三島由紀夫Part56
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>>584
う、羨ましい!!そんな時代に生まれたかった
>>585
それでこそ日本男児、われらが三島センセ― 肉体にはコンプレックスが強かったんだろう、
しかしそれを逆手に取った意志力はすごい >>584
>女は浮気をしてはいけないという時代背景に支えられてたね。
それもあるけど
その当時としては新興階層だった
都市部有閑マダム層の深層心理を上手く仕分けして提示した
この大衆化・廉価版が日活ロマンポルノの団地妻とかであって
いまとなってはこの種の頽落は珍しくない
というのは明治からの戦前にかけて成立していた道徳律が
おもに経済的事由であっさりと瓦解したので
この流れは田中康夫的快楽の世界に継承されるわけだけど
そこでは物語や批評性が成立しないわけだね
そういう意味では三島は基本的に道徳の人なんだよ >そこでは物語や批評性が成立しないわけだね
>そういう意味では三島は基本的に道徳の人なんだよ
ここがよう分からんのだが >>590
明治以降でも表面的には姦通罪などで貞操を守らせていたけど、実際には緩かった。
日本人は、男女とも、そういう意味での貞操観念などないから。
浮気や遊びに、「よろめき」という小洒落た言葉を使って見せたのが三島の功績。 やっとここも文学スレらしくなってきたな、もっとやれ、やれ 今日はクリスマスイブだったんで、
三上悠亜ちゃんとVRSEXしてきた
しかし、凄い時代になったもんだ
あんなに可愛くてスタイル良い子と、
タダ同然の値段でヤレるんだからな
そりゃ、少子化も進むわ >>592
>日本人は、男女とも、そういう意味での貞操観念などない
自分また家族友人がフシダラだからといって
世間の人がみなそうだと考えてはいけない >>596
日本人はまじめで貞操観念が強い。
南京虐殺もなかったし、慰安婦もいなかった。
三島の小説も絵空事、だよな。
そう思ってるのかな? 寂聴訳 谷崎訳 もあるが 外語訳のリアクションとって多言語異言語で
完本なしでやれば?音韻とか 物語の古典シートとか。カラシ二光人 源氏は読んでるかな、谷崎や川端ほど影響はないのは確か 『潮騒』読みました。
ハラハラしましたが、ハッピーエンドで安心しました。 三島最後の晩餐、新橋「末げん」鳥鍋に舌鼓を打つ
帰り際、玄関に見送りに出た。
「靴の紐を結んでいた先生にお声をかけましたら、えっと見上げられて、また来いって言われてもなあ、こんな綺麗な女将がいるなら、あの世からでも来るか!と」 世界一のユーチューバーのPewdiepieが三島をめちゃ推してるのがなんか面白い。 女はよろめかず(中央公論1957年9月)宇野千代との対談 東大って同質のコミュニティーで張って出会いの難度や度胸がないのがガセじゃないの? >>613
古本を買って自炊。
まあ、kindleでは字が小さくなりすぎるとは思うが、10インチのPDF専用端末とかもあるから。 >>615
著作権継承者のダブスタ?
それとも、翻訳出版時に英語版の版権を完全に売渡したのかな? 契約の技術的な問題だろうな
audibleも英語の方が充実というw
笑える ノー賞、名前が出てるだけで有力候補でもなんでもなかったんだね(読売)、
誰だ、そういうでたらめな噂を広めたのは、すっかり本人も周りもその気なっていたらしい、
滑稽とゆうか悲惨とゆうか、伊藤整の推薦が川端受賞の決定打になったらしい、
三人の対談があるが、すべてを知っていて知らん顔して伊藤整は役者やのう >>620
伊藤整は、ノーベル賞の選考委員だったの? 正確には分からんが、スウエーデンの委員会から、川端について日本の文学者に意見を求めたんだろう、伊藤整はたしかペンの会長もしてたんじゃない?
ノーベル賞の選考委員だったのとは違う。 当時、日本人作家のノーベル賞選考に最も強い影響力を持っていたのは、ドナルド・キーン氏じゃないのかな?
もともと米軍の戦略としての日本文学研究者だった。
キーン氏自身も、三島に英訳を急かされたが取り合わなかった旨の述懐をしている。
ノーベル賞にアメリカ政府の意向が強く働くのは、経済学賞だけではないだろう。 三島はノーベル賞とるには若すぎたよ。
そして三島が老年になる前に死ぬのも今から見たら必然だった。
ゆえに三島受賞は結局なかっただろう。 まあ今後も読み継がれるからいいだろう
everyman’s libraryにも入っているし
大江は読まれなさすぎ 大江文学はハイ・ブロウ向き、英語の引用など多い、その点三島は半分婦女子向き、知性を必要としない、その差だ 大江は「個人的な体験」や「芽むしり仔撃ち」ならスラスラ読めるし
英語の引用など多くとも文脈で大意をつかめるかと >>629
>その点三島は半分婦女子向き、知性を必要としない、その差だ
そんな事は無いよ
設定が「婦女子」向けでも
基本的に小理屈こきだから
狂人の破壊衝動も理知で分析してしまおうというのが三島であって 三島も難しい単語とかよく使うし、観念的な言い回しが多いけど、
大江に比べたらずっと「多くの人に読まれたい」感が充満してると思う。 三島は夏子の冒険や潮騒などといった読みやすい小説も書いてるからね 大江も「夜よゆるやかに歩め」という
ハーレクインロマンス風の作品を書いてるよ >>634
へーためになりました
ありがとうございます >>631
「婦女子」は理屈が嫌い、というのは錯覚ですよ。 >>636
じゃあ三島先生の女性一般の分析は錯覚だらけだね >>636
観念的で知的な女は女の化け物なのだ、と言っているよ
ただ女性誌に連載した小説でも
読者は基本的に馬鹿だから細かいところまで書いて説明しないといけない
という信念のもとにある程度は丁寧に書かれている
金儲けが主目的の帆待ち仕事だったとはいえ、
そこら辺はプロであり律儀なんだよ 遠藤周作とか昔の作家の女性論は
そういう人も居たんだなあって読まないと >>639
三島は女のことがわからなかった。
それは作品を見ればすぐにわかること。 女のことがわかるわからない
という論点がマヌケだなあ 昔から女の書けない小説家は一流と認められなかった、
三島は愛の渇き、美徳のよろめき、宴の後、等々において
様々なタイプの女を描き分けているので大したもんだ、 今のアニメは女しか居ないアニメばかりだから、アニメ脚本家の方が三島より凄いんだな >>645
女は理屈嫌いなんじゃないよ。
男の理屈が嫌いなんだ。 >>646
女を理解できれば、もう少し女を掘り下げることができたのにね。 まあ三島の性格は女性的だよ
これは昔から言われてる すべての人間の原形質は女性的なもんよ、男は社会的に造られる
三島は典型的な「男」だ 幼児期から古典文学に造詣の深い祖母に文学的手ほどきを受けて成長した
同世代の男子とではなく妹と遊んでいた
深層にはこういう女性的なものがあり、
これに軍事教育が盛んであった当時の社会風潮が上乗せされる
この男性原理が戦後になると民主化と平和主義によって去勢され
この去勢体験が三島の戦後市民社会に対する「悪意」の原泉となる
男性として生まれたのに女性として育てられた人間が
イメージとしての男性像を社会から強いられ、
それにうまく適合しようと努力して「死」まで決心したのに
20歳を契機として他ならぬ社会から「去勢」される
で、その際には半身とも言うべき妹を病で失う
平岡青年の内面ではものすごい葛藤が生じたと推測できるのだけど
作品にそういう部分は現れてはいない
そういう葛藤が生じなかったといえばそれまでだけど
作品にあらわれないように慎重に作り上げたのだ、ともいえる 妹と遊んでいたという記述はあまり知らないな。
祖母の選んだ近所の行儀のいい女の子を遊び相手としていたというのはあったが。 >>654
言外とは妄想のことなり・・・・ かな? >>654
言外を読めって・・・君の言っていること以外を読んでいたらキリがないではないか 三島は小説家がマスコミのスターだった時代の作家だから、作品以外のインタビューや対談や演説も作品への演出的意味合いもあるだろう。
作品が外部世界との関係において成立してるのは当然のことで、作品の演劇化や戯曲の演出、映画化が時代によって激変するのを見れば分かる。
小説はそれ自体で孤立して成立しているのではない。
654の言外が何か知らないが。
三島は戦前戦中は上田秋成の愛読者だった。つまり彼は元は左翼だった。
だが、秋成みたいなゴシックの感覚を基にして長編小説を書くことは三島には無理
だったような。 言外が読めんようでは三島文学のよい読者とは云えない、これはハッキリしている 三島自体に意味があるわけじゃなくてミシマに喰いこんでいる他者がつづられているのだから、作品自体は三島とは別個のもので、作家がすごいとかそういう田舎な話ではない。他者がつづらせ他者がつづられているといってもよい。作家のアイデンティティ
をまねることでいい作家になれるわけでなく、あくまで交友関係がよいと、交友関係が成功しているわけだ。ミシマはどうあれ。 >>657
三島は日本浪漫派にかぶれてたんだよ・・・・ 「三島由紀夫の11歳の作文」をまとめサイトで見て興味持って
それから有名どころの作家読んでみた、読んだ日本の作家だと
三島>安部公房>大江健三郎>川端康成=志賀直哉で好き
三島と安部はほとんど面白かった、大江は初期の頃が好き、
川端と志賀は文章の素晴らしさはわかるけど自分のレベルでは内容を楽しめなかった。伊豆の踊子や城崎にては好き 作家好き多いね。偏屈者にならないようにね。作家が現れるのは当時の時代背景
や設定に説明がいるときなどだよ。 作家か、作品か、興味深い問題である、
正宗白鳥や小林秀雄の批評以来、作家の人物評論に偏りがちで、作品の独立性は弱い、作品分析は専門的になりがちで難しい、
作家の伝記や評論が好まれる所以だ >>664
小林秀雄の批評が作家の人物評論かねえ・・・? >>668
ドストエフスキーの「生活」、作家の「顔」、ゴッホの「手紙」、小林の関心が
作品より人物にあるのは明らか、作品より作者の方が面白いという感想もどこかにあった、批評の一つの流れは、白鳥に始まり、小林に流れ、江藤淳に終わる。
三島も作品より、人物論に流れるのは自然。 >>671
それが人物、かねえ・・・
生活の断片すら出てこない机上の人物像だよね?
江藤淳は、人物というより、その人の愛憎と生きた時代の風景だと思うけど。
三島には自然なんかどこにもないし、と君の意見の全否定になっちゃうな。 ちなみに、人物という意味では、書ききっているのは山岡荘八だとか吉川英治、現代人対象なら山崎豊子あたりじゃないのかな?
実像とまったく異なるとはしても。 >>673
スマン、山岡荘八、吉川英治、山崎豊子…読んだことがない 小説とは何か、で、小説をテレヴィに取って換わられるラジオの運命にたとえているでワロタ、
当時、最先端だったテレヴィもネットに押され気味、誰でも発信できる時代、今生きていたら、
なんて云うだろうか?電脳小説を書いてるだろうか?
来年歿後50年(大阪万博の年なんだな、95か、存命でも不思議でない) ストークスとかも見た目はもう
死んでるみたいなもんだしなw >電脳小説を書いてるだろうか?
書いてるわけないじゃん。年とったら新しいものへの敵になるつもりだって
言ってたのに。 全集で三島文学の背景っていう三好行雄との対談読んだ
・文士には会わない、自分も社会不適合者だったがそんな人が多すぎる
・三島は卒業証書をもらってない、郵送も不可だったのでもらうもんか
・鹿鳴館は対談した昭和42年には嫌いな作品、サド侯爵とわが友ヒットラーだけでいい
・自分の書いた過去の作品の話は嫌い、金閣寺も
・盾の会始めてから読者が減った
全集は対談とか面白いね、三島は他の作家よりメディアや雑誌にいっぱい出てるし >>679
新しいもの好きで好奇心旺盛だから、インスタやツイッターやりまっくてるかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています