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【早稲田大学】渡部直己6【俺の女になれ】

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0643シャシャキ
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2018/09/16(日) 16:35:57.36ID:IEWwdmrx
取り敢えず、中上健次について大事なことは言っておいたw
0644吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 16:38:40.08ID:hqGIYDrB
中上自身の意識は知らんが中上の小説を反差別の文脈で読むのは無理があるんじゃないかなあ
0645吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 16:42:49.81ID:CKwKmtPM
ハニトラに決まっておろう
俺のオンナになれ?
いつの時代じゃろ
0646吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 16:44:34.60ID:CKwKmtPM
もういいよ

中上春樹でオケ
0647シャシャキ
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2018/09/16(日) 16:49:40.33ID:IEWwdmrx
>>644
反差別も差別の文脈に含まれてる。
そういうのを取り敢えず除いて、中上を読むべきと俺は言いたい。
0648吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 17:00:22.51ID:CKwKmtPM
オトコって太るとなして中上みたいな顔になるんじゃ?
0649吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 23:38:42.49ID:r8qL+Bst
nozaの日記
2003-07-11 渡部直己『かくも繊細なる横暴』について(その2)
■金井美恵子と中上健二
この二人についての対比がされている。
どちらも、ヒューム=ドゥルーズ的な分子のランダムな運動を捉えている点は高く評価されるが、
中上は最終的には、人間という形象を手放せなかったゆえに、
聖と俗という図式に惹き付けられてしまう、という分析だ。

この分析には納得出来ると動じに、やや不当なものにも思える。
丹生谷貴志が書いていたドゥルーズとフーコーの違いを思い出す。
ドゥルーズは分子のランダムな運動を徹底的に肯定して、それが人間という形象をとらなくなることさえ考える。
動物になる、というような生成変化への肯定は、よく知られたところだろう。
一方、フーコーは、そのようなドゥルーズ的な生成変化を最大限に称えつつも、
あくまで自分は人間という形象を手放さない(手放せない)。
では、それはフーコーがドゥルーズより劣っていることを示しているかといえば、そうではないだろう。
フーコーには、同性愛、監獄、精神病院というような、
人間という形象が権力作用の場となるようなものが常に念頭にあったから、そうなっているのだと思う。

似たようなことが中上についてもいえるのではないか。中上については、当然、差別ということが問題になる。
そこを、一気にランダムな分子の運動を肯定するという話にするわけにはいかないだろう。
あるいは、ランダムな分子の運動として捉えられた人間という形象が、なおも問題となるというべきか。
これは、ヒューム=ドゥルーズ的な転回の後で、主体や歴史をどう考えるかという、より広い問題だ。

ただ、『異族』の中上が、そのような理屈では救えない程に図式的なのは確かだ。
0650吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 23:39:39.74ID:r8qL+Bst
金井美恵子についていえば、目白4部作以降の作品が殆ど考察されていないのは気になる。
68年を表題にするのであれば、いわゆる芸術的な作品だけでなく、
目白4部作的なものも当然に主題にするべきなのではないか。
このような「通俗的な」作品を扱いきれないところに渡部の分析の欠点も出ているように思う
(金井美恵子に言わせれば、「渡部直己は映画を観ないからだ」という話になりそうだ。
映画の魅力が、その通俗性にあるのは確かだろうし。小説もそうだろうけど)。

■大江健三郎
大江はブランショ的な「遠ざかりの現前」としてイマージュに魅せられつつも、そこから撤退した、という批判。

大江とイマージュの問題を結びつけるのは新鮮な視点であって、面白い。
ただ、イマージュと小説がそう簡単に結びつけられるのかという疑問は残る。
単純に考えて、イマージュと素直に結びつくのは、映画とか絵画だろう。
絵画は詳しくないが、映画なんか鏡、とか似姿とか、そんなのに満ち溢れている。
その一方で、そのような主題の小説...

渡部は、『万延元年のフットボール』を大江の頂点と見ているようだ。確かに、一つの頂点であることは間違いない。
が、『懐かしい年への手紙』『キルプの軍団』『静かな生活』のような後期の作品も素晴らしいと思う。
これらの作品は渡部の批判には回収しつくせない面白さがあると思うのだが、うまく語れない。
この時期の大江について、何か書きたい、というようなことを蓮實重彦が書いていたと思うのだが、
結局書かれずに終わってしまったのだろうか。

後、中上の作品が大江批判としての側面を持っていることが指摘されている。これは正しい指摘だと思うが、
一つ、大江にあって中上にないものがあると思う。それは、ユーモアだ。
中上も小説が優れたものであることは認めても、どうしても好きになれないのは、この点が大きい。
大江のきまじめなユーモアとでもいうべきものが私は好きなので、
そこの考察もあるといいかもしれない(ややないものねだりですが)。
0651吾輩は名無しである
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2018/09/16(日) 23:47:24.59ID:Y/yNtM0I
近代哲学はキリスト教哲学の神を科学技術に置き換えたものだとおいう指摘は誰が最初だったんだろうね
ソーカル事件とか、日本だと福島以降の反原発運動とか、
文系のそういう理論とそれに対する理系による反論は興味深い
0652吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 04:36:30.95ID:OeOxI3GQ
「近代人は聖書の代わりに新聞を読む」なんていうのはよく言われる
0653シャシャキ
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2018/09/17(月) 09:20:26.20ID:M15QmKEs
悪いけど、渡部直己、市川、スガ、小谷野、栗原、田中、福嶋らはゼロの人と思ってる。
全然、問題にしてませんw
浅田、柄谷、蓮實は有害という意味では問題にするしかないでしょう。
読むなら、外国の批評家だけで良いでしょう。
まじな話で、明治維新の時に匹敵するぐらいの危機意識を持って、近代以後の日本の文芸批評は全部、捨ててかかった方が良い。
そのくらい、日本の文芸批評はガラパゴス化してる。
0654吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 09:44:52.72ID:r1wY7N85
御仏蘭西のオブンガクも形骸化している。
ガラパゴスでもゼロでも人材乏しくても居ないよりかはマシ。
非常にレベルが低いハナシではあるのだが、
スピノザとニーチェとキルケゴールを読んだ後に、
柄谷の『意味という病』を読んでみたらよかんべ?
小説といふか散文はプルーストとフローベールあればヨカよん。他イラネ。
0655吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 10:07:13.99ID:91Da7ly5
プルーストとフローベールが優れた作家なのはわかるが
文学の分析として他イラネは駄目なんだけどな
時代の中で独自性や制約があるのが芸術というものだ
他イラネ系の言説って研究としては失格で
そういうのはプロパガンダかプロパガンダに引っ掛かってるかどちらかじゃないかという疑問がずっとある
0656吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 11:05:06.85ID:r1wY7N85
んだがら、非常にレベルが低いハナシではあるのだが、って、言うとろお!!
0657吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 12:18:26.46ID:fsqUNcQ8
大杉重男
「祖先以前」あるいは「子孫絶滅以後」から見た「文学史」 (09/14)

高橋を代弁する「ピン」は、女弟子への欲望を内面に閉じ込めて実行しようとしない花袋に対して
「押し倒しなよ」「どうしてやんないわけ」と批判するが、
このような形の「内面」批判(非常にバブル的な感性を感じる)は、
渡部直己問題を考えると、既に失効したと感じられる。
漱石(二葉亭と違い文学を捨てなかったのに文学を「懐疑」したとして言わば「名誉二葉亭」的に称賛される)によって
自然主義が乗り越えられた(あるいは少なくとも乗り越える可能性が示された)という「文学史」は、
もはや完全に批評性を失った紋切り型以外のものではなくなっている。

メイヤスは人類が登場する以前(それをメイヤスは「祖先以前性」と名付ける)の宇宙の出来事を、
現在の人類が科学的に認識できるのはなぜかという問いを建て、
すべてを超越論的主観性の枠に閉じ込めたカント哲学を批判する。
メイヤスに言わせれば、それはむしろ「プトレマイオス的反転」であり、
近代科学の可能性から背を向けて主観性に閉じこもった反動的身振りだった。

漱石の「父母未生以前」は現在の「私」がそれと神秘的な(超越論的と言っても良い)
関係性を持つことのできる対象である。
そのことによって漱石はカントがそうしたように、世界を主観化し、「物自体」を排除した。
この漱石的主観性は、柄谷行人が作った日本近代文学史の枠組において特権的な位置を与えられ、
高橋版『日本文学盛衰史』はそれを継承することで高橋の文壇的地位を確立させた。

高橋版の結末は「ぼくは瞑目する。/すると微かに聞こえて来る、滝壺の向こうに落ちていった一千億人の悲鳴。
耳を澄ませば、その中に、確かに未来のぼくの悲鳴も混じっているのだ」という文で結ばれるが、
ここで高橋は、人類全体の運命を自身の超越論的主観性の中に閉じ込め、
そのことで、自身が小説家であると同時に批評家でもあることを保証し、
他者からのどのような批評をも無効にする最強の鎧としての「文学史」を所有する。
私は、この「文学史」を破砕するのに、「祖先以前」あるいは「子孫絶滅以後」の視線
(その視線の主体は必ずしも「機械」やAIとは限らない)を導入したらどうだろうかと考える
0658吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 15:19:55.42ID:r1wY7N85
作家一個人が文学史語ったってどうなんでしょ、
ジャンリュックゴダールの映画史だって、これが映画の全歴史だとは言ってない。
ドゥルーズのシネマだってそうだと思う。
それよりも文章読本なるモノの批判はすべきかと思ふ。
0659吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 15:53:57.92ID:4aod6jpp
岡田英弘の主張だと歴史は二種類あって
西洋のヘロドトスから始まる対決の歴史
東洋の司馬遷から始まる正統性の歴史
ふたつは水と油なのに日本人は気づかず世界史を語ろうとすると

日本の文学者が語る文学史はどっちなんだろう
0660吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 18:28:17.60ID:tTHQs8J8
>>651
>近代哲学はキリスト教哲学の神を科学技術に置き換えたものだ
>とおいう指摘は誰が最初だったんだろうね

ドストエフスキーの時代にはすでに言われている
実際は絶対王政期のフランスで教権が低下したのと入れ替わるようにして
科学主義の地位が向上しただけなんだけどね
都市経済の拡大で王侯貴族よりも法官貴族やブルジョアジーが台頭し
この勢力と啓蒙主義知識人の科学主義が結合した
0661吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 18:34:11.68ID:tTHQs8J8
>>659

プロ芸なら前者だけど
私小説系の諸派の正統性を検討するものなら
後者に傾くだろうね
0662学術
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2018/09/17(月) 18:34:37.81ID:+i94RUwZ
王政依存も歴史読みが辛くなく浅くなる。
0663吾輩は名無しである
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2018/09/17(月) 18:37:29.72ID:kM7j6o3I
>>659
飲み屋で話すだけにしておけばいいのに
0664学術
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2018/09/17(月) 18:52:10.43ID:+i94RUwZ
文学史は本質的にスカスカに抜けている。時代順の文学史より、
編集推敲をして文学史を残すべきでは。一冊の本にはのこさないように。手がかり、
宝箱。隠して。
0665学術
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2018/09/17(月) 18:52:49.67ID:+i94RUwZ
司馬苑上
0667吾輩は名無しである
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2018/09/18(火) 10:22:02.55ID:+n9ai4xb
宝箱を巧妙に隠したら、ダレガレも気づかずに忘れ去られたとさ。
0669吾輩は名無しである
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2018/09/18(火) 22:26:54.44ID:CjuAYz8f
フランス現代思想は哲学風文学
0670吾輩は名無しである
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2018/09/18(火) 23:11:49.34ID:68GTtqIp
それはフランスにおける哲学と日本における哲学の差異をすっ飛ばした暴論
日本は狭い
0671吾輩は名無しである
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2018/09/18(火) 23:15:51.16ID:CjuAYz8f
千のプラトー読むと
知的ハッタリを愛でる国民性だとわかる
そういう自由さやファンタジーを楽しむ姿勢は
文化程度が高いのだ、しかし愛でる対象の
程度が高いかどうかはまた別の話
0672吾輩は名無しである
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2018/09/18(火) 23:36:20.60ID:68GTtqIp
そうやってフランスを俯瞰できると思える心根が頭悪いと思うわ
0673学術
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2018/09/18(火) 23:42:52.63ID:rt+mBWoq
ドゥルーズはまだできてないね。確信あるよ。アンチオイディプスもひどいありさまだ。
0674吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 00:20:36.55ID:AKtU37w5
詩的表現に富んだアジテーション
0675吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 01:24:09.58ID:KJDfATDU
コラージュっぽいもん
カッコいいフレーズを書き溜めてるんだわ
0676シャシャキ
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2018/09/19(水) 06:16:14.14ID:0YKRvOj7
検索すれば、ドゥルーズはかなり面白いことを言ってることが分かる。
それは認める。
0678吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 20:33:21.02ID:43tmzJw3
猫飛ニャン助
「姦淫するなかれ」と云へることあるを汝等きけり。
されど我は汝らに吿ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、旣に心のうち姦淫したるなり。
もし右の目なんぢを躓かせば、抉り出して棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。(マタイ伝)
2018年9月2日

こぐま
なにこれ、「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」てこと?
あんた最低だよね…

最初は言及しなかったけど、〈MeToo(女の)はありうべきフェミニズム戦術だが〉という部分もかなり最悪だよね。
「Me Too」といって立ち上がった者たちの被害と主体性が「ありうべきフェミニズム戦術」に解消されているという。

中西B/N・B
文学的ではあるんじゃないでしょうか?、聖書は口語訳がネットにあるんで
そっちを引用してツイートしようとしたけれどちびちび遠まわしでツイートしてたら
そこまで行き着かないうちに時間が。
聖書ならこことヨハネ福音書の「姦淫の女」は一見まったく矛盾しているのですね、それを両方やる(続く)

のが言葉狩り(差別批判)の条件だったですよねという話です。
この矛盾はイエスの態度は男性と女性に対してで違うといえるから
今ならイエスは男性差別だって批判されてもおかしくないw。
スガさんの引用の意図はわからないけれど両方やらないといけないのは変わらないはずと返したかったわけです

こぐま
「すべて色情を懷きて女を見るものは、?に心のうち姦淫したるなり」と言い、
「もし右目がこれに背くのならえぐりだしてしまえ」と言うのはまあ常識的な感覚で言うなら極論なわけですが、
田川建三あたり、ここをどう解釈しているんでしょうね。
2018年9月3日
0679吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 20:34:48.54ID:43tmzJw3
baphomet@ロイド•ヘルゲートZ世
これは、「愚行権」の行使が生政治における生権力への抵抗たりうるか、というお話で、
喫煙習慣を持つ左翼「男性」がそれを素朴に信じていることと、
彼らが渡部直己のセクハラを容認、隠蔽する「ホモソーシャル」なコミュニティを形成していたことは、関係があると思う。
2018年9月17日

猫飛ニャン助
私が喫煙という「愚行権」を行使しているのは、友人のセクハラという「愚行」を容認しているの同じだという意のtw見たが
(容認などしていない)、そういうバカに向けてマタイ伝のイエスの言葉を引いておいた。
それを、イエスの真意を田川健三の解説に求めようとするのも、日本的権威主義的の愚の骨頂。

こぐま
スガ秀実先生が田川建三を引くのは権威主義うんぬんって言っているの、私以外の誰にもわからないと思うけど、
私へのイヤミなんだな。く、くだらね〜、スルーするんなら徹底してすりゃあいいのに。
ちなみにスガ先生へのコメントは最初の「下劣」で十分足りてますんで。

猫飛ニャン助
何を「うぬぼれてる」んの? キリスト教だと、何でも田川って輩はいっぱいいるよ。
もちろん、あなたも含めてだが、そのひとたちへのイヤミ。

こぐま
「あなたも含めて」だったら何も「うぬぼれて」(!)ないじゃん。私の言った通りなんでしょ?
2018年9月18日
0680吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 20:59:37.78ID:Aq0gUvoO
レベル低いな
難しい問題じゃないのに

metooもそうだろう
今まで被害を黙ってたやつが名乗り出ただけだろう
アホくさw
0681吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 21:42:46.05ID:Vk6ejfK8
新潮45の小川栄太郎の記事、つまり男には性欲というものがあるけど何とかしてくれってことを
拙劣に言っているだけでしょう(女にも性欲はあると言わないところ、保守反動丸出しだが)
新潮45はバズらせようとして載せているだけで、それにつられてポリコレ棒振り回して新潮45の挑発に乗ってるのも、おバカだね
スガが聖書引用してからかってるのも、そういうことで、イエスの言葉は「極論」と言ってしりぞけられることではない
で、マタイ福音書とヨハネ福音書のイエスは、学問的に同一人物と同定できるのかね?
0682吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 21:51:35.44ID:Aq0gUvoO
女にも性欲あるだろう
何を言っているのか

聖書の引用も何が重要かわからない

社会問題への悶々とした気持ちを
それらしく哲学チックに述べただけ
そういう姿勢がアホくさい
0683吾輩は名無しである
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2018/09/19(水) 22:03:42.35ID:lRtLnOMl
>>681
これ
新潮45は典型的な炎上商法だよ
完全にビジネス
0684シャシャキ
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2018/09/19(水) 22:59:02.36ID:0YKRvOj7
スガの自己宣伝うざい。
こいつらの議論全然、盛り上がってねーしw
0685シャシャキ
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2018/09/19(水) 23:55:20.91ID:0YKRvOj7
ま、インターネットを成り立たせてるのは男の性欲が元のポルノだからな。
文学のリアリズムの生みの親もフローベールの性欲だし、仏教はポルノ的彫刻によって
信者を増やした。
サドの性的攻撃性がサディズムを産んだのは画期的な出来事だろ。
田川健三は世界的にはちっとも権威じゃない。
0686吾輩は名無しである
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2018/09/20(木) 20:24:27.99ID:3Tr1CXzg
栗原裕一郎
渡部直己と早稲田現代文芸コースの件に関してはかたくなに口をつぐんでいた文芸関係の方々が、
『新潮45』の件に関してはここぞと批難してやまない。
その力学のあり方に、小川なにがしの原稿がどうしたよりも興味を引かれますね、正直なところ。
2018年9月19日

minamiwa
新潮社出版文芸部はワセブンセクハラ渡部直己氏だんまり、百田尚樹先生の殉愛だんまり、
終末論商法だんまりと普通に極悪思想一味だけどね。
2018年9月19日

issaku
『新潮45』の件でいろいろ言ってる作家さんたちが
渡部直己の件で同じくらいいろいろ言ってくれたら評価するんだけど、そうはならないんだよな笑
2018年9月19日

悪の『新潮45』と良心的な新潮文芸部というわかりやすい対立図式を作って
見事にギャラリーを躍らせ雑誌を売ったということなら、
やはりこれは新潮社社員の知性ということになるのだろうな笑
2018年9月20日
0687吾輩は名無しである
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2018/09/21(金) 02:10:56.06ID:35RkAlU9
>>686
みんな市川は生き延びると判断してるんだろうね。
だから市川ににらまれたくない。
そこまで市川とワセブンって力を持ってしまったんだ。
0688吾輩は名無しである
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2018/09/21(金) 07:25:40.90ID:LJOc7Zii
セクハラ告発がない限りはクビはないのでは
0690吾輩は名無しである
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2018/09/21(金) 08:58:24.25ID:LJOc7Zii
川上に関しては、デビュー近辺では文壇のハラスメント体質を逆手にとってのし上がったんじゃないの。この板でもそんな感じで罵られているし。
この件では被害学生に対して直に何かしたわけじゃないからグレーですらないと思うが
0691吾輩は名無しである
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2018/09/21(金) 09:09:27.59ID:zbzTurot
>>686
これほんと栗原だけ極めてまともだわ
他の奴らは政治やってるゴミしかいない
0692吾輩は名無しである
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2018/09/21(金) 13:07:21.91ID:WxB0XYFQ
栗原は安倍批判が嫌なだけの政治だろ
0693吾輩は名無しである
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2018/09/21(金) 14:01:08.27ID:mtsIJjJd
栗原はただのゴシップ屋
0695シャシャキ
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2018/09/21(金) 18:28:53.49ID:SWxPd4wh
栗原って浅田や柄谷、蓮實を批判できんでしょ。
それなら意味無いんだよ。
0697シャシャキ
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2018/09/21(金) 18:35:22.95ID:SWxPd4wh
>>696
浅田、柄谷、蓮實は現代で最も有害な批評家だから、それへの批判を避けていては
しょうがない。
栗原の力量が無さ過ぎてメディアがもったいない。
0698吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/21(金) 18:45:48.76ID:WxB0XYFQ
まあ力量はないわな
そもそも文芸の人じゃない
音楽ライターが書いているだけだから
0699吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/21(金) 20:20:37.99ID:o22II68p
有害かどうかは置いて
その3人が見いだした作家って誰なんだろうな
0700吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/21(金) 21:36:08.21ID:OTJX4gVp
中上じゃねただマイナーだわハルキの方がマシだし3人とも人を見る目はないね
0701吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/21(金) 22:22:10.71ID:8bBfNmf8
>>690
セクハラを利用してやってきているのに
「女性号」を作ってたのは謎すぎる
0702吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/22(土) 00:51:08.19ID:AsRsVArz
早大、セクハラ巡り教員2人処分 被害女性に不適切対応
2018年9月21日

文芸評論家の渡部直己氏(66)が教え子の20代女性にセクハラをしたとして、
早稲田大大学院の教授を7月に解任された問題に絡み、大学は21日、
女性に不適切な対応をしたとして、いずれも文学学術院現代文芸コースの教員2人を訓戒処分とした。

関係者によると、2人は60代の男性教授と40代の男性准教授。

大学によると、男性教授はコース主任として女性からセクハラ被害の相談を受けたが、
口止めと受け止められるような配慮に欠ける発言をした。男性准教授は、セクハラの相談を知りながら、
女性に対し渡部氏に歩み寄るよう助言するなど不適切な対応を取った。

(共同)
0703吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/22(土) 02:18:26.79ID:ggaDDGYm
>>702
水谷と市川って報道されてるけど
青山南の件はどうなったんだろ?
0704吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/22(土) 03:47:01.45ID:nDGMB00I
栗原裕一郎@y_kurihara
『すばる』のフェミニズム特集「ぼくとフェミニズム」に登場していたM教授も、
『早稲田文学』制作総指揮も執るI准教授も、ついに名前が報道されなくてよかったですね。

注意されて終わりということかな。
「以上の調査結果に基づき、教員Aおよび教員Bについて、教員の表彰および懲戒に
関する規程第11条第1項の規定により、
9月21日付で訓戒といたしました」
https://www.waseda.jp/top/information/61256
0705吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/22(土) 04:22:41.21ID:ggaDDGYm
なんか二人が辞めさせられるって勘違いしてる人がいるけど
訓戒って口頭注意みたいなもんで、軽いでしょ
0706吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 04:24:33.22ID:ggaDDGYm
実名出てなかったんだっけ?
Twitterの書き込みで勘違いしちゃったわ
0707吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 04:26:11.73ID:wMIbNqht
>教員Bは、元教授による申立人へのハラスメント行為等を酒席で第三者に話している女性教員
>に対して、「考えたうえで話しているのであればよいが、そうでないならば気を付けたほうがいい」
>との趣旨の助言をした。

わざわざ酒席という文言を入れる作文だね
ほぼ教員側に寄った内容だし、被害者への回復も言及無しか
0708吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 04:57:58.87ID:nDGMB00I
早稲田大学
「教員二名(匿名)にはちょっと注意しといたよ」

これで終わりってことだね
0709吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 05:04:14.52ID:W1nw/NiD
まあ、報告書出てからは作文タイムでしょ早稲田と弁護士の
0710シャシャキ
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2018/09/22(土) 05:49:50.79ID:Of5npEEr
栗原は法律家や一般の、文学が専門じゃない記者みたいなスタンスを捨てて、本来のか
どうかしらないが、世間的肩書の「文芸評論家」として、コメントすべきだろ。
例え自信がなかろうがそうすべき。
まあ、今の文芸批評家達色々見ても、自信なくて保身だけで生きてる奴ばかりだから、
しょうがない?
小谷野と栗原と仲良しコンビで当たって砕けろを期待する。
0711吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 06:19:59.06ID:yD5B8Q4s
真の悪はどうなりましたー?
おーい、佐々木さーん
おーいおーい
教え子を守れましたかー?
0712吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 07:58:14.27ID:1TB5sbTe
文学の世界も身内ではナアナアのズルズルベッタリのいかにも日本的風土の空間だったことが白日の下に晒されたのはよかったんじゃないかな

被害者の女学生は招かれざる他者だった
0713吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 16:57:53.33ID:XTEpISXD
佐々木敦のほのめかしはなんとかならんのか
正々堂々名指しして議論したらいいのに
ただただごまかしばかり
0714吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 17:31:15.96ID:AsRsVArz
佐々木敦
しかし音楽批評は本当に難しいな。ベーシックな知識やリテラシーが人によって違い過ぎて、
どこに定位していいのかわからない。自分も幾つか思いついたことを話してみたけど、
たぶんほとんどの塾生には通じてなかったのじゃないか。
そしてわかるような話をしない方が悪いとされるのが今の流れだと思う。
2018年9月12日

ネット見てると、今やあらゆる事が、当該人物の支持者=ファン=信者の数と質で決まると思えてくる。
ファクトもトゥルースもエビデンスも関係ない。
2018年9月15日

え目に言って、僕が『未知との遭遇』で提示した幾つかのネガティヴな予測は、
3.11からこのかた、ほとんど当たっちゃったと思ってる。
僕は良いセカイ系と良くないセカイ系があると思うんだけど、悪い意味でのセカイ系な連中は、
みんな挙ってシャカイ系になって、国や社会を論じたがるようになった。
2018年9月16日

一蓮托生理論だったらニッポン人はみんなネトウヨだよ(本当にそう思われてるかも)

俺は昔から基本的に、何かをすごく好きであることにこだわりを持っている人たちからは好かれない。
たとえ同じものを好きだったとしても。たぶんすごく好きなものが幾つも、
しかもジャンルをまたいで幾つもあるようなのが気に入らないんだろう。忠誠と排他は信者の踏み絵だから。

僕がいわゆるファン気質をどうにも苦手なのは、
往々にして誰かの熱烈なファンは別の誰かのアンチになりがちだと思うからだが、そんなのはまだマシで、
その人が嫌いというよりただ苛々してて文句をつけたかったり、
他人を貶すことで自分の優位性を仮構したいだけの輩がネットにはうようよいて気色悪い。
2018年9月20日
0715吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 17:41:25.90ID:1TB5sbTe
小説や映画の批評は結構簡単に技術というか上手い下手に立脚しやすいけどポップス&ロックは難しいな

演奏技術や複雑さを求めたらプログレやヘヴィメタルになるんだろうけどロックの面白さがそんなところにあるとは言えないし
0716吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 17:49:07.54ID:XTEpISXD
佐々木は名指しをしないで独り言言っているだけの体で
自分は迫害されている悪いのは周りだと言っているんだよねえ
自分は悪くないと言っている
0717吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 18:49:19.24ID:etm74nq5
237 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ c145-C4Ur) []  2018/09/22(土) 12:09:42.61 ID:3NN3KShF0


三大自称文芸評論家

佐々木敦
山崎行太郎
小川なんとかさん
0718吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 19:04:02.60ID:etm74nq5
栗原裕一郎@y_kurihara
小川榮太郎って文芸評論の実績はほとんどないんじゃ…と思ったら、98年から99年にかけて『文學界』の「新人小説月評」やってたんですね。ほほう、そうですか。


その時期のもう一人の評者、切通理作先生

あの倉本さおりさんも担当してたことあるし文芸エリートの登竜門だよね
もちろん渡部先生も東先生もやってました
0719吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 19:06:54.77ID:AsRsVArz
imdkm
「天才」概念、手元の美学辞典だとカント『判断力批判』に出てくる定義からしか始まらないし、
やっぱ18世紀のドイツ観念論〜ロマン主義固有の概念というのでだいたい記憶に間違いはなさそうな…

ルネサンス期に神格化された芸術家とかとそこで言われてる天才概念はどう違うんじゃとか
そういうのはなんかすっきりしないが…

岡田温司先生のなんかの本で「天才と狂気は紙一重」という固定観念の系譜をたどった一章があって
面白かった記憶があるけど手元に見当たらない。
こういうのわりと近現代の疑似科学的な骨相学とか精神医学と関わりがあるので、
そういう研究はたくさんあるでしょうね。

『デスマスク』にちょっとその話あったけどなんかちゃうねん。

ちゅうかまあ、わりと定番のネタではありますよね。蓮實重彦にも天才論みたいなのなかったでしたっけ。

シェンロン
それこそ渡部直己がそういうこと言ってた気がしますね

渡部直己の天才の話は権力側が自分たちに利するような素材を青田買いするために
天才というのを見つけてくるという話だった気がする(宮沢賢治を大日本帝国が発見する、みたいな)
そもそも渡部直己が言ってたかどうかも定かではない。
たしか羽田恭一郎さんがそんなことを言ってたんだよな

藤井光/Hikaru Fujii
『新潮45』とその後の新潮社の声明に抗議して、新潮クレスト・ブックスで進めている翻訳の仕事について、
いったん降りるという決断をしました。言葉がふるった暴力について、誠意ある対応がなされ、
素晴らしい編集者と読者の輪に戻れるようになることを望みます。
2018年9月21日
0720吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 21:04:50.85ID:mBlti9yM
>>715
>演奏技術や複雑さを求めたらプログレやヘヴィメタルになるんだろうけど
>ロックの面白さがそんなところにあるとは言えないし


とりあえずその狭いジャンル内の知識がないと駄目です
ロックに限らず映画や小説でも最低限必要な知識というものがあります
批評というのは引き出しが豊富な人間以外はやったらいけないの
その上でセンスや頭の良さ、文章力などが必要とされる
ある意味マニアの世界だから
0721吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 21:08:16.16ID:A122xUis
それジャンル批評のしかもバイヤーズガイド機能にしかあてはまらないから
0722吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 21:50:58.66ID:WZ9iwly/
>>718
嫌味だなあ
0723吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 22:24:38.43ID:mBlti9yM
>>721
>バイヤーズガイド機能にしかあてはまらないから

このフレーズは誰の影響でいつ流行ったのかくらいは知っておかないと
批評なんてできないよ
0724吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 22:43:27.55ID:A122xUis
佐々木敦って言いたいだけじゃろ
ジャンル批評と批評家を一致させるのは間違い
0725吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 23:14:31.42ID:AsRsVArz
ニッポンの文学
著 者:佐々木 敦
出版社:講談社
評者:町口 哲生(評論家)

第一章から第三章は、村上春樹をメインに村上龍、高橋源一郎、島田雅彦、吉本ばなな、田中康夫ら
八〇年代の「文学」を論じている。
とりわけ村上春樹の作品における一人称=「僕」の系譜を論じたパートが秀逸で、
サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)の「僕」、庄司薫作品の「ぼく」などを先駆とし、
栗本薫作品の「ぼく」との同時代性を指摘している。栗本といえばジャンル小説、
すなわち「グイン・サーガ」などエンタメ小説や「ぼくらシリーズ」などミステリを著したが、
元々文芸評論家としてデビューした。中島梓名義の『文学の輪郭』における、文学の輪郭が崩れ、
崩れているからこそその流れの幅と向きを見定めるという問題意識から、
栗本がジャンル小説を執筆したという佐々木の読みに納得した。
要するに七〇年代終わりから「文学」も一種のジャンル小説と化していたわけである。

第四章の本格、新本格、日常の謎などサブジャンルからなる日本のミステリでは、
新本格ブームとバブル景気(浮世離れ)の符合、第五章の日本のSFでは、
第二世代の山田正紀と第三世代の神林長平の作品分析が読み応えがある。第六章では、
八〇年代と九〇年代を通して「文学」はミステリやSFなどの外部によって相対化したと佐々木は読み、
それを大塚英志の『サブカルチャー文学論』などの再読を通じて、九〇年代の「文学」へ切り結んだ。
注目すべきはその九〇年代を扱った第七章である。佐々木によると、
九〇年代前半は物語とは何かを問い直すような「物語論」的な志向と同時に、
「言語」というものへの関心が見受けられるのに対して、
九五年に起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を契機とした後半は、
リアルな現実に対峙したものが増えたという。

同時期に刊行した『例外小説論』(朝日選書)では複数のジャンル小説を横断しつつ、
いずれにも例外たりえる小説を例外小説と名づけ、その草分けの筒井康隆、
継承者として舞城王太郎とともに円城塔、伊藤計劃、阿部和重だけでなく、
本書では言及されてない古川日出男、星野智幸らの作品をとりあげ論じており、
第七章以降は同時並行して読むとより理解が深まるだろう。
0726吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 23:25:21.68ID:/fbuXV+q
>>722
栗原のこういう嫌味大好きだけどw
だって批判批評どころか嫌味すら言えない奴らばっかじゃん。
0727吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 03:43:53.29ID:YEUp+D1x
>>718
駄目だな栗原。
下から目線で嫌味いう奴
0729シャシャキ
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2018/09/23(日) 05:23:09.19ID:YEUp+D1x
>>728
何が関係ない?
0730吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 07:26:02.04ID:4uqVVSTY
>その時期のもう一人の評者、切通理作先生

>あの倉本さおりさんも担当してたことあるし文芸エリートの登竜門だよね
>もちろん渡部先生も東先生もやってました

これは栗原ではなく718の発言

新人小説月評を担当したのは
川村湊、富岡幸一郎、清水良典、芳川泰久、スガ秀実、
三枝和子、菅野昭正、室井光広、松原新一、中条省平
渡部直己、大杉重男、松本道介、東浩紀、石川忠司、
高橋敏夫、切通理作、小川榮太郎、千葉一幹、石原千秋
池田雄一、千石英世、永江朗、高原英理、栗原裕一郎、
高澤秀次、陣野俊史、山城むつみ、布施英利、榎本正樹
田中和生、勝又浩、中島一夫、柘植光彦、伊藤氏貴、
野村喜和夫 前田塁(市川真人)、池田雄一、佐藤康智、跡上史郎
酒井信、佐々木敦、菅聡子、武田将明、江南亜美子、
森孝雄(三輪太郎)、福嶋亮大、田中弥生、松井博之、中村佳子
佐藤秀明、橋本勝也、青木純一、可能涼介、山下聖美、
安藤礼二、山田茂、千野帽子、大和田俊之、黒瀬陽平
倉数茂、永岡杜人、千葉雅也、大串尚代、石橋正孝、
大澤聡、郷原佳以、三浦玲一、 阿部公彦、福永信 
小澤英実、藤田直哉、石川義正、木村朗子、矢野利裕、
岩川ありさ、日比嘉高、倉本さおり
0732シャシャキ
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2018/09/23(日) 18:29:09.30ID:YEUp+D1x
>>730
これが文芸エリートの登竜門?
そういう皮肉を言ってる栗原自身も入ってるじゃないかw
栗原は少なくとも文芸エリートではなくて有象無象の文芸記者だ。
このリスト中でまともなのは山城むつみ一人だろ。
後は倉本さおり、佐々木敦、東浩紀、渡部直己、石原千秋、田中和生、可能涼、
千野帽子、栗原、その他含めて阿保ばかりじゃないか。
こんなのは不正の塊だ。
0733吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 18:36:42.37ID:ghtafxyH
個別にブログとかでコメントすれば事足りるわなあ

てかそんじゃあ、カネにならんから誰もやらんかハハハ
0734吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 19:14:22.22ID:63Eh3dbK
この仕事って苦労が多い割に難しいんんだろうな
しゃしゃき
0736シャシャキ
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2018/09/23(日) 19:27:05.91ID:YEUp+D1x
>>73
そこそこ能力があって、そこそこ真面目に批評やってる奴には俺は文句言わないよ。
栗原、渡部、佐々木敦、東らはそもそも能力ないじゃん。
倉本さおりなんて創価学会がねじ込んだだけだろ。
全てが不正なんだよ。
0737吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 20:48:42.91ID:gtpkexPk
「そこそこ能力があって、そこそこ真面目に批評やってる奴」は山城むつみだけか。
そこそこ能力があって、そこそこ真面目に小説書いてる奴は、どこにいるんだろう。
教えてほしいもんだ。
0738吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/23(日) 20:53:29.07ID:ghtafxyH
そこそこ脳力があって、
そこそこ真面目なヒトは、
そもそも文学なんぞやりません。
0739吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 23:34:16.71ID:63Eh3dbK
シャシャキが文句言うほど駄目とは思わないが
純文学読みじゃない人が相当に混ざってるな
裏返すと人材不足、あるいは新人相手にはこの程度と編集が思ってる
0740シャシャキ
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2018/09/24(月) 07:19:48.74ID:U6F3lEy8
栗原、スガ、佐々木敦、小熊とか、twitterで実名で呟いても効果ないことが明白だろ。
なぜ、匿名批評でやらないのか?
佐々木は良くここに来てるようだが、たいしたこと言わないね。
twitterって割と絡みづらいのが分かった気がするが。
コテハン「学術」のレスの論争的でない、誘うようなレスの仕方は面白い。オープンエンドでありかつ、ナラティヴである。俺はナラトロジーの専門家ではないが、彼の文体そのものがデコンストラクティヴなような。
0741吾輩は名無しである
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2018/09/24(月) 10:11:52.98ID:scXasfwY
佐々木敦の作文はとても批評などと称して人前に差し出せるものじゃない
いい加減にしてくれよすばるも
0742吾輩は名無しである
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2018/09/24(月) 12:20:27.06ID:GDoRspGd
憂国忌は、作家・三島由紀夫の命日の11月25日にちなんで、憂国忌実行委員会が毎年開催している追悼集会

追悼の夕べ(初回追悼会)
総代
林房雄
代表発起人
川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之、武田繁太郎、中山正敏
藤島泰輔、舩坂弘、北條誠、黛敏郎、保田與重郎、山岡荘八
発起人
会田雄次、阿部正路、伊藤桂一、宇野精一、大石義雄、大久保典夫、大島康正、桶谷繁雄、小野村資文、
川上源太郎、河上徹太郎、川口松太郎、川端康成、岸興祥、岸田今日子、倉橋由美子、小林秀雄、小山いと子、今東光、
エドワード・G・サイデンステッカー、坂本二郎、佐古純一郎、清水崑、進藤純孝、杉森久英、曽村保信、
高鳥賢司、高橋健二、多田真鋤、立野信之、田中澄江、田中美知太郎、田辺貞之助、田辺茂一、田村泰次郎、
中谷孝雄、中河与一、中河幹子(中河与一夫人)、六代目中村歌右衛門、十七代目中村勘三郎、二代目中村鴈治郎、中村菊男、
萩原井泉水、長谷川泉、林武、平林たい子、福田恆存、福田清人、福田信之、水上勉、村松剛

2018年1月現在
代表発起人
入江隆則、桶谷秀昭、竹本忠雄
富岡幸一郎、中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
発起人
浅田次郎、阿羅健一、井川一久、池田憲彦、石原萌記、井上隆史、猪瀬直樹、植田剛彦、潮匡人、
大久保典夫、大蔵雄之助、小田村四郎、小埜裕二、小山和伸、門田隆将、川口マーン恵美、河内孝、久保田信之、
黄文雄、後藤俊彦、桜林美佐、佐藤秀明、佐藤雅美、新保祐司、
杉原志啓、ヘンリー・スコット=ストークス、石平、関岡英之、高山亨、高山正之、
田中英道、田中秀雄、田中健五、田中卓、田中美代子、玉利齊、池東旭、
柘植久慶、堤堯、堂本正樹、都倉俊一、
長岡實、中西輝政、西村幸祐、西村眞悟、丹羽春喜、
花田紀凱、東中野修道、福井義高、福田逸、福田和也、藤井厳喜、
古田博司、ペマ・ギャルボ、松本道弘、三浦小太郎、水島総、南丘喜八郎、三輪和雄、
室谷克実、八木秀次、山崎行太郎、山村明義、
吉田好克、吉原恒雄、ロマノ・ヴィルピッタ、
0743吾輩は名無しである
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2018/09/24(月) 19:31:05.12ID:GDoRspGd
『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む

「Jポップ」の終わり
たとえば、はっぴいえんど(70年代)にとっての「外」は、シンプルにアメリカだった。
彼らの課題は、洋楽であるロックを日本でやることだったわけだが、
定説となっている、日本語をロックというフォーマットに乗せる試みそれ自体は、
実のところそれほど難問ではなかったのだと佐々木はいう。そうではなくて、
つまり「日本語のロック」を追究したことよりも、「日本のロック」のあるべき姿を模索した点に、
はっぴいえんどの「ニッポンの音楽」の開闢たる独自性はあったというのだ。

「それら〔海外のロック〕を「日本/語」でやるにあたって、
たとえば「日本のサイケ・ロック」「日本のプログレ」などと呼ばれる直截的な踏襲(直訳)にも、
あるいは逆に、日本/語の特殊性に安住したドメスティックな態度(超訳)にも陥ることなく、
いわば「ニッポンから見たアメリカ」と「海の向こうから見たニッポン」が交叉するポジションで
音楽を作り出そうとした点に〔はっぴいえんどの独特さ、貴重さは〕あるのではないか」

YMO(80年代)、渋谷系と小室哲哉(90年代)、中田ヤスタカ(00年代から現在)と
「リスナー型ミュージシャン」の系譜をたどることで、その「交叉」から生み落とされてきた
「ニッポンの音楽」の変遷が描かれていくわけだが、「内」と「外」の区別の溶解が完了し、
「ここ」しかなくなりつつある現在、その志向=欲望はもはや向かう対象を失ってしまった。
つまり終わった。「ニッポンの音楽=Jポップ」は終わりを迎えたのだ、
というのが佐々木の「物語」の粗筋である。
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