【早稲田大学】渡部直己8【俺の女になれ】
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大学生ってフランス語の用語ブンブンするバカに
騙されるからなあ
俺もそうだった >>250 訂正 誤って送信されてしまった。
渡辺→渡辺ね。続ける。渡辺は 批評家のはずだ。 批評家というのは 小説のハウツー本書くことじゃない。 そんなものが書けるなら自分で書いてみろ。 大学の文芸科がいかにいい加減かという証拠。
それともアランや ロランバルト や小林秀雄や吉本隆明や 柄谷行人が 小説のハウツー本だしたか? 救い難いクズ。 俺はエクリチュールについてしばらく考えた。
バルトやデリダも明解に定義できなかったエクリチュールこそ、天才の俺が定義するに
ふさわしい。
無論、渡部直己や多和田葉子、市川真人ら早稲田文学の連中や東大の蓮實重彦や
松田寿輝らには手も足も出ないエクリチュールとは何か。
大体はエクリチュールの起源は古代ギリシャ対ペルシアのサラミスの海戦時にギリシャの
将軍テミストクレスの家奴隷でドラゴマン(通訳交渉掛かり)を任されて活躍した
Sicinnusだろう。
これを機に古代ギリシャの民主主義が起こった?
古代ギリシャ人がバーバリアンと呼んできた民族たちの主力はペルシャ人であり、
オクシダントの代表として彼等蛮人との対決の中でエクリチュールは多分、発生した。 新垣隆
「私は、お金とか名声が欲しいのではありませんでした。佐村河内の依頼は現代音楽ではなく、調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」
「彼の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。どうせ売れるわけはない、という思いもありました」
「自分が作曲した作品が、映画音楽であれゲーム音楽であれ、多くの人に聴いてもらえる。その反響を聴くことができる。そのことが純粋に嬉しかったのです」
蓮實重彦
「黒田さん(の作品)は傑作であり、私の書いたものは到底傑作といえるものではありません。
あの程度のものなら、私のように散文のフィクションの研究をしているものであれば、いつでも書けるもの。あの程度の作品というのは相対的に優れたものでしかないと思っております。」
渡部直己
「俺の女になれ」 中沢忠之
渡部直己のセクハラ問題であれほど騒いだ人たちが、会田誠氏のセクハラ問題は我関せず。
ジャンルが違えばどうでもいいのか? 文学と美術はジャンル的にけっこう近いけどね。
セクハラなんて本当はどうでもいいんだろう?w
田畑暁生(Akeo Tabata)
全く種類の違う問題だと思うが・・・
中沢忠之
おっしゃる通りです。
いちおう話しておこうかな。
会田誠氏の件は、セクハラ認定は外からは判断しようがないところがあるので、
僕には当の作家がどういう態度を示すのかだけに興味がありました。
会田氏の態度は以前の筒井康隆氏てんかん差別問題の時とけっこう似てると思いました。
てんかん差別問題も表現の自由の問題とともに、教科書問題でもあったんですね、
会田氏は、美術(文学)とはこうあるべきだという思いがあるんじゃないかな。
それはやはりジャンル聖域論だと思います。どこでも自分の作品は通用する。
僕は、表現はどんなジャンルであれ、
そのつどの文脈のレギュレーションがあって、それを読み込みながら発していくものではないかと思います。
Aという場所ならここまでできるけど、Bはここまでおさえよう、とかね。
ホワイトキューブも、学校の授業も、自分の作品は普遍的に受け入れられるべきというスタンスは、
僕には理解できません。
2019年3月8日 荒木優太(本が出たよ)
昨日も雑談で喋ったけど、批判すべき対象ってこの世にごまんといるわけだけど、
批判文書いても商業主義的な誌面には載らないし、ってことはネットのボランタリーでやるしかないんだけど、
それやったからってウゼー奴だって原稿依頼も来なくなるし、俺の人生は有限だし、やる動機づけって皆無なんだよな
著者や編集者や出版社が改心するわけでもないし。で、真っ当な批判がなくなるとどうなるかっていうと、
匿名の悪口合戦と集団クレームで敵認定した奴を量的につぶすって方向しかなくなるんだよ。
「ここまではいい/ここ先は大いに問題だ、なぜならば〜」という批判(分割)が全くできなくなる。
こういうことの積み重ねが、世の中をどんどん悪くしていると思うが、別に悪くなってもよくね?
ってみんな思ってるんなら、まあやっぱりどうでもいいことかもしれない。
考えてみりゃ、俺も義侠心が強いわけでもないしな。
2019年3月6日
坂上秋成
真面目な話、セクハラヤジを封殺「できてしまう」というのは、
世論に対して「どうせそろそろお前らこの話題忘れるんでしょ」っていう感覚が監査役に働いてるからだと思います。
しつこく言い続けないと大概の物事はもみ消されますよね。
相当好きなアニメキャラがいても放送が終わって次クールになると存在ごと忘れられるあの現象と
セクハラヤジもみ消しは似ていると勝手に思っている。
2014年6月25日
僕は最初に好きになった作家が春樹と太宰で、
初めて驚愕した作家が安部公房という感じなので渡部さんの話を複雑な気持ちで聞いていましたw
2015年7月21日
初めて市川真人さんとお会いした時に(たぶん講演会の司会頼みに行った)、
大学の先生やってる人だから「市川先生」でいいかなくらいの気持ちでいたら
「僕は君の先生じゃないからその呼び方はやめなさい」とばっさり切られたのを思い出す。
市川さんには色々教わってるなあ…
2019年3月4日 大学の先生の、先生と呼ぶな話ってウザいよなあ
結構経験あるわ
先生的プライドの最たるものw 朝日新聞の選ぶ平成の30冊 。その中に村上春樹が2冊入っている。 渡部直己に 感想を聞いてみたい。 世間一般の評価が間違っているのか それとも渡部が批評家として無能なのか? もちろん俺は渡部が無能だと思っているが。 「あかちん小僧」というのが渡部の春樹評で
かすり傷ていどの傷口に大げさに"あかちん”を塗って同情をかうという作風だそうだ
たしかにその通りなんだけど文学作品なんてほとんどそんなものだし
じゃあ、ソルジェニーツィンやヴィーゼルのような極限状態に置かれた人間の作品が
その題材ゆえにすぐれているかというとそうでもない(もちろんこの二氏の作品は傑作ですが)
たとえ夫婦の不和や兄弟間のいがみ合いていどのよくある不幸であっても
そこから人間存在の核心のようなものをくみ上げられるかどうかであって
ほんとうに批判が表面的なものなんだよね 「中上健次が村上春樹よりずっと優れている」という評価の定着に失敗したよね
それだけで渡部直己は挫折した批評家といえる >>260 渡部よりスガに より強くあるが 連中は68年の学生運動を神聖化している。『 ノルウェイの森』 その他で 学生運動を批判した村上が許せないだけだ。
だがさすがにそれだけだと格好がつかないから後から他の理由 適当に並べてるだけ。 ついでに言うと呉智英も 村上のことを学生の読み物と書いてる。 学生運動に熱中したやつは 批判的な村上が 許せないのだろう。 渡部がやめた途端に村上春樹が資料を早稲田に寄贈したように見えるんだけど、偶然の一致?
そしてその資料を誰が管理するんだろう?
市川真人? >>262
さすがにそこまで幼稚だとは思いたくない。ところで村上春樹ってそんなにいいか? ヒップホップに問題はあるけど、大人が熱中するようなもんだよ。 >>264 そこまで幼稚だ。 どこか大きな書店 洋書売場覗いてみろ。 英語はもちろんだが その他のほとんどの言語で村上が置いてある。 そんな簡単な事実も認めないでどうする。 批評なんて自分を棚に上げなきゃ出来ないが小説書くためのハウツー本書くのはさすがに厚顔無恥だわなw 何々は幼稚だから研究する価値がない、という発想は呪術的だよ。
歴史家でいうなら、権力者や大宗教のような権威ある対象を扱わないと価値がない、
みたいなしょうもない発想 >>270 渡部やスガは幼稚というよりアブク。 ほっといてもいずれは消えていた。 >>268
いや、少年ジャンプの翻訳だって沢山置いてあるでしょ。 >>272 村上春樹の小説と 少年ジャンプのワンピースが例えば同じだと思っているならお前と話すことはない。 >>273
そんな事は言ってないけど、例として意味がないでしょう、という事を言ってるわけよ。 >>275 月並みな台詞しか浮かばないのか。 少年ジャンプの漫画 だから馬鹿にしたのではない。 諸星大二郎だって少年ジャンプには書いていた。 いくらでも馬鹿にする。 あの絵じゃ馬鹿にされても文句は言えまい。 >>262
>学生運動に熱中したやつは 批判的な村上が 許せないのだろう。
批判的かな?
コロニーやヒッピー文化の盛り上がりを
追憶的に書いていて
その退潮後に台頭し始めた高度消費社会に対して
批判的なのだとは思うけど
そういう意味では中上も似たような問題意識だけど
前近代社会的「路地」を拠点に暴力と聖性による神話的世界を構築している
しかしその暴力性や文章のみに注目して春樹的ストーリーテリングを
退けるのに「あかちん小僧」というのは無いね
村上はもちろん贔屓の中上に対する評価も皮相的なんだな
中上の神話的世界と文章も路地の崩壊と都市経済への移行に伴って
どんどん文章も劣化して劇画的描写に堕していく
この変転は渡部たちの批評方法ではうまくまとめられないよ
仮に現代社会批判と見た場合、春樹の方が中上より批評性が高くなるし
エクリチュールと見た場合もパワーダウンと言わざるを得ない
実際、柄谷は資本主義的差異への移行に伴う変容と言い
その転換点である「奇蹟」に対して高評価を与えている
しかしそうなると「奇蹟」後の作品は評価出来ないわけだね
まあ、そんなことはないんだけどね
しょせん批評家のいいそうなことだけどさ 例えば明治時代の文芸評論家で 夏目漱石は森鴎外をまるで認めなかった奴がいたら そいつは無能だ。 平成は 村上春樹の時代だった。 それを認めない渡部やスガは 論ずるに値しないクズの批評家と言っていいと思うが。 理論武装以前に村上春樹が嫌いなのはリアルタイムで
バカにしていたのに世界的な大作家になったからだろう
パティスミスのような日本人には雲の上のような
文化人がファンだからな
妬みだよ フローベールのボヴァリー夫人も物語というか内容は馬鹿女のくっだらない話じゃないの
ウルフの灯台へだってある意味たわいもないことを延々と 作家が描く女性の無駄なおしゃべりは文学史上重要
オースティンとか荒地も
テクニックの見せ所だろう >>279 村上は デビュー以来概ね批評家の評価は高かった。 もちろん批判的な批評家もいただろうが渡部やスガみたいに 全く認めないというのは嫉妬を 通り越して狂気すら感じる。 60半ばで20代の女子大生に「 俺の女になれ」 いうのと似ている感じ。 レヴィナス倫理学が専門の内田樹によると
教育現場とは無知の知という知に対する飽くなき探求心を媒介として
教師と生徒が知的「欲望」によってつながるエロティックな場だそうだ
かかる意味あいでは教師と生徒はつねに教師と危険な状態にあるのだが
こういう事情に鈍感で威張り散らす人間ほどアカハラの当事者になりやすいそうだ
渡部に関してこの分析が見事にあてはまるような気がする
なお、内田によると教師とは知的である必要はなく
「知的である」と見られたいと切望しているだけでも良いらしい まあ内田もちょっとした批判をした弟子を
一方的に破門したりパワハラ体質だけどね 春樹は英訳で主要作は全部持っているけど
ジャンル小説ではないにも関わらず
かなりのページターナーだと思う
その様式は巨匠の自己模倣もうべなるかな
今も好きな作家ではないが
均整重視のイシグロよりも評価している 『 鈍感で威張り散らす体質』スガと渡部のバカコンビにぴったりのセリフ。 中上健次にも当てはまるな。 これが文学者渡部直己の最後の言葉になっちゃうの?
――「おれの女になれ」と発言したのか。
「そのような言い方ではなかったと思う。過度な愛着の証明をしたと思います。私はつい、その才能を感じると、目の前にいるのが学生であること忘れてしまう、ということだと思います」
――そうした発言は本当にないのか。
「過度な求愛を……。その時は卒業したらといったと思いますが、『おれの女に』といったとは覚えていませんが……」
――彼女に対して恋愛感情があったのか。
「(だまってうなずく)」
――発言は、男女関係になってほしい、という意図だったのか。
「そうではない。付き合ってくれという意味じゃないでしょうか。付き合うというか、卒業してもこうやって指導できたらいいということ」
――付き合うと指導は別のことでは。
「教師として不適格かもしれないが、相手が生徒であることをすぐ忘れてしまう。過去にそういう事例があったかは学校に説明します」
――今回の行為を問題だと考えているのか。
「教師としての資格はない。学校の処分をまって、身を処したい」
――具体的には辞めることも考えているのか。
「はい」 たとえば川上未映子は教える/教えられる
という関係の非対称性が権力関係に発展して
そこに「性」が絡んだと説明しているが
内田樹の説明の方がよっぽど納得できる
渡部の方に罪の意識がないことからもそれは明らかで
仮に渡部が男色家で男子生徒が相手だったのなら
件の女性に対しておこなったことでも
うるわしき師弟愛としてスルーされたことだろう
セクハラ防止ということで
この種のエロティックな関係性を全面的に禁止した場合
内田が指摘するように教育という営為が機能しなくなる可能性が高い
であるのなら教育のエロス的本質を自覚した上で慎重に行動した方が良い
さすれば内田のように卒業後数十年経過ののち
教え子を妻に迎え入れても世間からは非難されない
むしろ美談にすらなる
内田と渡部の違いは何かと言うと
慎重で自覚的であったかどうかということと
あとは知性の問題だろう
内田が言うように教師とは知的虚栄心さえあればおkというわけでもない >>289
俺の女になれ、はダメですよという規範順守
は楽だし教育も機能する
頭デッカチに考えるなよ
女が悩んでセクハラ相談に駆け込むようなことは
するなというだけだ
今も男女の教育的師弟愛は世界中の大学で機能している
全面的禁止なんて抽象論で語っても無意味
現実の学校企業のセクハラ対策を見てみろよ スガ秀実のように 悪いのはポリティカルコレクトネス CIA と KGB の陰謀。 堂々とツイートしてるバカもいるんだから。 pabulum
サークル員が様々なかたちで関わった『蒼生2019』が完成しました!!
https://pbs.twimg.com/media/D1d0ZPhVsAEtVPX.jpg
小池みき
早稲田の学生が発行した機関紙『蒼生2019』、
笙野頼子さんとトミヤマユキコさんが書いている「文学とハラスメント」特集読みたい。
渡部直己のセクハラ事件からだいぶ経つけど、忘れてないぞ。
早大名物教授「過度な求愛」セクハラ疑惑 別の教授は「口外するな」と要望か
モモチ
早稲田大学の学生誌『蒼生2019』の特集「文学とハラスメント」に、
笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」が掲載されています。
これ渡部直己セクハラ問題だよね?学生自ら特集するとはすごい。将来有望。
誰の記事かわからんけど「ハラスメント紋切型辞典」もキレキレらしい。読みたい!
2019年3月12日 へえ面白そうだね
機関紙か、通販とかでも買えんの? こういうのは非営利だから金取れないはず
早稲田の学生にツテがあればもらえるのでは 「『文学とハラスメント』、この特集を通して私たち自身も新たなハラスメント被害者となりました。特集の成立過程そのものが、ハラスメントとの戦いでした」。
要は、この特集(もちろん学生発案)を機関紙に載せさせないように、担当教員があの手この手で制作を妨害したんだと。恥知らずすぎるわ。
この教員ってのは、笙野頼子氏がはっきり書いているしいろんな人が至る所で言及しているから私も遠慮なく書くけど市川真人氏のことね。
学生がハラスメント特集をしたいと提案したのを無視し、機関紙の内容を一方的に教員から通達、謎の休講……驚いた、文ジャの先生がそんなことするのかと。 この特集を組もうとしたところ、一部からすごい勢いで止められたという話が衝撃的。 それを乗り越えての刊行に心からの賛辞を贈ります! …市川真人氏については、もはや憤りを通り越して唖然。
要するに、ハラスメントを批判する特集を組もうとした学生さんたち(男女)が、教授(男女)からそれを妨害されるというハラスメントに遭った、という話。
ハラスメントが、個人間だけの問題ではなく、とことんまで社会的、構造的、力関係的なものでもあることを図らずも浮き彫りにした事案でもある。
この教授(男女)の女って誰だろ 1/6 市川真人「拝復 笙野頼子様」(拝復 笙野頼子様 このたびは)
それからもうひとつ、これもとても大事なことですが、渡部直己氏によるハラスメント案件については、
ぼくも、きわめて強い失望と憤りを持っています。ぼくは今日までその件について公には何も言いませんでしたが、
特定のネット記事が疑ったような「口止め」や「授業中のセクハラの容認発言」などは、
一切するはずがありませんし、していません。教え子でもあった被害学生の心配も変わらずしています。
教員は、学生に与える構造的な影響力を自覚し、そのことを前提にできるかぎり公正に振る舞わないといけない
――渡部氏はじめ他の教員の振る舞いにまでは責任は負えませんが、ぼく個人は、つねづね学生にそう言い、
そうあろうとしてきました。この話は別稿にまわしますが、そのような前提のもと、以下のお返事をいたします。 『蒼生2019』、興味深いですなあ。
非営利ならばウェブで一部でも読めるような態勢になってほしいな。
大事な問題を広く知ってほしいという学生の気持ちに教員が応えないでどうするの?
市川さんも問題をより多くの人に知ってほしいですよね?w 早稲田大学文学学術院文ジャの演習で制作された機関紙、『蒼生2019』読了。通信機器を置いてカフェに行って集中して読んだ。
「文学とハラスメント」特集は読みながら怒りに震えた。まずはこれを出し切った学生さんたちに惜しみない賛辞を。
教員たちの工夫の甲斐あり、特集に使えるページはわずか10ページほどに。「それでも僕は市川批判なしにはこの特集を出しません。
市川批判なしには、卒業しません」と企画発案者の学生さんは笙野頼子氏に伝え、徹底抗戦を宣言。
それに対して笙野氏「よく言った」。これこそ文学の希望だね。
小池みき@monokirk 「文学とハラスメント」特集掲載の文ジャ『蒼生 2019』は例年どおりであれば早稲田大学中央図書館に
所蔵されるはずなので後日拝読いたしますが、かつて学生時代に蒼生の授業に参加して編集した者として、
市川氏のnoteの一方的な授業観・雑誌観による主張と"誤解"という言葉遣いにもやもやしています。
鳳梨紫月@PineDrop_wonder
早稲田大学の学内誌「蒼生2019」が、「文学とハラスメント」という特集を組み、
笙野頼子が寄稿しているとのこと。市川真人を名指しで批判しているらしいのですが。
永遠@awzotp
早稲田大学の学生たちがつくった『蒼生 2019』の「文学とハラスメント」特集。巻頭言は
〈雑誌を作り上げていく過程で、私たち自身も担当教員からハラスメントを受けました〉から始まる。
担当教員の妨害に耐えて、この特集を世に出した学生(と彼らを応援したであろう人や書き手)にお礼が言いたい。
竹田純(編集)@TJ_paki 罪無
@tuminashi
この件に関しては知り合いから、正義感に酔った学生が暴走してるとの話を聞いたから静観してます。
おおよそ聞いてた話とnoteの記載が一致してるんだよなぁ。雑誌読んでないからフェアに判断できないし
市川真人の肩持つつもりまったくないけれど僕は雑誌の方がどうかしていると思うよ。
渡部直巳擁護とかじゃなくてね。
2019年3月15日
食
文ジャコース誌の『蒼生』をいただき、「文学とハラスメント特集」を拝読しました。
前文と笙野頼子さんの文にあるように、ハラスメントについて考える場として企画を組んだら、
担当教員から妨害と二次加害が行われたとのことで、とても腹立たしく悲しいことだと思いました。
https://pbs.twimg.com/media/D1sKmRjUcAAwCb4.jpg
教師としての立場から生徒へ妨害行為を行うことは、権力の高低差を利用したハラスメントだと思います。
当該教員市川は6月の訓戒に対し、教室内で「藪の中」を引用して
「認識は個々人のものだから」と発言をしてましたが、教員という立場とその構造は紛れもなく存在してます。
たとえ個人が認識の差を持っていたとしても、権力の立場にある人間が、
権力差を利用した抑圧行動をとったとすれば、被害者・加害者の認識如何に関わらずパワハラです。
前回も今回も認識のすれ違いでことを語れないと思います。
(実務的にも関係的にも教師の優越があり、それを利用して抑圧してるので)
2019年3月15日 面白くなってきた
渡部じゃなく市川がやらかしてるわけでしょ 市川も渡部並みに掘り出したら色々出て来るから市川も握り潰すわな自分の地位が揺らぐからなあ 市川のよくわからん文章読んだけど、握りつぶす動きはなんらかの形でやってて、けど「君たちのためだ」みたいに学生をガキ扱いしてることはわかる
なんかやばいやつっぽいこともわかるわ
笙野頼子媚びがねっとりしてる この教員ってのは、笙野頼子氏がはっきり書いているしいろんな人が至る所で言及しているから私も遠慮なく書くけど市川真人氏のことね。
学生がハラスメント特集をしたいと提案したのを無視し、機関紙の内容を一方的に教員から通達、謎の休講……驚いた、文ジャの先生がそんなことするのかと。
From: monokirk >>293 10月5日「 昨今の様々なポリコレ触りは 資本主義自由と」 後は自分で確認してくれ。 ノートざっと読んだけど、学科の教員にもたくさん敵がいるんだな
学生にも同僚にも疎まれて、大変だ 無駄に長いよな市川
言い訳に見えてしまうぜ
隠蔽しようとしたことは事実なんだろ 安倍晋三の不誠実さとあまり変わらないじゃん渡部直己↓
――発言は、男女関係になってほしい、という意図だったのか。
「そうではない。付き合ってくれという意味じゃないでしょうか。付き合うというか、卒業してもこうやって指導できたらいいということ」
――付き合うと指導は別のことでは。
「教師として不適格かもしれないが、相手が生徒であることをすぐ忘れてしまう。過去にそういう事例があったかは学校に説明します」 しかし雑誌つくるクラスで担当教員が
嫌がらせって聞いたことねえなw Syou -eh-
@sahara_jyou
蒼生について、少し書きます
僕は『蒼生2019』の製作に「ハラスメントと文学」以外の担当として関わりました。
ほぼ全ての講義に出席したと思います。そのいち受講者として、この文章は、憶測や推定に過ぎない点について、
最初からクロに違いないという目線で書かれており、非常に危険なものを感じます。
まず 渡部教授のセクハラについて扱いたいと初回に書いたら無視されたという点ですが、
あれは全員に対し 試しに何か書いてみて、という軽い感覚で問いかけられたもので、
文章ではさもセクハラについて書いたら封殺されたとなっていますが、
何を書いた人も特にその後触れられていません。僕もそうでした
また突然の休講も、さも隠蔽に奔走していたように書かれていますが、急な休講は他でもしばしあります。
また代わりに現れた市川教授が弾圧をしたとありましたが、
「今日は休講、忙しい人は帰っていいよ」と言ってからゆるく講義、という感じであり、
本気で弾圧をしたかったならそういう意味がありません
笙野頼子氏にセクハラに関して寄稿を戴けそうだ、と講義内でK先生に報告した際も、
へぇ、すごい人にもらえそうだね、と難色を示すとは寧ろ逆の反応だったのを僕は覚えています。
要するに、あの文章は証拠がない点を完全に教授に悪くしか読めないように書かれており、
確実性と公平性に欠きます。講義を受けていれば「えっ?あれをそうとったの?」と疑問を持ちながら読めますが、
そうではないと100%教授が悪く見えます 本気でセクハラについて扱いたかったならば、真正面から教授に相談すればよかったと思うし、
そこではっきりと弾圧されたなら、そこで始めて名前も出して非難すればよかったはずです。
憶測や推定だけで実名を出して非難した判断に、同じ受講生として良識を疑っています。
当初ドライブで共有された原稿を読み、酷いな、と思いましたが学内の限定配布で、
そう影響はないと思うことにしました。
しかしTwitterで、それなりに影響力のある方までもがあの文章だけを読んで教授に恥知らず、
などといった非難をされているのを見て、居た堪れなくなった次第です。
教授の反論は某氏のように立場が上の人が〜、となるのであれば、学生からも発信するしかありません。
『蒼生 2019』、文学とハラスメント、について、文章を鵜呑みにするのでなく、
少し懐疑心を持って読んでいただきたいと思う次第です。
個人的には、教授たちは学生のやりたいことに協力的で、講義外の時間もたくさん雑誌作りに関しご指導いただき、
熱心に取り組まれていたと思うので、あのように悪し様に言われてしまっていることに胸が痛みます。
多くの人にこの文が読まれてほしいとは思いませんが、教授にどこかで届けばいいと思います
大切なことですが、僕もセクハラ、その隠蔽が許されるとは思っていません。
無論、隠蔽した大人たちも罰されるべきです。
しかし、今回の講義でのことから教授たちがその大人だ、と判断することは極めて早計であり、
却って被害者を増やす結果になるのではないかと、僕は危惧しています。以上です。
2019年3月15日 蒼生というと、何か政治家の江田五月らの構造改革派「蒼生」と関係あるのかと疑ってしまう。まあ、背景は色々あるんだろう。1969年創刊当時の早稲田は荒れていたはず。
蒼生2019が笙野頼子の寄稿を要請したというのは当然か。
渡部セクハラ事件では女子院生が最初に早稲田の当局に相談した時点で渡部が強気だったことや、問題発覚当初の市川の余裕ある態度を見ると、やはり文芸出版や出版業界全体での早稲田のシェアの大きさが渡部や市川の太々しさの背景にあると思わざるを得ない。
渡部セクハラ問題で踏み込んだ発言をするには出版業界全部を敵にして渡り合うぐらいの覚悟がなきゃ無理。
その点の度胸で、笙野に蒼生編集部は目を付けたんだろうが。
その他じゃ、新潮社と大喧嘩した佐藤亜紀にも寄稿を頼めば良かったw
柄谷も思想家を名乗るんなら、新潮社や早稲田の悪口言ってみろよ。悪徳新潮社を批判できないで何が思想家だ、笑わせろw
出版業界全体で早稲田出身学生の採用を10年ぐらい自粛しろ。
そうでもしないと、出版業界が正常化しない。 そういう早稲田全部クズ論が市川を延命させる
追放論が出たらそれは後押ししてやれや 随分強い言い方だね
> 小誌編集室では、上記記事の書かれた直後から、制作に携わる複数教員に事情を確認し、
>記事には事実と異なる点があること、特に口止めとされる行為に関しては事実誤認であること
>などの明確な説明を得るとともに、小誌をめぐる事実と異なる風説等に関してと、小誌の実際
>の状況について、公に説明する時期と手段を検討しておりました。
http://www.bungaku.net/wasebun/info/20190315.html 早稲田の文芸科卒業だと『業界』に就職できるのか?それであんな馬鹿の講義我慢して聞いていたのか? >>333
出来ないよ。無名の大学よりは出身者が多いからOB訪問その他で有利程度なんじゃないかな。でも、自分の大学の後輩だから推薦する、みたいな奴は多分仕事できないだろうし軽蔑されるのではないか。 あと、セクハラ大学のOB訪問は洗礼の危険があるよねw 岩波なんかは「紹介以外受け付けねー」って言ってるよね。今は知らんけど。それでもさすがに大学で人を見るような人はいないんじゃないかと思いたい。 それは業界を知らなすぎだなあ
メディアやアート系には新興以外学閥がある
受験じゃあるまいし全てにおいて
信頼できる縁故、紹介が優先 そういうのがガンガン肌で感じられる
大学出だと思ってたわ そんなにバカ多いのかな?アクセスの手段が多いとしても、結局ほとんどの奴が無理だと思うが。人で見るんじゃないの。 渡部直己がコカインで逮捕されたとしたら全力で支援したのにな。なんでコカインやらないのか意味不明だよ。コカインやろうよ。>作家たち それで今より良い作品が書けるなら、迷わずやるけどな。捕まって失うもんなんかないよ。裁判から収監まで、すべてあなた自身の素材になる。 コカインの裁判で「私は反省しない。利巧な奴は反省するがよい」って言ったら伝説になるのにな。やれ。迷わずに。 フロイトや折口信夫をコカイン中毒として断罪する奴なんていないからな 意識を変容させる事が必要なんだ。今の社会で自分の視点からだけでものを見るというのは危険だよ。それも文壇みたいなクソ狭い特権意識に満ちたド田舎に暮らしているんだからさ。それに影響されない視点を持ちたい、とか思わないのか。きっと思わないんだろうな。 ま、多くの薬物中毒者が陰謀論に走るけど、それ以外の方向性だって絶対あるんだよ。海外はみんなやってるよ?なんでやらないのかね?って中上健次と坂本龍一が言ってた(村上龍の小説が素晴らしいという意味ではない)けど、ほんとそうだよ。自分の身体で実験しようよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています