蓮実重彦の功のほうをいう方は多いので、あえて罪のほうを言わせていただけば、
シネフィル作家主義というものが蔓延することによって、
ただでさえ弱かった日本映画は、
いっそうの壊滅的なダメージを受けたということがあると思う。
たんじゅんにいえば、日本では、映画の体をなした、まともな映画が、ほぼつくれなくなった、ということである。
映画はべつに映画監督単独の創作物ではないにもかかわらず、
その種の幻想を、一部のファンのみならず、
映画製作関係者にも与えてしまったということの罪は大きい。

思想的には、「作者の死」(バルト)や「制作の複数性」(ドゥルーズ)
なというような考え方をよしとしていたにもかかわらず、蓮実重彦は、
こと映画に関しては、作家主義の立場を、直接、間接に、主張してきた。
なお、その種の「作家主義」というのは、
デカルトの「方法序説」の冒頭を読めばわかるように、
蓮実先生がその紹介者の一人であるところのフランス現代思想が、
もっぱら仮想的にしていたデカルト主義です。