信仰とは思考停止して自己か何かへの肯定感に満ちている愚か者だということだ
利害関係を除いた家族や友人、そして恋愛感情もまた一種の名も無き宗教だろう
人間には賢さと共に愚かさが必要であり、それはひとつの合理的なシステムなのだ

もちろん客観的事実、科学的真理に接近するには懐疑主義や不可知論としての無神論の方が有効だ
物事を常に批判的に、懐疑して見るマイナス思考で利害関係しか見ないニヒリストは賢く、時代や状況に対応して変化し続け、そして正しいーーが、そんな自分自身も批判して潰してしまう

従って複雑で変化し続ける不安定な現実を正しく直視して悩み考え吟味し続けて疲れるよりも、子供じみた嘘を信じる方が個人や社会を単純化させてむしろ合理的になることもある
機関車はレールの上にしか走れない代わりに力強く走るが、人間の精神にとって信仰による思考停止とはレールのようなものだ
物理学者のマッハも人間が無意識のうちに自分に都合の良いことしか見えなくなるのは、常に全ての情報を精査していたら脳が疲れてしまうからだといい、情報のエコノミー(節約)と呼んでいたという

マルクスとか宗教は人間が無意識に作った道具に過ぎないという無神論・唯物論者から見た宗教の意義はだいたいこんな感じ