>>593
>高橋源一郎のこの文章が称賛される違和感には、
>感性の劣化があると宮台みたいなことを言いたくなってしまい謎の敗北感で胸がいっぱいだ。


そういえば高橋は「狂風記」の解説文で
小説とは本来読者の全感覚に訴える刺激的なものであるのだが
近年のゲームなどで若年層の感性劣化が進むなかにあって
石川淳のこの小説は 時代遅れの遺物などではなく刺的でスリリングなものなのだ
といったことを述べていたのだが

「狂風記」に関しては発表当時の時代風潮を反映してなのか
とにかく事務的にセックスをこなしているだけのような描写が続くし
文章が巧みなのはいいとして、それほど読者の全感覚を刺激するものではない
もちろん高橋の文章にもそれほど感覚に即した描写は多くない

たとえばねじめ正一による「優雅で感傷的な日本野球」評にもあるように
高橋の文章には実感に基づく表現は無いし、それで良しとされたのは
ポストモダン的な「文」の政治性が提示されていたからで
初期作品にはそういう視点があって面白いものだったが
いつの間にか単なる書き手に成り下がっている
そういう人間の書くものに対してまともに取り合うのは時間の無駄だと思うんですよね