★★★大江健三郎スレ4★★★
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大江健三郎
1935年1月31日生まれ
1994年 ノーベル文学賞受賞
2018年 大江健三郎全小説刊行開始
前スレ
★★★大江健三郎スレ3★★★
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1550408926/ >>593
大江文学は難解だからね
文学的感性と文学の教養が備わっていない読者には
何が書いてあるのか、さっぱり分からないシロモノだ
分かる人間にはたまらない快楽だけどね 憲法9条護持はバカらしいけど天皇制廃止は賛成だな。
アベを呼び捨てとか批判あったけどアベなんて呼び捨てでいいよw
反自民だと思うけど支持してる政党を明言してるの?
中国とか北朝鮮に好意的とかいうけどなんか根拠があるの? 大江作品を通して他の作家を知っていく自分みたいなパターンもあるよ
中学で芽むしり読んでどハマり
漱石とかより先に大江だった >>594
このレスそのまま読んだらただのスノビズムの表面化でしかないもんな、生産性のないスノッブが減ってる昨今大江が再読されるのも難しかろう どれが最高傑作とは誰が一番とか本当にくだらねぇ。浅ましくも他人の仕事を自分のために利用しているだけ。
その理由を一から論理的に説明した批評でなければ一切の価値なし。
芸術なんて究極的には結局個人の好みの問題。ピカソとベーコンどっちが凄いとかそんなもんまったく意味がない。
ただ言い得る個人が到達した審美的経路を十全に明かしてこそ別の意味が生まれる。
世の中にゴマンといるこの手のハッタリ野郎に決して騙されてはいけない。 >>602
君の上下うろちょろしてるゴミは無視するとして
君の個人的な好みでは大江のどの小説が最高傑作なの? >>604
大江健三郎はそもそも好きじゃないしもう10年以上読んでもいない、でも一番よかったのは『取り替え子』かな。最高傑作などこちらの知った事じゃないし大江健三郎を貶めるつもりもない、たとえフォークナーと比較しても日本人として恥じる事はない作家だとは思うが単純に好みじゃない。大江は難解だから良さがわからんのだとか偉そうな事言う奴は本当に低レベルで一生アートなどわからん無粋な輩だと思う、勝手にご自慢のトーテムに仮託した権威を猿のように信奉しとけや!他人に強制すんな!それはだけは断固としてと言っておきたい。 >>606
当然そういう答えが返ってくると予想してたんだ、すまんねw
読んでないやつがしゃしゃり出てきてる感がにじみ出ていたぞw >>602
ベーコンは卵焼きに添えると美味しいけど、ピカソは食べられそうもないな。
え?
お呼びでない、こりゃまた失礼いたしました・・・ 大江の最高傑作は「他人の足」だろ
大学生らしい妄想で素晴らしい >>610
なんやこいつwwww
バカ丸出しだからいじってやっただけやんw >>611
そもそも誰お前?基本的な礼儀も知らん奴が偉そうに粋がんなって。クズは文学云々するより幼稚園からやり直した方がいいでしょ。馬鹿でどうしようもない白痴のゴミなんだからまずはその事を自覚したほうがいいよ。 いつもの如く荒れているな
しかし、「取り替え子」を推す人はあんがい多いね 伊丹の死体を嫌々ながら見に行こうとするのを
妻に止められてホッとする小説、取り替え子
つくづくクズな小説だな 水死もいいぞ
文庫化もすぐ書店から消えたけど
新しい人よ眼ざめよとか燃えあがる緑の木なんかよりは断然こっちを推す ようやく文学スレッドらしくなってきたな
右翼と左翼の罵倒合戦には飽きた やっぱ80年代だよなあ
燃えあがる緑の木は一つの「世界モデル」ですか、それを描出するってことではやりきったんだろうけど、人物が構造に押し流されすぎてるようなとこがあるんじゃなかろか
先に80年代の小説があったからそこに行ってしまえたってのもあるだろうけど 大江の小説など、ロボトミーされた左翼botしか
良いという奴などいないだろ
日本に間違いの種は存在してはいけないと思う >>622
ろくに読んでないくせに
いらないレスを書くな >>624
エンタメではないからね
教養がないと読めない文学だから
さようなら 別に教養がないと読めないわけでもないと思うけど
初期作品なんかはわかりやすい方では >>626
初期に限らず、教養がないと感性についていけないだろうね。 教養あんま関係ないでしょ
むしろ田舎で暮らしたことがあるかとか姻戚関係・家族関係がどうだったかとかそっちの方が読み方を左右しそう 『水死』の真っ赤なカバーが好きだな
単行本が出てすぐ買ったが、じつはまだ読んでいない むしろ
世間一般に純文学と括られているなかでは
圧倒的に面白いんだよなぁ
スノッブなのは否定できないし
作者も読者に読む努力を求めるつくりを意図して心掛けているのにも関わらず レイトワークでも
取り替え子、アナベルリイ、水死は
全創作活動中のベスト10に入るレベルなので問答無用で読むこと アナベルリイは過大評価だな
ベスト10の9位10位あたりになら人によっては入るのかね 古井なんとかよりは、全然面白いですね
「僕が本当に若かった頃」とか、サスペンス小説みたいで >>633
あの短編集は技巧の限りを尽くしていて、すごい
短編でやれることはあれでやってしまったので、
以後は短編を書いていない >>634
参考までにどれが好きなの?
表題作は俺はあんまりだったな
「火をめぐらす鳥」が「燃えあがる緑の木」に反映されているように素材の宝庫ではあるね >>636
ありがとー
それ読み飛ばしてるからさっそく読んでみるね >>634
表題作以外は『燃えあがる緑の木』の副読本だな
「最後の小説」に取り組むための素材を揃える段階か
「涙を流す人」の楡のN大使は総領事のモデルだね 大江の凄さはやはり想像力の凄さで
作家当人の口にする主題云々を真面目に受け取って読んでもつまらない
燃え上がる緑の木は大江の中じゃイマイチだな 想像力より細部への配慮(大江は「注意力」という言い方をするね)のほうがすごいと思うね
想像力でいうとモチーフを伝承なり神話なり詩なりから借りてきていることのほうが多いんじゃないか 古井なんとかは単純につまらない
大江よりつまらない、というのは相当なもの
物書きは、まず読者に読んでもらって何ぼの水商売
だと自分で分かっているのかどうか
「仮往生伝試文」を激賞する佐々木中など
この上なく冷めた眼で見てしまう 「マルゴ公妃のかくしつきスカート」と「宇宙大のレインツリー」が良い 水死とかロウタシアナベルリィーあたりから
単行本は買って一応読んだけど
全く伝わらなくなってしまった
何十年も読んできたけど 古井はともかくとして
純文学という看板を盾に
技術のなさとつまらなさを誤魔化してる作家先生ばっかりだよ
大江よりつまらないのばかりじゃないか日本のいわゆる純文学畑なんて
読むのに努力を要するわけじゃない
読み応えがあるわけじゃない
そのうえしかも面白くないことを純文学だからというベールで包んで守られてるだけ ゴミの様な題名がひたすら並べ立てられるが
ゴミをどんなに並べ立てようがゴミはゴミ
ほんとゴミだよ
こういうアホらしい状態を打破するのには、逆の方向から
考えてみるのが良いのじゃないかと思うんだが
自称大江の愛読者どもは、だとするなら
大江の失敗作はなんだと思うのかね?それによって
お前らが本当に大江を褒め称えているのかということが
わかるのじゃないかと思う。ちなみに大江は失敗作として「日常生活の冒険」
や「われらの時代」をあげているんだが。 読者が作者と同じように考えるわけがないだろ
読み手それぞれによって名作の評価は違う
だから面白いんじゃないか >>646
可哀そうというか
はっきりいうと
あそこらへんで終わったんじゃないかと思う
取り替え子3部作までで
その後の3つはどうなんだろう 尾崎真理子の『大江健三郎全小説全解説』を読んでいたら、
「「涙を流す人」の楡」を大江が凝っていたタルコフスキーの映画
と通じ合う雰囲気の短編とあった
自分は「ノスタルジア」を映画館で初めて見た時、
大江健三郎に似ていると思ったね >>651
センスとは?
つまり理解力の乏しいクズ、
さらにつまりなんの意見もなくディスりしかできない
ネットグズ的人間が言うセンスとは? 初期だけでなく中期も後期も面白い
55年にわたって長編を30も書いて面白さを持続させた作家
世界で他にどれくらいいるのかな 光があるなら影は当然に意識して然るべきもの
しかし自称大江の愛読者どもは大江に影はないとのたまう
どんな新興宗教だよ。大江は新興宗教だ。 >>657
>大江に影はない
そんなことを言う奴はおらんやろw 失敗作は普通にあるし挙げられるだろうが
あらしの相手をしてもしょうがないと皆思ってるんだろ >>662
なぜそれを失敗作と思ったか、その理由が問題だ。
その理由づけによってその人間が何を考えているのか明白になる。 大江を理解する上で大事なのが柄谷の評論だとは、どういう根拠で言ってるんだろうネ。
もっと学術的なものがあるだろうよ そういえば「ピンチランナー調書」や
「同時代ゲーム」の発表時には読者の賛否が分かれたらしい
結局、何を期待しているのかで評価が分かれるのだろうが
この際に作者の創作意図や技巧を無視した個人的判断を下すのなら
それは単なる好悪でしかないけどね 初期:奇妙な仕事〜個人的な体験
中期:万延元年のフットボール〜同時代ゲーム
後期:「雨の木」を聴く女たち〜燃え上がる緑の木
最後期:宙返り〜晩年様式集 そこで後期と呼んでいる作品群は40半ばから50代の作品で
感覚の問題だけど自分は後期とは呼ばないな この間、大江君の鼻の孔両方にワリバシを突っ込んでみたんだよ。
・・・痛がっていたよ。 >>668
中期も重要な作品が多いが、ノーベル賞後の最後期も注目に値する 連合赤軍事件を予言した『洪水はわが
魂に及び』、
オウム真理教事件を予言した『燃え上がる緑の木』、
大江のイマジネーションは同時代の意識と激しくコミットする 燃えあがる緑の木ちゃんと読んだ?全然オウムを予言してはないよ ざっくり表面だけとれば
>連合赤軍事件を予言した『洪水はわが魂に及び』、オウム真理教事件を予言した『燃え上がる緑の木』
という俗説を信じてしまうが、きちっと中身をちゃんと見ると実はあまり関係ないんだよな
まあ、それでもその時代の若者のパトスを汲み取ってはいるとは言ってもいいのかな? 最後の作品は
ベケット風の対話形式つまり戯曲風になる予定だって
尾崎のインタビューで答えてたが
出るのか? 言うの憚られるけど遺稿という形になるんじゃないか。 長命作家の晩年の長編
小島信夫(1915-2006)
『各務原・名古屋・国立』(87歳)、『残光』(91歳)
大西巨人(1916-2014)
『深淵』(87歳)、『地獄篇三部作』(91歳)
安岡章太郎(1920-2013)
『流離譚』(60歳)、『鏡川』(80歳)
※安岡は『流離譚』以降も30冊以上の本を出したが、小説とも随筆ともつかない作品が多い。
大江健三郎(1935-)
『水死』(74歳)、『晩年様式集』(78歳)
あれだけ書いていた人がパタッと書かなくなっちゃったな。 震災後の数年間に原発再稼働反対の署名活動や
安保法制反対運動とかで
あるいみ神輿のような形で引きずり回されたでしょう
もう若くはないんだから心身の負担はすごかったと思うけどね
そこら辺は「燃え上がる緑の木」のギー兄さんの末路のようで
見ているだけでも具合が悪くなる 大江健三郎の左翼知識人としての言動には一切共鳴しないし、
何か言論を発表しても、読みたいとも思わない
しかし、小説家としては、世界トップレベルだとみなしていて、
毎年どの小説かを読んでいたい存在だ
もう新作が書かれなくても、これまでの作品だけで十分だ >>677
>きちっと中身をちゃんと見ると実はあまり関係ないんだよな
そう
ただ、大江本人が後に
第三部執筆中にオウム事件の報を聞いて
現実と虚構の接近に震え上がったと書いていたので
未読の人間にはそのように誤解される
村上龍も「イン・ザ・ミソスープ」連載中に
酒鬼薔薇事件が起こって震え上がったとどこか書いていたし
テレビに出演して「ナイフを振りまわして人を傷つけてはいけません」
と龍らしくもないお説教をしなければならなかった
作家は繊細で感じやすい人が多いのね
ただしくは小説を書いて発表するということは
多大なストレスがついて回るということなんだろうけど >>684
大江の燃え上がる緑の木はオウムというよりヤマギシ会だろ
大江が口を挟むことによって本質がわからなくなるように思う
良い大人がオウムになぜ傾倒したのかと
疑問を持たれたけど、良い大人が生まれて初めて出会ったように
若者のオカルトに感染するといことはあると思う。
それは大江の見当違いな精神性とつながるものがある。 >>685
>大江の燃え上がる緑の木はオウムというよりヤマギシ会だろ
ああ、それはあるね
でもまあ作中の分裂抗争は
新左翼によるセクト間抗争のような感じであり
オウムはもちろんヤマギシとも違うね
でもまあ、国家共同体とは切り離された自然「的」共同体が
国家の傘下にある共同体以上の醜悪なものとなって
あっさりと粉砕されたので
創作限定とはいえ桃源郷的自生秩序を夢想していた作者にとって
オウム事件はそれなりの衝撃を与えたんだろうけど
>大江が口を挟むことによって本質がわからなくなるように思う
ピンチランナー調書もそうだけど
ある時期から創作手法の変化に対する
いわば読者への弁明のような自作注釈が増えるんだよ
しかしそういう試行錯誤をまとまった形で作品にしようとしたのが
「燃え上がる緑の木」だったような気がするし
ああいう形でケリをつけたので
休筆宣言解除後の割と肩の力が抜けた作品群に移行できたような気がするけどね 2016年に講演を聞きましたが、なんというか認知症が始まってたような印象をうけました。あれから公の場には出たないのではないでしょうか、文芸誌に寄稿もしないし >>683
大江健三郎の左翼知識人としての言動は素晴らしいよ。
あそこまできちんとものが言える人は、日本には他にいない。 >>689
小説も知識人としての言論も、という意味だよ。
小説だけを高く評価して、知識人としての言論をボロクソに貶したのは吉本隆明。
その吉本は原発事故の時に、事故や人の被害を恐れずに原発を推進して行くのが人間だ、という論陣を張った。
一貫して核兵器にも原発にも反対してきた大江との差は歴然としている。 吉本は社会や人間に対して技術中心の捉え方しかできないし
どうやら近代合理主義の自然科学的世界観から
技術のみを抽出できると考えているようだ
たとえばフーコーとの対談においても同種の発言をしたあげく
しょせんお前たちの繁栄とは
西欧合理主義の上澄みである科学技術を応用したものに過ぎないのだ
というしっぺ返しを食らったのだが
悲しいことにぜんぜんピンときていない
大江はそこまで鈍感ではないのであくまで文学者としての立場から
近代人の自我構造の起源と発展について
文化人類学的知識や民族学などを動員して
人間性の普遍性と和解についての作品を書いてきた
まあ吉本の目には欧米かぶれの田舎者としか映らなかったようだが
基本的に何を主張しているのか理解できなかったのだとおもう
これもまあ悲しいことではあるのだが コントロールするほかないという立場と
コントロールなどできないという立場ね
できないとすることから超越性が入り込む
大江がこの超越性にうまくケリをつけたとは思えん 大江が小説家としてすぐれているのは社会主義リアリズムを
とらず、グロテスクリアリズムを採用したことだ
ゴーリキーや野間宏のように時代遅れにはならず、古典になりうる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています