>>103
>ではどういう時に私だと思うのか
>人と関係を持った時にこの私だと思う

むしろその逆で
人間関係を喪失した際に
「私」とは何か?という問いが生じる
この問いの構造によって「私」というフィクションが生じる
「地下室の手記」の「私」が能弁なのはそのため