純文学5誌総合スレ第66巻目
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純文学5誌総合スレ第65巻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1530666140/
主に「新潮」「群像」「文藝」「文學界」「すばる」に掲載された作品について語るスレです。
「早稲田文学」「三田文学」「江古田文学」「太宰賞ムック」
「たべるのがおそい」掲載作品の話題も可です。
新人賞受賞作 芥川賞受賞作を各論で批評することもOKです。
文芸誌の感想は、書いても書かなくてもOKですが、あるとなお可です。
受賞作決定前の候補作の批評は普通に本人・出版社工作員のステマと見做されますから気をつけてください。
文芸誌の話題にとどまらず、新人賞選考委員の評価・クレームなどもOKです。
さらには文学のありかた、これからの文学は、そもそも文学とは? といった総論や大きなテーマも歓迎です。 佐々木敦の有用性はあるんだよ。
ハイカルチャーを下世話に解釈して、普及を助けるという。
デメリットも大きいが。 >>31
おっしゃることは分かる
しかし、そもそも佐々木の言説って珍論か「文芸誌の何月号に載った」みたいな形式論、そして情緒的な感想批評ばかりだから、
何も読者が得るものはないし、むしろ害しかないというのが俺の意見だな
本当に興味のある読者なら、軽くアンテナを張るだけですぐに佐々木が紹介してる程度の情報は手に入るし 佐々木はどの文芸誌にも書いてるな
すばる9月号内容紹介(尼より)
【小説】
青来有一「フェイクコメディ」
島田雅彦「君が異端だった頃」
椎名誠「いくつかの事件」
【堀田善衞/全集未収録原稿再録】
「上海・南京」(1945年)/「国際文化振興会での思い出」(1964年)
解説…秦剛
エッセイ…四方田犬彦
【すばるクリティーク賞受賞第一作】
近本洋一「括弧に入れられた『心』」
【評論】
佐々木敦「彼女は(彼は)何を見ているのか――ひとつの濱口竜介論」
【対談】
長島有里枝+武田砂鉄「フェミニズムと『第三者の当事者性』」
【新連載】
武田砂鉄「マチズモを削り取れ」
【すばるeye】
桑田光平「喪失と再生――パスカル・キニャールの文学」
【すばる海外作家シリーズ】
デイヴィド・フォスター・ウォレス「ロブスターの身」
訳+解説…吉田恭子 文芸誌読むの飽きてきたな
それともクオリティーが年々落ちてきてるのか
好きな作家でも読んでるうちに飽きてくる
かわりに好きな新人作家が現れるわけでもなくなってきた
今まで文芸誌を読んでいた時間を文豪の作品を読み漁るのに使いたくなってきた そりゃそうよ
現代作家の作品で文豪の作品を読むのと同じくらい価値のあるものなんて僅かしかない
10%程度しか読む価値はない あなた(たち)が 差し控えても構わないと思っている容赦とは 何ですか >>32
あなたの言う通りだ。
じゃあ、誰が推してるのかとなると、チーム早稲田が佐々木を推してるのかも。 >>31
佐々木のメリット
批評家見習いが「自分の考える批評家」イメージをなぞっている感じだと思う
政治や学問には決して触れないのは学力がないのと、批判されると反論能力がないため
文芸、映画、音楽、芝居と手を広げているものの、最後は個人の感想でごまかせる領域にとどまっている 佐々木は英語も読めないし
もちろんフランス語も読めない
結局誰かが翻訳されたものに飛びついて意匠として利用しているだけ
しかも未だにニューアカ追っかけから一歩も出ていない >>35
僅かな佳品と出合うために、文芸誌を読んでるようなものだしな 【東京新聞 文芸時評】高橋弘希「送り火」 北条裕子「美しい顔」 佐々木敦
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/jihyou/CK2018080102000271.html
送り火については、多くの2ちゃんねらが佐々木が言う前にすでに書き込んでる程度の内容だな
真新しいものはない
美しい顔については佐々木に反省の色はない。イミフな北条への愛情の強さ…
>たとえば私は「送り火」で芥川賞を受賞したのなら、高橋弘希は「指の骨」でいきなり受賞していても、
次の「朝顔の日」でとっていても、
あるいは候補にさえならなかったが「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」で受賞していてもおかしくはなかったと思う。
>ここで今回の候補作の一本でもあった北条裕子「美しい顔」(『群像』6月号)が引き起こしている問題について触れておきたい。
私はこの作品に大変感銘を受けた。それは前に本欄にも書いたとおりである。だが私は、
この小説が芥川賞候補に挙げられることが望ましいとは思っていなかった。前にも書いたことがあるが、
私は新人賞受賞作すなわちデビュー作がそのまま芥川賞を受賞してしまうことは、
その作家自身にとってよいことではないと考えている。
だが、それとは別に、候補になる可能性は高いと思っていたし、候補になれば受賞することもあり得ると思っていた。
>私の答えははっきりしている。「美しい顔」はそれでも力強いデビュー作である。新人賞にも芥川賞候補にも十分に値する。
だが、今回の一件で負うことになったマイナスをはねのけるためには、
北条裕子は「美しい顔」を超える強度を持った第二作を書かなくてはならない。とにかく書き続けて欲しいと思う。 最後の一行が佐々木の
才能を見抜く力がない
ことを明確に示して
いるな。 良いとか悪いとか強度とか
そういう漠然とした評価では批評とは言えない
単なる好き嫌い嫌いでしかないし
そのくらいなら幼稚園児でも言えます >>42
リンクありがとう
なるほど、そこそこ自分の意見は表明してるわけね
その意味では>>30の一部はやや早合点で書いたので撤回するが、
「講談社は盗作じゃないとゆってるよ!島田雅彦もゆってるよ!」ってのがなんとも。お前はどう考えるのかと。
こういう時、佐々木が文学を勉強してないツケが出てくる。つまり、自分の思考による結論というものが出せていない
講談社や島田雅彦が言ってるからではなくて、お前がなぜこれを盗作と考えないのか、理屈立てて言えますか?
それを書かない限り、ジャーナリズムであって文芸批評ではない
そしてやはり芥川賞の候補回数とかそういう形式にばかりこだわる佐々木の悪癖が出ている
それ、小説の価値に本当になんの関係もないよ
ここでも、このコラムがただの文壇ジャーナリズムに過ぎないことが露呈してるね
もう、「批評家」と名乗るのはやめた方がいいだろう
「文芸ライター」なら認めるよ。ライターを差別してるわけじゃない。文章のジャンルの違い。 >>39
>>44
全くその通りです。
佐々木敦がこれ読んでないはずないんだけどね ↓
「あのう、この印象批評は現代までえんえんと続いていて、まだこれやってる人たくさんいるんだけど、
そういう人の考えかたの中にはすべてこの、小説なんていい加減なもんだって考えかたが多かれ少なかれあるの。
だって、そう思わなきゃ、自分の常識だけ土台にしてさあ、印象批評なんてものやれっこないでしょ。
そりゃまあ、神様並みの常識持ってりゃ別ですよ。」
「こういう印象批評、あるいは印象批評以下の『面白い』『面白くない』だけの無責任な読書感想文だけはやめようよね。」
筒井康隆『文学部唯野教授』 第1講「印象批評」より 筒井康隆は純文学をかけないから、それをカノンにしちゃダメ。 参考文献の明記は文芸創作の慣習上遵守事項とはいえず
この点について作者の責任とは言えないが
引用部分については主人公の主観として物語に埋め込んだり
そこから被災者心理に立ち入ることはかなり難しい(きわどい?)
というのが島田雅彦の見解であり
島田は作者の創作姿勢に対してかなり厳しいことを言っているのだけど
この言葉尻を捕らえて免罪符のように利用して
論理性を欠いた擁護をする職業批評家がいる
というかどこがどうすごいと感じたのか全然わからない
作品を読んだのかすら疑わしい
たとえば文学界で月毎の文芸作品評を書いていた千葉雅也なら
短い言葉でサクッと行くんだけどね >>47
確かにね。
そうなんだけど、一応テリー・イーグルトンの本が元ネタにあること、
実験小説の実作者として数々の無理解な印象批評にさらされてきたことへの実感がこもってるという意味では
参照するくらいはいいかなあとは思った >>49 イーグルトンはパロディーしませんよね。ぺレックもそうだと思ったが、小説というジャンルを冒とくしているような。それからドゥルージアンは素材選びを間違っていると思います。 >>47
筒井が純文書けないこととこの内容って関係なくない? それにしても、芥川賞を何回めで取るかとかそういう与太話で文芸時評1回埋めるとか、まさに佐々木の真骨頂やなあ
ほんっっっと、それ作品となんの関係もない
もう佐々木に怒りすら湧かないわ
脱力感しかない
賞に値する作品なら1回めで取ったってなんの問題もないし、それで潰れるならそこまでの実力
今回の時評は、佐々木敦的言説の無意味さの集大成かも
こんな代物を読んでも原稿を依頼するなら文芸誌に未来はないし、
これで佐々木を切る決心をするなら文壇はもう少しまともになる
骨のある編集長が出てきてほしいわ >>52
それもそうだよね
47みたいなのにレスしなけりゃよかった 実力主義の観点で佐々木敦批判するとか、青い青いw
そんなこと言ったら、田中和生や石原千秋らが新聞時評書くこと、読痴・島田雅彦が
代表で芥川賞講評を述べることだって変だよw 芥川賞に価値があるとかいう認識は時代遅れと言わざるおえん
佐々木は時代においてかれてる
もはや一般人ですらくだらねえもんと気づいてる 半年に二回だからね
二年に一回とかにしたほうが良いものが出てきそう 販促としては優秀だし歴史もある
まだ権威は辛うじて残っているが、再構築が必要な段階だろうね >>60
どうでもいいがそのコテ気持ち悪いものを連想させるから
やめてくれ。
君は悪いやつじゃないんだが。 販促は他がだめだからなー
でも権威って意味だと、
芥川賞作家=羽田圭介レベルだからね
口ではすごいねーっていっても
頭の中では笑ってるよ
又吉について言う人多いけど、
俺は羽田圭介が致命傷だったとおもう >>63
羽田圭介はマシだろ
それよりどう考えても又吉だよ まあ、もともと、一番簡単で受賞頻度が多い上に文芸誌にのった作品限定つう、くだんねえ賞だからあるべきポジションと言えばそうだけどね 過去スレでも議論されていたと思うが
各社協力して文学賞の位置づけをもっとわかりやすくしてほしい
あと、もっとメディア露出を増やしてブランディングした方がいい
漫画賞とかもそうだけど、テレビが報じるレベルになるべき うーん
俺が小説とかぜんぜん読まない人と話してると、あの子馬鹿だよねつう認識が広がってるような気が
逆に又吉は芸能人枠つうことで別枠認識だからダメージひくめ 外部メディアの責任もあるわな
前例主義、横並び主義で本質を伝えられてない
本格的に芥川賞みたいな新人賞とっても食えない時代が到来しつつあるみたいだから、こっからかもね 火花
コンビニ人間
おらおらでひとりいぐも
最近はこの3種類ばかり部数が伸びている
一般人に芥川賞の認知はあるのだが、
ごくたまに気になるのだけ拾い買いしてるように見える
基本的に、買わない・読まないスタンス
芥川賞受賞作は、つまらないので読む価値はないという認識だ 純文学の定義とかこの手の話って村上龍デビューあたりからずーっと言われてるんだから
生産的だとも思えない
権威込みで純文学だから神経質になるべきということなのか >>69
純文としては十分だろ
芥川と春樹しか売れないんだから
そして春樹も日本では売れなくなってきたし そういう意味では芥川賞は販促なんだよね
文学的な価値があるつうことにもはやならない
新人は三島か野間新とってからのがいいよね
佐々木はあながち間違ってないかも >>73
いやいや待ってくれよ
販促であることと文学的な価値があることは両立するわけで、どうしてそう二律背反で捉えるのか正直なところ意味がわからない 三島や野間新だって「有名ではない芥川賞」程度の位置づけしかなくいわば劣化芥川賞だよ
なのになぜ三島や野間新をとってからっていう謎の結論に達するんだ? 羽田みたいに、本たくさん出してから芥川賞受賞するというタイミングだと特だね
ほとんどの単行本が文庫化されてウハウハだったろう
その点、一作目で受賞してしまうと、まとめて売るものがない
滝口なんか、たくさん単行本出してるのに、デビュー作しか文庫化してない 芥川賞単独より、三島か野間新の後ろだてなある方がまだましだつうこと 新人でもとれんのこの2つぐらいだろ
織田作は残念三島賞化してるし >>76
滝口はもうホント昔ながらの純文学やってるからな
はっきり言ってそういうのはごくごく一部の好事家にしか受けない >>76
細かいとこだが文庫化されてるのはデビュー作じゃない >>74
まったくそうだよね
佐々木の今回の時評はゴミみたいなヨタ話に過ぎない
こんなのが「ニッポンの文学」なんて本をだしてるんだからもうね…… 文学的価値は芥川賞についてはなくなりつつあるんじゃないか。お前という呼称が時代につれて、蔑みの意味を帯びていったように、実態がばれて、たいしたもんではないと思われているような気も。
蓮見が取ったのと、又吉がとれなかったのとで、三島のがすごいと思っている層はわりといそう。 価値がなくなるって意味ならだいぶ前から既に話題性かよってなってて、その後のきことわやabさんごで一般人に総スカンくらいつつあったから
コンビニ人間やおらおら〜が売れて、芥川賞もたまには面白い作品あるんだな程度の認識に少し回復したって印象だわ 又吉羽田回まではまだ結果について議論があったきがするけど、それ以降はガチの文学層は離れた印象 送り火、尼の売れ筋本ランキングで現在648位だ
何年か前までは、芥川賞作品は、受賞後何週間かは100位以内だったのに >87
俺はこの認識だわ
作家目指してた頃もあったから気にしてた時期もあったけど
今は誰がとっても気にならない
作家目指すの辞めてからも、発表の度にぞわぞわしてたんだけど
たぶん嫉妬してたんだろう
もう嫉妬の対象でもなくなっちゃった >>61
気にしてはいけない。
芥川賞の選考委員で、ちゃんと読む自信のない人は選考委員を自ら辞めるべき。
そして、選考委員は真面目に選評を述べるべき。
歴代の芥川賞の選考後発表された選評で典型的に酷いのが第77回の中村光夫の
「エーゲ海に捧ぐ」評の同作品を褒めた部分だろう。
曰く「八編のうちで、池田満寿夫氏のエーゲ海に捧ぐが抜群の出来です。」。
これだけw
いい加減にしろよとw 選考委員って建前としてはしっかり小説を読めるから選考委員なんだろ
明らかに読めないやついるよな お前らなんで文学賞のような権威にすがろうとするんだ
文学はそういうものをぶっ壊すためにあるんだよ 賞とかだせーって風潮が昔はあったような気もする
ネット時代になってなんでもネタ化して、まつりあげられ、そんで消費されたのがあわれな芥川賞 日本語で世界文学を、という試みは日本語ロックとか日本語ヒップホップみたいな、うら悲しさがあるから、芥川賞的なる文章という半ば伝統芸能化した・様式化したもので埋まってしまうのは仕方のないことかもしれぬでござる。 だから芥川賞は日本文学の最前線で一番すごいもんだと誤認されてるのが問題……って
いいたいとこだけどその誤認がなくなってきつつあるのがかないしとこ
やっぱ佐々木はずれとんねー >>95
文学は理想を追求する為にあるんだよ
現実に追従してたら佐々木みたいになる >>98
>その誤認がなくなってきつつあるのがかないしとこ
「日蝕」ならそれなりにハッタリがきいて
「おお、まさに文学!」という誤解が生じますが
「蹴りたい背中」や「苦役列車」だとあっという間にメッキが剥がれてしまう
高橋源一郎が指摘するように純文学は大衆に読まれてしまうと
有難味が無くなってしまうのです
それでも円城のように読みやすいけどさっぱり分からない、
という作品なら価値が生じる余地があるのですが
「バカ」という捨て台詞を残して辞めていった
高名な選考委員もいるので
あの手の作品でもやっぱり価値創出は難しい
最近の世間様は難しいからと言って無暗に有難がるような
可憐さを持ち合わせてはいないのです
そもそも島田雅彦の様な偶像破壊者を選考委員に据えた時点で
従来の純文学的文章経営によるハッタリも難しいわけです >>96
でも、以前のヤフー記事で、芥川賞受賞者は寿命が長く、直木賞作家は寿命が短いというデータを示していた。
直木賞作家は激務なので、寿命が短いのだろうと分析されてた。
芥川賞作家は、その賞という承認を得られたことで幸福度が高くて長生きなのだろうと。直木賞作家と違って、たまに書いたりフェードアウトしたりするしな。
賞なんでダゼーといいながら、本当は嬉しくて幸福でしょうがないくせに。 今の純文学を脱構築するとすれば どの様な作品になるのか気になります >>100
純文学の有り難みだとか、そんなことを抜かしているから現在の体たらくなんだろうに。
世の人々に読まれない小説なんて意味がない。 ダセーといってんのは、受賞作家ではなくて周りの編集とか世の中の知識人ね
芥川賞はまともな作家は取らないってのはわりと常識だった ここに出てきた作家でも高橋源一郎とか島田とか春樹とかもとっていないしね
古くは三島もとっていないし、安部公房とか大江とかはとってるけどこれは芥川賞しか
なかった時代で、しかも複数作が候補になってようやく受賞
たぶん、安部公房や大江の時代は芥川賞しかなかったから、彼らより才能があった作家が
いても芥川賞を取らせずに闇に葬られていたんだとおもうね
まあ、今の時代にあてはめてもすんなり芥川賞とっちゃう作家がたいしたことないの間違いない
新しいものほど理解されないのはいつの時代も一緒
デビュー即受賞のおらおらや影裏が安部公房とか大江以上の才能なわけないでしょ >>105
三島は芥川賞なんかすっ飛ばして選考委員だよ……
彼はあまりに突出してたから芥川賞なんて失礼という配慮だよ >>103
>世の人々に読まれない小説なんて意味がない。
読まれたら、しかも簡単に読み通せるものなら
大したものではないことがすぐにわかる
表面上の難解さで批評を誘引するようなものが純文学であり
小説が諸流派に分かれて
流派別に批評家が存在するのもそのためです 村上春樹のノルウェイの森とか 一見 文章や流れなどが難解に感じないので 表面的に捉えた多数の一般人が「淫らで 過剰評価されている小説」と言っていたのが印象的
実際に裏返すと意味が奥深かった記憶があるけど
これは純文学的にどういう位置付けになるのだろう 春樹はなんか薄味雰囲気小説に見せかけて、よく読み込むと細かい部分まで意味を持たせていて解釈の多様性があるよね 春樹並みに緻密な小説書けるやつ日本ではいないからな 解釈の多様性とか文章の緻密性とか曰く有りげな評価はできるのにその具体的中身が表されることは永久にない >>109
映画化大コケ
これがすべて
映画化しても面白い
読んで面白い
これが本物 >>109
>これは純文学的にどういう位置付けになるのだろう
ユングの影響が強い、特に90年代以降の作品は
1Q84でユングについて言及した時は唖然としたね
カフカでも露骨なのに ユングにたどり着くことはないよ。簡単にはね。村上でもはずれでしょう。通し名
であって名前ではなく、将来未来のことだからね。フロイトのようなものは過去に確認できています。 ひと昔ユンガリアンまで進んでるから最近は ヤングアリアンでもいいぐらいだ。 まあ、ザックリ言うと、批評空間派はフロイトーラカン派のiconoclastの人達であり、iconolatristであるユング好きな村上春樹を嫌ってるということ。
だが、蓮實も柄谷、浅田も甚だ徹底しないiconoclast達。
あまり、真剣に考えてない。
明治維新以来、日本のインテリの殆ど全部が余り自覚的でないiconoclastなんだな。
iconoclast,iconolatrist
はそれぞれ偶像破壊主義者、偶像崇拝者と一応訳されてるが、正確な訳ではない。 村上春樹はユング流の神秘主義だよ
だからまともな人には相手にされない まあ、村上春樹の立ち位置は希少ではある。
世界のナラトロジー研究で、近東、ギリシャ神話に関心持つ文芸評論家は新規に登場してるし、間接的にはフランコ・モレッティですら関係してる。
俺は村上の読者じゃないので村上については殆ど知らないが。 スガだって、花田清輝擁護の声を上げたのは、樺山や川本よりも3年ぐらい後なんだな。
別にスガが先陣切った訳じゃないw
ここじゃ関係ないけどw 石原千秋ですら村上春樹本だしてるくらいだから、
もっと奥がふかいのかな
それともただの深読みか >>122
「まともな人」「相手にされない」
うん、純文学的だね
文学的かどうかは怪しいが
多少煽ってみると
純文学ってそうやって選別を続けて、スカスカになっていくのかもな >>121
>iconolatristであるユング好きな村上春樹を嫌ってるということ。
そうなの?
外縁から記述していって焦点(あるいは主題)をぼかしてしまうので
なかなか尻尾を出さないか掴ませない
それで一般読者に神秘的(あるいは高尚)な印象を与える
こういう印象操作に基づく自己特権化を
浅田彰は吉本ばななあたりと同種の
文学的こけおどしに過ぎないと罵倒している 田中康夫の場合はもっと激越で
しょせんノスタルジーに過ぎず
それも粗大ごみ置き場に捨てられた自転車を拾っていく程度の
感傷性にすぎないと斬り捨ててる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています