> 念仏なんてまったく俺は価値を持っていません

あなたが言うなら そのとおりだと思う

> 違います、ただ魂と肉体を分けて考えているからです
> 宗教的に見れば、肉体のながさは大事ではありません

魂と肉体を分ける、という考え方はどうなのか? それは真実から離れていないか? それはキリスト教の悪い側面ではないのか?

> だから日本なんかではキリスト教が嫌がられるんですよ
> 生だけを肯定しないと社会の価値と一致しないからです
> ながく生きようと思わないものは悪になるからです

日本に限らず世俗とはそういうものではないか? このスレのチンピラも同じではないか?
しかし無信仰の外道も、親が死に、自分が死ぬという段になって、それでも「生だけを肯定!」なんてやつはいないでしょ?
心と肉体にかぎらない、あなたの思考の枠組みがすべてにおいて、二分化してる。誤った悪い書籍の影響だろう。

> 聖なるもの、ヌミノーゼ、啓示、などの世界観を持たない人や興味そのものを持たない人は理解はできません
> 畑が違うからです、理解なんてしたくもないからです

聖書だろうと、仏教だろうと、世間というものは宗教を嫌うものです。ねんのため再度書く。
創価学会だろうと、幸福の科学だろうと、カトリックだろうと、天理教だろうと、ほんとうに信仰根本の生活をしているひとであれば、そんな信仰を持たない一般人にとって、理解し難く、ときに嘲笑の対象となる存在なのは同じです。

創価学会しか知らないから創価学会について書くが、例外なく入信前は「学会など小バカにし反対してた」ひとばかり。
それが入って体験して驚く。「自分が空想してたものとまったく違っていたから」