【ばふりばふり】蓮實重彦 X+3【120度】
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何かについて書くのは馬鹿らしいが何についても書かないのも馬鹿らしい REALKYOTOの記事
対談:ホー・ツーニェン×浅田彰
《旅館アポリア》をめぐって
あいちトリエンナーレ2019
で、二人の対談者とあいちトリエンナーレのキュレーター能勢陽子その他が蓮實の
小津安二郎論をシャットアウトしてるのが良かった。
浅田が京都学派の身体論として、東洋武術を引き合いに出してるところはちょっと
笑えるが、他で横山太郎らが話題にしてる武智鉄二の「なんば論」は第一歩から
間違っているということを個人的に言っておく。「なんば」の起源は水田農耕の
動作モードではないということ。
これからさらに言えば、日本全体を大混乱させることになる。 788 名前:ぼく◆X7TgvypwyY [sage] :2020/01/10(金) 16:49:16
くっそおおおお
なんでダサいって聞こえるんだよお
苦しいよ
ほんとに苦しいよ
やけ食いじゃあ
きのこの山となっちゃん買ってくるお!
789 名前:いいちこ [sage] :2020/01/10(金) 16:50:16
>>788
ダサいからだよ
791 名前:ぼく◆X7TgvypwyY [sage] :2020/01/10(金) 16:52:14
>>789
いいちこー
ぼくはダサくなんかないぞ今日だって
中綿ジャンパー、デニム、白いスニーカーでお洒落して病院に行ったんだ
幻聴で苦しんでる
幻聴が聞こえるから外に出られない
著しく生活に支障きたす
>統失スレにこんな人がいた
統失ってマジ悲惨だな
外に出るとダサいキモいって声が聞こえて
外に出られなくなり生活に支障が出るんだと
キチガイかよ統失は
そんな大変な病気になったら俺ならじさつしてるわw 21世紀になってもわたくしの名も小津論も知らずに小津を語る途方もない野蛮人が世界にはいるわけです
いやわたくしの名などどうでもよろしい
しかしわたくしの名も小津論も踏まえずに語られた小津論はいかにも抽象的と言わざるを得ない
いやわたくしの名などどうでもよろしいのですが
あの対話者もお前さんあの小津論も知らずに小津を語ってたのかい面を洗って出直してこいと頬を張り倒さないのはいかにも不可解です
いやわたくしの名などはどうでもよろしいのですが
しかしここまで世界が無教養、知的頽廃に陥っているのを目の当たりにすると全世界に向けて新たな教養主義を説かねばならないのかなどとはしたない考えもふと頭をかすめます
いやわたくしの名などはどうでもよいのですが
by 蓮実軽彦 能力が身につく方が生きやすい、自殺は嫉妬や偏見から成る。 >205
蓮實が小津の無名性を理解できなかったように、
柄谷行人には漱石の「吾輩は猫である」の猫が主張する
「生涯通じて無名でいたい」ことの意味が分からないw
柄谷は吾輩は猫であるを事あるごとに推奨しながら、
何も分かってない。
これは、一つの日本の文芸批評の大きな死角でもある。
日本文学の無名性への憧れは、井原西鶴の諸国噺や伴蒿蹊の
諸国奇人伝に多分、発してるような?
現代文学でそれを受け継ぐのが石川淳、太宰、坂口安吾、花田s清輝ら
だろうが、 たまーにシネマヴェーラ行くと小汚い雰囲気のオッサン多いんだけどあれがおまえら蓮實黄金期のシネフィルの成れの果てなのかい? 松浦寿輝って天沢や中条らのダメさを集めて最強超獣と化したモンスターなんでしょうか? >>207
どういう誤読だよ
無名性への憧れどころか有名/名を持つことへの憧れが読み取れる俗物性いくらでもあげられるだろう。
妄想でなくて、せめて作品くらい読んでから書き込もう。
いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る
「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装って
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから
吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
吾輩がこれほど有名になった
吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。
黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。説明してやりたいが >>210
お前は致命的に頭が悪い。
有名になることを茶化してることが低脳のお前には分からない、いやはやw
お前は本など読むべきじゃない人間だ。 蓮實の「マクシム・デュカンまたは凡庸な芸術家の肖像」はことごとく間違ってる。
蓮實の言う「不連続性」など存在しないし、オリジナル―コピーなんて対照も有り得ない。
それは欧州がアナモルフォシスからマンネリズムを経験してたから。
デュカンがアカデミーフランセーズの会員になれたのは、デュカンのアラビア女のヌード写真のお陰だ。
俺が本気になれば蓮實と柄谷を自殺させられる。 まあ、蓮實と柄谷を潰せば、日本は少しは元気になる。 予言しといてやる。お前は「自分が本気になったら…」って老いて死ぬ間際にも思うだろうぜ。 >>42
で、革命に成功しつつある隣の国は
軍事政権もやらなかった大学に対する
言論弾圧もやり始めているとかw
これって軍事政権の最悪の意味での反復じゃないの?
このSUZUKI某って教養はそれなりに
あるかもしれないが結局自頭が悪い馬鹿な
韓国絶対批判しないマンだと思っていたが、
今の韓国はいったいなんなのこれ?
国際法を調べたら韓国は完全アウトの
ボロボロじゃねえか
何で今の今までこのデタラメが見逃され
通用してきたのか
その上、週刊文春で国際法に対する無知を平然と晒す
韓国現政権関係者がいるとか呆れるとしか云えんわ 韓国絶対批判しないマンはこの現状にかんして何らかの弁明をしてみろアホ tamanoir
@jenaiassez
・
1月24日
蓮實先生というのは、ベルンハルトによく出て来る果てしなく喋り続ける「師匠」たちによく似ていると思う。
美術史美術館の守衛に新聞買って来させるような奴。
そういう意味では実にしょうもない。
Kuni Sakamoto
@kunisakamoto
蓮實重彦先生といえば、文体よりも、しばしば誰かには知性がないとか、バカであるとか、対談で発言していたことが印象に残っている。
批判でも批評でもなく、単なる悪口に見えた。研究者としてこうなってはいけないと思った(今も思っている) 蓮實先生にお会いしたらダウンタウンの浜田になってオマエいちいちなんでも大袈裟やねんと頭はたいてみたいです
怒られるかな・・・ 昔蓮實インタビュー本で菅谷憲興さんて優秀そうだなと思ったんですがいまだ著作は一冊もないのですね残念だなあ ブヴァールとペキュシェ新しい訳出していますよ。
菅谷 ひと言で言って、こんなに面白い小説はないと思います。推薦文を寄せてくださった蓮實さんも以前からおっしゃっていますが、フローベールで本当に重要なのは、『ボヴァリー夫人』と『ブヴァールとペキュシェ』です。
一番完成度が高く、リーダブルにまとまっているのが『感情教育』なんですが、これは『ボヴァリー夫人』で「散文の近代芸術」という問題に目覚めた作家が、成熟した先に書いた小説という印象があります。
一方で、『ブヴァール』は成熟とは無縁な、様々な矛盾を抱えこんだ作品です。
ちなみに、フローベールは『ブヴァールとペキュシェ』を書いている途中、姪の破産騒動が生じたため、執筆を一度中断しているんですけれども、その時に、リハビリを兼ねて『三つの物語』を書いています。
この作品も非常に読みやすく、かつ密度が濃い。フローベールは、そうした質の高い普通の小説を、いつでも書ける人だった。でも『ブヴァールとペキュシェ』は、明らかに普通ではない。そこがやっぱり面白いんですよ。
工藤庸子さんが、エドワード・サイードの『晩年のスタイル』に触発されたエッセイを書いていらして(『女たちの声』所収)、僕もそれに触れた文章を、『文學界』(十一月号)に寄せました。
サイードはおもに音楽家の例を中心に論じていますが、文学者もまた最晩年を迎えた時、何だかわけのわからない作品を、突然書きだすことがあります。
ゲーテの『ファウスト』第二部は遺作ですし、ジョイスであれば『フィネガンズ・ウェイク』、フローベールの場合は『ブヴァールとペキュシェ』。プルーストの『失われた時を求めて』も、壮大な遺作と言えなくはない。
一体彼らは、なぜ最後の最後に、これほど謎めいた作品を書いたのか。 ――今回付された注は、岩波文庫版と比較すると、T章「19:36」、U章「16:49」、V章「59:90」と格段に増えており、読み進めていく上での最良の導きの糸になっています。
また『紋切型辞典』との対応関係を、逐一示されている。そうした広がりの中で読んでいくこともできます。
菅谷 全部対応しているんですよね。言葉がネットワーク状に繋がっている。
逆に『紋切型辞典』はフローベールから見て「敵」であるブルジョワの言葉であり、一冊の書物として読むよりは、『ブヴァールとペキュシェ』や『ボヴァリー夫人』といった作品とつき合わせて読むことによって、初めて意味が出てくるものだと思います。
そういうこともあって、対応関係を可能な限り参照できるようにしました。注に関しては、フランス語のエディションも含めて、世界で一番詳しいと自負しています。
菅谷 最初にサイードの名を挙げましたが、まさに最晩年になって(といってもフローベールが没したのは五八歳ですが)、どうしてこんな特異なものを書きはじめたのか。そこは本当によくわかりません。
もちろん、文学史的な系譜はいくらでもたどれます。たとえば『ドン・キホーテ』に遡ることができる。フローベールの幼少期からの愛読書ですけれども、大雑把に言うと、書物に書かれていることを、身をもって演じるのが、ドン・キホーテの行動原理です。
ルネ・ジラールが『欲望の現象学』の中で、『ボヴァリー夫人』と比較して論じています。エンマ・ボヴァリーも、自分の読んだ恋愛小説の世界に取り憑かれ、それを現実に演じようとして破滅したと。
いささか凡庸な分析ではあるんですが、エンマのコスプレ≠、ラ・マンチャの騎士のコスプレ≠ニ結びつけている。『ブヴァールとペキュシェ』も同じです。
違うのは、ドン・キホーテは物理的に遍歴の旅に出る。ブヴァールとペキュシェの二人は動かない。 それに加えて、書かれなかった第二巻の最後で、二人は医師ヴォコルベイユの手紙の中で語られる自分たちの物語を書き写すことになっていました。このメタフィクションの仕掛けも、やはり『ドン・キホーテ』を想起させます。
というのも、『ドン・キホーテ』後編では、作中人物たちが前編を読んでおり、それについて批評するという設定になっていますから。
また、『ブヴァールとペキュシェ』に心酔していたレーモン・クノーが、こんなことを言っているんですよ。これも大雑把な分類ですが、「すべての偉大な作品は、『イーリアス』系と『オデュッセイア』系に分けられる」。
前者が失われた時間や起源の探求であるのに対して、後者は遍歴を描くものであり、クノーに言わせれば、『ブヴァールとペキュシェ』は『オデュッセイア』にまで遡ることができる。
菅谷 ええ。その点で世界文学史に引きつけて言うと、「二人組」の小説という系譜があります。そもそもフローベール自身が、執筆も行動も常に友人と二人でやりたがる人だったのです。
そこから、精神分析的な解釈をして、同性愛的なものを探ったり、同時代の女性蔑視の風潮を見てとったりと、いろんな分析の仕方ができますけれども、僕自身は二人組という設定について、あくまで機能的に考えてみたかった。
そこは解説を是非読んでいただければと思います
作家の小野正嗣さんが「馬鹿はなぜ二人なのか?」という刺激的なエッセイ(『新潮』、二〇〇四年六月)を書いています。まさに『ドン・キホーテ』が二人連れであり、延長線上に『ブヴァールとペキュシェ』がある。
小野さんはその後、ベケットの『メルシエとカミエ』を持ってくる。これも二馬鹿小説であり、僕は『ブヴァールとペキュシェ』のベケット版だと思っています。
馬鹿の二人組というのは、掛け合いがないと面白くありません。漫才と同じです。ただ、『ブヴァールとペキュシェ』だと、どちらがボケかツッコミかわからない。完全に対等な馬鹿なので、絶えず役割が交代していく。
そこが面白いところです。また小野さんは、次のような指摘もしています。伝統的には、二人組のあいだにはヒエラルキーがあった。
ドン・キホーテとサンチョ・パンサがそうです。だけどフランス革命後の民主主義の時代を迎え、フローベールは同等な二人組を描いた。これは画期的なことではなかろうかと。 ――解説の話が出ましたので、解説3にある「「愚かさ」とは何か?」に関連させておうかがいします。菅谷さんは、フローベールの次の書簡を引かれています。
「愚かさとは結論しようと欲することにある」「偉大なる天才が結論をくだしたことはないし、いかなる偉大な書物も結論をくだしていない」「ホメロスは結論をくださない。シェイクスピアも、ゲーテも、聖書でさえも」。
あえて現代に引き寄せて考えてみると、今の世の中、特にネット社会では、とかく黒白はっきりと付けたがる傾向が強いですよね。結論をくださないと、人は落ち着かない。
そうした現状を否定的に捉えるためにも、『ブヴァールとペキュシェ』は大きな参照項になるのではないでしょうか。
菅谷 その通りだと思います。SNSなどを見ていると、常に小さい結論がたくさん書かれていますね。フローベールの小説は、そういった現状への解毒剤にもなる。
だけど、一方で難しいところもあって、結論しないで生きていくなんて不可能ですよね。日常生活において我々は一瞬ごとに断言し、結論をつけながら生きていくしかない。
それこそ八〇年代のヌーヴェル・クリティックの全盛期においては、『ブヴァールとペキュシェ』を、結論することを回避するテキストとして、ポストモダン批評の用語を使えば、「決定不可能性」を実践するテキストとして称揚する傾向がありました。
しかし、決定不可能性に徹して生きられる人間なんていないんじゃないか。
実際、この本の帯にも、「そう断言できることの至福の悦び」と記されています(笑)。蓮實さんはいま言ったようなことを完全に分かった上で、あえてこう書かれているのだからかないません。
読書人紙面掲載 特集
更新日:2019年10月18日 / 新聞掲載日:2019年10月18日(第3311号)
菅谷憲興氏ロングインタビュー
世界文学の前衛/中心で
ギュスターヴ・フローベール『ブヴァールとペキュシェ』新訳をめぐって(作品社) こういう時蓮實さんはマスクするのかなあ?醜く愚かなことと拒否するか?
しかしさすがに御老体だし下手に感染するのもヤバいし
映画館て危険そうだし ここ10年以上に渡ってrepresentationalという言葉が芸術論上でネガティヴな
コンテクストで用いられることについて、東大表象は説明しておくべきでは? 芸大のカリキュラムや体作り色気はどうなのか?まだ上がるけど失敗ではないのか。 今映画館で番組組むとしたら皆殺しの天使とゾンビの二本立てですかね? >>208
自分は今は東京に住んでいないのでもちろんシネマヴェーラなど行ったこともないが
(今後も行くことはたぶんない)、自分の過去の恥ずかしい体験に照らすとその種の
シネフィル(映画獣)といっても幾つかパターンがある。
これも細分化して分類してもキリがないけど、
●単純にハスミ・リュミエール的な幻想を延々と追い続けているシネフィル。
これも厳密にはリュミエール時代(85〜88)から延々と続けている人もいれば、
その後に迷い込んだ人もいる。
あるいは、
●「ハスミなんざクソなんだよ!」的に振る舞いつつ所詮はあの種の表層批評的な
空疎な修辞に無意識のうちに呪縛されているスノッブ
、、こんな二分法程度にはなる。
もちろん本人たちはいずれも「オレたちゃそんなんじゃねえよ」と否定するだろうがね、、 (あの辺も狭い世界なので余り書くと身バレするが)自分は嘗て後者の屈折したスノッブたちと
付き合って散々やっつけられた、本当に傷つけられたよ、、
何しろ連中の言ってる事は本当によく分からないのだ。
「分からない」筈だ、、、だって言ってる当人たちも実は何も分かっていないのだから。
「分かっていない」ことを恰も「分かっている」かの様に振る舞い、その暗黙の「趣味のいい」
センスのライン・コードを共有できない者をバカにしてイジる、、
こんなゲームを互いに日常的に繰り返しているだけだった。
、、結局のところ、これも「なんでそんな連中と付き合ってしまったのだろう」「そもそも
自分自身が染まっちゃってたんじゃないか?」所詮は自分に刺さってくる話でしかない。
とにかく(ガチな人に比べりゃショボいものだったが)私のシネフィルごっこは所詮は
時間・カネの浪費にしかならなかった。
「あ〜こういうスノッブたちと付き合うもんじゃねえな」という高い授業料でしか
なかったな(´・ω・`) それは災難だったね
映画見まくってた時期あったけど一人か女の子とで男同士のシネフィルのスノッブゲームはさすがにつまらなそうで避けてたわ 年取って変にかぶれるよりは良いと思う
Twitterにいる政治厨の中年みたいになっても大変だよ
スノッブで飯食える人達に無理に付き合うより、王道抑えた方が
面白いし糧になったりする
年取ると駄作による時間の浪費のショック追い払うだけでも疲れるからな…… 古いハリウッド映画好きだけどただの娯楽映画として面白いってことで俺はいいな
蓮實さんの勧める映画確かに面白いけどテーマ批評の面白さが全くわからん ギリシャの小さな都市で起こったことを世界中インフラにしてるまずさ。年上男性が入り込む余地がある悪癖。 物語内容は別にどうでもいい大事なのは描写と文章だ
批評ならまあいいんだろうけど作家志望が間に受けたらロクなことにならないぞ
しかしわれわれは蓮實さんの文章にも惹かれたけど批評の内容が面白かったから読んだんだけどね tokada
浅田:山口昌男、蓮實重彦、柄谷行人を押し出したことはよかったと思っている。
しかしプロレスリングの興業のようにやるのはよくない。あまり俗受けは狙わないようにバランスをとっていた。
しかし俗っぽく行くしかないという割り切りは分かる。 #genroncafe
2014年2月22日
いちろう階段
蓮實重彦がジャイアント馬場で、柄谷行人がアントニオ猪木で、中上健次が前田日明で、
浅田彰が船木誠勝で、山口昌男がアニマル浜口で、すが秀実と渡部直己が宮戸優光と安生洋二で・・・
あれ? すると三浦雅士はターザン山本?
2014年12月12日
アイカワ
昔『金井美恵子全短編V』の月報に蓮實重彦が<「早熟」な「大器晩成」>と書いたとき、
週間プロレス「ジャンボ鶴田特集」の表紙コピー「早熟なのに大器晩成」を思い出して、
蓮實重彦がターザン山本に敗けた、と思った人はぼくだけじゃないはずです(笑)。
2017年4月23日 ターザン山本はもともと映画青年で映写技師の経験もあり、若い頃に小川徹の「裏目読み」批評に影響された。
不潔で臭いのに世話焼きな女性信者たちに囲まれて面倒みてもらっていた小川。
四方田は蓮實を批判し斎藤龍鳳を「最後まで映画と反体制に殉じた硬骨漢」と持ち上げたが、小川徹同様とても読めたものではない。 お前らは頭悪いから、例えでしか、蓮實をおちょくれないのかW
蓮實をほんとに殺せるのは俺だけなのかW 村上春樹スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classic/1385117333/l50
ニュースでアベ首相が今日OOOXXX会議に出席しいかにも率先して指示を出している
みたいな映像がよく出るが、あれはたった15分ばかり出席して役人の作文を読み上げてる
ところをテレビ局に撮影させてるだけなんじゃんw
やったフリは華麗に自己宣伝し、数値ねつ造、事実隠蔽
原発放射能、新型ウイルスには対応できるはずもない
在日電痛宣伝政治は終了
電痛には行政、政党など国家地方公共団体に関わる仕事、不動産業は禁止
広告業も一業界一社に制限 >>242
>>tokada
浅田:山口昌男、蓮實重彦、柄谷行人を押し出したことはよかったと思っている。
何故、浅田の後に「:」が入っているのか?
そして、「押し出した」のは誰なのか?
>>あまり俗受けは狙わないようにバランスをとっていた。
しかし俗っぽく行くしかないという割り切りは分かる。
これらの文の主語が不明では? >>227
それじゃなくて>>214に返信しろよ。 志村けんが亡くなったらみんな悲しんでる
蓮實が亡くなったとして悲しむ人がそれほどいるかな?
毒は吐くだけ嫌われるんだよ 福田和也よりは長生きしそう。
蓮實が死んだら半年以内に金井が死ぬ。 ややアンチ気味の人間だけど死ねばやっぱり悲しいよ
最近は興味ないけど柄谷とかもね
スガあたりはそうでもないけど 蓮実先生の黒歴史
「日本は外交を放棄している」蓮実重彦・元東京大学総長インタビュー
韓国・中央日報 2005.03.21
「竹島が誰の領土かを、日本人が歴史的に決めるのは不可能だ。
書類上から見ると、島根県に併合されたものになっているが、韓国との合意のもと、決定されたものではない。
島根県議会が何故、この時点にそうしたことをしたのか、私の理解をこえた部分だ。」 >>253
志村けんねぇ〜
ピーウィー・ハーマンをパクってた
喫煙マナーを知れないオジサンだね
オマエはさぞ悲しんだことだろうww 確かにダメだなw
世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき >>世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき
これ、かなり笑わせてもらったww
これほど「愚民」という言葉が似合う奴も珍しい
つーか、なんでこのレベルのバカが文学板に???? 貴方は賢民ですね
焼きビーフンでも食べといてください 誰からも賛同もらえない孤立した意見を文学と勘違いして発狂してるバカ発見w つまり、世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき、かwwwwwwwwwwwwww こいつ悔しくて夜中からずっと張り付いてんのか?wwwwキモーッwwww 表面的な知識による逆張り、マナーに訴える浅ましさ、まさに俗情との結託だわなw 蓮實もたけしも老害と化したが
志村けんだけは老害化しなかった
毒ばかり吐いてると当然作る敵は多いし
文化人気取って政治や常識だので上から物申すようになるとイヤミに映る
志村けんはそういうところは全く見せなかったし
ただ人を笑わせて人を幸せな気分にした
どっちが人生幸せだろうね
明らかだが 蓮實さん映画館が次々休館してくのになんかコメントしないのかね? 『俗情との結託』などというカビの生えた言葉を得意げに使うバカが
いまだにいるのか、と 唖然としたが、
『世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき』のバカか
納得www 志村けんこそ「俗情との結託」したタレントそのものだろ
別にそれがいけないとは言わない。
そういうものしか面白がれない愚民はいっぱいいるからな >>275
一言でいいこと言うねえ
世間から掃き捨てられてまともな会話もできない無知蒙昧のジジイが選民思想語るのとは大違いだわw >>274
「俗情との結託」が何かも理解してないのバレバレwwww感覚で駄弁撒き散らすなやwwww 意味不明なこと言ってないで
頭いいなら馬鹿にもわかりやすく話してくれねぇかな 全国のミニシアター援助方法まとめ、入江悠が呼びかけ「ご近所を支援して」
https://natalie.mu/eiga/news/374224 なんだ、つまらん
『世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき』に続く
激烈バカフレーズ、まだか
意味も知らない言葉をふりかざして大恥をかく、の第二弾でもいいぞ
(第一弾は「俗情との結託」) 当たり前だが、世間の価値観に屈服しろという意味ではないぞ。
世間の価値観を踏まえておけ、ということ
蓮實が大学行政人でもあったことの意味を考えよ >>281
「俗情との結託」を示しているのは志村じゃなくてお前な、お前w
意味分かってなくて恥かいてるのは↓よw
『志村けんこそ「俗情との結託」したタレントそのものだろ
別にそれがいけないとは言わない。
そういうものしか面白がれない愚民はいっぱいいるからな』
何書いてんのお前wwww >>282さんの書き込み、よく読めよw当たり前のことしか書かれてないけどw
『ピーウィー・ハーマンをパクってた
喫煙マナーを知れないオジサンだね 』
↑当たり前のことが分からずに、議論の手続きを放棄して「パクり」だの「マナー」だのと良識に訴える書き込みしてる俗物根性wwww 志村が俗情との結託なら蓮實の愛するハリウッド映画は俗情そのものじゃん 燦然と輝く激烈バカフレーズ その輝きは今も褪せないwww
『世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき』
キチガイはキチガイなりに自分が恐ろしく間抜けなことを言ったことに気づいたらしい。
>>282で後だしジャンケンで誤魔化しに走ったが既に手遅れだww
そして、>>282で自分で自分に「さん」付けでバレバレ自演
連日バレバレwww
哀れな後出しジャンケンもバレバレ自演も要らん
オマエに期待してるのはキチガイフレーズ第二弾だww 緊急事態宣言で存続の危機 東京のミニシアターで今、起きていること
毎日新聞 2020年4月7日 15時30分(最終更新 4月7日 15時30分)
https://mainichi.jp/articles/20200407/k00/00m/040/156000c >>287
世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき、そんな 当たり前のことが分からずに、議論の手続きを放棄して「パクり」だの「マナー」だのと良識に訴える書き込みしてる俗物根性w
何かを論じるときに自らの価値観と対象の評価をすり合わせるのは大前提でしかない、それ以外は無知蒙昧の承認欲求丸出しの自己主張にしかならんからな
じゃなきゃそもそも「俗情との結託」と言った張本人が長々と小説書く必要もねーだろうがw
『ピーウィー・ハーマンをパクってた
喫煙マナーを知れないオジサンだね 』
何か言ったつもりになってるバカ、しかもまだ「世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき」の意味が理解できていないらしいw
それから自演と言い出したらもう終わりよw
IDの数=お前を嘲笑した人数とは限らんが、このスレで俺が自演する必要どこにもないから、お前をバカとしか思ってない他の人らに教えておいてやるわ
『とうとうバカが発病して俺らの書き込みを自演と言い出しましたよ〜』wwww >>282さんには悪いけど俺なら大学行政人としての(学長の頃のってことだろう)蓮實の振る舞いを引き合いに出そうとは思わんしな おっ 後出しジャンケンを反省したのか
低能フレーズ『世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべ』を
『そんな 当たり前のこと』と居直ったwwwwww >>290
で、相変わらずバレバレ自演は続けるのかww >>291
「世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき」というのは今後も一切添削する必要がない基本中の基本だからなw
最初の>>261で盛大に大コケしちゃったからお前のバカがどんどん明るみになってももうムキになってオウム返しするしかできないw
>>292
で、自演認定発狂オジサンはまたしても引き返せなくなってるけど、もう後はどうせお前の脳内でグルグルしているのに付き合わされるだけでしょ?
「当たり前のこと」が共有できないから(基礎教養がないともいう)「世間の評価と自分の価値観合わせられない」まま、思ったことをすぐに口に出して応答がもらえると思っちゃうんだよね?wwww
当然もらえるわけないから、ここで俺含む何人かに(何人かは知らんが、最低でも3人はいることがいくらアホのお前でもレスの文脈から理解できるよね?w)嘲笑されてんだよw 頑固者のオジーちゃん、今度は『基本中の基本』だってさww
こういう愚民が戦時中の言論統制や言論弾圧をすんなり受け容れてたんだろうな
オジイチャン、今は戦時中じゃありませんよ
それからバレバレ自演、みっともないですよww 自演認定発狂オジサンの相手はもう終わりね
理由
・4/6には半日スレに張りついて即レスし続けていた病人
・>>287ではレスの数々をついに自演と疑い出した病人(これが決め手)
・「世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき」という基本中の基本をいまだに本気で理解できていないらしい病人w(無批判の「言論の自由」が権力に対抗できるとでも思ってんのか、このキチガイは?)
・発言内容からして最近の蓮實のフォード論序章を読んだ様子もない(このスレにいる理由が見出せない病人)
・「パクり」「マナー」「後出しジャンケン」「自演」、レス内容の根拠がいちいち幼稚、これほどまでに論理を展開できない病人もそういない(まさにジャンケンのように負けたくない一心で思いついた単語を並べているだけw)
こんな無能発狂オジサンこれ以上相手してもスレの無駄でしかないw
あとジジイはお前なw
「おっ 」とか「オジーちゃん」にしろ、『 』による引用一つとってもいちいちジジイ丸出し、違和感ありまくりだから(『 』はお前のスタイルに「合わせて」やってたんだぞwダセえダセえ) もはやどうでもいいけど、『 』で引用する奴って50代とか60代じゃね?
語彙にしても「後出しジャンケン」とか恥ずかしくて使えないわ
いつの2chだよ?
「自演」自体もう古臭いしな、そもそも「自演」って何のためにするの?議論においては一切不要だろうね 大昔のチャットのような引用記号から推して>>251=>>261だろうが、>>251も酷いもんだ。
リテラシーなさすぎ。これでは何も読めない。 おじいちゃんが負けを認めて逃亡宣言ww
結局、『 『世間の評価と自分の価値観合わせられないなら黙るべき』 』に続く
キチガイフレーズ、出ずじまいか
いや、ジジイはまた来る、志村けんが大好きなジジイはまた来るぞwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています