サルトルの実存主義はマルクス主義だよ
しかもヒューマニズム的解釈のマルクス主義だ
本家のマルクスだと産業労働者たるプロレタリアートが
労働関係のなかで構造化されて個人意識が階級意識にステージアップされて
これが革命と社会進化の主体になるんだけど
サルトルだとあくまで個人の自由が担保される

そうすると共産主義者として組織化することが困難になるのだが
「反抗」という形での主体性は残る
まあ、過激派好みの理屈だね
無責任なデマコギーでマウントをとる文学者が利用するのは便利な思想だよ

ただ、大江は学生運動が過激化する時代あたりから
この理論を捨てて構造主義(文化人類学と言語学)のほうに向かうんだな
だから転向したとか保守化したと
かつての読者である過激派から批判されるわけだ