どうして初期作品に優れたものが多いのか
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若いうちに権威ある賞とってそれきり芽が出なかった人が多すぎてなんとも ナボコフは初期のロシア語時代にもルージンとか賜物とかいいのあるけど、やっぱり真価を発揮したのは英語作家になってからだと思う 続編とか◯部作とかあると、一番初めの一作以外は大抵失速してつまらない。 初期作品の方が読者を意識せずエゴいスムが出てて、他者に影響される前
だから、粗削りな才能が、発揮されていることが多いからだろう。出版
業界や、読者の反応で、変わりゆく文才も物悲しいし、その影響で、
自分を失っていく過程で、作品の自己性を保ちつつ、他者に没入し、
名作をつむいでいくことのできる作家がひと握りか、ほとんどいない。 デビュー作は「自分」がよく出ていて
自分というものはそんなに変わらない
ただし、プロとして活動する限り「世間」に合わせて
自分を曲げないといけない
あるいは迎合するとかね
そういう妥協の産物が面白い筈がない 特に日本では長いものには巻かれろな空気が強いから目をかけてくれた先輩作家や批評家、編集者、流行を追いかける烏合の集やらに振り回されて才能を擦り減らず人が多いのだろうな 鏡花だって本当に読まれているのは明治時代の作品で、大正期以降はおまけ的な扱い。
熱狂的なファンに囲まれて文壇的にはふんぞりかえっていたかもだが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています