>>612
アグラーヤが環境的習慣によってつくれた自己の内面性に縛られて、そこから外に出ることのできないでいる絶望ははかりしれない
おそらくは彼女はムイシュキンにその手伝いをして欲しかったのだろう、自己を抜け出す救いを彼に託したのだろう
が、結果ムイシュキンは違う結末に落ち着いてしうのがドストエフスキーらしくて悲劇的だよね

>>612
>もう一人の主人公たるロマンチストのアグラーヤは
>世俗的価値で固められた壁の中の世界に取り残される
>つまり一種の絶望だけがのこるわけです
言われてみて思い出せたよ