なぜ君たちは正宗白鳥を忘れたのか
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小林秀雄との「思想と実生活」論争が、「テキストとテキスト外」のアナログに
なってるという気はするし、一方で現代の作家はツイッターをやるものが多く、
出版記念のイベントで読者と交流する場合も多いし、概して作品に関わりない
メディアへの露出も増えてる。
さらに、ネット検索では作者名や作品名よりも、本の中身のフレーズで検索した方が
該当のコンテンツを的確に探し当てられるという事情も出てきた。
つまり、匿名性の浮上だ。
ところが一方で、蓮實の最近の出版に際してのヘンテコな会見とか、渡部直己のセクハラとか、テキスト論者自身が作品外の言動で目立とうとするのは如何なものか。
しかも、セクハラ発覚後の渡部の黙秘や早稲田の隠蔽は醜いとしか言いようがない。 東大どまりじゃあなあ。昔の標準的な大学で会って理想的な権威ではない帝大。 教科書の文学史では厭世思想の文学や虚無主義で片付けられている
同種の漱石や太宰だとなんとか作品論を展開できるのだけど
白鳥だとお手上げなのね
世間にありふれた現世的労苦を虚無感に転換するには思想が必要であり
この種の思想を理解できる人間は少ない 終生勉強家なのは感じる
小林みたいに奥義は開かなかった 漱石を評価しなかったから干されているね。
正宗白鳥といい、岩野泡鳴といい。 漱石が文壇で評価され始めたのは戦後でしょう
それで正宗ほどキャリアのあった作家が干されるかなあ 大正時代は自然主義文学が盛んだったからね。
調子に乗って漱石の悪口を言っていた連中はあとでしっぺ返しを食らうことになる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています