>>108
>関係を持った時ではなくて喪失した時に「私」が発生するならば、
>「私」という意識を持つには孤立するような状態が必要になる、
>そんな感じなのかな

関係という場合は抽象的な「私」ではなく

「父」としての「私」
「夫」としての「私」
「兄」としての「私」
「弟」としての「私」
「部下」としての「私」
「上司」としての「私」

といった具合にそれぞれの関係性に由来する
「役割」を演じる「私」であり
社会的「役割」である以上選択肢は限られているので
葛藤や不安はそれほど生じない仮にあったとしてもそれは具体的なものに過ぎない

逆に言えばそういった「役割」から解放された「私」には自由があるのだけど
社会的役割を喪失しているが故に思考の他には(とくに行動の)自由は
それほどないわけです
というのは行動をおこす足場たる関係性が無いから

そのかわり抽象的な思考という自由がある
それは抽象的な「私」を基点とする
また、役割がはく奪されているが故にその思考は自分に向かう
その場合いくら掘り下げても何も出てこない
逆に掘り下げていく過程で社会的属性が失われていくので虚無に近づく
地下室人間とはそういうものです