【創価・学術立ち入り禁止】 ドストエフスキー @
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ドストエフスキーを真面目に語り合うスレ。
キチのソーカと学術は立ち入り禁止!
馬鹿がうつるからw 米川正夫のドスト全集はもう重版されることはないな。
かなしい。 登場人物は人殺し、ロリコン、変質者、アル中、肺病病み、貧乏人、娼婦。
ドストエフスキー作品には読了後の何とも言えぬ余韻というものがない。 再読する度に翻訳者を変えてる
本棚に罪と罰とかカラマーゾフが3冊になったw ウィトゲンシュタインがカラマーゾフを50回以上読んで最後に残ったのはスメルジャイコフだけだったと言う事実
何か隠されてるな 235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2019/05/31(金) 05:59:01.07
今後の創価学会に関しての予測としては
・組織的なストーカー行為、及び、嫌がらせ行為の表面化
・自殺者が何人も出ている事が判明し、広宣部幹部らが殺人罪で起訴
・組織的殺人を働いた罪で、広宣部幹部らに死刑判決
・それ以外に逮捕された広宣部幹部、同部員らも懲役10年以上の重い刑
・教宣部の幹部、同部員らも懲役刑(執行猶予付きはなし)
・服役後も世間に出る事を許されず、そのまま精神病院閉鎖病棟に入院
・死ぬまで出られず
・創価学会は悪質な組織的殺人、並びにその未遂行為を働いた悪質な組織犯罪団体に認定され
国から危険な団体として正式な監視対象団体に認定され、創価学会新法が制定されて
暴対法のように、活動を徹底的に制限し、制約される
・学会員らは脱会が自由に認められなくなり、また国が学会員のリストを作成
同リストの登録者は危険人物であるとの事で、行動その他に制限と制約がつく事に
新規入会者はほぼゼロになり、高齢の学会員らの死亡による人数減で減って行き
時間をかけて消滅に向かって進むといった感じになるんだろう
また表面化後までに脱会しなかった場合、恐らく脱会できなくなる 236 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2019/05/31(金) 06:05:41.41
悪質な嫌がらせ行為を働いていた者に関しては
・迷惑防止条例その他で逮捕可能な者は積極的に逮捕し、送検して懲役刑(執行猶予の出る者も出る)
・逮捕不可能な者で、悪質な行為を行っていた者は、社会からの隔離を目的に精神病院閉鎖病棟送り
・懲役刑を受けた者、執行猶予判決を受けた者も、悪質な行為を行っていた者は、社会からの隔離を目的に精神病院閉鎖病棟送り
・逮捕を免れた者に関しては、また同じように嫌がらせ行為を働く可能性が考えられるという点に鑑み
重点的な監視対象者として警察のリストに入れて、ちょっとでもトラブルを起こして通報された場合には
微罪でも逮捕、略式起訴で罰金刑か、起訴して懲役刑とする
とまあ、こんなところだろうね
かなり早期に脱会して完全に関係がなくなってるような人は別として
そうじゃない人は学会員だとバレるととんでもない事になるので、
元学会員だとバレたらとんでもない事になるので、元学会員である事を隠して生活する事になるだろう >>7
>最後に残ったのはスメルジャイコフだけだったと言う事実
>何か隠されてるな
告白すらしない地下室の手記の主人公のようなもので
底なしのニヒリストですよ 今日ハイデガーの研究書読んでたら、ハイデガーも
ドストエフスキーを愛読してたんだってさ
何か意外な感じ 私とか、自己とか、自我なんて存在を内に表そうと試みた哲学者なんかはドストエフスキーに一度はハマりそうだね
軽くググったけど、フロイト、ハイデガー、ヴィトゲンシュタイン、カミュ、ジイド、プルースト、ヘッセ、カフカ、コンラッド、魯迅とか結構いるみたいね
もちろんトルストイも >>11
地下室の主人公の心変わりは異常だよね
売春婦リーザを招いておいて追い出すんだもの
「いまとつぜん自分の淫蕩が、まるで蜘蛛のように愚かしく、いまわしいものに思われて来た。」
結局かれは卑怯者にも英雄にもなれないと自虐するが、淫蕩者にもなれないし、何しろ心変わりが激しすぎる印象がある たまには長いのレスしますw
これ、キリスト教で言えば霊的にとか、そういう意味で移り変わるという意味だろうか
それとも動物的に、つまりは唯物の塊として低次な存在としての人間が肉体的変化する、という意味なのかな
どっちでもとれる気がします
悪霊 キリーロフ一節
ある数秒間がある、(略)そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるのだよ。これは地上のものじゃない。
といって、なにも天上のものだというのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰で、争う余地のない感覚なんだ。
ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかり、そは正し』と口をついて出てくる。
神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終わるごとに、『しかり、そは正し、そは善し』と言った。
これは・・・(略)おのずからなる喜びなんだね。(略)おお――それはもう愛以上だ!
何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。
もし、五秒以上もつづいたら――魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。
十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ。ぼくの考えでは、人間は子供を生むことをやめるに相違ないね。
目的が達せられた以上、子供が何になる、発達が何になる? 福音書にも、復活のときには子を生まず、天にある御使たちのごとし、と言われている。暗示だな。きみの奥さんは子供を生むんだったね? 魚らーーーッ
創価のアリョーシャこと、オレ様のカキコに早く回答せえや!! http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1550415735/648
[ 文学 ] ドストエフスキーPart48 [無断転載禁止]
648 名前:吾輩は名無しである [sage]: 2019/06/21(金) 00:28:19.78 ID:bHraX+ef
>>644
ういーその態度わかった、じゃあオレもここを去るわ
最後になるから餞別として
いずれ人に向けた言葉の矢先は自分に向かうよ
ドストエフスキーに限らず文学や、そして宗教も、自己を大きなものと同一化して強化するという意味で一定の力を持つ
自己の精神が安定するという意味で健康にもなれる
だけどある時点で反省しないと、ただの欲の強化にはまり込むだろう
そういう意味で宗教は危うい、人を選ぶ
君はどの宗教をやっても排他的なカルトになる
その宗教のせいではない、君自身のせいですべてカルトに仕立て上げてしまうだろう
崇拝とは人間に向けるものではない
ドストエフスキーは神に与えられた自由意思をどこまでも重んじた
一方で意思の自由には同じだけの責任も問われるとした
そこに神の沈黙があるとする、ただこれは恩寵でもある
だけどここにはドストエフスキーの信じた一神教としての神の位格、人でいう人格をもった神の顔がある
君はそこをそうかの汎神論(人格のない神)と同等にしてしまい、そして問題はそこことに何ら疑問すら抱いていないという最大の事実がある
ここが分からない限り、宗教が何なのかはさとれないだろう
そして君のアイデンティティもどこまでいっても築くことはできないだろうね
それでは皆様、この偉大な作家とそこに魅了されたすべての方に、神の祝福がありますことを! > いずれ人に向けた言葉の矢先は自分に向かうよ
俺の言葉は愛の言葉だ。慈悲の言葉だ。わからんのかっ?
目先のこのスレ内で表面だけ仲良しこよし なんかして なんになる? 慈悲の弱いおれだ
から、勇気をもって真実の言葉を語っている。そうであればこそ、おれはアリョーシャの生
まれ変わりと呼ばれるんだ。
この真実と慈悲の言葉のゆえに、おれは現実生活において周囲のひとから、真実と慈悲に
よって接してもらえる。
ところで、なんのために、嫌がるやつに、信心を語るのか? そいつがしないとわかってる
のに?そこにどういう秘密が隠されていると思う?
> ドストエフスキーに限らず文学や、そして宗教も、自己を大きなものと同一化して強化す
るという意味で一定の力を持つ
そうだね。だが、もう一つ重要なことがあるぞ。「宗教や信仰は大きな力をもつ」がゆえに
「悪しき信仰と宗教は
とんでもない結果を生む」ということなんだ。
> 君はどの宗教をやっても排他的なカルトになる
> その宗教のせいではない、君自身のせいですべてカルトに仕立て上げてしまうだろう
おまえが定義するその「排他的なカルト」というのは、どういう意味なんだ?自分で意識し
てないだろうが、
ネットの低俗な人間が使う言葉を軽々しく借用して、俺と学会に投げつけている。... だがそ
のことはよい。
おれはワザとしてることだからな。おまえに誤解されるように。
今日はつぎの一文について書きたい。
===========================================================================
> 崇拝とは人間に向けるものではない
===========================================================================
ぼくが過去に引用してきた文を再掲していくからいっしょに考えてみてくれ。 >>602
> 彼が僧院生活に入ったのも、ただこれ一つのみ
>
> が当時の彼の心に驚異の念を呼び覚まし、世界悪の闇から愛の光明を目指して驀進(ばくしん)する彼の心に
>
> 究極の理想として映じたからである。また僧院生活が彼に驚異の念を呼び覚ました訳は、当時彼が
>
> 稀有の人物と考えていた有名な長老ゾシマを、その中に発見したからである。彼は乾いた心の初恋に
>
> も似た熱情を捧げて、この長老に傾倒したのである。
これは、アリョーシャの崇拝は「人間に向けたものではないのか?」答えてくれ。 > 607
> しかしそれでも大多数は、すでに疑いもなく長老ゾシマの味方であった。のみならずそ
の中には、真底から熱情を込めて、彼を愛している者も少くなかった。ある者はもうほとん
ど狂信的に彼に傾倒していた。こういう人達は公然にこそ言わないが、長老は聖徒である、
それにはいささかの疑いもない、と噂していた。
> そしてほどなく長老の逝去を予見しているので、ごく近いうちに僧院にとって偉大な名誉
となるような奇跡が、必ず現われるに違いないと期待していた。長老の奇跡的な力はア
リョーシャも絶対に信じて疑わなかった。それはちょうど、寺の中からけし飛んだ棺の話を
絶対に信じたのと同じ理屈であった。
===========================================================================
>崇拝とは人間に向けるものではない
===========================================================================
としたら、ここに描かれているひとびとは、邪信のひとなのか?
>長老の奇跡的な力をアリョーシャも絶対に信じて疑わなかった。
アリョーシャも、君の観念によれば、まちがっているのか?
> ――彼の所へは大勢の人が、自分の心中を打ち明けて、 霊験のある言葉や忠
> 言を聞こうという希望に渇しながらやって来る。長老はこういう人達と永年のあいだ
> 無数に接して、その 懺悔や、 苦悶や、告白を数限りなく自分の心に納めたので、
> しまいには自分の所へ来る未知の人を一目見たばかりで、どんな用事で来たの
> か、何が必要なのか、いかなる種類の苦悶がその人の良心を 苛んでいるか、とい
> うようなことを見抜き得るほど、微妙な洞察力を獲得した。
民衆はなぜ「泣きながら」「ロシヤ全土」から 「長老の下へ」集うのか?
その答えは、次下に書いてある。 >『たとえ我々に、罪悪や、不義や、誘惑などがあっても構いはしない、
>地球の上のどこそこには、神聖で高尚な方がおいでになる。あの人は、我々に代わって真
理を持っていらっしゃる、真理を知っていらっしゃる、
>つまり真理は地上に亡びていない証拠だ。して見ると、その真理はいつか我々にも伝わっ
て来て、神様が約束されたように、地球全体を支配するに違いない。』とこんなふうに民衆
は感じ
ている、感じているのみか考えてさえいる。
>アリョーシャにはそれがよくわかった。
君には民衆の心がわかるか? なぜ日本で、また世界で、多くの民衆が この創価学会の信
心にいのちと希望のすべてをかけているか?理解できるか?
理解しようとする精神があるか? アリョーシャがいまこの日本に生きていたら「端的に理
解したと思う」
そしてゾシマもアリョーシャもドストエフスキーも まちがいなく創価学会に入信してるの
だ。
ドストエフスキーは「もし誰かが自分にキリストは真理の外に立っていることを示し、また
もし真理が、本当にキリストの他にあるならば、僕は真理のところに留まるよりも、キリス
トの所に留まる方がよい」という言葉の前段は「キリストは真理の外にある」ということを
、ドストは覚知していたんだ。
それが作品の否定的人物に仮託されて表現されていた。そして「キリストの所に留まる方が
よい」という後段部分はそのほうが人生として価値がある、という判断だ。
あたりまえだ。無信仰の人間のバカげきった発言や思考を、さんざん このスレでも目にし
ているだろう?
だが、まちがいなく、ぼくら創価学会員はドストエフスキーをして、この南無妙法蓮華経の
信心と創価学会の生き方のほうが、キリスト教よりも美しく価値的で生きるに値する人生で
あると理解せしめ、入信させていることだろう。 『もっとも、ぼくはなまけ者です。とてもなまけ者です。しかし、どうも仕方がありません、ぼくにとってこの世に残っている唯一のものは、不断の無為をなすことなんですもの!
いつかぼくのわびしい想念が静まることがあるやら、自分でもわかりません。
人間の宿命として与えられている状態はただ一つです。
人間の魂の雰囲気は天と地の合流の中にあります。
人間はなんという反合理的な子供でしょう。
精神的自然の法則が破れているですもの・・・・この世界は、罪深い想念に曇らされた天の精霊のための煉獄みたいな気がします。
この世は、否定的な意味を採ったので、高遠で優美な、精神的なものから、サテイールが出て来た、そんなふうに思われます。
もし、この画面の中に、全体と効果も思想もわかたない人間、つまりまったく関係のない人間が飛び込むとしたら、いったいどうなるでしょう?画面は台無しになって、存在することができません!
しかし、全宇宙がその下で悩んでいる固い殻のみを見ているうちに、意志がただいちど爆発さえすれば、この殻を破って、永遠と融合することができるということを知り、それを知りながら創造物の中で一番の屑でいることは
・・・ああ、恐ろしい!人間てなんという浅はかなものでしょう!ハムレット!ハムレット!
麻痺した世界のうめきを響かしているあの荒々しい、けうとい言葉を思い出すとき、その時は、わびしい不平も非難も、ぼくの胸をしめつけはしない
・・・魂は悲哀のためにしかく圧迫されているので、おのれ自分を責めさいなまないために、それを理解するすることを恐れているです。
ある時パスカルはこういいました。哲学に抗するものは、そのものみずから哲学者である、と。哀れな哲学者よ!』以下略 舞空術 なんてすごいよな気功術の気功砲なそれより駆け出しで低レヴェなことならできなくもない。 それよりはましな人生してるつもりさ、超えなきゃ読んだ意味がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています