石原「美しい顔がパクリだらけでも、僕の気持ちは変わらない!」
結局また、スケベ批評。

2018.7.29 09:49 【産経新聞 文芸時評】
8月号 早稲田大学教授・石原千秋 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
https://www.sankei.com/life/news/180729/lif1807290016-n1.html

>北条裕子「美しい顔」が、「参考文献」を付けるのを怠ったとか、いや「盗作」だ「剽窃(ひょうせつ)」
だと話題になっている。「群像」に掲載した講談社が北条裕子を守るのは当然だし、
たとえば北条裕子が参照した石井光太『遺体』の新潮社が攻めるのも当然だ。そうでなければ、
誰もこれらの出版社から本を出そうとは思わないだろう。比べてみれば、たしかにいくつかの表現は似すぎていて、
「これはまずいな」と思う。しかし、だからといって僕の「美しい顔」の評価は少しも変わらない。

>極端な例を考えてみる。他人の原稿を自分の名前で発表した「作者」がいたとしよう。
それにいたく感動したとしよう。その後に、その事実を知ったとしよう。
「作者」のモラルは地に落ちるかもしれないが、僕の感動は減じないし、それは真の作者へ向けられるだけだ。
「美しい顔」の場合、類似しているのを知らなかったことを恥じても、
それがすぐに感動や評価に直結するわけではないというのが僕の感性だ。
北条裕子が参照した本への敬意が新たに生じることがあったとしても。