三島由紀夫Part56
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大江は「個人的な体験」や「芽むしり仔撃ち」ならスラスラ読めるし
英語の引用など多くとも文脈で大意をつかめるかと >>629
>その点三島は半分婦女子向き、知性を必要としない、その差だ
そんな事は無いよ
設定が「婦女子」向けでも
基本的に小理屈こきだから
狂人の破壊衝動も理知で分析してしまおうというのが三島であって 三島も難しい単語とかよく使うし、観念的な言い回しが多いけど、
大江に比べたらずっと「多くの人に読まれたい」感が充満してると思う。 三島は夏子の冒険や潮騒などといった読みやすい小説も書いてるからね 大江も「夜よゆるやかに歩め」という
ハーレクインロマンス風の作品を書いてるよ >>634
へーためになりました
ありがとうございます >>631
「婦女子」は理屈が嫌い、というのは錯覚ですよ。 >>636
じゃあ三島先生の女性一般の分析は錯覚だらけだね >>636
観念的で知的な女は女の化け物なのだ、と言っているよ
ただ女性誌に連載した小説でも
読者は基本的に馬鹿だから細かいところまで書いて説明しないといけない
という信念のもとにある程度は丁寧に書かれている
金儲けが主目的の帆待ち仕事だったとはいえ、
そこら辺はプロであり律儀なんだよ 遠藤周作とか昔の作家の女性論は
そういう人も居たんだなあって読まないと >>639
三島は女のことがわからなかった。
それは作品を見ればすぐにわかること。 女のことがわかるわからない
という論点がマヌケだなあ 昔から女の書けない小説家は一流と認められなかった、
三島は愛の渇き、美徳のよろめき、宴の後、等々において
様々なタイプの女を描き分けているので大したもんだ、 今のアニメは女しか居ないアニメばかりだから、アニメ脚本家の方が三島より凄いんだな >>645
女は理屈嫌いなんじゃないよ。
男の理屈が嫌いなんだ。 >>646
女を理解できれば、もう少し女を掘り下げることができたのにね。 まあ三島の性格は女性的だよ
これは昔から言われてる すべての人間の原形質は女性的なもんよ、男は社会的に造られる
三島は典型的な「男」だ 幼児期から古典文学に造詣の深い祖母に文学的手ほどきを受けて成長した
同世代の男子とではなく妹と遊んでいた
深層にはこういう女性的なものがあり、
これに軍事教育が盛んであった当時の社会風潮が上乗せされる
この男性原理が戦後になると民主化と平和主義によって去勢され
この去勢体験が三島の戦後市民社会に対する「悪意」の原泉となる
男性として生まれたのに女性として育てられた人間が
イメージとしての男性像を社会から強いられ、
それにうまく適合しようと努力して「死」まで決心したのに
20歳を契機として他ならぬ社会から「去勢」される
で、その際には半身とも言うべき妹を病で失う
平岡青年の内面ではものすごい葛藤が生じたと推測できるのだけど
作品にそういう部分は現れてはいない
そういう葛藤が生じなかったといえばそれまでだけど
作品にあらわれないように慎重に作り上げたのだ、ともいえる 妹と遊んでいたという記述はあまり知らないな。
祖母の選んだ近所の行儀のいい女の子を遊び相手としていたというのはあったが。 >>654
言外とは妄想のことなり・・・・ かな? >>654
言外を読めって・・・君の言っていること以外を読んでいたらキリがないではないか 三島は小説家がマスコミのスターだった時代の作家だから、作品以外のインタビューや対談や演説も作品への演出的意味合いもあるだろう。
作品が外部世界との関係において成立してるのは当然のことで、作品の演劇化や戯曲の演出、映画化が時代によって激変するのを見れば分かる。
小説はそれ自体で孤立して成立しているのではない。
654の言外が何か知らないが。
三島は戦前戦中は上田秋成の愛読者だった。つまり彼は元は左翼だった。
だが、秋成みたいなゴシックの感覚を基にして長編小説を書くことは三島には無理
だったような。 言外が読めんようでは三島文学のよい読者とは云えない、これはハッキリしている 三島自体に意味があるわけじゃなくてミシマに喰いこんでいる他者がつづられているのだから、作品自体は三島とは別個のもので、作家がすごいとかそういう田舎な話ではない。他者がつづらせ他者がつづられているといってもよい。作家のアイデンティティ
をまねることでいい作家になれるわけでなく、あくまで交友関係がよいと、交友関係が成功しているわけだ。ミシマはどうあれ。 >>657
三島は日本浪漫派にかぶれてたんだよ・・・・ 「三島由紀夫の11歳の作文」をまとめサイトで見て興味持って
それから有名どころの作家読んでみた、読んだ日本の作家だと
三島>安部公房>大江健三郎>川端康成=志賀直哉で好き
三島と安部はほとんど面白かった、大江は初期の頃が好き、
川端と志賀は文章の素晴らしさはわかるけど自分のレベルでは内容を楽しめなかった。伊豆の踊子や城崎にては好き 作家好き多いね。偏屈者にならないようにね。作家が現れるのは当時の時代背景
や設定に説明がいるときなどだよ。 作家か、作品か、興味深い問題である、
正宗白鳥や小林秀雄の批評以来、作家の人物評論に偏りがちで、作品の独立性は弱い、作品分析は専門的になりがちで難しい、
作家の伝記や評論が好まれる所以だ >>664
小林秀雄の批評が作家の人物評論かねえ・・・? >>668
ドストエフスキーの「生活」、作家の「顔」、ゴッホの「手紙」、小林の関心が
作品より人物にあるのは明らか、作品より作者の方が面白いという感想もどこかにあった、批評の一つの流れは、白鳥に始まり、小林に流れ、江藤淳に終わる。
三島も作品より、人物論に流れるのは自然。 >>671
それが人物、かねえ・・・
生活の断片すら出てこない机上の人物像だよね?
江藤淳は、人物というより、その人の愛憎と生きた時代の風景だと思うけど。
三島には自然なんかどこにもないし、と君の意見の全否定になっちゃうな。 ちなみに、人物という意味では、書ききっているのは山岡荘八だとか吉川英治、現代人対象なら山崎豊子あたりじゃないのかな?
実像とまったく異なるとはしても。 >>673
スマン、山岡荘八、吉川英治、山崎豊子…読んだことがない 小説とは何か、で、小説をテレヴィに取って換わられるラジオの運命にたとえているでワロタ、
当時、最先端だったテレヴィもネットに押され気味、誰でも発信できる時代、今生きていたら、
なんて云うだろうか?電脳小説を書いてるだろうか?
来年歿後50年(大阪万博の年なんだな、95か、存命でも不思議でない) ストークスとかも見た目はもう
死んでるみたいなもんだしなw >電脳小説を書いてるだろうか?
書いてるわけないじゃん。年とったら新しいものへの敵になるつもりだって
言ってたのに。 全集で三島文学の背景っていう三好行雄との対談読んだ
・文士には会わない、自分も社会不適合者だったがそんな人が多すぎる
・三島は卒業証書をもらってない、郵送も不可だったのでもらうもんか
・鹿鳴館は対談した昭和42年には嫌いな作品、サド侯爵とわが友ヒットラーだけでいい
・自分の書いた過去の作品の話は嫌い、金閣寺も
・盾の会始めてから読者が減った
全集は対談とか面白いね、三島は他の作家よりメディアや雑誌にいっぱい出てるし >>679
新しいもの好きで好奇心旺盛だから、インスタやツイッターやりまっくてるかも >>684
作家のイメージなんか当てにならんよ、そんな単細胞じゃない
大江みたいに戦後民主主義者を頑固に守り続けるのは珍しい いま三島が生きてたら確実に政権批判してたと思うよ。単に右翼と言うだけじゃなくて三島の政治的関心がどこにあったのか考えてみればわかる。 >>687
三島というのはサービス精神の旺盛なモダニストだろうね。
ただし、自分が死ぬ口実を探し続けていたという、ロマンチックなモダニスト。 >>691
現代風の意味では、批判は非難、批評はおべんちゃら。 >>691
批評的な批判も批判的な批評もあるけど、批評=批判ではない。 >>694
三島の政治的関心がどこにあったのか知りたい >>698
お前みたいなふざけたコテの奴には教えねえ >>700
書き込んでて自分の事言ってるみたいと思わなかった? >>699
読んだ
でもこれを現実世界に照らし合わせるには難しすぎる >>704
ちょっとまったーーー
三島から政治を切り離したら、ただの三文文士だぞ? 単なる政治的な三文文士だったらビョークやデビッドボウイが感動したりしないぇしょ >>706
三文文士だからビョークやデビッドボウイが感動したんだろ?
大衆が感動するためには知性を失っていないといけない。 >>707
三文文士なのか三文文士じゃないのかあなたの意見は? >>709
三文文士だと思うな。
人間の洞察が浅い、大衆作家。 >>710
ビョークやデビッドボウイは「大衆」なのか? >>710
>人間の洞察が浅い、大衆作家
?
人間洞察が浅いと大衆受けするわけ?
大衆ほど自分たちの隣人のえげつない本性を
本能的に察知していると思うけどね
洞察力が低いのは知性の欠如という論立てはまあ良いとして
三島の場合は非知の部分を理知で割り切ろうとしたので
大衆の理知外の部分にはあえて目をつぶった
それゆえに例えば深沢七郎のような作家には脅威を感じる
ということは三島の理知は大衆の愚劣さにたいして盲目では無かったということで
単に倫理的なだけだったと思うけどね
それは賢さはもちろん育ちの良さもあるでしょう
それが文学的にいいかどうかは別としてね >>704
三島由紀夫のファンであって君のファンではないから行かないよ しかし失礼な言い方のレスの中に貼ってるリンクなんて行く奴いるの? まあ5ちゃんのレスなんて半分以上自慰だしい
三島がミスター自慰なのは文句なし
カメコクは自慰をテーマにした小説だし
結局実際の死に方も自慰だったと思う
他者つか「現実世界」があのときの市谷にはなかった。
野次られ倒されたことがそれを証明している 生存のために他者と共有する認識のことさ。
吉本隆明や岸田秀を出すまでもなく、それもまた幻想と言えばそうかもしれないが
三島事件などは楯の会の5人が共有しているだけのものにしかすぎなかった。
だから大勢には野次られた。「何言ってんだよおまえ」って。 そんなもん共有してる前提でなんか行ってるわけないじゃん
三島の見ている世界は豊饒の海の最後の場面のようなもんだろう >>714
>三島の理知は大衆の愚劣さにたいして盲目では無かった
檄文もそうだが、盾の会の行動そのものが大衆的な美意識による愛国心からできていた。
愚劣さを愛したのではなく、死の渇望によるニヒリズムの迷宮にとらわれていたといった方が近いだろう。
三島に倫理性はまったくなかった。 大衆の愚劣さ とか 大衆的 とかいう言い方でマウントとれる構造自体がいわば「大衆的」なことだよな
自分もその円環の中にいるのに、それと気付かないままに誰でもそういうことは言えてしまう
で、三島がいたのはその円環の外側だ >>724
大衆性とは生活のこと。
誰であれ生活はしている。
大衆の愚劣さとは、自身が生活から得た知識を知的水準の高いものだと思い込むこと。
芸人や企業の経営者などによくみられる。
三島は大衆の愚劣さの上澄みである大衆的な美意識の依拠し、それを天皇や国家に結び付けた。
たしかに円環の外側には違いない。 >大衆の愚劣さとは、自身が生活から得た知識を知的水準の高いものだと思い込むこと。 芸人や企業の経営者などによくみられる。
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