どうして初期作品に優れたものが多いのか
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色々な作家の作品を読んでいますが初期に書いたものが圧倒的に優れたものが多い。
映画なんかでもそう。第一作にかなうものはない。
例外はもちろんありますが不思議と言えば不思議。 売れたらセクハラされたり他人のものになってしまうからだろ? 他人の影響を受けてもなお自我が残り、処女(童貞)作よりいい作品を出して
いる人は少ないよ。 売れるきっかけってお笑いに似たものだから二度とは続かないいんじゃないかな。
相当の文学者じゃないと。レコードやCDも似たような面がある。売れる節って
少しじゃん。完璧な曲ものなんてほとんどないじゃん。 例外ばかりに固めて当たったらどうかな。君が例外だから。 売れるきっかけを書き留めれるかどうかにかかっているわけではないことは確かだ。
オカルトの様なものの方が文学より良く売れるよ。 美術だけは上達する人が多いように見えて、脚色が必ずしも評価
されるわけじゃないということでしょ? 美学 カント の方がお薦めだけど 血統ものの美術と 異者が交わるときは
興奮するなあ。 案外それは当たり前じゃないか?
例えば村上春樹って言う宝石があって、それが始めて世に出回った瞬間が一番新鮮だろ。
だからこそどのアーティストも世に出た瞬間が一番価値があるんじゃないかと思う。 売れることが思いつくのは初めて世に出回ったときじゃないよ。
才能が世に出るときにみんな注目するけどそのあとも、創作活動に励んだり
態度や礼儀をわきまえて応援したりしないと
。 一連の作家史のような流れがわかれば面白いと思うよ。 >>1
編集者が頭わるい癖して、自分の言いなりにしようとするから はじめの作品は自分本位に書けるからじゃない
二作目以降というか初期以降はどうしても評論家や特定の読者層を意識せざるを得なくなる 初期をこえるとどうしても職業化してくるから他者意識が強くなる 澁澤龍彦は晩年の小説のほうが評価されてるんじゃないかな
純粋な小説家としては反則か
室生犀星は、 とも考えたが初期も晩年も優れてると言ったほうが適切だし
泉鏡花はどう?初期はあまり評価されてないけど
初期以外は概ね高評価という印象 若いうちに権威ある賞とってそれきり芽が出なかった人が多すぎてなんとも ナボコフは初期のロシア語時代にもルージンとか賜物とかいいのあるけど、やっぱり真価を発揮したのは英語作家になってからだと思う 続編とか◯部作とかあると、一番初めの一作以外は大抵失速してつまらない。 初期作品の方が読者を意識せずエゴいスムが出てて、他者に影響される前
だから、粗削りな才能が、発揮されていることが多いからだろう。出版
業界や、読者の反応で、変わりゆく文才も物悲しいし、その影響で、
自分を失っていく過程で、作品の自己性を保ちつつ、他者に没入し、
名作をつむいでいくことのできる作家がひと握りか、ほとんどいない。 デビュー作は「自分」がよく出ていて
自分というものはそんなに変わらない
ただし、プロとして活動する限り「世間」に合わせて
自分を曲げないといけない
あるいは迎合するとかね
そういう妥協の産物が面白い筈がない 特に日本では長いものには巻かれろな空気が強いから目をかけてくれた先輩作家や批評家、編集者、流行を追いかける烏合の集やらに振り回されて才能を擦り減らず人が多いのだろうな 鏡花だって本当に読まれているのは明治時代の作品で、大正期以降はおまけ的な扱い。
熱狂的なファンに囲まれて文壇的にはふんぞりかえっていたかもだが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています