驢馬のラストは純文的ではないか。
囲碁の腕があがって世に出れば天才なのに、閉じ込められてて、救出しようとする者がいても失敗に終わる、それでも気にしないで囲碁に熱中してやめない。
結果がすべてではないと人生の大切さを教えている。
よく考えれば、世に出ない天才はいくらでもいる。
結果がすべてという思想に囚われているとあのラストを肯定できない。
大成できなくても続ける意味が問われている。