>>476
ドストが捻くれ者なのでなく、人間には「そういう生命がたしかにある」万人に等しくある。

ふだん平静なときには「自覚できないだけ」自分が良い人間である、温和な人間であると、信じている人ならなおさらである。

「良い人間悪い人間」というものはいない。「そんときイイことをしたひとを」良い人間と呼ぶというだけのことである。

ぼくが以前書いた
>もしアレクセイがリーズと結婚したら「逆ギレして全裸でスクワットさせるのだ」
というのは冗談で書いたのではない。彼はたしかにそうするであろう。しかし、そこから立ち直るのもまたアレクセイのすばらしいところ。
悪徳に陥るのが恥ずかしいのではない。その悪徳から這い上がり
その人間革命の姿を見せて「周囲に希望を送るのが」偉大な生き方だ。

... しかしわたしたちはソドムを恐れる。悪い人間になることを。
たとえそこに美があろうとも。なぜなら不幸になるからである。

それを制御するための信仰だ。
「いわば悪魔と神の戦いだ、そしてその戦場が人間の心な
のだ。 」
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以上のようにぼくは解釈してます