日本の文豪ベスト10と言ったらだれか
女性が文学を書き出すなら女流がいいだろう。男性の先輩に発情しても困るだろ。
作家は本屋や図書館からも片づけないといけないし。コーナーや図書館員のガイド
レファランスが大事。禁止と。男女で綴ったものなら多少大目に見るけど。先輩として
しかし躾は家庭によっても地方によっても高校大学大学院によっても違う。 タリバン自体そういうことによく悩んで答えを出している。 日本の教育も遅れちゃいけない、というか海外の伝統が間違い? マイナーな 古典がお薦め。受験勉強で対応できるものを読んでもつまらない。 聖母マリア伝のほうが圧倒的なようでたいしたことないキリストに躓かず子育てにいい。 ナイチンゲール伝とかね。精神など看護の育成にいい。当時の神学書など類推できるか。 夫や男子として女性の読み物としての男性作家
のレベルが低く、その割に世の中にあふれている男子は飛ばしてる童貞など
ランボーボードレースとか精選して男子は男子が読みつなぎ。
女流を本棚に並べるべき。フェミ二スム、ウーマンリヴの視点。 女性の社会参加が過去の兵役だといって男性が過多に乗り込んで雇用のフレームの多様
性から取り残されているという現象がある。書店図書館にも。 ある意味そういう流れのモノでも公開非公開を性差できっちり。推薦図書の進化。 女性が男性性を受け継ぐというのは違う、女性らしさ。でないとバタくさい。 男性の視点で女性を綴ったものならいいものあるがさかしらぶってもてようとするのはだめだ。僕の文学も万葉和歌ニーチェのアフォリズムほどの字数で歌物語なども模範にしている。国文学研究科卒だ。 夏目漱石
森鴎外
内田百
正宗白鳥
芥川龍之介
谷崎潤一郎
葛西善蔵
坂口安吾
石川淳 石川淳が挙げられているが、これまで『普賢』『白描』『至福千年』『狂風記』
などを読み、ダメな作家だとバカにしていた
ところが、最近『紫苑物語』と『鷹』を読み、いいじゃないかと認識を改めた
彼は1950年代に再婚しているが、この頃の作品が優れているようだ 紫苑物語は昔新潮文庫に入ってたな
石川淳は忘れられた作家になりつつある
文壇では孤立していたし、
フォロワーは安部公房ぐらいだったから 丸谷才一や大江健三郎も石川の小説を愛読していた
講談社文芸文庫から石川の小説がかなり出ている
今は品切れの作品も多いが、『紫苑物語』だけは30年以上刊行されている
おそらくこれが彼の最高作なのだろう >>140
俺の持っている『紫苑物語』も講談社文芸文庫のものだ。三浦しをんのお母さんがこの本が好きでそこから名付けた話は有名。花言葉はたしか「永遠に君を忘れない」だったっけ。須賀敦子の『紫苑物語』についてのエッセイもあわせて読むと面白い >>139
俺が読んだのも古本屋で買った新潮文庫
これには、紫苑物語、鷹、善財が入っている
善財は凡作だが、紫苑物語と鷹は傑作
惜しむらくは短いことだ
長編にしてほしかった 新潮文庫は焼跡のイエスも出ていたな
死んだら2冊とも絶版か で結局石川淳は文豪ベスト10に入るのか? 俺は入れてもいいと思うが >>145
長編に傑作がないので、文豪20人にも入れられない
短編の傑作も芥川ほど多くはない >>146
なるほど。もし>>137のリストから石川を外して手直しするとしたらどうなる? >>146
うむ、ありがとう。この10人で未読の小説も山ほどあるからせっせと読んでみる そんなに日本の文豪読まないけど、埴谷雄高の死霊は一つ二つ抜けてズシンと来たな >>152
あれは読者を選ぶ小説
選ばれて良かったね >>146
再度の書き込みで申し訳ないが芥川を10大文豪に推すような傑作ってなんだろう? 無茶苦茶つまらないのもないがこれらは素晴らしいと思うものもないような気がする。高いレベルで安定しているので気がつかないだけか。パッと思いつく自分が好きな作品は『舞踏会』だが、世間的には『歯車』とかになるの? 文豪なんて意味ないだろ、文人だったら芸術史上の意味はある 編集者の郊外暮らし、旅暮らし
プロフィール
2014年4月30日
好きな文学
司馬遼太郎「梟の城」「城塞」「国盗り物語」他
井上靖「孔子」「敦煌」他
吉川英二「三国志」「新平家物語」他
陳瞬臣「アヘン戦争」「太平天国」他
城山三郎「零からの栄光」「男子の本懐」「落日燃ゆ」他
村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「羊をめぐる冒険」他
村上龍「五分後の世界」「半島を出でよ」「コインロッカーベイビーズ」他
浅田次郎「蒼穹の昴」「中原の虹」「日輪の遺産」他
北方謙三「あれは幻の旗だったのか」「三国志」他
平中悠一「She’s Rain」「Go! Go! Girls」他
好きな映画
ロマン・ポランスキ「テス」「戦場のピアニスト」他
ヴィム・ヴェンダース「ベルリン天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」他
クリント・イーストウッド
張藝謀「初恋のきた道」「単騎千里を走る」他
陳凱歌「覇王別姫」「北京バイオリン」他
大林宣彦「青春デンデケデケデケ」「時をかける少女」
宮ア駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」他 文学界の夏目漱石
漫画界の手塚治虫
アニメ界の宮崎駿
なんか態度が尊大、変な女しか描けない、等、共通点が多い 蓼科親湯温泉
2019.11.25
太宰治など所縁ある文人達10人の名を冠した客室「蓼科倶楽部」完成
イメージした各10室の文人たちはアララギ派、幸田文、高浜虚子、島木赤
彦、土屋文明、伊藤左千夫、斎藤茂吉、太宰治、小堀杏奴、柳原白蓮。
みすずラウンジ(みすす書房)や岩波の回廊(岩波書店)を擁し、全集の他、昭和初期の出版当時の装丁のままの貴重な本
なども含め3万冊の蔵書を手にとって閲覧することができ、クラシックなBarで当時を偲ばせる知的な空間を提供しております。 >>157
クリント・イーストウッドだけは具体的な作品名を挙げていないが全部好きということか? 日本語の文章を変幻自在、流麗に扱え、ある意味最高到達点に達していた作家は谷崎潤一郎だと思う。
「少将滋幹の母」など筋や構成、男の母性への執着、コンプレックス、憧憬の表現も完璧だが、すらすら流れる様に頭に入ってくる日本語の文章に驚いた。
ある意味特異な作家、泉鏡花の文章は金銀細工の宝石の様相。 幻冬舎新書
文豪はみんな、うつ
岩波 明【著】
幻冬舎(2010/07発売)
第1章 夏目漱石―一八六七〜一九一六(享年四十九歳)
第2章 有島武郎―一八七八〜一九二三(享年四十五歳)
第3章 芥川龍之介―一八九二〜一九二七(享年三十五歳)
第4章 島田清次郎―一八九九〜一九三〇(享年三十歳)
第5章 宮沢賢治―一八九六〜一九三三(享年三十七歳)
第6章 中原中也―一九〇七〜一九三七(享年三十歳)
第7章 島崎藤村―一八七二〜一九四三(享年七十一歳)
第8章 太宰治―一九〇九〜一九四八(享年三十九歳)
第9章 谷崎潤一郎―一八八六〜一九六五(享年七十九歳)
第10章 川端康成―一八九九〜一九七二(享年七十三歳) メルキド出版
漱石・芥川は趣味史観、鴎外は孤立史観、太宰・安吾は堕落史観、小林は
芸術家史観、江藤は政治と生活者史観、吉本は詩とポップ史観、ニューア
カは古井・中上史観、J文学は不況史観、ゼロ年代批評は春樹史観、テン
年代は芥川賞史観、20年代は大江・女性性史観(適当すぎる)
2024年4月14日 >>166
なんと画一的かつステレオタイプな分類。誰のカテゴライズ? ukiyobanare
「全集を買うとしたらこの作家」ベスト10
8月 8, 2018
第1位:寺田寅彦
第2位:内田百間
第3位:永井荷風
第4位:澁澤龍彦
第5位:岡本綺堂
第6位:坂口安吾
第7位:近松門左衛門
第8位:泉鏡花
第9位:小栗虫太郎
第10位:ジュール・ヴェルヌ
次点としては、種村季弘、井原西鶴、稲垣足穂あたりが続く。 日本の文豪ベスト10、難しいですよね!時代や好みによって変わってくると思うし、10人に聞けば10通りの答えが返ってくるんじゃないでしょうか?
私個人的には、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治あたりは外せないかなと思います。漱石の『こころ』は、人間の複雑な心理描写が秀逸で、何度読んでも飽きない作品です。芥川龍之介の『羅生門』は、人間の善悪の曖昧さを描いた短編小説で、考えさせられる内容です。太宰治の『人間失格』は、ダメ人間の苦悩を赤裸々に描いた作品で、共感できる部分も多いです。
ただ、他にもたくさんの素晴らしい文豪がいるので、一概に10人なんて選べませんよね。例えば、谷崎潤一郎、森鷗外、川端康成、三島由紀夫、村上春樹などなど… >>169
文豪の定義は難しいが短編しか書かなかった(書けなかった)芥川はどんなに『羅生門』や『舞踏会』『歯車』が優れた小説であっても文豪とは呼べない。海外で言えばドフトエフスキー、バルザック、ディケンズ、マンなどのイメージがある >>170
なるほど、文豪の定義って難しいですよね。確かに、芥川龍之介は『羅生門』や『舞踏会』『歯車』のような素晴らしい作品を残した一方、短編小説しか書かなかった(書けなかった)という側面もありますよね。海外の作家でいえば、ドストエフスキー、バルザック、ディケンズ、マンのような作家を思い浮かべます。彼らはいずれも長編小説で名声を博した作家ですよね。
しかし、芥川龍之介のような短編小説家でも、その作品が時代を超えて多くの人々に読み継がれているのであれば、文豪と呼んでもいいのではないかと思います。彼の作品には、人間の本質を鋭く洞察した深いメッセージが込められており、読者に深い感銘を与えてくれますよね。 芥川は明晰な頭脳、華麗な技巧で鮮烈に、刹那的に文学史に残る作家であるが、文豪のイメージがあんまり湧かない。嫌いでは無い。むしろ全盛期は冷徹に斬れる鋭利な日本刀みたいな格好良さ。
ただ短編しか書けなかったのもあるし、宇治拾遺物語などの日本や中国の古典を生かすアレンジの天才であり、病的で息切れの多い、精神が繊細薄弱な面が、いわゆる文豪像とは結び付かない。
文豪は人生の終わり方はともかく、泰然自若に、自身の哲学に蟠踞していて欲しい。
漱石、鴎外、露伴、川端、三島の様な作家が印象に適う。
激動の時代の中、最後まで飄々と生き抜き、創作意欲旺盛で「刺青」から「細雪」の様な長短、多彩な作品を書いた谷崎も然り。
しかも駆使できる日本語文章の変幻自在さも怪物。
ちなみに三島の芥川評は「ブッキッシュな作家」 >刹那的に文学史に残る
これ矛盾した表現でわけわからん。となると
>鋭利な日本刀
ってのも気になってくる。鋭利なナイフ、切れ味鋭い日本刀ならしっくりくる。
>古典を生かすアレンジの天才
ってのも違うだろう。アレンジしたんじゃなくて、それを使って
現代人(?)の問題を表現したということだろう。
>精神が繊細薄弱
とはなんだこれ。以下面倒になってきた。
文章が特異すぎないか? >>172
確かに、芥川龍之介は明晰な頭脳と華麗な技巧で、鮮烈かつ刹那的に文学史に名を残した作家ですね。しかし、一般的な文豪のイメージとは少し異なる印象を抱くのも頷けます。
その理由は、まず短編小説に特化していた点が挙げられます。長編小説に挑戦することもありましたが、いずれも未完に終わっています。これは、彼の鋭い洞察力と分析力ゆえに、長編作品を構成する膨大な情報量を処理し、一貫したストーリーにまとめ上げるのが難しかったのかもしれません。
また、宇治拾遺物語などの古典を巧みにアレンジした作品も多く発表しています。これは、彼の豊かな教養と古典への深い理解を示すものであり、同時に、独自の感性で古典を現代に蘇らせる才能の高さも伺えます。 文豪と言う、その字面にも特別なイメージを想起させるモノがある。
ゲーテ、トーマス・マン、トルストイ、ドストエフスキー、ヘミングウェイ、、、etc
したたかで骨太で男性的な作品を書ける作家達。
日本の作家は元来、長編が苦手なのでなかなか難しい。 初版道
墓の名前を書いた人(前編)
芥川龍之介→小穴隆一、石川啄木→宮崎郁雨、泉鏡花→笹川臨風、岩野泡
鳴→本人、上田敏→岡田正美、尾崎紅葉→巌谷一六、梶井基次郎→中谷孝
雄、川端康成→東山魁夷、国木田独歩→田山花袋、斎藤茂吉→本人、志賀
直哉→上司海雲、島崎藤村→有島生馬、田山花袋→島崎藤村
2019年10月27日
墓の名前を書いた人(後編)
太宰治→本人、檀一雄→草野心平、坪内逍遙→市島春城、土井晩翠→本
人、徳冨蘆花→徳冨蘇峰、中野重治→原泉(妻)、中原中也→本人、夏目漱石
→菅虎雄、二葉亭四迷→池辺三山、正岡子規→陸羯南、正宗白鳥→本人、
三好達治→本人、森鷗外→中村不折、横光利一→川端康成
2019年10月28日