「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641

高橋源一郎の慈愛に満ちかつ苛烈な小川榮太郎批判。
このスレでも何度も話題にのぼる純文学で食えない問題とも通底しているものがある。

小川榮太郎があのような文章を書き散らしても平気な理由を、高橋源一郎はかつての純粋な文学青年であった小川と右翼論壇の寵児として名声を得るに至ったいまの小川とを自ら切断処理しているからなのではないかとしている。
この考察を読むとたしかに「胸がしめつけられる」思いがする人も多かろう。
本当の自分を捨てて、おそらくは食べるために右翼へと転向し、
かつて自らを見捨てた新潮社に、文芸評論家としてではなく右翼のひとりとしてはじめて文章を寄稿する、というめぐり合わせはある種の哀しみに溢れている。

ところで、高橋源一郎は、ある人について論じたり一緒に仕事をしたりするとき、その人の著作をすべて読むことにしているらしい。
それがその人に対する最低限のリスペクトなのだという。この姿勢は見習いたい。