もう一つの条件は、「ゲーム原案書式が広く知られるようになること」だ。
その目安として「国語の教科書」がある。ネットの普及によって、校舎に子供を来させて知育を行う、
というやり方が変わっていく可能性はあるけど、とりあえずバーチャル学校のような形であっても
公共教育が続き「国語科」教育も残ると仮定する。戯曲は昔から国語科で教えられていたけど
映像劇のシナリオが教科書に載ったのは、
1990年代の倉本聰「北の国から」あたりからだと思う。それまでは文教政策的には戯曲とシナリオの間には
溝が設けられていて、シナリオなんてものは文学ではなく
サブカルチャー製品の設計図みたいな扱いだったと思う。
レーゼシナリオが「ポスト小説」として浮上してきた(?)のも、そのような時代が到来したからだと思う。

ゲーム原案が、1990年代における「シナリオ教科書掲載」くらいの域に達すれば、
前衛でなく標準的な文芸形式になるだろう。