三島由紀夫『金閣寺』
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三島由紀夫『金閣寺』の一節
「私は地上の物象が,こんなにも敏感に天上の色を宿しているのを,一種の感動を以て眺めた。
寺内の緑に立ちこめている雨の潤いも,すべて天上から享けたものであった。
それらはあたかも恩寵を享けたように濡れそぼち,腐敗とみずみずしさの入りまじった香を放っていたが,それというのも,それらは拒む術を知らないからだった。」
(新潮文庫 296頁)
をみんなはどう解釈してる?特に,「それというのも,それらは拒む術を知らないからだった」という部分に関する考察が聞きたい。
あと,同作品中で情景・風景の描写が際立って美しいと思う部分を教えてほしい。(100〜200字くらいで抜粋してくれると読みやすい) ネトウヨ学説によれば、放火は朝鮮人しかしないらしい。
あの修行僧は在日だったのですか。 【 &⇒ふ 】 御用学者が漢字由来と捏造中のカナ文字、実は <へブル文字> だと知ってましたか?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532140889/l50
『 ふ 』って変な文字だね? 本当に日本語かな? 文学者って嫌な連中だな、とこの小説を読んで思った。
結局、人一倍の妬みが強く、人一倍見栄っ張りで、要するに付き合って
いられない人種だ。
まともに付き合ったら疲れるだけだ。特に三島由紀夫なんか。 拒む術を知らないというのは、単純にいうと「自然」だからじゃないのか。 金閣寺は観念も含め
良いところも沢山ある
だが執筆期間の短さから
聊か美文調に傾き
散文としての張力が弱い
そして悲劇なことに
この作者にとって最高作と謳われるに至ったことは
結果としてこの作者を別次元にいざなう基点となった ノートルダム寺院炎上のニュースに金閣寺炎上を想起した むかし読んだ視点からだと
鏡子の部屋で失敗の烙印を打たれるまえの
自信満々たる美文調は気の抜けたモンギリ型にさえ映って痛々しい
書下ろしであればもう少しマシだったのだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています