純文学5誌総合スレ第66巻目
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前スレ
純文学5誌総合スレ第65巻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1530666140/
主に「新潮」「群像」「文藝」「文學界」「すばる」に掲載された作品について語るスレです。
「早稲田文学」「三田文学」「江古田文学」「太宰賞ムック」
「たべるのがおそい」掲載作品の話題も可です。
新人賞受賞作 芥川賞受賞作を各論で批評することもOKです。
文芸誌の感想は、書いても書かなくてもOKですが、あるとなお可です。
受賞作決定前の候補作の批評は普通に本人・出版社工作員のステマと見做されますから気をつけてください。
文芸誌の話題にとどまらず、新人賞選考委員の評価・クレームなどもOKです。
さらには文学のありかた、これからの文学は、そもそも文学とは? といった総論や大きなテーマも歓迎です。 沼田の影裏が映画化されるらしい
盛岡で撮影班が目撃されて主演は綾野剛だとツイッターに 映画の企画とおすんにどんだけ時間化か府とおもってんだハゲ
まして綾野剛とか何年もスケジュールうまっとるわ
100%ない 都内だけどテレビマンっぽい人が影裏を買っていて、「おっ」て思ったことを思い出した 震災関連、しかもLGBTQ絡みの企画だから通りやすいのかもしれん 流行りもの狙って書いたとインタビューで言ってたから
芥川賞狙いだったのだろうな。
釣りの描写とか文章が上手かったから、これは許せるけど。 友人に「おらおら〜」貸したら、先が読めてつまらないと言って返してきた
つまらないのはいいが、先が読めてというのは…
純文学は話の展開の面白さを追うものではないよな
そういう読みをしている一般人ばかりだから、すたれるというのもあるな 映画化といえば「マチネの終わりに」がされるらしいな。
主演、福山雅治と石田ゆり子で。 春樹は最初から
表現したいものが無いとき、人はどうやって表現すれば良いか
ということを考えてた作家だしな >>136
そうやって上から目線にあぐらかいていたからこの現状があるんだよな。
話の展開が面白い純文学もあるわけで。
一般人のそういう感想をバカにしながらも、売上が売上がとパクリまで擁護するようになってんだから自業自得だ。 >>139
横から失礼
純文学てのはそういうジャンルじゃないから、そういう読者に阿る必要はまったくないよ
「こういう現状」ってどういう現状? >話の展開が面白い純文学もあるわけで。
だから何?
純文学作家は話の展開を面白くする努力をしろとでも言いたいのか >>141
それは絶対にしたほうがいい
読まれなくなったらおしまい 読者に阿るな、はわかるけど、読者がいなければジャンルを維持できないのは間違いない >>142
うわー。「絶対にした方がいい」だってさ
そういう一元化された同調圧力から自由なのが純文学なのに
経済で純文学を語らないでほしいわ
詩の世界と同じで、儲からなくてもジャンルというものは維持されるよ >>145
純文学の歴史を知っているなら、むしろそういう同調圧力に負けた結果がいまのクソみたいな状況ってことがわかるはず
アホみたいに村上春樹を排除したり、面白さから離れていったり
たしかに同人的な形で維持できる可能性は残されているが、それでいいの? 経済で語るなっていう貴族の論理はもう通用しない世の中になってるでしょ
そこから離れて時代遅れになり、慌てて経済に阿ろうとした結果が「美しい顔」での講談社の失態だよ 栗原裕一郎
文芸誌に書かれている文字列の9割5分くらいに興味がない。 >>146
はあ。純文学の歴史ですか
どういう歴史すか?w
エンタメ小説と大差ない自称純文学が量産されるより同人誌的に維持される方が100倍マシだね
まあ、「話の展開を面白くすることを絶対にした方がいい」とか言い放っちゃうやつとは議論できないわ
>>147
全然逆だと思いますけど >>146-147
改めて読むと本当に馬鹿な書き込み
疑問1
同調圧力に負けた=純文学が話を面白くする方向に行った、ってことだよね
ならなんで「アホみたいに村上春樹を排除したり、面白さから離れていったり」になるわけ? 逆でしょ
疑問2
>経済で語るなっていう貴族の論理はもう通用しない
なぜ通用しないの?純文学はもともと売れないもんだよ
売れてるという状況の方が純文学の歴史(笑)の中では異例の事態だって分かってる?
疑問3
>そこから離れて時代遅れになり、慌てて経済に阿ろうとした結果が「美しい顔」での講談社の失態だよ
「そこ」ってどこ? ストーリーの展開の面白さのこと?
ストーリーの展開の面白さを追う小説ばかりになる方が先祖返りじゃん
「慌てて経済に阿ろうとした結果が「美しい顔」での講談社の失態」とか意味不明すぎ
経済に阿る、って日本語かね
まあ、たしかに講談社は大衆に阿ろうとしてたよ
そのことを俺は批判してるんだけどそれすら理解できない?
要するに、あんたの言ってることはムチャクチャなのよ 純文学は「私自身」であるべきだと思うから 話の展開をより理解させようと強く意識した時点で個々人の作品ではなく商業的作品に近くなる気がする
いかにも大衆小説というか
あくまで背景を無視した観念的な話だけど >>150
疑問1への回答
村上春樹や作品を面白くしない技工重視へと同調圧力が向かった、という意味
純文学は同調圧力から自由なのではなく、むしろ同調圧力ばかりなのだ
疑問2への回答
とはいっても出版社の経済活動に組み込まれており、構造的な出版不況から不採算部門は切り捨てられる可能性に直面している
今までは文化事業として維持されていたが今後は売れなければ文芸誌の休刊なども増えるだろう
疑問3への回答
そことは経済のことである
作品に面白さがないため、「美人」「イケメン」など著者の属性や特徴を売りにするしかなくなっている
売りにするとはまさに売るために必要なことで、そこを押し通そうとして大失態を犯したのが講談社 私の考えたさいきょうのじゅんぶんがく
を標榜するのもいいけど、もっと現実を見てくれ
現実を見る能力すらないワナビーばかりで作品が面白くないからこんな惨状になっているのかもしれないが >>149
> エンタメ小説と大差ない自称純文学が量産されるより同人誌的に維持される方が100倍マシだね
> まあ、「話の展開を面白くすることを絶対にした方がいい」とか言い放っちゃうやつとは議論できないわ
強く同意。
大衆に読まれなくなった所で、本来の意味で創作をする人間はそんな事は気にしない。
誰かは「現実を見ろ」などと言っているが、純文学を志している人間に放つ言葉では無い事は高校生でも分かる。 "私の考えたさいきょうのじゅんぶんがく" で、過去の文豪は成功を収めてきた筈なんだけど
大丈夫か、お前 >>154
あなたは純文学だけが本来の意味での創作だと思っているの?
一般人を見下しているようだし、それはとても傲慢な考え方だと思うけど
>>155
全然違うぞ
作家と読者をつなぐ編集がいかに大切かって話だ 純文学は本来の意味での創作なんかでは全然ないぞ
純文学システムに合わせた創作ってだけだ
本来の意味での創作を読みたいならエブリスタやカクヨムで無名作家の作品を読めばいい
あれが本来の意味での創作だ 純文学板で俯瞰した様な物言いで、「経済で語るなは、古い(キリッ」とか発言する様な人間がいる事に驚きだわな。
純文学の本来の存在意義すら考える事も出来ないのか。
そういう奴が 純文学に限らず 本来あった体系を無自覚に崩していく。
大衆の手垢で汚れてしまった純文学という文化があるとすれば、本来的な意味で活動している作家にとってそれを維持する必要は無い。 あなたの信じているような権威なんてもう純文学にはないよ
その本来の活動とやらを実践しているやつらは滅びの美学を実践しているようにしか見えないね
どうぞ、その本来の純文学とやらを信奉して滅びていってください たとえば芥川賞受賞後に島田雅彦、朝吹真理子、西村賢太
の3氏によって行われた座談会では
純文学=短篇=私小説という文壇事情の説明として
小説が長大化するとあるべき「私」の統一性や作品世界の緊密性が
損なわれるからだという共通の認識がある
何故「私」の統一性や作品世界の緊密性が重視されるのか?というと
黎明期における日本の小説結は結社的狭い世界で流通しており
物語による不特定多数の読者(大衆)の折伏ではなく
特定読者に対して向けられた「詩」あるいは「批評」的機能を
重視していたからだろう
つまり「量」よりも「質」を重視したわけであり
そしてこの伝統に即したフォーマットが知的伝統として存在する
あるいは信仰が連綿と続いているかのような錯覚がある
問題はそれだけの「質」が作者や作品はもちろん
読者にも伝統として維持されてきたのか?ということ
あるのなら「衰退」と叫ばれるわけは無いんだろうけどね
もっとも批評的機能の強い小説は今でも多いわけだけど >>161
その、批評って現代社会への批評ってこと?
それとも、そのギルド内の政治や認識に対する批評? 純文学側の人間の方が内向きの文壇村ありきが、渡部北条の件で露骨になったし純文学側の人間が質らしきものを重視してるだけ、内向きの現実逃避の文壇村で活動してろよ。 おらおら〜は個人的に良かったので、普段純文読まない人の心にもヒットするかと思って貸したのだが、「話の先が読めるのでつまらない」という感想に反感を持った。
つまらないのという感想でも、エンタメに求めるような面白さを純文に求めるのはいかがなものかと。
もちろん、展開の面白い純文もある。
描写の妙とか文体の個性など、話の展開以外の要素を味わうのが嗜みでもあると思うのだが。
そう感じるのが上から目線なのかは分からない。 >>164
作品を評価するポイントは人それぞれ
普段純文学を読まなない人におらおらの良さをわかって欲しかったのなら
貸すときに面白さのポイントを一言付け加えればよかったのでは 大正12年に書かれた「小説家番付」一位がまさかの人だったり人選がえらい面白い
https://togetter.com/li/1231732
純文学の権威や正統性はこれを見ると不変でもないし普遍でもないよね
今の文学史的評価とは随分と違う >>165
その人には、今度会った時、純文の読みについても話すことにした。
モヤモヤしたものをずっと抱えるのもなんだ。
人は簡単に気持ちが覚めて離婚する。
おらおら〜は、ボケ老女が、ボケながらも亡くなった亭主への気持ちにブレがないのに心動かされた。
震災とか大きな装置がなくても、どこにでもいるようなごく普通の人たちが、
身近で、「神も仏もありゃしない」と強い理不尽な状況に直面して怒りや悲しみを感じることはよくある。
訛りでそういう感情をストレートに表現されていると迫力があって飲み込まれた。
新人賞である芥川賞をきっかけに、多くの普通であっても一生懸命に生きている人たちに読まれるのは良いことだ。
とか話してみる。はずい感想であるが。
純文の技術的な装置というより、老女の秘められた情熱にツボった。
エンタメも読むが、老女の生きざまにこんなにも胸打たれた読後感はない。
れっきとした純文学作品なのだな。 >>145
経済じゃないよ
小説というのは読む人がいてこそ成り立つものだ
それだけのこと 儲からなくていいジャンルとか開き直りの言い訳で内向きの文壇村のルールなのに最近はクォリティーも大衆小説に負けてるしなあ >>132
スレチだが今の日本映画なんか一握りのメジャー作品を除き低予算で本当にいい加減。
確かに製作費「億」単位の作品ならそんなに簡単には作れない。
代わりに予算1億円未満の「安い」映画なら意外と簡単に制作できる。
ここ10年ほどは「誰が観るのか分からん」微妙な人間ドラマ映画・文芸映画が本当に
多いでしょ? 要するに「安い」から簡単に作れるだけ。
トータルでの実際の損益は分かりません。でも安さに開き直れば意外と簡単に作れる。
その『影裏』とやらも実際にはどの程度の予算でやってることやら、、
あと有名な俳優女優も実は意外と簡単にキャスティング出来る場合がある。
●いまの日本映画で製作費「億」単位のメジャー作品など一握り。TVの連ドラ・単発ドラ
マの制作量も激減している。アベノミクスなんか嘘っぱちで日本は不況なの。
だから割と有名な俳優女優も中堅低予算の「なんでこんなもんに?」という映画にも出ている
ことが本当に多い。事務所もタレントを遊ばせてても仕様がないからスケジュール埋めはしたい。
●あと有名な俳優女優のスケジュールが×年先まで一杯といっても、所詮はそれは「予定」
「予約」なので。ポシャる作品も多い。その辺のスキマにひょいと入り込めれば割と有名な
人でも実は結構出せるんだよ。
もちろん本人が企画やシナリオを気に入ったから、監督などと親しいからというパターンもあるしね。 、、ちなみにスレチだが今の「文壇」の閉塞してる感じ、「日本映画界」の絶望・閉塞と
本当に似てる。
「一握りの作品を除き誰も読まない、観ない」「基本は貧乏業界、一握りの人間のみが
大学教授業や文化人的な立ち位置で儲けてる」「基本誰も読まない(観ない)世界で内輪の
賞で権威付け」「たまに批評的・興行的な成功作が出てきただけで大騒ぎ(映画だと今年は
『万引きなんちゃら』『カメラをなんちゃら』とかああいうの」、、
、、映画もここ十数年の「邦高洋低」など上辺だけ、内情はひどいものだ。
そんなひどい「映画界」「文壇」とどっちにもクビを突っ込んでいる手合い(蓮實重彦や
青山真治など)もいるがな、、所詮は荒廃した業界でお山の大将ぶる連中ですよ。
荒井晴彦なども本当にみっともなくなったなあ、、 文芸誌の編集部も人件費削られて、どこも5人くらいだというしな
文芸誌へのコストも下がっている
特に群像なんかは本文はわら半紙だ
表紙もフルカラーから、1〜2色刷へ
まー読めればいいのだが むしろ金かけてCG多用の漫画家実写化か、飽きられてる低予算スイーツの方が多いけどな
現代設定で、特別にセットも組む必要なければお金はかからない
地方ロケすればスタッフの滞在費がかかる
作品の良し悪しは一概に予算ではない >>168
だから東野圭吾(例に出してるだけで東野圭吾を下に見てるわけではもちろんない)みたいな小説が読みたい読者に合わせる必要があると?
その認識がズレてるっつー話なんだがな
「絶対に面白くした方がいい」というのこそ上から目線の、傲慢な発想なんだよな
小説の可能性を切り開こうとしたジョイスやウルフやシモンやベケットにも同じこと言えんのかと
ま、「絶対に」とかいう言葉を軽々しく使うやつには常に注意が必要 >>174
俺は観てないけど、大ヒットで大評判を呼んでいる「カメラを止めるな!」は制作費3000万円だっけね さて>>152に答えるぞ
1
>村上春樹や作品を面白くしない技工重視へと同調圧力が向かった、という意味
まったく意味不明の日本語です
>純文学は同調圧力から自由なのではなく、むしろ同調圧力ばかりなのだ
それはあなたの見ている狭い純文学とやらがそうなだけでは
2
>とはいっても出版社の経済活動に組み込まれており、構造的な出版不況から不採算部門は切り捨てられる可能性に直面している
>今までは文化事業として維持されていたが今後は売れなければ文芸誌の休刊なども増えるだろう
>>149を読んでください
それでもいいと俺は書いてるんです。あなたのその考え自体が画一化された思考停止なんです
3
>そことは経済のことである
「経済に阿る」という日本語はない
それ以降の部分については特に認識に相違がないのであなたが何を騒いでいるのか理解不能です >>158さんみたいな人がちゃんと反論してるのを見ると、ここも馬鹿ばかりではないとホッとする
「経済なんだ。現実を見ろ。キリッ」みたいなことを言いだすやつには、本来どうあるべきかという視点が欠けることが多いので、警戒が必要
東京医大で女子の足切りを高くしてた件も「女医は産休を取ったり退職するから人が足りなくなるんだ。現実を見ろ」という発想から生まれた >>178
申し訳ないけど、あなた方の言い分を読むと古臭い理想を掲げる保守派というイメージ
同人活動に戻ってもいいというのなら、五誌総合スレとは別のスレでやったらどうだろう? もはや純文学には往年のような影響力が無くなっていかにして純文学が変わって、サバイバルするか、という話をしていたところに
渡部直己のセクハラ騒動と美しい顔の盗作騒動が起きた
このふたつの騒動で明らかになったのは、男性主義的で古臭い文壇の敗北であった
渡部直己のみならず、市川真人、高橋源一郎、野崎歓、阿部公彦、このような知識人と言われていた人たちが恥をさらしてしまったわけだ
こうした文壇の人々はもともと、あなたがたの掲げているような理想を追っていた人たちなんだよね
しかし堕ちてしまった この堕落でわかったことは、ある種の健全な経済の原理というか、競争原理が働く仕組みを取り入れないと業界は腐っていくということ
市川真人のようなフィクサー面した人間がのさばり、批評家たちは食い扶持を守ろうとして、そうした人物や出版社に阿り、作品を批判できなくなってしまう
そしてそれが構造化する
この状態がいまの文壇を中心とする純文学のシステム こうしたシステムを前提とすると
「いや、経済じゃないんだ」という言葉は
いまの堕落した純文学を延命させる、あるいはいまの腐敗している文壇の権力を据え置くというような意味に聞こえてくる、ということは理解してほしい >>179
「古臭い理想を掲げる保守派」とレッテル貼りして、「俺の現状追認の意見に反対するなら、それは別のところでやってくれ」ですか
まったく反論になってなくて、要するにそれ、「うるさいうるさい!ボクの言ってることは間違ってないんだい!あっち行けー!」
ていう駄々こねですよ
具体的に指摘してんだから一つ一つ反論すればいいのに、それができない奴のやる最もみっともない反応
で、「古臭い理想を掲げる保守派」ってどういうことかね
どのあたりが「古臭い」のかは理解できないが、それはまあ措くとしても、
理想を掲げることの何がいかんのか。どこが保守派なのか
俺は「現実こうじゃん」とヘラヘラ立ち腐れるのを追認するより、理想を追う方を選ぶね (キリッ で、あんたの書いてることでまったく愚かなのは、早稲田のセクハラ騒動や美しい顔騒動で
おかしな言動をした批評家や作家が、競争原理(笑)を取り入れれば駆逐されるという超論理
・競争原理って、何をどうすれば取り入れられるんですか?
・例えば競争原理の働いてる映画業界とか電通とかでこそ、むしろセクハラが蔓延してMeToo運動が起こったんですが、矛盾してません?
はい、答えてね >>183
五誌総合スレという前提を考えてほしいかな
あなたはこのスレをいつから見始めたのか知りませんが、
いかにして文芸誌を売るか、どれくらいの発行部数があるかというのはいつもこのスレの話題になっていることくらいは知っているでしょう
古臭いというのは、あなたの掲げるその理想が非常に陳腐なものだからですよ
具体的に言えば、あなたの言っているような話は、何度も何度も言われてきて、
もはや指摘するまでもなく当たり前のものとして考えられてるということです
問題は、もうその理想ではどうにもやっていけないというところにある
それなのに同じ主張を繰り返していたら、保守派なんだと認識されてもしかたなくないですか? まあ、こういう馬鹿って、「競争原理=風通しが良くなること」「純文学=腐った淀んだ世界」とかいう
高校生みたいな単純な思い込みで文学の世界を認識してんだからどうしようもない
あなたが思ってる以上に文学の世界は風通しが良いし、優勝劣敗の激しい世界っすよ
そんで、その競争原理の導入ってのが、「純文学の作家は、ストーリーを面白くして本をバカスカ売るべき。
絶対にそうした方がいい」だから笑うしかないわ >>185
いや違いますね。売らんかなの姿勢こそが、あの美しい顔の講談社の醜態を生んだわけ
このスレに書き込む人は、そのような講談社の姿勢を全面支持しなければいけないのか
そうでない意見は書き込むなということなのか
むしろそれを議論するためにこのスレがある
>具体的に言えば、あなたの言っているような話は、何度も何度も言われてきて、
>もはや指摘するまでもなく当たり前のものとして考えられてるということです
全然具体的ではありませんね(笑)。どこでどのように言われているのか、
その主張を繰り返している批評家をためしに5人挙げてください
美しい顔の話に戻すと、まあ、もちろん商売でやってるから講談社の姿勢は分からなくもない
村上龍、綿矢りさ、又吉直樹の夢よもう一度、と夢想して勇み足になったのはまあ理解できる
でもそれへの批判は必要です。商売も大事だが、まさに理想をバランスよく考えることが必要
あなたみたいに「理想?そんなもん古臭い。保守派!保守派!」とレッテル貼りして理想を排除するなら、
そんなジャンルはいっぺん死んだ方がいい しかし>>184の疑問にはどう答えてくれるのかな。
>>187の批評家5人、と合わせて答えてくれるのを待ってますわ >>186
あなたがそう考えているのはわかりましたが、実際のところ、純文学は売れていないですよね
はあちゅうや古市に書かせたり、又吉に書かせたりと、作品ではなく「人」を売りにしなければ文芸誌が売れない状態にある
あなたはそれなら同人活動に戻ればいいという
それは否定しませんよ
同人活動に戻るというか、今でも純文学の同人活動は盛んですから
しかし、文芸誌を読んでいる人々から見れば、休刊してほしくないし、できることなら面白いものを読みたいわけですよ
作品で勝負できない状態の純文学が健全なわけないじゃないですか
はっきり言ってもう純文学は死んでいる、歴史的な役割を終えていると言われても仕方ない状態なのではないですかね
で、そこからどう純文学が変わっていくのか、という話です >>187
売らんかなの姿勢が美しい顔を生んだ、という指摘は
>>152さんの疑問3への回答で書いてあるじゃないですか
つまり相手に同意しているわけですよね
作品がつまらないから「美人」「イケメン」「芸能人」という作者の属性で売るしかなくなっているわけですよ
それは果たして健全ですか?
作者で勝負できない状態は健全ですか? >>189
はいはい。純文学の未来を憂う憂国の志士さんのご高説、拝聴いたしました
で、なんで俺の>>184の書き込みを飛ばすんですか?笑
早く答えてくださいよー
競争原理とやらをどのように導入したらどう純文学の世界がすばらしいものになるのか、とても興味あります!
>>190
健全じゃないと思いますよ。最初からそこは議論する必要すらないんですが? >>184
具体的に言えば、広告塔としての機能ばかりが重視されるようになった批評家たちが、適切な批判をできるような環境を取り戻す、ということです
佐々木敦のような権力の方向ばかりを向いて批評能力のない批評家を排除できるようになる
作品が売れて業界のパイが大きくなればそれが可能になりますよ
そのためにも経済は重視しないといけない パイを大きくしてしまうと力を失うかもしれないと恐れている人たちがのさばっているってのはワセブン騒動でも明らかじゃないですか >>192
あなたは今の状態が健全ではないというなら、どのように改革すべきだと考えているのですか?
同人活動に戻るという選択肢以外に? 売るという方向性についてはいかがです?
純文学は理想を追求するもので、食い扶持についてはどうでもいいと?
作品以外の要素で売るべきだと? 914 吾輩は名無しである sage 2018/06/06(水) 01:47:32.12 ID:9GTeat9l
>>911
批評理論的には今も昔も確固たる基準はあるよ
ただ、褒めるだけの批評はあなたの言うように時代の反映ではあると思う
何が変わったのかといえば、純文学の権威が失墜して読者が減少したこと
批評が果たしている機能はたくさんあるけどその中に、良い作品を比べて選び出すというものがある
読者はその批評を読んで作品の良し悪しを判断し、面白そうなものを選んで購入するわけだ
しかし、誰も純文学を読まなくなったいま、そういう批評は必要なくなっている
いかに作品が素晴らしいかを力説して読者に興味を抱かせることが第一になってしまった
もはやこれは批評ではなくて広告なんだよね
ちなみに、純文学よりも映画やアニメの批評は機能している
純文学よりはまだマシな状況だからだと思う 915 吾輩は名無しである sage 2018/06/06(水) 02:12:43.10 ID:9GTeat9l
この褒めるだけの批評は当然のことながら悪影響を及ぼす
作家へのフィードバックがなくなるし、よく小説を読む人にとっては読む価値のない駄文となる
広告のような批評ばかりしていたら批評家の権威も失墜してしまうだろう
批評家が内向きになると業界に緊張感がなくなるし
結果として小説の可能性を引き出せずに作品の質が落ちていく
作品が売れないと出版社も作家も批評家も食えなくなることは、彼らの考え方を推測する上でおさえておきたい
批評家も仕事でやっているから仕方がないのだ
だからこそ、こういうスレッドやアマゾンレビューで小説愛好者たちが、それこそ本来であれば批評家がやるべき仕事をするのは意味あることだと思う こういうような話はもうずっと過去スレでも議論されてきたわけですよ >>193
残念ながら事態は全然逆です
佐々木敦のような広告塔ライターがなんでここまでのし上がったのかというと、
彼は何でも要領よく読んで「ちょっとこれは相当に凄い小説」「文章の強度がケタ違い」とか、
何でも褒めるから、商売に都合がいいんです
だから文芸誌はむしろ経済を度外視して、苦しくてもダメな作品にはダメと書ける環境でなくてはいけない
>佐々木敦のような権力の方向ばかりを向いて批評能力のない批評家を排除できるようになる
>作品が売れて業界のパイが大きくなればそれが可能になりますよ
したがってこれはまったく論理の飛躍があるし、業界のパイが大きくなったからこそ、
「美しい顔100万部突破!」という欲をかいた夢想をして講談社があそこまでトチ狂ってしまったわけです
ま、さんざんあなたの論理の欠陥は指摘したけど、別に問題意識はあなたとそんなに違わない
そのソリューションがあなたの提示してる方法では間違ってると言いたいわけですよ
むしろ「保守派!古臭い!」(古臭いとは思えんのだが 笑)という理想に立ち戻ることが、
案外純文学の世界に人を呼び寄せるんだと思いますぜ
で、何より
>作品がつまらないから「美人」「イケメン」「芸能人」という作者の属性で売るしかなくなっているわけですよ
この認識は間違ってます。芸能人でも美人でも(失礼)ない作者による「コンビニ人間」や「おらおらで〜」が、
50万部突破の大ヒットを記録したんだから、あなたの思ってる以上に大衆は健全なんです
むしろあなたの方が上から目線で特権意識を持っている。そのことは認識しておいた方がいいです >>200
それについては>>197と>>198を読んでください
あなたが議論の前提を共有していない新参ってのはわかりました
だから、そこからいかにして批評が機能し、文壇が腐敗しない環境をよくするのか、という話だと何回も >>195
>>200に書きました
まず佐々木敦みたいな内実の伴わないヨイショライターを排除して、
まともな批評家に誌面を提供するのが第一歩です
>>196
>>187に書いた通り、商売というのは大事です。しかし理想を忘れた商売に成り下がったら、それは純文学の死です
それくらいなら一度潰れたっていい。これを繰り返し私は書いてます
ってことで一通り答え終わったかな? >>201
「新参」って 笑
いちいち自分のことを語ったりはしないんだが、誰に向かってモノを言ってるのかとw
まあいいです
新参だろうとプロだろうと、読む人が読めばどちらがまともなことを書いてるかはジャッジできるでしょうからね >>200
それは芥川賞効果ですね
芥川賞の作品は基本的に売れますから
普段の純文学作品とはあまり関係がありません
それに、その書きぶりだとあなたも売れることが正義だとわかってるじゃないですか >>204
へえ
あなたはどんな人なんです?
誰に向かって、なんて台詞、普通の感覚の持ち主ならなかなか恥ずかしくて言えたもんじゃないですけど >>205
>あなたも売れることが正義だとわかってるじゃないですか
いやあ、ここまで言葉を尽くしても何にも伝わってなくて驚愕するわ 笑
脱力しました
まあ好きにしてください
競争原理とやらで、純文学が東野圭吾みたいにバカ売れする明るい未来が来るといいですね >>206
答える義務はありません
あなたにもそんなことは聞いてません >>207
反論できてませんね
あなたは経済原理に反対するなら部数なんて持ち出しちゃいけなかったんですよ
あなたが仮にエライ人なら、その程度の認識すらないから純文学は没落したんでしょうね >>208
それなら、誰に向かってなんて渡部直己が言いそうな台詞は書くべきじゃありませんよ
ダサすぎじゃないですか >>209
読む人が読めば、どちらが相手に的確な反論をしているかは理解できると思います
とりあえずあなたは、二項対立のゼロイチ思考を懐疑する姿勢を持つべきかと思われます >>203
佐々木敦や倉本さおりへの異常な押しを見れば、もう引き返せないところに来てる可能性高いよ? >>213
それは本当にそうだと思う
まあ倉本さおりについては文學界の月評以外あんまり読んだことないけど、
佐々木敦を見ると文芸誌も末期的だなと思う >>211
二項対立のゼロイチってのはあなたのことでしょう
あなたの思考の前提には経済原理を導入すると理想を忘れてしまうという認識があるようですが
私はそんなことどこにも書いてないわけですよ
むしろ、その理想はすでに使い古された陳腐なものではあるが
前提としてどう変えていくかという話をしている 見る人が見れば罵倒する言葉ばかりを多用しているあなたの品性下劣さに驚くんじゃないですか それから>>200に具体的なソリューションなんて書かれてないですよね
理想に立ち戻る、なんてクソみたいな批評家の結論みたいじゃないですか
もっと具体的に、どうすれば変わるか話してもらえませんか >>215
>売れることが正義
>経済原理を導入すると理想を忘れてしまう
私の書いたことからこんなことしか読み取れない人と議論しても無駄と言わざるを得ませんね
ま、品性下劣なのは認めてもいいですが 笑
私があなたの何に反発したのか、まったく理解できてないようですね
売り言葉に買い言葉では議論は進みません
(こう書くと「オマエがそうだろ」とかまた返ってくるんだろうな……うんざり)
あなたの「オレ理論」は飛躍や穴がありすぎるんですよ
ゼロイチ思考がどちらなのか、冷静に考えてみましょう
私も常に考えながら書き込んでますよ まあ、両者とも佐々木敦を嫌ってる訳だしw
でも、佐々木以外の批評家達が殆ど沈黙を続けてきたことも問題な訳で。
ここ数年、文芸批評で目立った作品が出てないのも問題だ。
安藤礼二なんか、折口とか南方とか、どうでも良いことばかりやってるw >>217
とりあえずひとつだけ有効なソリューションは、これ書くのは二度目ですが、
佐々木敦を切って、有能な批評家に誌面を与えることです
次いで、あなたの書いてるような「クソ商業主義」を懐疑して、質の伴わないものには、
どんなに売れそうであろうと誌面を供さないこと
まあ、この2つ目は、ある程度はできてると思うから、私もそこまで心配はしてない
あなたの言うような「純文学の作家は、ストーリーを面白くして本をバカスカ売るべき。絶対にそうした方がいい」
なんてことを文芸誌が指向しだしたらディストピアなのは間違いありませんね 笑 >>218
あなたは苦しくなるとそればかりですね
あなたは勝手に>>186と思い込んで議論していたわけでしょう
二項対立のゼロイチってのはあなたのことじゃいですか
言わせてもらいますが、あなたバカですよ >>219
安藤礼二には、今一度、現代作家を論じさせるべきだと思います
彼も佐々木敦っぽいところがあって割となんでも褒める傾向があるけどね
あとは山城むつみとかかなぁ…… >>221
あなたの書き込みの傾向として、相手に答えられなくなると同じことを繰り返す、というのがあります
そんな人に対してまともな返答はできませんよ >>223
あっそう。それは失礼しました
では最後の2行は撤回します
でも、あなたもそう思ってるんでしょ? >>220
それ全然具体的じゃないですよ
質を誰が決めるんですか?
作品の質ってなんです? >>225
もうだんだん面倒になってるけど、あなたは>>200とかには反論できてませんよ
このレス、結構クリティカルヒットなんだけど、それへの反応が
>売れることが正義
>経済原理を導入すると理想を忘れてしまう
だから、この反応読んだあたりからあなたとまともに議論する気は失せてます
悪しからず >>226
議論の前提を共有しているかどうかって話ですね
クソ商業主義も、何も売れなければ文芸誌を維持できないってのは小学生でもわかる大大大前提ですからね 今すぐ有効な解決策なんか出る訳ないじゃん。
それにもう、文芸出版は半分くらい裏社会に乗っ取られてる。
渡部直己は女好きだから裏社会から狙われて罠にはまった。 >>227
「作品の質ってなんです?」なんていう質問は高校の文芸部までにしといていただけますか
あなたがここで軽んじられてるのは、そういうことを平気で書いちゃうからなんですよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています