平野啓一郎 part31
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樹液が蒸発し果ててその音が聞こえなくなり、煙が紛紜と溢れ出した。
烟影は先程とは殊なる濁った黒い色をしている。細風の戦吹く度に、薪の山が幽かに紅潮する。
焔は知らぬ間に、内部で肥っていた。恰も一個の飯櫃な生き物であるかの如く。
火は時折素早く触手を伸ばしてみては、外に積まれた薪を?み、己が腹中に収めむとする。
しかし、その多くは成功しない。徒に幾条かの不吉な跡を残すのみである。
すると、突然癇癪を起こしたように、二三の小さな薪を好き飛ばしたりする。
焔は俄かに勢い附いていった。間歇的に鳴っていた薪の破裂する音は、次第に絶え間なく、降り
始めの驟雨が地を撲つように、続け様に響き出した。木片が、幾つも周囲に零れている。
−日蝕p174-175
石筍は、真直上方に伸び四半分程を剰して一度括れた後に、一層大きく膨み、
その儘緩やかに先端を結んでいる。対を成す鍾乳石も殆ど同じ形である。
丈は各が人の三倍もあろうか。二つの滴石は、将に触れ合い、溶け合わむと
する刹那の所で、纔かに指二本分程の隔たりを保っている。
間隙は存在の予感に閃き、爛熟し、存在以上の充実した緊張を孕んでいる。
−日蝕p128 対立は、その面貌にも見えている。閉ざされた瞼は、苦痛の故とも、眠りの故とも
判ずるを得ない。眉間に仄めく数条の皺は、愁いと快楽とを両つながらに予感させ、
その謎を、際立った鼻準の直線の裡にあずけ、永遠に隠してしまう。
瞼際は締まり、顎の曲線は熟し遣らぬ果実のように滞らない。
それらを覆い侵さむとする髪は、叢がる爬虫類の如、又、甕より零れる清水の
ようでもある。
-日蝕p132
<これは一体何なのだろう?子供染みた疑念が、意識の腋をくすぐっているような
奇妙な感覚だった。金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている。
そして、それに合わせて繰り返されるのは、「聖なるかな、聖なるかな、……」という言葉!
少年の若い声帯が、大人の男にはもう決して届かない高みの音を、
失われた無垢そのもののように響かせてみせる。------死を嘆き、悲しむというのは、
人間特有の崇高な感情なのだという。しかし、その感情は、こんな馬鹿な道化じみた遊びで
、慰められるように出来ているのだろうか?こんな、ちんどん屋に毛の生えたようなのに、
涙ながらに聞き入って、心静かに死んだ人間のことを思うのが、美しい人間というわけか!
清らかだ!……ああ、いかにも浄らか!……>(決壊 下巻 p. 377) 地獄という観念を創造した人間たちも、酷いことをしたと、後悔の念に苛まれるよ。・・・・・・
篠原も、鳥取の少年も、悪では決してない。ただ、健康でなかったというだけだよ。犯罪が凶悪
であればあるほど、実際に、病気だという説明は、人を納得させるんじゃない?
・・・・・・どうして、そんな人間の罪を責められる?『罪と罰』なんてうっかり口にしよう
ものなら、とんでもない反動主義者だと思われかねない。 『罪と治療』いや『病と治療』と
言い換えるべきだね。――人間は、寿命に対して、突然死を対置する。事故や病気をね。
それは、無念だけれど、仕方がないと始末がつけられる。終わらせることが出来るんだよ。
ガンや脳卒中がそうやって受け容れられるのは、それが自己の内部に起こって、
自己に対して攻撃してくるものだからだろう。しかしね、病の不可抗力という考えを徹底する
なら、それが他の個体に於いて発生して、他者に向けて攻撃をしてくることだって、
同じだと理解されるべきじゃないかい?――すると、どうなるか?個性だとか、他者性だとか
を飽くまで実体的に、断固として、どこまでも擁護するなら、際限なくだらしない現状肯定に
陥るしかない。しかし、そうはならないだろうね。人間はますます、他者の病が我慢できなく
なる。そんなもののために殺されたんじゃ堪らない。だとすれば、懲役なんて、幾ら
やったって無意味だよ。唯一可能なのは、医療行為だけだろう。悪という名の健康の欠如を、
ピンポイントで攻撃して、個体の内部に偉大なる民主主義を実現する!何に向けてか?
幸福だよ、それこそが。――そうして社会はまた、どうしよう近代主義に逆戻りだよ。・・・・・・」
ーー「決壊」下巻より あなたと同じ両親、あなたと同じ土地、あなたと同じ容貌、あなたと同じ性格。――知能、体力、
境遇、すべて同じならば、当然にその人間が殺人を犯さなければならない。いや、
違う!と反論する人間がいるね。しかし、その人間の遺伝的特徴と環境とを、あなたが
与えられていたならば、あなたが、違う!と叫び、交換に、あなたとして生まれてきた
その人間は、やはり否応なく殺人を犯すのだよ!――いいかね?人間とは、単なる
データの束だ。そして、その束のあり様が、たまたまあなたの場合、殺人者であるために
最適だった!世界は、直接には感じ取れないような、ありとあらゆる微細な作用を、
多年に亘って、偏執狂的に根気強くあなたに及ぼし続けて――そう、遺伝のための
気の遠くなるような時間と、固体の成育のための、あなたのせいぜい十数年!――、
ようやく植えつけられた一個の殺意を、今、活性化することに成功しつつある。
あなたの固有名詞をラベルとして貼ってね。」
「人間は、それを運命と呼び慣わしている。しかし、それもまた、欺瞞の一形式に過ぎない
がね。」
――ナザレにイエスは、死ぬ直前にそれに気がついて慌てふためいたのだよ。しまった!
とね。あの処刑は、つまり、運命というものの支配の完成だよ。イエスは、両手と両脚とを
三本の釘で打ちつけられた。三本!クロト、ラケシス、アトロポス!モイライは――
運命の三女神は、高が大工の倅が神の子になることを断じて許さなかった!
だからこそ、ナザレのイエスは、釘と、金槌とで、材木に打ちつけられて死んだのだ!
――いいか?どんな人間も、運命に釘打たれている。絶対に、それからは逃れられない。
しかも、その釘を打っているのは、この世界そのものなのだ!」 「創世記の第三章二十二節で、神はこういっています。
『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。』−我々の信じる神は、最初から一者では
ありませんでした。
ヤーヴェは、〈競争する神〉です。他の神を出し抜いて、自分そっくりの人類を産み出し、独占契約
しようとした神です。
なぜなら、彼には正しいという確信があったから。
そして、その後、人類の歴史は、このヤーヴェを神学と信仰とで支えてきたのです。
なぜなら、ヤーヴェはどう見ても、全知全能に見えないからです。
グレイソン・ネイラー、あなたは勝たなければならないのです。競争して! そして、それを国民は支えるはずです!」
「ドーン」文庫版p487 平野啓一郎「日蝕」p.62より
「即ち、聖トマス、大アルベルトゥスに依る、アリストテレスの「自然学」、「生成消滅論」、「分析論後書」の注釈の類、
ポエティウスの翻訳なるポルフュリオスの「アリストテレス範疇論入門」、アヴェロエスに依るアリストテレスの注釈
書、ヴァンサン・ド・ポオヴェの「自然の鏡」等。又一方で、カルキディウスの翻訳なるプラトンの「ティマイオス」。更
に、ロジャア・ベイコンの「大著作」、「錬金術の鏡」、ライムンドゥス・ルルスの「聖典」、フラメルの「象形寓意図の
書」、亜拉毘亜人のゲエベルの著した「錬金術大全」。その外、「神学大全」、「形而上学註解」を始めとした一連
の聖トマスの著作、それに、抑私をして旅へと立たしめた、フィチイノの「ヘルメス選集」等、……」 その繊細で硬質な肢体、その静謐、その妖氛。---それは、錬稠せられた、白昼の眩暈であった。
即ち、聖トマス、大アルベルトゥスに依る、アリストテレスの「自然学」、「生成消滅論」、「分析論後書」の注釈の類、
ポエティウスの翻訳なるポルフュリオスの「アリストテレス範疇論入門」、アヴェロエスに依るアリストテレスの注釈
書、ヴァンサン・ド・ポオヴェの「自然の鏡」等。又一方で、カルキディウスの翻訳なるプラトンの「ティマイオス」。更
に、ロジャア・ベイコンの「大著作」、「錬金術の鏡」、ライムンドゥス・ルルスの「聖典」、フラメルの「象形寓意図の
書」、亜拉毘亜人のゲエベルの著した「錬金術大全」。その外、「神学大全」、「形而上学註解」を始めとした一連
の聖トマスの著作、それに、抑私をして旅へと立たしめた、フィチイノの「ヘルメス選集」等、……
私の霊は肉と倶に昇天し、肉は霊と倶に地底に降りた。肉は霊と熔け合った。私は世界の輝てを一つ所に眺め、
それに触れた。世界は私と親しかった。私は世界を抱擁し、世界は私を包んだ。内界は外界と陸続きになった。
同じ海になった。世界が失われて私が有り、私が失われて世界が有り、両つながらに失われ、両つながらに存在
した。唯一つ存在した!……そして、私は将に到かむとしていた。……何に?……光に、…………目映く巨大なる、
この光に、…………………………遥か彼方より発して、尚至る所にその源を有するこの溢れる光に、…………
……………………………………光、…………………………………………即ち、………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………
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平野啓一郎「日蝕」 p21, 62および168-169より 「錬稠せられた、白昼の眩暈」
キャーー、こっぱずかしい! 平野の文体の元は象徴派詩人マラルメの盗用だ。
「日蝕」は無論、マラルメ作品からの盗作である。 先行文学から新しい作品を織り紡ぐのが現代文学
ナボコフの『ロリータ』がポーの盗作なのか?
盗作うんぬんを言うヤツは頭が悪い
文学知らずめ、ちゃんちゃらおかしい 平野って大卒ワナビにあれなら俺でも書けるとの錯覚を起こさせる才能があるようだが、平野は結構すごいぞ。 雰囲気イケメンの面もあり、微妙なイケメンでもあるが、西村賢太のルックスか平野とどちらに生まれたいかなら平野だ。 モテないブサメン作家もどきからは平野は嫉妬の対象だ
顔はフツメン、美人モデルと結婚、芥川賞を取り、
20万部のベストセラーをかっとばす 顔はフツメンだけど、背が高くて話が上手くて身なりにも気をつかってるから、女からの印象は良いな。石原慎太郎が言うように文体は弱いが、今の文学のプロ作家の中では及第点だし問題なし。
なんかここんとこ平野は目立ってきてる。同年代にライバルがいないのが平野の可哀想なとこかな。 石原の文学評価はまるで信用できないが、石原より平野の文体の方が上質だ
吉田修一、中村文則が平野のライバルかな >>19
>石原慎太郎が言うように文体は弱いが
そんな事は無いよ
むしろ初期はやりすぎで
最近はそうでもなくなった 石原慎太郎は文体に骨があるか?官能的か?についての感性は鋭い。
平野のその部分について貶してて、上手さは認めてる。 平野は俺の玩具だ。
平野が引退しない限り、何時でも盗作者呼ばわりだw
平野がマラルメ作品を盗作したのは不変の事実。 >>24
平野からライバル扱いされるようになったら良いですね。今だと想いが一方的でありまして。 難しくて言ってることの半分もわからないが
俺らを煙にまいて丸め込もうとしてるのはわかる >>23
>石原慎太郎は文体に骨があるか?官能的か?についての感性は鋭い。
石原の文章に官能性などないよ
官能性というのは露骨な性描写や
官能性に耽る人々の描写でないので
泉鏡花や太宰治とかの方がよっぽど官能的な文章を書いているだろうね
石原・開高・大江といった同時代の観念作家の中で
いちばん官能的な文章を書くのは開高かな
それでも鋭敏な皮膚感覚くらいのものだろうけど
石原はもちろん大江もそれほど官能的とは言えない
彼等は既成の文章表現を崩して感覚中心の世界観を提示した観念作家に過ぎない >>28
勉強はされてると思いますが美学的な価値には詳しくないのでは?実は。 >>28は>>23の文意を読み誤っている
>>23は石原の文体に官能性があるのではなく、石原には他の作家の文体に
官能性があるか否かをかぎ取る感性があると言っている 石原の鑑識眼の鋭さって謎だよな、あれ突き止められた批評家っているのか 石原慎太郎の父親は財界人や有名芸能人が入ってた修験道の講に入ってて、石原慎太郎もそういった精神修行の価値を父親から受け継い継いでるから、美学的な形而上価値や宗教的トランスに対する感性がある。そこら辺の文学部の教授が分からない精神世界を理解してる。
なんで俺がそれを知ってるかって?
俺がその講の伝承者だから。 >>18
そこに億ション住まいも入れてやれ
如何にも文豪()平野啓一郎(と嫁さん)の好きそうな場所に住んでるんだから >>19
フツメンに見えるかは個人差があると思うが、実際見たら背が高いこともあるかもしれんが、骨格がゴツゴツした感じだった。
嫁さんが隣に座ってたけど、少し椅子ずらして後ろに座った事で遠近バランスとったかな
@10年前の名古屋のトークショー
確かに結婚前から身なりには構ってるし、好きなブランドや気に入った服は積極的に取り入れてるな
春香の影響ではないと思う 今日「三度目の殺人」見たが、次の福山の映画はマチネだと思って見たら
だ、大丈夫か?としか思わんかった。
映画がコケても平野はノーダメージなんだろうが。
「これからも純文学を書き続ける((キリッ」20万部売る作家なら問題ない >>22
何度も出たかもしれないが、一応
選考委員石原慎太郎[男].66歳×各候補作 [委員の群像へ]. 年齢/枚数の説明.
見方・注意点.題現代文学蘇生への過渡期? 総行数52 (1行=24字)候補 評価 行数 評言
平野啓一郎
[男].23歳
全. ● 26
「いろいろ基本的な疑義を感じぬ訳にはいかない。」「この衒学趣味といい、たいそうな擬古文といい、果たしてこうした手法を用いなければ現代文学は蘇生し得ないのだろうか。私は決してそうは思わない。」
「浅薄なコマーシャリズムがこの作者を三島由紀夫の再来などと呼ばわるのは止めておいた方がいい。
三島氏がこの作者と同じ年齢で書いた「仮面の告白」の冒頭の数行からしての、あの強烈な官能的予感はこの作品が決して備えぬものでしかない。」
選考の際、平野以外の作品が今ひとつで
消極法的な選考で平野が選ばれた感じだった気がする
該当者無しでも良かったんじゃないか……などと考えても仕方ないことだ 堀江敏、田中慎、円城なんかはあるんだけど。
新潮文庫 平野は「日蝕」がマラルメ作品からの盗作であることが綿密に検証される前に、
盗作を自ら認めるべきだろう。
結局はその方が平野のために良い。
新潮社には、盗作である「日蝕」を出版し芥川賞受賞させた大罪がある。
新潮社は平野と協議の上、「日蝕」が盗作であることを発表すべき。 >>30
>石原には他の作家の文体に
>官能性があるか否かをかぎ取る感性があると言っている
官能的文章や官能性についての理解が足りない人が
他人の文章に含まれる官能性について論じられるわけがないし
石原が官能性という場合は
学生時代にゼミで指導教官であった南博の知識に基づくものであり
具体的にはマルクーゼとかあの辺りの文明論の延長でしょう
そもそも石原自身が社会学が飯の種と言っているくらいだから
たとえば三島由紀夫は石原のデビュー作に
従来の観念的枠組みを超えた生の実感を期待していたが
読後感として学生による観念的図式の小説に過ぎなかったと落胆している
私が石原のスポーツ小説で感心するのはボクシングではなくサッカーもので
カウンターからのスルーパスにボール一つ分届かずに負けてしまったという場面かな
あの場面だけは良かったけど
肉体や行為にこだわるわりには石原も結構図式的なんだよね
だから必要以上に観念で武装するんだろうけど
平野のことを衒学的だと批判する資格は無いよ 石原慎太郎はタナシンと西村賢太はわりと評価してるよね。文章に官能があるから。 文学教育って解釈教育と論文作成教育に偏ってて、鑑賞教育は行われていない。
西村賢太が高学歴馬鹿という感じに編集者を罵る理由だな。IQ文学と揶揄されたり。
平野はクレバーだから無教養な高学歴を扇動する能力は高い。見てて痛快ではあるよね。 平野啓一郎
『伯爵夫人』は、第二次大戦を背景に、体質的とも言える文体で、
「魔羅」と「睾丸」と「おまんこ」の逸話を綴ってゆくが、ページを捲る
ほどに、生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさがあった。
「活劇」として配置された「金玉潰し」は、ペンチで爪を剥がすといった
類いと同様で、文学とは無関係に強烈な痛みの感覚を引き起こすが、
それに見合う高揚感や象徴性は欠けていた。知的な意味では、読後に
こそ始まる小説なのだろうが、主人公の祖父が射精なしで、「女を狂喜
させる」ことに徹していた理由が、「『近代』への絶望」と仄めかされる点など、
私は、つきあいきれないものを感じた。
本作を推した委員の一人は、自分はこの小説が好きではなく、新しいとも
思わず、内容的にも無意味だが、この趣味の世界の完成度には頭を垂れ
ざるを得ないとの意見だったが、私は全く賛同出来なかった。 平野は盗作ヤローに、新潮社は盗作出版社に改名しろ。 >>21
全員顔かっこいいからって調子乗ってるよな 吉田修一、中村文則はブックオフにあるけど平野の本は無かった。 平野はもっとメディアにしゃしゃり出て
現代の三島由紀夫然とした態度を示すべきだな
村上春樹でなく、俺が日本文学の顔だと >>57
盗作ヤロー・平野にゃ無理w
盗作出版社、別名新潮社も危ないぞw >>57
彼の意見を放送するのはNHKくらいしかないよ
三島は保守としては左翼かと見紛うくらい頭がキレたので重宝されただけで
平野啓一郎はせいぜいリベラル左派程度の論客だから
たまにNHK特集に呼ばれるか新聞に右傾化批判の記事寄稿するくらいだよ
ただそういうのは島田雅彦や池澤夏樹でもいいわけだよ
基本的に文壇はリベラル左派ばかりだからいくらでも替えがある
オピニオンリーダーとしてやっていくのは難しいとおもうな 最近は分人主義とか政治的主張が作品に入り込んできているから
基本的にこの人は父(あるいは家族)や
自己といった古典的なテーマの人だと思うんだけど
ジャーナリズム受けを狙ったかのような変な脚色が多すぎる
それで露出が多いかというとそうでもない
まあそれなりの作品を出して腕も上がってそこそこ売れているわけだけど
たとえば大江健三郎のように個人的な体験と社会情勢を
うまく組み合わせた作品にはなっていない 社会情勢は取り込んでいるが、個人的体験は別に入れる必要性はない
私小説である必要はなく、文学的リアリティさえ獲得できればいいのだよ
それは文体次第ということになる いい加減で盗作を自白しないと、平野も新潮社もマジでやばいぞw 大江はディオニュソス的なとこがあるけど、平野啓一郎はきっちり情報処理してますという感じだ。平野は良い大学教授になる。分かりやすく教えそう。
大江はよく精神科医に通院してるようでディオニュソス的大変。 >>64
未来の読者に向けた作品
今、本屋に無くても平気平気♪
楽天では10位だったようだが 新潮社と盗作ヤロー平野は早く盗作を自白しろよ。
話はそれからだ。 小綺麗にまとまっちゃった気がする
ある男、の、息子が文学で救われるなんてのは
それだけでもっと大きい嘆きや悩み苦しみの深い話にできるくらいの題材なんじゃないのかなあ
ちょっと感動するような話を集めてまとめて飾りのついた箱に入れてみせてるような感じ
期待したのとちょっと違う作家になってて、なんか残念で
新刊出れば読むし、面白いんだけどね 神秘主義でガンガン行ってくれた方が面白ろかったかな。 >>74
いつ神秘主義だった?
日蝕の頃から喋りたがりやん
文学的なことじゃ無く、自分を知って欲しいみたいに喋ってたインタビューを見て、コイツ駄目だと思った。
「文学なんか語ったら周りは引く」とか
夫婦でインタビュー受けた時も、ちょっと余計なこと言い過ぎ 平野と新潮社は「日蝕」がマラルメ作品からの盗作であることを自白しろよ
お前ら調子こいてるとマジでやばいことになるから。 >>73
>小綺麗にまとまっちゃった気がする
たとえば加賀乙彦のようになるのなら
それはそれで成熟と言えるのかもしれないけど
そうでもないから 新潮文庫でさえ置いてないのはどうなのよ?
東京だけ? 現時点で鑑賞の対象になり得るのは「決壊」以降の作品だろうけど
「形だけの愛」「ドーン」「空白を満たしなさい」「マチネの終わりに」「透明な迷宮」
あたりは単行本のみ固定読者に読まれて文庫本で読むようなのはいないと思う
なんというか客層が完全に固まっていて
世代や時代を超えて読まれるようなものではなくなっている 平野啓一郎氏 差別にはうんざり、被害者に寄り添い書きたい
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181020-00000017-pseven-life
https://amd.c.yimg.jp/im_sigg.9So1.tVVEvA_LqJDcsRMg---x305-y400-q90-exp3h-pril/amd/20181020-00000017-pseven-000-1-view.jpg
【著者に訊け】平野啓一郎さん/『ある男』/文藝春秋/1728円
【本の内容】
物語の主人公は「城戸さん」。作者がたまたま見つけたバーで知り合った弁護士の男性だ。〈彼は自己紹介をしたが、その名前も経歴も、実はすべて嘘だった。
しかし、私には疑う理由がないから、最初はその通りに受け取っていた〉。なぜ彼は偽名を使ったのか。それは彼が「谷口里枝」から、亡くなった夫が全くの別人だったと相談を受けたことが関係していた。城戸さんがのめり込んでいった〈ある男の人生〉とは。
夫が事故で死んだ後で、彼は自分で語っていた経歴とはまったくの別人だったことがわかる。では妻が愛した人は誰なのか。
小説やエッセイを通して、これまでも「私とは何か」について考えてきた平野さん。新しい小説は読者の意表をつく設定で、思いがけない角度からこのテーマに迫る。
「40才ぐらいになると別の人生もあったかもしれないと想像したりするんですね。人生は1回きりしかない。
生まれ育ちのせいで不遇な環境におかれた人ならなおさら、自分はこのまま終わるのか、まったく違う人生を生きたいと思うんじゃないか。そう想像したところから物語が始まりました」 夫は誰だったのか。妻は知り合いの弁護士に調査を依頼する。仕事を超えた熱心さで弁護士は見知らぬ男の背中を追い、他人の人生を生きることを選んだ男の痛ましい過去が徐々に明らかになる。
「小説の取材で、犯罪の被害者家族にお会いする機会はこれまでもあったのですが、
今回初めて、つてをたどって加害者の家族にも話を伺いました。存在を消すようにしながら生きてらっしゃる姿に強い印象を受けました。裁判の傍聴もずいぶんしましたし、いろんなタイプの弁護士にもお会いしました」
主人公の弁護士は、日本国籍を取得した在日三世である。社会的立場は高いが、ふいに差別的な言葉に直面することも。他人の過去を追いながら、彼自身の人生にも思いをめぐらせる。
「ヘイトスピーチなど、今の社会にある差別には正直、うんざりしています。SNSなどでは直接、批判もしますが、小説家としては、被害を受ける側に寄り添い、その人生を丁寧に書く方が仕事としてやりがいがあります」
ふだん文学を読まない人にも自分の本を読んでほしいという。前作『マチネの終わりに』は20万部を超すロングセラーになった。
「“なぜ人を殺してはいけないのか”というテーマで『決壊』を書いたとき、1万人の純文学マーケットに向けて書くことに矛盾を感じました。
文学に関心のない人にも読んでもらいたい。他ジャンルの表現者に刺激を与えたい。2つのことを考えて書くうちに読者層が広がっていった気がします」
◆取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2018年11月1日号 純文学の作家なんて文豪扱いの人でも軽いのではないかなと思う。 盗作ヤロー平野の作品は当然だが、純文学では毛頭ない。
平野の「日蝕」は時代背景以外のモチフの全部をMallarméマラルメ作品から盗んでる
訳で、平野はそれらのモチフの並べ方を変えたに過ぎない。
こういうやり方は娯楽文芸の典型であって絶対に純文学ではない。
これを出版した新潮社は盗作出版社に社名を変更すべきである。 92はシャシャキ。
久しぶりに平野を糾弾したので名前を書くのを忘れたw 新潮は最近確かに酷いんだけど文庫では一番かっこええからなあ
なんか憧れちゃうよねえ 平野は大学教授になれば良いだけで、人生安泰。もう、それほど売れる必要もないかもしれない。 盗作出版の新潮社と盗作ヤロー平野君は今日もビンビンですw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています