【早稲田大学】渡部直己4【俺の女になれ】
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ソーカル事件はプロレスでのミスター高橋暴露本と全く同じ
関係者はミスター高橋の個人攻撃に終始し、事実関係は細かい間違いの指摘に留まった。
そしてプロレス関係者は何も無かった振りをしつつ、八百長があるのを前提とした発言をするようになった。 >>935
君が詭弁を弄しているようにしか思えないが >>934
ソーカルも揚げ足取り食らうのを恐れて
科学的間違いを指摘するのをとどめて
比喩として科学的言説使用するのを否定しているのではないとも言った >>936
物語論やテクスト論をどうやってソーカルで批判できるの?
ソーカルもそんなことを言っていませんが?
それを適用すること自体ソーカルが「知的詐欺」と批判したものじゃないの?w 蓮實重彦がソーカル事件は日本は中沢事件で通過してる。欧米は遅れてるとw 限界集落の住人や消滅集落化してサンカ状態になっている
伝記批評や感想文の連中が
それを今更利用したってどうにもならんでしょw 欧米にはソーカル論文載せる
ようなタイプの人はウジャウジャいるんだよ
アタマが良くて金もある、センスもある
そういう連中は今実在論やってるけどw >>940
それは「俺たち情けないだろう」という自虐 蓮實にソーカルが批判したようなことに該当するようなことがそもそもあったか? ソーカルで感想文や伝記批評が復権できる、なんてこと
ソーカルがそれを肯定するなんてことあり得るのか? >>920
学派として思想に共通の要素があるから、何らかの呼び名は必要でしょうね。
それに対して別に取り立てた反論もしてないし、フランスの思想家たちは
そんなに気にしてなかったと思いますよ。
日本の場合はまとめて批判されるのが嫌だからというのはあるでしょうが。
蓮實や柄谷、浅田らの売り出しにポストモダニズムが使われてたことは
事実でしょう。
ポストモダニズムが流行ってた時は黙ってて、落ち目になったらそれとの
関りを否定するとかダサ過ぎます。
彼等の全部とは言いませんが読者の要望に応えて?自著にサインをする批評家も
結構いたとか?
こういう行為こそ、浅田氏の馬鹿にするキッチュじゃないんですか? 考え直してみた。
「俺たち単なる輸入業者だもん、ラブレターを配達する郵便屋に恋する奴は馬鹿」という話か >>947
ソーカル以前(それも80年代から)それを否定してますよ
柄谷の「批評とポストモダン」はそれだったはずだし
「闘争のエチカ」や「近代日本の批評」や
それぞれの対談でも否定しているよ
「闘争のエチカ」でもモダンの擁護とハッキリ言っていた
そしてポスト構造主義とひとくくりにされていた人達が
それを否定しているということも対談などで言及していたよ 渡部の件とかポモそのものだろ柄谷が我々は違うって言ってもコロコロ言動を変えやがって都合のいいリアリズムだな 「風見鶏は宙吊り」
この言葉でポストモダンがかなり理解できたわ まあ、呼び名の問題よりも、実質的にフランスのポストモダニズムの影響を受けてるかどうかの
方がもっと問題でしょう。
蓮實の「マクシム・デュ=カンまたは凡庸な芸術家の肖像」などはデリダの「of grammatology」
の影響なしには書けなかったでしょう。
その他、数え上げればきりがないくらいでしょうが。 デリダもドゥルーズもフーコーもポストモダンであることも
ポスト構造主義であることも否定していることは
ソーカル以前に出たその3人の翻訳本の解説でも
言及されていたりすることなんだけどなあ
>>953
「批評とポストモダン」ですでにポストモダンを批判していますが?
それ以前にあったタームを別の新たなタームで言い換えたものではないのかと >>956
言動で修正したりしてもなあ元々ラーメン屋の飲食店で売り上げ悪いから看板を蕎麦屋にしてサイドメニューでラーメンもあるよみたいにしか感じないわ デリダの「ディコンストラクション」がカントの「批判」と同様なものだと
柄谷がすでに(80年代から)指摘していたはずだけどねえ
ラカンの現実界がカントの「物自体」と同様なものであるのは
色々な人が指摘していたと思うけど? ラカンの現実界・想像界(鏡像界)・象徴界を
カントで全部言い直せると柄谷は言っていたはずだけどねえ ラカンの現実界・想像界・象徴界がカントの引用・言い直しであることは
他の人からも指摘されていたけどね いわゆるポスト構造主義と呼ばれたものが
ドイツ哲学の引用であることは以前から言われていたことのはずだけど?
ドイツ哲学がギリシャ哲学の引用であるのもそうだけど? 昔からの戦略で関ケ原の戦いの前の大名家で兄は徳川方に付き、弟は豊臣方に付くように
家族の中で調整して一家が滅びないようにするのは何処でもやってたこと。
柄谷はデリダに批判的だったかもしれないが、蓮實や浅田はどっちかというとそうじゃ
なかったわけでしょう。
まあ、昔のことだから958さんのいうようなことで終わってれば良いんだが、余りにも
長くポストモダニズムのフランスの思想家をプッシュしたおかげで、世界の潮流との間に
深くて広いギャップが生じてしまったことが問題で、これが文芸出版の現在の不振にも
繋がってるのはほぼ間違いないのでは?
世界で大流行していて、ポスト構造主義全盛期を上回る盛り上がりだと言われてる
ナラトロジーは日本では殆ど紹介されてないんですよ。
もっというと、ドゥルーズばっかりやってて良いのか?ってこと。
ナラトロジーでは北海道大学の先生ぐらいしか目立った研究者は聞かない。 柄谷は別にデリダは否定していないと思うけど
「批評とポストモダン」はポストモダンとひとくくりにされたものが
なにか全く新しい思想だと
受け取った連中を批判しただけだと思うけど?
それにナラトロジーって例えば誰? >>963
数えきれないくらいいるが、取り敢えずjoshua parker。
やっぱり、柄谷は世界の雰囲気や流れを読んで紹介する義務があったと思う。
そういう義務を何時からか彼等は放棄してしまった訳でしょう。 いわゆるポスト構造主義と呼ばれるフランスの思想家たちはサルトルに憧れたんだって柄谷行人が言ってたな。日本にそういう人は出てこないのかね。国民的なスターになる本物の思想家。出るわけないか。 その新世代のナラトロジーは
旧世代のナラトロジーを否定するものなわけ?
例えばそれはナラトロジーを
フェミニズムや政治・社会制度批判に結びつけるような代物なの? 千葉雅也とか、福嶋とかがほんとに頑張ってくれれば良いんだが、あんまり軽薄にやってると馬鹿なファンがつくぞw >>966
実際のところ、ナラトロジーには色んな定義があって、しかもその中でどうやって
議論の題目を定めて行けば良いのか分からないと言われるぐらい混とんとしてる。 デリダの「エクリチュールと差異」所収のヌーベルクリティック批判(力と意味、だったか?)は
ヌーベルクリティックの政治性の脱色に対する
いわゆる政治性の導入であるというのはスガ秀実なんかが言っていたように記憶しているけど?
バフチンのロシア・フォルマリズム批判もそれと同様の文脈で行われていたとも
言っていたように記憶しているけども? 福島亮大による佐々木敦、石原千秋批判は気持ちいいねえ
どんな無能でも、彼らを重用するシステムこそ「文壇」なんだろうなあ ヌーベル・クリティックの連中が
おそらくポール・ド・マンと似たような経歴に持ち主であろう、
だから彼らから政治性が抜け落ちていると
蓮實が対談で指摘していたと思うけど?(「饗宴」所収の対談で)
もちろんポール・ド・マンが政治性を脱色したまま死んだわけではないのは
山城むつみなどが指摘していたと記憶しているが
新世代のナラトロジーの連中がポール・ド・マンの影響を受けた
政治性を脱色した連中に対する批判として
出てきたのかどうかは全く知らないが
新世代のナラトロジーがナラトロジーをフェミニズムや政治・社会批判に結びつけるものなら
デリダやポール・ド・マンやバフチンとは本質的に対立しているわけではないでしょう 日本で言うと、あらゆる批評家は小林秀雄に憧れたんだよな。それがわかんない奴は全部モグリ。本人が意識してなかろうが全部そう。もしくは批評家ではない。 蓮實重彦とか浅田彰は「私が小林秀雄に憧れたとは言わせない」というような言論活動を展開してきたけど。 >>971
ヌーベル・クリティックで検索してみると
ロラン・バルトが混じっていたので
蓮實が言っていたのはロラン・バルトについて言っていたのではなく、
狭義のヌーベル・クリティックである、
ジャン・ピエール・リシャール、プーレ、ルッセ、スタロバンスキーのことを指していたのであって
ロラン・バルトのことではないといっておく 佐々木の愛人から書評家になる女がいる世界だからなあ 世代が違うからか小林秀雄に憧れるというのがよくわからないな。文章、語り口が嫌いだし。頭はメチャクチャいいと思うけどね。サッと読み飛ばすだけで終わってしまった。 日本語で自分語りのための批評って
見本がいたのかな
いなかったら発明に近いよな 渡部は小説読んで自己啓発セミナー的に変わったんじゃなくて批評読んで変わったはずなんだ。フローベールの小説自体じゃなくてフローベール批評を読んで変わったはず。そこが嘘くさい。 ボヴァリー夫人なんて「普通に」読んだらつまんない人物ばかり出てくるくだらないストーリーの小説じゃないの。
フランス語の原文で読んだら違うのかも知れないけど翻訳で読む限りエクリチュール云々もよくわかんないし。蓮實とかの批評読んでそんなもんなんかなあみたいな・・・w >>980
ポモが好むエクリ(神の視点の導入その他)歴史性適度な娯楽性下馬評の良さ全て揃ってる いわゆる構造主義のアイデアって割合に
人文全体に影響しているけどポモは違うよね
あくまで哲学で、また哲学的に難解 渡部直己は軽薄なんだよ。軽薄な奴だなってずっと思ってたから、この話を聞いて全然驚かなかった。いかにも軽薄な奴が起こしそうな事件でしょ。蓮實重彦がフローベールって言わなかったら絶対こいつはフローベールって言い出してない。 処世術の本とか新書で出せばいいよ。「3分で面接官を納得させるニーチェの技法」とか(笑) >>985
早稲田でヌーヴォーロマンの翻訳者の平岡篤頼のもとで
やっていたんだからそれはないでしょ >>988
フローベールって言い出したのが蓮實重彦よりも渡部直己の方が先じゃないと反論が成立しませんよ。 フローベールといっていたのはロブ=グリエのほうがはるかに速いよ ロブ=グリエが言ってる、と言っても処世術としては弱いですね。 ロブ=グリエよりもプルーストのほうが早かったけどw
カフカやジョイスも加えるべきかもしれんが そこから長い年月を経て、蓮實重彦がボヴァリー夫人論をやるって言って初めて渡部直己は目覚めたんだよ。 でも、それを責めるのはあんまりか。いいと思う。尊敬する人の言うことを信じるのは悪い事じゃないよね。でも、露骨すぎないか? このスレッドは1000を超えました。
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