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【早稲田大学】渡部直己6【俺の女になれ】
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0719吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 19:06:54.77ID:AsRsVArz
imdkm
「天才」概念、手元の美学辞典だとカント『判断力批判』に出てくる定義からしか始まらないし、
やっぱ18世紀のドイツ観念論〜ロマン主義固有の概念というのでだいたい記憶に間違いはなさそうな…

ルネサンス期に神格化された芸術家とかとそこで言われてる天才概念はどう違うんじゃとか
そういうのはなんかすっきりしないが…

岡田温司先生のなんかの本で「天才と狂気は紙一重」という固定観念の系譜をたどった一章があって
面白かった記憶があるけど手元に見当たらない。
こういうのわりと近現代の疑似科学的な骨相学とか精神医学と関わりがあるので、
そういう研究はたくさんあるでしょうね。

『デスマスク』にちょっとその話あったけどなんかちゃうねん。

ちゅうかまあ、わりと定番のネタではありますよね。蓮實重彦にも天才論みたいなのなかったでしたっけ。

シェンロン
それこそ渡部直己がそういうこと言ってた気がしますね

渡部直己の天才の話は権力側が自分たちに利するような素材を青田買いするために
天才というのを見つけてくるという話だった気がする(宮沢賢治を大日本帝国が発見する、みたいな)
そもそも渡部直己が言ってたかどうかも定かではない。
たしか羽田恭一郎さんがそんなことを言ってたんだよな

藤井光/Hikaru Fujii
『新潮45』とその後の新潮社の声明に抗議して、新潮クレスト・ブックスで進めている翻訳の仕事について、
いったん降りるという決断をしました。言葉がふるった暴力について、誠意ある対応がなされ、
素晴らしい編集者と読者の輪に戻れるようになることを望みます。
2018年9月21日
0720吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 21:04:50.85ID:mBlti9yM
>>715
>演奏技術や複雑さを求めたらプログレやヘヴィメタルになるんだろうけど
>ロックの面白さがそんなところにあるとは言えないし


とりあえずその狭いジャンル内の知識がないと駄目です
ロックに限らず映画や小説でも最低限必要な知識というものがあります
批評というのは引き出しが豊富な人間以外はやったらいけないの
その上でセンスや頭の良さ、文章力などが必要とされる
ある意味マニアの世界だから
0721吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 21:08:16.16ID:A122xUis
それジャンル批評のしかもバイヤーズガイド機能にしかあてはまらないから
0722吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 21:50:58.66ID:WZ9iwly/
>>718
嫌味だなあ
0723吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 22:24:38.43ID:mBlti9yM
>>721
>バイヤーズガイド機能にしかあてはまらないから

このフレーズは誰の影響でいつ流行ったのかくらいは知っておかないと
批評なんてできないよ
0724吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 22:43:27.55ID:A122xUis
佐々木敦って言いたいだけじゃろ
ジャンル批評と批評家を一致させるのは間違い
0725吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 23:14:31.42ID:AsRsVArz
ニッポンの文学
著 者:佐々木 敦
出版社:講談社
評者:町口 哲生(評論家)

第一章から第三章は、村上春樹をメインに村上龍、高橋源一郎、島田雅彦、吉本ばなな、田中康夫ら
八〇年代の「文学」を論じている。
とりわけ村上春樹の作品における一人称=「僕」の系譜を論じたパートが秀逸で、
サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)の「僕」、庄司薫作品の「ぼく」などを先駆とし、
栗本薫作品の「ぼく」との同時代性を指摘している。栗本といえばジャンル小説、
すなわち「グイン・サーガ」などエンタメ小説や「ぼくらシリーズ」などミステリを著したが、
元々文芸評論家としてデビューした。中島梓名義の『文学の輪郭』における、文学の輪郭が崩れ、
崩れているからこそその流れの幅と向きを見定めるという問題意識から、
栗本がジャンル小説を執筆したという佐々木の読みに納得した。
要するに七〇年代終わりから「文学」も一種のジャンル小説と化していたわけである。

第四章の本格、新本格、日常の謎などサブジャンルからなる日本のミステリでは、
新本格ブームとバブル景気(浮世離れ)の符合、第五章の日本のSFでは、
第二世代の山田正紀と第三世代の神林長平の作品分析が読み応えがある。第六章では、
八〇年代と九〇年代を通して「文学」はミステリやSFなどの外部によって相対化したと佐々木は読み、
それを大塚英志の『サブカルチャー文学論』などの再読を通じて、九〇年代の「文学」へ切り結んだ。
注目すべきはその九〇年代を扱った第七章である。佐々木によると、
九〇年代前半は物語とは何かを問い直すような「物語論」的な志向と同時に、
「言語」というものへの関心が見受けられるのに対して、
九五年に起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を契機とした後半は、
リアルな現実に対峙したものが増えたという。

同時期に刊行した『例外小説論』(朝日選書)では複数のジャンル小説を横断しつつ、
いずれにも例外たりえる小説を例外小説と名づけ、その草分けの筒井康隆、
継承者として舞城王太郎とともに円城塔、伊藤計劃、阿部和重だけでなく、
本書では言及されてない古川日出男、星野智幸らの作品をとりあげ論じており、
第七章以降は同時並行して読むとより理解が深まるだろう。
0726吾輩は名無しである
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2018/09/22(土) 23:25:21.68ID:/fbuXV+q
>>722
栗原のこういう嫌味大好きだけどw
だって批判批評どころか嫌味すら言えない奴らばっかじゃん。
0727吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 03:43:53.29ID:YEUp+D1x
>>718
駄目だな栗原。
下から目線で嫌味いう奴
0729シャシャキ
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2018/09/23(日) 05:23:09.19ID:YEUp+D1x
>>728
何が関係ない?
0730吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 07:26:02.04ID:4uqVVSTY
>その時期のもう一人の評者、切通理作先生

>あの倉本さおりさんも担当してたことあるし文芸エリートの登竜門だよね
>もちろん渡部先生も東先生もやってました

これは栗原ではなく718の発言

新人小説月評を担当したのは
川村湊、富岡幸一郎、清水良典、芳川泰久、スガ秀実、
三枝和子、菅野昭正、室井光広、松原新一、中条省平
渡部直己、大杉重男、松本道介、東浩紀、石川忠司、
高橋敏夫、切通理作、小川榮太郎、千葉一幹、石原千秋
池田雄一、千石英世、永江朗、高原英理、栗原裕一郎、
高澤秀次、陣野俊史、山城むつみ、布施英利、榎本正樹
田中和生、勝又浩、中島一夫、柘植光彦、伊藤氏貴、
野村喜和夫 前田塁(市川真人)、池田雄一、佐藤康智、跡上史郎
酒井信、佐々木敦、菅聡子、武田将明、江南亜美子、
森孝雄(三輪太郎)、福嶋亮大、田中弥生、松井博之、中村佳子
佐藤秀明、橋本勝也、青木純一、可能涼介、山下聖美、
安藤礼二、山田茂、千野帽子、大和田俊之、黒瀬陽平
倉数茂、永岡杜人、千葉雅也、大串尚代、石橋正孝、
大澤聡、郷原佳以、三浦玲一、 阿部公彦、福永信 
小澤英実、藤田直哉、石川義正、木村朗子、矢野利裕、
岩川ありさ、日比嘉高、倉本さおり
0732シャシャキ
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2018/09/23(日) 18:29:09.30ID:YEUp+D1x
>>730
これが文芸エリートの登竜門?
そういう皮肉を言ってる栗原自身も入ってるじゃないかw
栗原は少なくとも文芸エリートではなくて有象無象の文芸記者だ。
このリスト中でまともなのは山城むつみ一人だろ。
後は倉本さおり、佐々木敦、東浩紀、渡部直己、石原千秋、田中和生、可能涼、
千野帽子、栗原、その他含めて阿保ばかりじゃないか。
こんなのは不正の塊だ。
0733吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 18:36:42.37ID:ghtafxyH
個別にブログとかでコメントすれば事足りるわなあ

てかそんじゃあ、カネにならんから誰もやらんかハハハ
0734吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 19:14:22.22ID:63Eh3dbK
この仕事って苦労が多い割に難しいんんだろうな
しゃしゃき
0736シャシャキ
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2018/09/23(日) 19:27:05.91ID:YEUp+D1x
>>73
そこそこ能力があって、そこそこ真面目に批評やってる奴には俺は文句言わないよ。
栗原、渡部、佐々木敦、東らはそもそも能力ないじゃん。
倉本さおりなんて創価学会がねじ込んだだけだろ。
全てが不正なんだよ。
0737吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 20:48:42.91ID:gtpkexPk
「そこそこ能力があって、そこそこ真面目に批評やってる奴」は山城むつみだけか。
そこそこ能力があって、そこそこ真面目に小説書いてる奴は、どこにいるんだろう。
教えてほしいもんだ。
0738吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 20:53:29.07ID:ghtafxyH
そこそこ脳力があって、
そこそこ真面目なヒトは、
そもそも文学なんぞやりません。
0739吾輩は名無しである
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2018/09/23(日) 23:34:16.71ID:63Eh3dbK
シャシャキが文句言うほど駄目とは思わないが
純文学読みじゃない人が相当に混ざってるな
裏返すと人材不足、あるいは新人相手にはこの程度と編集が思ってる
0740シャシャキ
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2018/09/24(月) 07:19:48.74ID:U6F3lEy8
栗原、スガ、佐々木敦、小熊とか、twitterで実名で呟いても効果ないことが明白だろ。
なぜ、匿名批評でやらないのか?
佐々木は良くここに来てるようだが、たいしたこと言わないね。
twitterって割と絡みづらいのが分かった気がするが。
コテハン「学術」のレスの論争的でない、誘うようなレスの仕方は面白い。オープンエンドでありかつ、ナラティヴである。俺はナラトロジーの専門家ではないが、彼の文体そのものがデコンストラクティヴなような。
0741吾輩は名無しである
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2018/09/24(月) 10:11:52.98ID:scXasfwY
佐々木敦の作文はとても批評などと称して人前に差し出せるものじゃない
いい加減にしてくれよすばるも
0742吾輩は名無しである
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2018/09/24(月) 12:20:27.06ID:GDoRspGd
憂国忌は、作家・三島由紀夫の命日の11月25日にちなんで、憂国忌実行委員会が毎年開催している追悼集会

追悼の夕べ(初回追悼会)
総代
林房雄
代表発起人
川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之、武田繁太郎、中山正敏
藤島泰輔、舩坂弘、北條誠、黛敏郎、保田與重郎、山岡荘八
発起人
会田雄次、阿部正路、伊藤桂一、宇野精一、大石義雄、大久保典夫、大島康正、桶谷繁雄、小野村資文、
川上源太郎、河上徹太郎、川口松太郎、川端康成、岸興祥、岸田今日子、倉橋由美子、小林秀雄、小山いと子、今東光、
エドワード・G・サイデンステッカー、坂本二郎、佐古純一郎、清水崑、進藤純孝、杉森久英、曽村保信、
高鳥賢司、高橋健二、多田真鋤、立野信之、田中澄江、田中美知太郎、田辺貞之助、田辺茂一、田村泰次郎、
中谷孝雄、中河与一、中河幹子(中河与一夫人)、六代目中村歌右衛門、十七代目中村勘三郎、二代目中村鴈治郎、中村菊男、
萩原井泉水、長谷川泉、林武、平林たい子、福田恆存、福田清人、福田信之、水上勉、村松剛

2018年1月現在
代表発起人
入江隆則、桶谷秀昭、竹本忠雄
富岡幸一郎、中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
発起人
浅田次郎、阿羅健一、井川一久、池田憲彦、石原萌記、井上隆史、猪瀬直樹、植田剛彦、潮匡人、
大久保典夫、大蔵雄之助、小田村四郎、小埜裕二、小山和伸、門田隆将、川口マーン恵美、河内孝、久保田信之、
黄文雄、後藤俊彦、桜林美佐、佐藤秀明、佐藤雅美、新保祐司、
杉原志啓、ヘンリー・スコット=ストークス、石平、関岡英之、高山亨、高山正之、
田中英道、田中秀雄、田中健五、田中卓、田中美代子、玉利齊、池東旭、
柘植久慶、堤堯、堂本正樹、都倉俊一、
長岡實、中西輝政、西村幸祐、西村眞悟、丹羽春喜、
花田紀凱、東中野修道、福井義高、福田逸、福田和也、藤井厳喜、
古田博司、ペマ・ギャルボ、松本道弘、三浦小太郎、水島総、南丘喜八郎、三輪和雄、
室谷克実、八木秀次、山崎行太郎、山村明義、
吉田好克、吉原恒雄、ロマノ・ヴィルピッタ、
0743吾輩は名無しである
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2018/09/24(月) 19:31:05.12ID:GDoRspGd
『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む

「Jポップ」の終わり
たとえば、はっぴいえんど(70年代)にとっての「外」は、シンプルにアメリカだった。
彼らの課題は、洋楽であるロックを日本でやることだったわけだが、
定説となっている、日本語をロックというフォーマットに乗せる試みそれ自体は、
実のところそれほど難問ではなかったのだと佐々木はいう。そうではなくて、
つまり「日本語のロック」を追究したことよりも、「日本のロック」のあるべき姿を模索した点に、
はっぴいえんどの「ニッポンの音楽」の開闢たる独自性はあったというのだ。

「それら〔海外のロック〕を「日本/語」でやるにあたって、
たとえば「日本のサイケ・ロック」「日本のプログレ」などと呼ばれる直截的な踏襲(直訳)にも、
あるいは逆に、日本/語の特殊性に安住したドメスティックな態度(超訳)にも陥ることなく、
いわば「ニッポンから見たアメリカ」と「海の向こうから見たニッポン」が交叉するポジションで
音楽を作り出そうとした点に〔はっぴいえんどの独特さ、貴重さは〕あるのではないか」

YMO(80年代)、渋谷系と小室哲哉(90年代)、中田ヤスタカ(00年代から現在)と
「リスナー型ミュージシャン」の系譜をたどることで、その「交叉」から生み落とされてきた
「ニッポンの音楽」の変遷が描かれていくわけだが、「内」と「外」の区別の溶解が完了し、
「ここ」しかなくなりつつある現在、その志向=欲望はもはや向かう対象を失ってしまった。
つまり終わった。「ニッポンの音楽=Jポップ」は終わりを迎えたのだ、
というのが佐々木の「物語」の粗筋である。
0744吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 15:16:40.14ID:bLB2Wo37
批評でもない
学問的追究でもない
僕の自由研究
0745吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 17:15:20.77ID:6p49sV96
>>725
この町口哲生の文章もまったく中身ないなあ
何でこれで文芸評論家が名乗れるのか不明
0746吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 17:34:20.14ID:ng3xriH2
>>743
日本のロックのあたりがよくわからん理屈だな
英米バンドサウンドに日本語のせる自体は
もともと難しいことじゃない

ただ文学的なセンスがアングラで
試行されてたレベルに追いついたから
新しかったんだろ

こんなの今の大学生は読んでるのか
0747学術
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2018/09/25(火) 19:01:31.54ID:kvX1MGLB
高円寺 か、 祐天寺だよ 日本の鬼が住んでるところは。
0748吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 19:58:21.71ID:bLB2Wo37
平手友梨奈とかいう気持ち悪いブスを褒めてる無名ライターの白痴のような文章が
佐々木が書いた盗っ人小説激賞文に雰囲気そっくりで吐き気がした
0749吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 20:00:41.60ID:ApqoAokK
文学の批評は直感的な部分もあるから間違うことは必ずある。だけど自分の心に嘘をつかずに、あそは良い、ここはダメだと自分なりでも良いから基準を示して言ってくれる批評家がありがたい。
哲学、美学用語を駆使して何が言いたいのか分からない人多すぎ。
0750吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 20:15:10.85ID:ng3xriH2
開闢、直截
こういう無意味な言葉がダメなのだが
もっとダメなのは「カッコ」連発
0752吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 20:51:43.66ID:MOLr4K2m
カッコの氾濫がさらなる、カッコの氾濫を産む。
比喩的な思考や表現が増え過ぎたからなような。
0753吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 20:52:32.96ID:ng3xriH2
「日本/語」って意味わからん
ほんと力抜ける
0754吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 20:55:12.87ID:ng3xriH2
彼らのカッコ連発は
もはや文体研究の対象
0755吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 21:16:27.02ID:0tCrBZ1W
【天文台閉鎖、FBI】 アポロ捏造のキューブリックも真っ青、太陽に映ったのはマ@トレーヤのUFO
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537840672/l50

おまいらが注目しないから宇宙人は出てこれない、その結果、地球の放射能危機がどんどん進んでしまう!
0756吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 21:17:40.67ID:2OKXKbwf
>>746
日本の最初のロックははっぴいえんどからだという日本ロック史が
比較的長い期間存在して、それに対して
はっぴいえんどが元祖というのはおかしい、グループサウンズを無視しているし、内田裕也がなかったことになっている、
という反論が当然ながら出てきて
近年、内田裕也系グループの再発と再評価が進んできた。
で、そういう現状からはっぴいえんどを評価しようとすると佐々木のような物言いになった、みたいなものなのかな
0757シャシャキ
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2018/09/25(火) 21:42:39.50ID:MOLr4K2m
J-popに興味無し。
0758吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 23:55:04.60ID:OzL0ElKu
Lエルトセヴン7 第2ステージ
2004年10月31日
『新・それでも作家になりたい人のためのガイドブック』スガ秀実・渡部直己
が、正直、この本、ぜんぜん面白くねえのである。
旧版『それでも作家になりたい人のためのガイドブック』を読んだときにも思ったんだけど、
ひじょうに大雑把にまとめると、文章的にテクニカルであることは持っている教養に由来する、
という点に落ち着く。でもって、そこでいう教養とは、ずばり、どれだけ本を読んだかということに他ならない。
ただ、70年代以降、カット・アップやサンプリング、コラージュ、なんでもいいんだけど、
そういった手法の基軸となるのは、教養ではなくて、参照項の多さ、そして、それを使うセンスになってくる。
で、そのセンスっていうやつは、
教養やディシプリンを担保として成り立つものなのかという問題というのがあると思うのだ。
おそらくスガは、そのことに自覚的であり、だから〈実践編〉という対談のなかで、
『ファウスト』系の作家について多く触れるわけだが、
受ける渡部は参照項=教養だという風に信じている節がある。としてしまうと、
小説における参照項=教養は、もはや小説自体ではなくて、
サブ・カルチャーだという事実を逆説的に肯定してしまうことになるのではないか。
で、それを小説として下手だ、本を読め、というのは、ちょっと自作自演ぽい批判ではないかな。
まあ、これはテクニカルであることをどう捉えるかということでもあるのだが、
モブ・ノリオの話のところで、浅田彰がこれはパンクじゃない云々って言ってた、
みたいなのが出てくるんだけど、うーん、中途まで精神性とテクニックは同一だといっていたはずなのに、
サブ・カルチャーの記号を都合よく利用して、それらを二極化させたりしているところは、ずるい。
それとぜんぜん関係ないのだけれど、渡部は、舞城や佐藤の小説には労働が出てこない、というのだが、
佐藤の小説には工場で働く「僕」が労働を憎む、というのがあって、そのことを知らないのか、
それとも佐藤の小説に書かれる労働は労働ではないのか、
どちらの意味でいっているのかというのは重要な問題だろう。たぶん前者だろうけど。
総じて、スガがある程度の鋭さをみせているのに対して、渡部がおそろしいくらいに鈍いというのが、全体の印象
0759吾輩は名無しである
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2018/09/25(火) 23:59:37.82ID:BIQNasds
絓と渡部は本当は比べるのが失礼なくらい差がある
0760吾輩は名無しである
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2018/09/26(水) 07:18:29.28ID:+MNFWQzy
志賀直哉が娘義太夫(アイドルみたいなものだ)に熱中していたとか、漱石含めて明治の作家の多くは落語の影響を受けてるとか
サブカルチャーと文学との関係は色々ある
0761吾輩は名無しである
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2018/09/26(水) 07:58:48.88ID:ZZcd9+GT
それは漱石や志賀はハイカルチャーの素養があって、しかもそれだけではない幅広さがあるという話
ハイカルチャーの素養のないサブカル好きは論外
0763吾輩は名無しである
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2018/09/26(水) 09:19:06.30ID:fKMtQHYJ
ハイカルチャーの素養云々言い出した瞬間、マルクス主義気取るのは無理となる
階級が低いやつはなにやってもダメとなる
0764吾輩は名無しである
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2018/09/26(水) 10:54:52.04ID:sPcF/t4L
なに佐々木みたいなバカなこと言ってんだ
0766吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 11:56:19.18ID:/Z2SAFuP
5ちゃんごときで「サブカルしね、古典教養身につけて出直せ」いってるやつはマウントしたいだけの無教養の雑魚
0767吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 12:06:01.97ID:ZZcd9+GT
>>766
そんなことは全く思わない。
今はそんなハイカルチャーはない。漢籍が読めたって何それ?でしかない。
0768吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 16:32:15.89ID:KCltTToy
しかしサブカル好きはバカと言ってマウント取るやつは多い。
単に佐々木敦が叩ければいいんだろうけど
0769吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 19:01:41.48ID:kWspTWrH
蓮實の映画だって明らかにサブカルじゃろ
0770吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 19:37:29.86ID:0oQvec1R
蓮實の映画って、蓮實が推薦した映画のことか?
良く解らんがw
もし、そうとしても、批評する人が少なくて余り相対化されていないような。
相対化の不十分なものはサブカルと言えるのかどうか。
0771吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 23:07:03.38ID:+MNFWQzy
>>761
明治文学と落語の関係はサブカルチャーで済まされないくらい深いと思うが
批評だかなんだかで軽視してもいいと理論武装されてるとかあるのかな
0772吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/26(水) 23:30:58.45ID:azXLM+gZ
言文一致運動ね
0774シャシャキ
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2018/09/27(木) 07:17:46.24ID:0wKj1OPS
塩山は蓮實に一言も触れない。
本も映画も余り読まない俺には彼の書評や映画評は有り難いが。
蓮實は塩山の立ち入り禁止区域?
0775吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/27(木) 18:50:28.05ID:OQZ2Ip1+
下々の者へ(1406) 投稿者:しおやま・よしあき 投稿日:2017年 7月24日(月)

8月8日…連日の「シネマヴェーラ渋谷」への早朝出勤。
今日の『孤独な場所で』と『危険な場所で』はニコラス・レイ人気のためか、初回から5部強の入り。
『危険な〜』開始時には7割近くの席が埋まっていた。知ってる範囲では、ルビッチ特集以来の大入りでは。
『孤独な〜』はいつ観ても痺れるが、『危険な〜』は効き過ぎた冷房がきつかった(つまり退屈で集中出来ず)。

休憩時間に『〈淫靡さ〉について』(工藤庸子・蓮實重彦・はとり文庫)を。
功成り名遂げたエリートインテリ高級官僚兼物書きに、
同業のお茶汲みレベルの婆さんが(無論経済的には工藤もエリート)、
フェミ香水を発散させながら徒弟的ヨイショ光線の乱れ撃ち
(元東大総長も無論満更ではなく、謙虚ぶりつつもエヘラヘラヘラ)。
次第に蓮實が安倍晋太郎に、工藤が稲田朋美に見えて来る”白い奇書”。役人の世界は理解不能。
ただ両人共に、きっと立派な勲章はもらうのだろう。版元の羽鳥書店はココの館主の本を確か。
本書よりよっぽど面白く意義ある出版だったと。
立たなくなった爺さんや(推測)、濡れなくなった婆さんの(同)、
つまり名誉心しか残ってない金満元官僚インテリの本など、
わざわざ駄目押し的に零細版元が出す必要は無いよ。まあ勝手だが。

漫画屋無駄話 其の1975
▼7年前に買ったまま積んどいた、『不敬文学論序説』(渡部直己・太田出版)を。
異常に多い漢字、超長い段落と、70年代の新左翼の機関紙風文章に激ウンザリ。
松尾スズキあたりが、イラスト入りで現代語訳してくれないか
(この人とすが秀実は別人なんでしょ?昨今の吉永小百合と市原悦子のように、区別がつかない)。
で、都の公金を平然とチョロまかしてた泥棒知事、石原慎太郎、TBSの誤報にマムシのようにからみ、
裁判で8000万要求してたが和解と。一体陰でいくら動いた?('06.6/29)
0776吾輩は名無しである
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2018/09/27(木) 19:09:21.53ID:I7ul0qqm
で、そのブンガクとやらは


儲かりまんの?
出版業は慈善事業じゃありまへん。
0777吾輩は名無しである
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2018/09/27(木) 20:54:17.58ID:MV7pEULf
晋三を晋太郎と書いてる時点で耄碌したお方にしか見えない
0778シャシャキ
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2018/09/27(木) 22:28:12.61ID:0wKj1OPS
>>775
ありがとさん。
なるほど、蓮實についても書いていたんだな。
しかし、2017年7月24日の記事が異様に冴えてるではないかw
蓮實、工藤庸子、渡部直己、石原慎太郎らを連続斬りw
何か、塩山の虫の居所でも悪かったのか。
これは結構的確な渡部直己評にもなってるような?
0780吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 02:37:57.41ID:Qg6hVhmN
>>779
工藤庸子先生は、アカデミックな業績を本当に積み重ねてきた人で、低レベルなゴシップのノリで罵倒されるのは嫌だなぁ
スターン夫人論や、原典にひたすら丁寧な読解を行っていく地味な業績をきちんと重ねて、後進を育てることってもう少し尊敬されていいと思う
0781吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 05:10:17.92ID:VhsSx72d
アカデミックな業績=文学研究の体制になんら疑問を抱かなかない人だったんだろうな

文学史の教科書的な価値観を内面化した人なんだろうけど
狭すぎる
0782吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 07:32:32.90ID:8QEtfNCz
栗原にも言えるけど、こういうゴシップマインドで引き摺り下ろせるものと無理なものがあるんだよな
0784シャシャキ
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2018/09/28(金) 08:17:02.73ID:GbiX12BH
今の状況や流れを読まないで紀要に書いてれば良い人達はどうでも良い。
自分で新しい流れを作ってみろと。
0785シャシャキ
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2018/09/28(金) 12:50:45.77ID:GbiX12BH
羽鳥書店のサイトで連載してる工藤庸子のエッセイは酷いもんだな。
この婆さんはルールーとかマナー以外に関心が無いようだ。
0786学術
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2018/09/28(金) 13:14:35.60ID:l0l9QyBt
文学批評以上の場が、ネットの裏面で発達して、それを他人同士で他己確認されうる
掲示板の構造化に着手したらいいと思う。
0787吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 15:51:14.51ID:ymtB32DT
そんなのふたばのウヨオタが無双して終わるからいらない
0788吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 16:37:01.01ID:VhsSx72d
だって工藤が崇拝する蓮實の作品評価はずれまくっているじゃない
0789吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 20:40:05.10ID:E2H8+vhz
塩山が蓮實に触れてる文章はもっとあるだろ。

自分にとって塩山とは、飯田橋「秀栄」について度々レポートしてくれるありがたい人物でしかないが。
0790吾輩は名無しである
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2018/09/28(金) 20:50:54.95ID:oO4DSEpk
塩山がやってるのはゲスにゲスというだけの無力な揶揄では
蓮實も工藤も俗物だとして、なら2人の文学研究を叩き潰すのが最良だよね
0791吾輩は名無しである
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2018/09/29(土) 04:55:14.27ID:cMXPwa1K
アカデミズムの中だけで偉くなっているけど、現在の文芸とは無縁の人っている
一生プルースト研究にささげ、フランス本国のプルースト全集の校訂までやるほど評価されているとか
工藤庸子はアカデミズムでもそこまで行っていない
0792吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/29(土) 12:52:25.35ID:migdI5NF
ゲンロンカフェ@友の会9期更新受付中!
本日は批評再生塾第三期#3。今回は佐々木敦×渡部直己を講師に講義&講評が行われます!
テーマは「小説の『自由』度について」!

渡部「そのジャンルに出来ることを『自由』として論じても凡庸。
そのジャンルの制約から抜け出ようとする時、新しい表現が生じる」

渡部「小説の制約の一つは、同時性を描けないこと。これに挑戦して成功した例が、
『ボヴァリー婦人』の農業共進会の場面。」

渡部「話者や視点の転換や心理描写は、むしろ小説に与えられた『自由』で、制約ではない。
心理描写は目に見えないもので、矛盾が生じ得ないから。」

渡部「レッシングが言うように、対物描写は過剰に行うと対象自体を破壊してしまう。
明治の日本文学のベースには、すでにこの理論が存在している。」

渡部「国木田独歩の対物描写は、移動の速度と文章のスピードを一致させている。
逆に長く描くときは対象は不動。この原則に挑んだのが、『虞美人草』や古井由吉」

渡部「泉鏡花の描写は読んでも絵が浮かばない。その分描写に使われた言葉自体が浮き出して
独立した系を作り出し、それが物語を呼び込む。これが描写の産出性。」

渡部「あらゆる芸術のジャンルは、そのデッドロックに突き当たり、より鮮やかに失敗してみせること。
その意味で全ての芸術は人生に似ている。」

佐々木「批評は評価と捉えられるが、それは『自由』と抵触してしまう。」
渡部「一方で、賞を与えるという価値判断は小説家が担っている。その接点が無いのは問題。」
2017年7月12日
0793吾輩は名無しである
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2018/09/29(土) 12:55:01.29ID:migdI5NF
渡部さんによる『新しい小説のために』の講評から始まりました!→
【生放送】佐々木敦×渡部直己「『移人称』と『新しい私』。
未来の小説への道はどこにあるのかーー『新しい小説のために』刊行記念対談」
渡部さんによる『新しい小説のために』の講評から始まりました!

渡部「今作は前作のパラフィクション論と結論が真逆のようにも見えるがどのように接続しているのか」

渡部「義太夫は客が去っても持続するが、本は閉じられればテクストが消滅する。
領域横断はいいが、書き言葉と話し言葉の混同はよくない」

佐々木「この本は、『新しい私』は『ずっと昔からいた私』でもあるという相対化された結論になっている」
渡部「『語り』という語彙は誤解を生む。一般に言われている『語り』は書き言葉であることが多い」

佐々木「一人称小説の『私』はなんで語っているのか問題。どのような権利で語っているのか分からない」

佐々木「口語と書き言葉の混同は問題だが、ただ混同してしまう事と
「話すように書く」ことで生まれる小説があることに目を向けることは違う」

佐々木「岡田利規はあえて「口ごもり」を書き込むことで語りにリアルさを生み出した。
彼のテクストは口語であり文語であるようなグラデーションである」

佐々木「小説は目に見えないものなのに、読者は見えるものとして立ち上げている」
映画との比較から立ち上がるものとは!

佐々木「作家論をいくつかやろうと思っている。その中に磯崎憲一郎は間違いなく入ってくる」

渡部「技術論を突き詰めた末の政治的なものの欠如はある種の危うさを帯びている。
ミサイルが来たら大変だ。そろそろ技術論から離れようと思う」
2017年12月5日
0794吾輩は名無しである
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2018/09/29(土) 13:03:40.45ID:s39NJPRr
俳句みたいにその場で添削しろよ
0795シャシャキ
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2018/09/29(土) 13:12:28.85ID:ug2I0fHd
佐々木敦は渡部直己に卑屈、渡部直己は柄谷行人に卑屈。
意外に佐々木が柄谷に尊大とかだったりw
それは絶対ないかw
0796吾輩は名無しである
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2018/09/29(土) 15:01:47.41ID:ZbFhKeet
>791
基礎研究は理系みたいなものでジャンルが違う。
プルースト全集の校訂ができる能力と、プルーストのテクストを分析する能力はまったく違う。
前者だけが科学的で大学で研究に値するかもしれないが、校訂ができたって作品を読めるわけじゃない。
0797吾輩は名無しである
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2018/09/29(土) 15:52:01.46ID:cMXPwa1K
そういうことを言いたいの
アカデミズムの中での文学研究と
批評能力は違うということ

ドストエフスキー研究の権威が文学がわかるかといえば違う
それが文学はじめ芸術鑑賞の特異性だと思う
0798吾輩は名無しである
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2018/09/29(土) 16:13:15.92ID:s39NJPRr
栄養士がグルメかどうかというと
0801吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 12:03:15.20ID:/CTLsDBc
>>792
俺はこういう視点いいと思うんだけど
芸術性の高さはなくていいから
比較の作例つくるべきなんだよね
で、ほらこっちのアプローチが新しかったんです、
ってなる

移動の速度と文章のスピードを一致した作例を
実際に書いて示して、それを改変して
これは意図的に一致を崩しました、とかやらないと

口だけなら適当なこといくらでも言えるからな
0802吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/30(日) 12:44:49.01ID:fqkd6XXS
感性型の人は女性問題を起こしがち。理屈っぽい人だけだと退屈になる。難しい問題だ。
0803吾輩は名無しである
垢版 |
2018/09/30(日) 18:24:46.96ID:Na3zJS6s
はたけのさん
渡部さん「今大逆事件が起きたら、僕だとか東浩紀も、市川真人…はどうかな?
まぁ文化人はみんな殺されちゃうんですよ。」
2010年11月25日

こぐま
〈渡部直己のセクハラ事件は平成の大逆事件w とも言え〉と言っている人を見て
さすがにそれは過大評価というか的外れだろう、とちょっと笑ってしまった。
ちょっと考えたけど、日本文学史上には適当な類例が見当たらない気がして、
画期をなす事件ではあるかもしれないと思った。
2018年6月28日

G-W-G編集委員会
本日、『G-W-G(minus)』03号の特集テーマが決まりました。03号の特集は「天皇/制と文学」です。
テーマをめぐる座談会や論考を次号も企画しています。乞うご期待!
2018年9月22日

昨日編集会議をおこない、次号『G-W-G(minus)』03号では、
文芸批評家の絓秀実さんにご寄稿いただくことが決まりました。次号特集とも関わりながら、
「渡部直己」の問題をめぐる論考をお寄せいただく予定です。次号にご期待ください!!

藤田直哉@『娯楽としての炎上 ポスト・トゥルース時代のミステリ』
「科学」「官僚」だけが批判されているわけではなくて、強制収容所で虐殺を行っていた人が、
文学や芸術を愛し、品のいい生活を送っていたりしていることを根拠に、
「文学」「芸術」「哲学」なども槍玉に挙げられましたよね。
理性や教養による「進歩」で「野蛮」が遠くなるという楽観が疑われたわけです

しんかい38(山川賢一)
ん〜、最近も文学や思想を愛する渡部直己さんの醜態があきらかになりましたけれども、
そうしたことで皆さん文学の価値が信じられなくなったりするほどナイーブなのですか?
日本の「文壇」がうさんくさいと考える人は多少増えたようですけど……。
2018年9月29日
0804吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 18:48:59.42ID:RfQXf3P6
「ナイーブ」を馬鹿にする価値観自体に不信の念が寄せられているのに馬鹿か
0805吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 18:57:31.86ID:/CTLsDBc
「ナイーブ」は元の英語naiveの否定的な
ニュアンスが知られるにつれて
最近は悪い意味が優勢になっていると思うけどね
0806吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 19:25:25.95ID:RfQXf3P6
>>805
英語の本来のニュアンスが否定的な意味合いならなおさら問題だ。
ナチスを例に出してるんだから、欧米の価値観が疑われているということだろ。
0807吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 19:34:04.73ID:/CTLsDBc
渡部事件ひとつで文学の崩壊だー
もうダメだーとか言い出すメンタルは
未熟だろ

それがどうした
0808吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 19:39:57.20ID:/CTLsDBc
崇高な芸術を愛する圧政者なんていくらでもいるだろ
芸術史を知らんのか
0809吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 20:20:50.37ID:2hrmNqja
なら渡部市川は逃げないで全てを話すべきだろそれとも友達のスガや真の悪を知ってる佐々木が話してくれるのかなバカらしいわ
0810吾輩は名無しである
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2018/09/30(日) 20:28:32.05ID:6v3ixzp/
明治の文学者は教え子の女子中高生に手を出して教員首なんてのがざらにいるしな。まあ、文学史の流れでは真面目とも言える。ロッケンローラーの麻薬みたいなもんで。
0811吾輩は名無しである
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2018/10/01(月) 19:22:04.65ID:ejtaJtXw
倉数茂 「名もなき王国」
大杉重男は、時宜を心得た皮肉をいうのだけは天才的なんです。あんまりシニカルで嫌いなんだけど。
2009年5月24日

yujiohara
「子午線」vol2大杉重男氏へのインタビューを読む。
「文芸と政治とは、本当は根本的に相容れない所があると思います。
政治の言葉は最終的に偽善にならなければならないのに対して、
文芸批評はその政治の言葉がはらむ偽善に敏感にならざるをえず、
露悪的にならざるをえない。」読み応えのある内容。
2014年1月9日

まさかな
大杉重男のブログ読んでいた。
おどろいたのはこういう文学界隈の話に何の興味も示せない自分であった。
もともと、そうなのかもしれないし、ふつうなんだろう。
たしかに渡部さんの本って批評と感じたことはなかったなあ、など
2018年8月4日

レコロ
子午線vol.2(2013)の大杉重男インタビューを読んでるけど、
内容はどれもこれも面白いし、「早稲田文学」への言及は
渡部直己事件によって可視化された周辺事情をすでに予見しているようにさえ読める。
(「中の人」にとっては今さらの話だったのかもしれないが)

nibuya
余談。台風直撃に備えてバイクの転倒防止策やら窓ガラスにガムテープ、
台風が逸れて無駄骨に終わったが・・・偶然見つけた大杉重男氏のブログ、
ブログを読む習慣は皆無だが読み出すと面白くて全年分読み通す。
ハイドン好きは別途に精読するとして、久し振りに日本近代文学(!)が素敵な活劇に見え・・
2018年9月30日
0812吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/01(月) 19:28:33.78ID:fouZq1/x
文学を純粋なものとして安全地帯に
囲うって笑えるよね
ひたすら微妙とか繊細な意味とか
言っている

徹底的なプロパガンダだからこそイケてるなんて
宗教芸術みればわかるんだがな
0813吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/01(月) 19:30:02.50ID:fouZq1/x
この文学病は本当にけったいだな
偽善の文学だって書けるだろう
アホか
0814吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/01(月) 19:56:31.40ID:fouZq1/x
この語法は
例えば芸術と犯罪を分別する用法と
非常に似ている

法を犯す芸術表現はあるに決まってるじゃんw
0816吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/02(火) 22:33:42.58ID:2fgT4ck2
大杉重男/知の不良債権――批評閉塞の現状
「早稲田文学」2001年1月号

すなわち恐慌においては、一般的な価値システムが機能不全に陥ることの代償として、
フェティシズム的な欲望が強化されるということです。
経済において商品よりも貨幣を欲しがるという転倒と同じことが、
文学や思想のレヴェルでも起こることになる。

柄谷の批評文が「マルクスは……と言った」「キルケゴールは……と言った」
という文体を取ることはこのことの徴候です。渡部直己が戒厳令的と形容した
(もっとも渡部は後にはこの柄谷スクールとでも呼ぶべき知的システムに積極的に参入し、
『不敬文学論序説』のような本において戒厳令下の警察長官のような役割を果すことになるわけですが)
この文体は、まさに知における恐慌状態そのものを示していると言える。

そこにおいてはマルクスが現実に何を言ったか、キルケゴールが現実に何を言ったかということより、
マルクスという名前、キルケゴールという名前の方が重要になり、欲望されている。
柄谷の批評を読むと、そこに論じられている対象はどうでも良くなって、
羅列される名前だけを読んで満足するという経験を味わうことがよくあります。

それは偶然ではなく構造的なものです。
というより偶然そのものが構造化されているというべきかもしれません。
そしてその経験はとても無駄を省いたエコノミカルな体験のように見える。
柄谷の読者は無駄なことをしなくて済んで得した気持ちになる。

たとえば国木田独歩は制度的で、漱石は制度を疑ったといった物語を子守歌のように聞けば、
読者は独歩を読む必要がないことを改めて確認し、漱石はやはり偉かったと安心して眠ることができる。
しかしそれは実はマルクスが言うところの守銭奴のよろこび、快感であるわけです。

そしてこれは柄谷に限られるものではなく、蓮實重彦にしろ吉本隆明にしろ
八〇年代をリードした批評家たちは「事件」とか「世界視線」とか
それぞれのレトリックによって同じことをしていたように見える。
特にそれを極端にしたのが浅田彰と言っていいでしょう。
0817吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/02(火) 22:58:57.74ID:0oZY9Xuf
え早稲田文学って雑誌はこういうのが
載るのか

思想家の名前ポンポン挙げる悪癖を指摘するのに
貨幣だのフェチシズムだのいう必要ないだろう

こういうノリは一体どこで身につけるのかw
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