夏目漱石 八十二夜
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十三夜
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1513649759/ >>213
×「吾輩ハ坂道を登りながら損ばかりしている。」
○「吾輩ハ山道を登りながら損ばかりしている。」
ああはずかしい はずかしい
>>229
よく半分まで頑張ったね えらいえらい もう止めていいよ >>227
折口信夫によれば、「小股の切れ上がった」は「女陰の陰裂の長さ」だとか。
まあ、昔の日本の女は陰裂の長さを人目にさらすことをそれほど恥と思ってなかったかも?
K-popの韓国の女の子たちをyoutubeで見てると、ホットパンツの股間を割れ目に?深く食い込ませてる子は結構いるので、今の日本の女子とはかなり違う。
しかし、着物の上から陰裂の深さを知ることは不可能ではないかと思うが、昔の女はパンツを履いてないので結構、女陰を見る機会は多かったのかもしれない。
町内の女の御万個を全部見たとかも昔は普通だったw 西鶴の「本朝二十不孝」に、背丈の高い形容として「徒俣すまた切れあがりて」という表現があり、これとの関連などから、背丈のすらりとしている形容とする説が有力である。安永頃の流行語であったらしい。 >>233
そういうのを踏まえたうえで多分、折口は言ってたんだろうけどね。
折口が正しいとも思わないが、そう単純でもないダロウ。
太宰治と坂口安吾、織田作之助が議論して収まらなかったという話だが。 >>232
どこにそんなことが書いてあった?
折口はいくらか読んだつもりだが、そんな話は記憶にないな。
できれば書名とかを教えて欲しい。 >>232
オッサンのくせに暗いな
camel toeだろw 【スウェーデン】テレビ局「歴史的建物の周囲で大便をしてはいけません!」と中国人へ注意 中国大使館が侮辱されたと抗議 >>237
フランスでは、歴史的であるか否かを問わず、昔は建物の周囲で大小便をしてたんだってね。
「新潮」で連載してる高山某が書いてる。
西欧の宮殿にはトイレがなかった、というのは有名だが、漱石のイギリスの下宿はどうだったんだろう? >>239
事実上の漱石論という意味で、『漱石の思いで』。 >>241
江藤淳のは労作には違いないけど、自身の家系好きなところや、性的な異常嗜好が漱石の見かたにも表れているようで、あまり好きではないな。
作品評以外は、事実だけを追えばよかったんじゃないかと思う。
事実だけという面では、漱石論とはいえないが、荒正人の「漱石研究年表」が白眉だな。 >>223
根拠はあなたの経験なのですね。わかりました。 >>228
なんなの「僻み根性」って。「俺を批判する者は俺を僻んでいるに違いない」ってこと?すごい自信だねw >>244は>>227へのレス。 >223ごめんなさい 南米人の目を細める奴もいつも
悪気はなかったと謝っているからなw >>246-247
どうしちゃったんだ?
生活が苦しいのか?
病気になりかけてるぞ? 100年前に夏目漱石は未来を予言してたんだぞ
文豪だろ
「それから」
「大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。
この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。
けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。
それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとしている。
だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。
牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」
これも
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。 >>252
容易に、ねえ・・・
戦争を始めた日本の支配層は、その容易に想像できることすら、理解できなかったバカ、ということ? デフォルトの歴史を知らんのだろうな
漱石は昔の人だからしょうがない 大英帝国をよく知っている人間だからな
後にナチスドイツやソ連に幻惑されたウヨサヨ両方に喝 >>251
予言なら猫の方が当ててる
「これから家族は家でも同じところに集まらずどんどん遠ざかっていく
それがさらに進んで別の家に住み始める」
核家族化
「その頃になると死というのは自殺だけになって
親切な警官が道を歩いていて不幸そうな顔のやつを見るけると犬殺しで撲殺する」
自殺率増加
したの方の実現までもうちょっとだな 満韓所々を目の敵に批判的な人って
いつの時代もいるねw
そんな人は漱石の本をいかに読んでないか良く分かる
事実をざっくりした感じに緻密に書くのが漱石の持ち味
その良さが一番よく表れてるのが満韓所々と道草
少々メンタル不安定な時に書いたと思われる文章は緻密さがクドくなる
満韓所々で奉天のことを書いた文章は傑作
意訳:奉天は下水道が昔から皆無だからか?お茶の水すら酸っぱい…
おまけに温泉まで黄色く濁ってるw長年、奉天民の糞小便などが長年の歳月うんぬんバッチーバッチー
色んな紀行本はあるが満韓所々を超える作品は今にしても無い 芸術的な充実と差別意識はいつも排他的に
成立するわけではないし
漱石を責めているのは極僅かな人間だろう
逆に指摘に過敏な人間が見せる言い訳構築と動揺が面白い >>258
「汚い国民である」
他国民へのこんな描写が批判にならないってのなら
そいつの人間性がクズなだけだろ >>259
芸術の評価の一部には「善意」があります
「真実」も評価の一部だけど満韓はその真実もはなはな貧弱で
かつ善意もかなり低いから作品として批判されてもしょうがないと思います ほっとけよ。
漱石をヘイト人間の仲間に引き入れたいだけの、嫌韓ネトウヨなんだからw >>261
たしかに評価には善意が含まれる
「汚い国民である」
これは善意度低いね >>264
なんだ、生きてたのか。
ご同慶の至りだ。
健康には留意しろよ。 久しぶりに「それから」読んでるけど代助は本当に世の中舐めてるなw >>266
明治時代の成り上がり富裕層は汚い仕事で財を肥やしてたから
頭脳労働、知識人こそ最上と考えてる
だから、高等教育を受けてプーこそ豊かさの象徴
その前の江戸時代の学者様も実家は鉱山経営などの桁違いの富裕層が多い 結局平成最後の年に「国民的作家」「文豪」さうせきせんせいは
完璧に否定されたやうだなw 歴史的仮名遣いを正確に使えないなら使わないほうがいいですよ 歴史的仮名遣ひを正確に使へないなら使ないはうがいいですよ
日本語としては
歴史的仮名遣ひを正しく遣へぬなら止めたはうがいいですよ
の方がよいか(笑) 漱石が文豪とされたのは何時?誰が言い始めた?
冷静に読んでみるとそれほどではない新聞小説家 有名な長篇小説をいくつか残してる作家を世間は文豪と呼びたがる傾向あるが
まあそんな呼称とかはどうでもいいんじゃね 中里介山は文豪か? 柴田廉太郎は? 山手樹一郎は? 関係者や一般読者には文豪として紹介されてるような気がする。 「道草」読んでる。
島田ってのは本当に図々しいな。
これどこまで漱石の実体験なんだろ? >>279
名前が違うだけで、ほぼ実体験と言われてる。
それなりの金と地位をもらって子供のころの何年間かを育てた。
社会の変化によってその地位(収入)が失われたから、泣き言を言ってきた。
漱石にも、子供のころとてもかわいがって育ててもらったという思いがある。 「道草」読了。
かー、島田にムカムカしたね。
なに逆ギレしてんだとw
実際の漱石はあの後まだ養父母に付きまとわれたの? 「明暗」で金をせびりに来る男にムカムカした。
普通、金を借りる時は低姿勢だろう。
たしか西洋料理屋でしつこく講釈を垂れる。
読んでて頭が痛くなったよ。 明暗は陳腐な家庭小説みたいでつまらん
やはり漱石は三四郎までに限る 明暗は陳腐な家庭小説みたいでつまらん
やはり漱石は草枕までに限る ここには漱石に詳しい人が多いからお聞きしたいことがあります。
岩波全集の正字体と新字体について。
近代文学を新字体で読んでもつまらない。
近代文学を新時代で読んでも無駄、読んだうちには入らない。
岩波全集の新版は新字体を採用したため改悪。
等々の意見があります。
しかし、俺はそれがまったく気にならない。
「學校」が「学校」でも問題無いし、
「さういふ事を言ふな」が「そういう事を言うな」でまったく問題無い。
やっぱり菊判全集の旧字体が正解ですか。
行儀の悪い俺はゴロンと横になって読むことが多いから
四六判(新字体)を重宝している。菊判は大きすぎて
重すぎる。 ただ精緻な校合をウリにしている以上
実際の字体まで確認できる全集にするのが
筋だよね
新字体側もイデオロギーで執着したんだと思う
すでにリーダブルな版あるわけだし >>288>>290
漱石の原稿は簡略化した漢字が多いね。
旧字体といっても、漱石が意図したわけではなく、たまたまその時代に使われていたというだけだ。
合理的精神の持ち主であった漱石は、読まれる時代に合った漢字が使われることを好ましく思うんじゃないかな? やっぱ漱石って「夢十夜」がおもしろいわって
漱石初心者のわしが言ってみる(´・ω・`) >>288 です。
旧字旧仮名に拘る必要はないよね。
みんなの回答を見てすっきりしました。 その程度のことで安心を得るために
質問形式を借りて共感を求めるという
精神を変えた方がいいけどね >>296
そんなことにケチをつけるお前の性格を変えろ、というツッコミがちらほら・・・w >>296
>>294にて回答してくれたことに感謝してます。 旧仮名遣いは字面が新仮名より美しいんだよ
筑摩の文学全集で旧仮名遣いに馴染むと
普段から旧仮名を使いたくなる
伝染するんだよ わざわざ日本の近代文学を読む、ことを考えると
旧表記を親しむことを拒否するのはもったいない
ただ定本の方針は沢田マンションだな
複雑な校合を新字でさらに混乱させている
アマレビューの通りだろう >>299-300
もともと仮名文字というのは、発音に近づけて表記された。
音韻の変化で発音と表記の乖離が強くなり、新仮名表記に改良された。
新仮名でも不十分なのは周知のとおりだが、今後もさらに発音に近づいた表記になっていくだろう。 >>298
自分と違う者の生産物や文化に対して新鮮に驚くという
意味ではアレルギーを持つのはそれだけ楽しみが減るし
読書の弛緩にもつながる
今野真二なんか読めば分かるが
日本語の豊かさを楽しむために明治文学は
絶好の対象だから >>302
日本語が豊かになったのは、江戸時代だよ。
明治になってからは、和製を含む漢語が大氾濫した。 漱石楽しむ要素には漢文脈を味わうという面が
あるから旧字は有力な選択肢
たとえば普通文っぽい文章を引用して堅苦しいと
揶揄する場面なんかは当時の字面そのものを
楽しみたいと人は思うからな >>305
当て字は漢語だよ。
漱石は漢学の素養が豊かで、自由な精神を持っていたから、漢字(単語)を自在に操った。 >>304
漱石は言文一致に拘った。
当時の旧仮名遣いは、まさに当時の新しい仮名遣い。 >>306
わりー、全然同意しない
和製漢語といえる種類のも含まれるが、もっとさまざまな種類の当て字があるからね >漱石は漢学の素養が豊かで、自由な精神を持っていたから、
ここは同意するが
>当て字は漢語だよ。
>漢字(単語)
ここは全然
すまんね 基本的に字音を用いないと漢語とは言えないかな
たとえば万葉仮名は漢語じゃないんだよね
ごめんなさいね
知識披露してもらって悪いけど >>308
当て字の意味がわかってる?
漢字を当てるから、当て字なんだよ? >>310
漢字というのは、一文字に一つの音と意味がある。
その音ではなく、意味を和語と交差させるのが当て字。
万葉集は、音のみを使うことが多いが、漱石の当て字はそれとは全く違う。 しょうがないな
たとえば「八釜しい」という当て字は漢語かね
日本語の形容詞が漢語?
あんたが勝手にそう思ってるなら別にいいが
おれとは議論にならないのでこのスレではそこまでにしてくれ >漢字(単語)
という書き方も全く意味をなさないね
漢字=単語ですか?
何を言いたいのかさっぱり分からない こういう言葉をいい加減に扱うやつが書いた文章は、その箇所で読むのを止める >>313
その例でいえば、八つの釜が煮立つときの音をイメージさせてるわけだ。
一つの釜でも結構うるさいが八つの釜だから相当だ、といった感じだろう。
釜というのは、漢字の意味を和語にあてたものだよ。 >>314
一つの漢字は一つの意味を持った一つの単語。
漢字の基本だよ。 「やかましい」「ついで」「はやり」
漢字を当てたとしてもこれらは「和語」です
終了 当て字は和語と漢字の意味を交差させたもの。
日本語が理解できない人にはわかるまいがw ひらがながもともと漢字だったことすら知らない人がいるのかな? 万葉仮名は漢字で書かれているね
それを漢語だと言うのはどこぞのおバカだけだろうね 思い込みが激しいからねえ
P君もスレの前のほうで困ってたw >当て字は漢語だよ。
平成最後の見世物だといえよう。 >>325
あれ?
万葉仮名は、主に漢字の音を使ってることも知らないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています