中村光夫の、日本文学は二葉亭四迷や「破戒」からやり直すべきという問題提起はいまだに有効だと思うんだがどうなのかね
震災文学云々で思い出したけど、こないだの美しい顔だっけ? 完全に私小説リアリズムだったやろ。なんと言おうと震災なんて
大きなテーマ書く際に私小説リアリズムじゃ限界ありすぎると思うんだよな。なのになんで皆、誰に教わった訳でもなかろうに、
小説を書こうとすると私小説のフォーマットに落ち着くんだろうか。又吉火花、紗倉まなのやつ、ああいうのもみんなそうやんけ
私小説は短歌に源流があるという説もあるから、日本人には一番しっくりくるのかわからんが、表現形式としてやっぱり狭いし有効期限切れじゃないのかね。どうなのよ