AIが司馬遼太郎を学習!新作発表へ!!
>>6
司馬遼太郎は南北朝時代についてこんなことを書いている
歴史小説というものは、前時代の美を壊すか、あるいはそれに乗っかる、
その態度が最初に必要なのですが、そのための素材が何もない。
現実は果てもない利権争いの泥沼というだけのものが、水戸史学のフィルターにかけられ、
一見すばらしい風景に見えるんです。
だからうっかりそれに乗ってだまされてはいけない。
作家たちも、ずっとダマされてきたんです。観念史観にせよ、唯物史観にせよ、
史観というもののこわさがそこにあります。 >>15
歴史学を専門にして研究していくと吐きそうになる
だから司馬遼太郎さんの偽装史観が恋しくなるんだよ
レアな食材をどうやって調理して調味料を塗すことで
その食材が本来持っていた凶暴な部分を隠蔽するんだな 歴史学と歴史文学は、まったく別物です
学者が過去、歴史学論争を延々とすることがあるが
ここでもマルクス唯物史観肯定側と国学側の否定側
こんな立場の違いでよく飽きませんね~っていうのがあって
外野席から見てると「この人たち、賢者とは云えない」、アキマヘンな人だってバレます
歴史学は、史料の解析をするんだが、その史料が改ざんされてる事も多い
アメリカは歴史が無いから、ドキュメントな記録への思いが非常に強いが
歴史の古い国になると、当時の為政者の都合の良い史料に改変する事も多い
これは松本清張の名言だが、近現代史は史料が盛りだくさんあるから
ジャミング史料はどんどん捨て去る作法が尊ばれるが
古代史は逆に史料が殆ど無いから表現者の推測能力が問われる
蓋し、1万年前、5000年前、1000年前、500年前、
そして今現在の人間の思いに大した差は無い
それを推測の基礎に置くと、見えてくるものがある 「国盗り物語」は酷いわ
斉藤道三を「蝮」と呼んでるが、
元ネタは史料ではなく、
坂口安吾が小説の中で呼んだのが初出。
濃姫を初めてツンデレキャラに描いたのも坂口安吾が最初。
それまでは単なる政略結婚の道具にされただけの影の薄い存在に過ぎなかった。
「国盗り」の連載が始まった頃は、
坂口安吾の死後、一時世間的に忘れられていた頃。
ちゃっかりしているというか、
かなりえげつないと思うわ >>22
たぶん、当時のゼニカネの問題
この薄汚いストリームを汁と吐きそうだ たった2000年前後の史料で物事のすべてを判断できる無神経さに乾杯痛し候座衛門 >>22
>一時世間的に忘れられていた頃
一時は「戦後の仇花」的な扱いで忘れられようとしてた時期があったんだよな
江藤淳が「最近不当に閑却されつつある散文家」とまで同情していた、
昭和35年頃かな
「国盗り」の連載開始は昭和39年頃のはず >>18
司馬を一冊も読んだことがないとは、なんと幸せな人生。これからもそのまま幸福な人生を続けなさい。 >>1
そもそも司馬は文学板で語られる作家ではない。一般書籍に司馬スレがあるから、速やかにそちらに移動願う。 >>27
司馬さんって松下幸之助と同じ台に置かれてます
つまりだ、経営コーナーに御鎮座中
少なくとも、松本清張でコレは無いよ 文学って何かと問われれば~
それは、きっと、「人生してて、どうしようもない事」
そういうロジックでは絶対扱えん何かかな~? あのー業界では、かなり有名譚ですけど
ほぼ同世代なー吉行淳之介(1924年(大正13年)4月13日生)
司馬遼太郎(1923年(大正12年)8月7日生)
北新地で綺麗どころを侍らせ彼流なスノビズムで周囲を大笑いさせてました
司馬さんと1年しか違わないから編集者がビッグ対談になるやろって思いまして
「いま司馬さん東大阪の自宅にいます、ここで対談して見ませんか?」
そのあとが、凄かった。 司馬さん、宗教関係者は、「空海」だけでしたっけ?
意外と描いてないわ。 メッセンジャーな「坂本龍馬」をあそこまで活写したが~。 >>28
だったらビジネス板ででもどうぞ。繰り返すが司馬の書いた本に文学的要素は無い。 >>35
そうだけど、需要は結構ある
少なくとも清張よりは経営者のココロはGETしてる。 文学の本領発揮って、人生の闇と格闘する事
司馬さんの作品ってさー全部軽い
凄まじい軽量級なんでね。
オツムの軽い薄っぺらい人にはこれで十分なんやろな? 人生の闇を解析するのが文学の本意です
ところが司馬作品のペラペラ観はいい加減にしろよ、です
確かに彼の作品すべてが文学とは全く関係の無い世界 人口40万人クラスの商工会議所の役員経験者ですが
経営者って嫌になるほど「蓮っ葉」「薄っ平」
モノを深く考える癖が一切御座いません
馬鹿ばっか、イライラします
でさ、そういう馬鹿の方が営業・経常利益を計上できるんだけどさw ゼニカネと近づけば近づく程、クダラン、死んでくれって吠えたくなる。 ゼニカネ儲けと文学は乖離してる
全く持って合わない世界観です。 >>25
坂口安吾さんは、戦後のアプリゲール(無頼派)の第一人者
だから、周囲から批難される事なんか何とも思ってません
https://www.matsunoyama-onsen.com/2020/12/14/1-36/
1951年の覚醒剤取締法(昭和二十六年法律第二百五十二号)までは
ヒロポン(覚せい剤で大日本製薬の登録商標)は合法
スピードと日本酒をチャンポンにして執筆活動
おかげで薬中にはなるは、晩婚したが直後に脳溢血で即身成仏しました >>42
出版社の意思を阿吽の呼吸で汲み取ったんじゃないか?
前職がサンケイ大阪の文芸部長
記者だから要旨簡潔に分かり易い文章で鍛錬済
司馬さんの小説は万人受けするように天から設定
文芸部時代、京都、奈良、大阪の名だたる神社仏閣の宮司や官長クラスを殆どすべて取材してます
司馬さんは博覧強記ですから、外には出せない類の裏話をオフレコで聴けたんだな~
これが後の作品の骨子の1つだったりするの
司馬さんが神田神保町に2トンカーゴトラックで乗り付けると
ある時代の古書や史料が全部消える事が度々でした
売れないと思ったもんが在庫一掃されて古書店の親爺もニンマリ 『龍馬がゆく』
この作品は狂った戦争で身心ともに荒廃し自信を失った
当時の日本人を勇気付けて呉れました 新聞社と放送局でいうと支局数は大差ないが
その下にある通信局とか地元密着度の高い出先の数は圧倒的に新聞社に軍配が上がる
通信局の新聞記者がTVカメラ持参して新聞記事、放送原稿、映像とか1人で全部仕上げます
日本のほとんどの放送局の大株主が新聞社です
これを資本関係に於ける「クロスシップ」制と云います
もう一つ問題なのが「記者クラブ」制度
この2つを発展的解消しない限り日本のマスコミに夜明けは来ません
日本でマトモなのは出版関係だけだわー
ともかく放送局の酷さは筆舌に尽くしがたい
「地上波」は「痴情波」と思って宜しいかと思う
一般国民は一切この事実を知りませんし知らされてません
だってさ、奴等にとってこれ程都合が悪い事は無い
ここ半年ほど大騒ぎしてる洗脳似非宗教団体「統一協会」みたいなもんや
この2つは大きな日本の利権です
バカはTVから離れなさい インターネット以前は、トーハン、日販という二大取次会社があって
誰かにとって不都合な雑誌や書籍は、この関所でSTOP
この893会社の御蔭で水子にされたものが果たして御幾つあるのやら?
でもさ、今やネットで直接手に出来る良い時代に成りました
この2大会社以外の中小の取次さん、随分淘汰されました
つーことはこの2大893取次の力がそれだけパワーアップしたとも云える
出版業界も多様性を確実に失うわけだから、あまり良い傾向じゃない
最終的には自分たちで自分の首を〆ていくだけだが 清張さん、容貌にかなりなコンプレックスを持ってました
これが彼の執筆意欲の原動力の1つでした
ただ彼は家族には大変恵まれて子沢山
だからこそ40近くまで朝日新聞小倉西部本社で割付意匠担当が勤まったんだ
でなければさっさと東京にでていただろうか?
一方の司馬さんは、サンケイ時代の同じ文芸部の奥様だけで
御子息は出来ませんでした
この差がもしかすると両者の人の描き方の差異に出てるかもしれません >>48
ごめん、具体的にどういう風な差が出てくるの? >>49
清張さんは子たくさんで清張さんも家族を愛したし家族にも深く愛されました
杉並の清張邸で食事風景の写真を見てると皆さん満たされた風を醸し出してます
清張小説は、人の心の喜怒哀楽と欲望を綯交ぜにする事が基礎にある
ここには勝ち組も負け組も同値です、だれでもどっちへでも行きます
司馬さん、実家もたしか薬局で御両親が薬剤師だったような
当時では相当なインテリで幼少期より専門書を読んでる
当人は大阪外大の蒙古学科卒で外交官志望でした
戦後、新聞記者になって良い仲な女性ができて子供も授かったようなんだが
結局、諸般の事情によって別離コース、司馬が捨てたという説も根強い
今、記念館の理事長してる奥方が後処理したとか、、、人として、どーかな?
彼の作品は経営コーナー常備
経営者って使えない従業員に引導を常に渡さないと会社が破滅
「バカで勤勉」って最も困るんです
会社が傾くと真っ先に逃走するのが
「賢くて勤勉」という最も出来る人材です
この集団はバカじゃないですから危険察知能力も高い
船で云うとどんどん沈下していっても最後まで気が付かない鈍感さ
こんなやつ、切りたいんだが切れないの
こんな使えない屑は描きたくないの、だって書いてて不愉快だからさ
彼の作品はプルターク『英雄伝』と同じく勝利を収めた人間しか描きません
負け犬はすべてオミットします
これって片落ちそのもです
もっというと勝ち組だって一つ間違えれば負け組に簡単に転落するのに
そこには決して触れません雲鼓小説群を延々と死ぬまで描いたのが司馬遼太郎
吉行淳之介がカンカンに怒ったのが、まさにここ
一言で云うと「冷酷だ、あいつ」って怒り心頭 サンケイ大阪でエリートコースな司馬と
朝日新聞小倉で現場の下っ端な清張
司馬は常に鳥瞰図よろしく上から下を見てます
負け犬は一切見ません、ここが徹してる
だから経営者とか学校のセン公とか指導者層に読まれました
たぶん女性のコアなファンは殆どいません
だってさ、女性の多くが最も大切にする感覚が愛だからさ
女性の清張さんのファンは結構います
出版社の編集者に聴けば具体的な数字が歴然です >>52
どういたしまして・・・大体わかりましたか、アウトライン? >>53
私が司馬の作品に惹かれない理由が、なんとなく分かりました。 >>54
僕も君と同じです
半分くらいで放棄
つーか買ったことは1度もありません
全部、図書館、耐えられません
たしかにこれは文学じゃない 東洋経済とかダイヤモンド、プレジデントを読まされる不快感 人を中心に据えて描いてるか、事象を中心に描いてるか、それが問題だ
社会人してるとー「不条理」だらけ、あと「陥穽(おとしあな)」だらけや
大会社だと不仲極まりない部長の尾を踏んでトンだトバッチリを喰わされる
ワケわかりません、もうハラいっぱいでーす、ってさ、そんな経験 俺には司馬の小説は、記名入りの新聞記事のように思える。 >>59
だってサンケイ大阪の新聞記者あがり
最後のポストが文藝部長でした
30台前半で文芸部長職だから仕事は出来ました
就職して10年間ぐらい担当が京都市内でして
普通絶対に会えない官長猊下、大宮司クラスの取材ができました
これが後の歴史小説の背景描写に非常に役立ってます
司馬さんは新聞記者あがりでして初対面の人にも緊張警戒感を持たせずに取材可能
変な癖があると取材対象者が警戒して本音を引き出せないけどさ 司馬のファンの多くが『坂の上の雲』を最高だと指摘
秋山エリート兄弟の話ですが、ここにも弱者が一切出てきません
日清・日露戦争って貧乏な御蚕女工さんが手を赤切れにして紡いだ糸を輸出して稼いだ外貨で戦争可能
一体全体、この戦費はどこから出来てきたのか一切の描写がありません、吐きそうな糞小説でーす
紙よりも精神が薄っぺらなヤツ等には丁度いい感じなんでしょーね
ゼニカネの絡んだ商売してると小難しい事よりも通り一遍な事だけ理解したほうがいい
いろんな分野の裏まで知ってくるとゼニカネ経営なんか耐えられなくなります
今のゼニカネ似非資本主義≒柔かいファシズムで犯された政治経済の狂い方をさ 司馬遼太郎→ロマンティスト
松本 清張→リアリスト
坂の上の雲って日露戦争までしか描かれてません
ここで奇跡の勝利を得て1910年日韓併合(併呑)
1868~1910の42年間が大日本帝国の輝かしい昇り坂
これから1945年まで墜落していく惨めな大日本帝国
ここは描けませんでした、とくにさ、数年に亘って新潮編集部員と当時の関係者を取材したが描かなかったんだ
我が愛すべき日本人が、こんなに愚かであるなんて結論に達する歴史小説など一切受付ませんでした
これはたぶんねー司馬さんの最も深い罪と云うべかもしれない
機甲部隊で満州に派遣されノモンハン事件の現場に戦前直接立ったのにさ
清張さんだったら人の心の移ろいを綯い交ぜにして描き切ったけどさ 清水義範(1947年10月28日 -)
『蕎麦ときしめん』講談社、1986
「猿蟹の賦」「小説現代」1983年11月号
浜の蟹兄弟が仇討ちをしたがっている。
と、いうことは近在で知らぬ者がない。
三代昔の先祖の素行まで知れわたっているような田舎村である。
村の中で秘密など持ちようもなかった。
ただ、
できるかどうか。
が、問題であった。
ここで、奇妙なものが登場する。
うしのくそ、
である。
世界中の例をさがしてみても、うしのくそ、などという馬鹿なも
のが登場する戦いはあるまい。 今村翔吾(1984年6月18日 - )
教養としての歴史小説
ダイヤモンド社(2023/08発売)
時代別歴史小説作家
・第1世代:岡本綺堂、野村胡堂、中里介山、直木三十五、子母澤寛、大佛次郎
・第2世代:長谷川伸、吉川英治、中山義秀、海音寺潮五郎、山本周五郎、山岡荘八、新田次郎
・第3世代:柴田錬三郎、山田風太郎、隆慶一郎、池波正太郎、遠藤周作、司馬遼太郎、陳舜臣、永井路子、藤沢周平、津本陽、笹沢左保、平岩弓枝
・第4世代:宮城谷昌光、高橋克彦、北方謙三、浅田次郎、松井今日子
・第5世代:佐伯泰英、葉室鱗、織田玲子、山本兼一、火坂雅志、高田郁
・第6世代:朝井まかて、伊東潤、木下昌樹、澤田瞳子、天野純希
・第7世代:砂原浩太朗、永井紗耶子、川越宗一、今村翔吾、蝉谷めぐみ 八代亜紀(1950年8月29日 - 2023年12月30日)
2024年3月26日、八代亜紀 お別れの会
「昨年暮れ、残念でしたが長い歌手人生に終止符を打ちました。苦しい時も、楽しい時も心の支えになったのは皆さんからの声援でした。
感謝の気持ちでいっぱいです」
この日のメッセージ部分は全て最新AI音声。本人が2020年、声を音源データに残すことを希望し生前とかわらない包み込むような、やさし
い温かい声が出席者を出迎えた。
最後に、「皆さん、八代亜紀は幸せでした。幸せでしたよ」。そして「ありがとうね。バイバイ!!」の声とともにステージの幕を下ろし
た。