文学を知らないと恥ずかしくて悔しいですよね?
教養として文学を知らないと恥ずかしくて悔しいですよね?そう思いませんか? ドストエフスキーの全集、
位は読んでおいた方がよいでしょうね。 恥ずかしく感じる機会が無いのなら悔しく思う事もない
無知な人は恥ずかしく思う様な機会は無いと思うの
ドストエフスキーの名前すら知らない人はザラだし
そういう人間は同程度の人間と群れているので話題にすらのぼらないよ 教養としてというより文学はある種のファルスのようなものなどを持っているからそれが使えるかどうかだ。 まあいくら高学歴で知識があっても分からない人には分からない
たとえば川端が自作「みづうみ」の評価をめぐって
辛い評価を下した三島に対して「あれには分かりません」と言い放ったようなもので
文学とはいわゆる教養主義とはかけはなれた地点に存するものです >>3
まあ確かに。言っちゃ悪いけど高卒で工場勤務の人たちとかにとっては全く関係ないことだろうな。 国際教養 大学 大学院 学部 福利厚生まで完備します。学費の払い戻しアリ。
投資の過程も一部公開。 文学にクオートされることが異文学だとしたら百パーセント文学は文学ではない。 そういえば筒井康隆がリラダンは読んだことが無いと答えたのを受けて
生島遼一がびっくりして
「まあ、作家に教養はいらないけどね」と言っていたらしいけど
生島はSF作家だからとうぜん古典中の古典であるリラダンは押さえている
と思ったんだろうね
そういう文学的系譜上の必読書はあると思うな 必読書とか、小説家は無論、批評家にもない。
そもそも、近代日本文学に系譜なんてない。
そういう文学的系譜なんてのはヨーロッパにはあるかもしれないね、ヨーロッパにはねw 文学を知らないと恥ずかしいのはクラシックを知らないと恥ずかしいのと同じ >>13
>そもそも、近代日本文学に系譜なんてない。
ここは文学一般の教養水準が問題になっているわけであって
日本の近代文学だけには限定しているわけではないよ
まあ、仰るように日本近代文学に系譜上の正統は無いだろうけどさ
漱石だって文学として持ち上げられ始めたのは戦後だからね
しかしそれをいったらディケンズやメルヴィルだって似たようなものだけどさ
過去や伝統というのは現代の批評視点でどうにでもなるんですよ 文学知っていても、老後に2000万ない人は恥ずかしいよね 真面目に勉強して仕事して他に趣味もあって文学以外の本もいろいろ読むとなると
読んでなきゃ恥ずかしいような有名文学作品を全部カバーすることは実際には無理だと思う 分かりきった他人の誤りを指摘して喜ぶのは非常に恥ずかしいことですね
堂でもいいですけどねw シチュエーションなんかいくらでもあるだろ
その日、何かしらのイベントがあって、その施設にいた女が2人のみだった
2人はそれぞれ別のグループで来ていた
「ツイ廃」と言われている女がその日そこにいたとつぶやいてたんだから確実
なんでフォローもしてない俺がそのツイートを見たかって?
お前がその日その女をいつものように罵ってるのを見て
ツイッターを覗いてみたんだよwそれだけwすでに去年の春のことなw
なんで俺がお前をときどきボコりにくるか分かる?
絶対に負けないからだよw楽しいじゃんwww