、
「われを滅却 」って原始仏教みたいだな。

万人と個々の人に差別なく、献身的に自分を完全に捧げることであると悟り、自覚し、自分の本性のすべてをかけてそう確信することである。
>
> これこそ最大の幸福である。このようにして自我の法則はヒューマニズムの法則と合流し、この両者の合流のなかで、相互に敵対しあうわれも万人も(一見して、極端に対立しあうこの二つが)、同時に各々の発達の最高目標を実現する。
> これこそキリストの天国にほかならない。」

思想が... 生硬な形で表白されている。アレクセイがまとめあげたゾシマの言行録と連続しており、ドストの青年期から暖めてきた思想と信仰であることがわかる。

もちろん彼独自の思想ではない。無数の民衆から聖人までが、古代から考えぬき、目指しぬいてきた、希望と理想を、詩人の力によって「文」として、この地上にあらわれた。

そうしてそれを、そのまま「寸分も違わず」読み共有することが可能なのだ。すべては受け取るこちら次第だ。