★★★大江健三郎スレ4★★★
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大江健三郎
1935年1月31日生まれ
1994年 ノーベル文学賞受賞
2018年 大江健三郎全小説刊行開始
前スレ
★★★大江健三郎スレ3★★★
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1550408926/ >>833
どこでって、引用しろってこと?
>>822 は >>820 に対する十分な回答になってるぞ? >>834
「愛国カルト君よりは、社会や多くの人と関わってるよw」
匿名の相手とご自身を比べる手段がないのでこれは虚偽ですね
「数えたことはなけど、せいぜい2、30冊じゃないかな?」
これは事実かもしれませんが、実質読んだとは言えないような返答しかありません
「教養というのは陳腐なもの。」
これはあなたの臆断に過ぎないものであり、周知される事実ではありません
すなわち>>834もまた事実ではなく、虚偽だということになります >>836
ええ、本人がそう発言しているということですから引用可能でしょう >>835
やや教科書的な概説のように見受けられます
しかし晩年様式集を難解とするトンデモ説よりはよほど有益でございましょう >>835
>大江もそうした流れに乗って書いたんだが、読者が付いてこられなかった
刊行時の加賀乙彦との対談によると
元は6つのそれぞれ異なる構造体によって構成される
さらに長大な小説をめざしたそうだが
この構想を断念して分量も草稿の段階からかなり削り込んだそうだ
それは何よりも読者への配慮があったのだろう
異なる構造体の複合物という試みは
その後の短編連作である『「雨の木」を聴く女たち』
などでいちおう形になったのだろう
もっとも、80年代の小説は
『同時代ゲーム』同様かさらに評判が良くないわけだけど
職業作家としての生活もかかっているわけだから
そんなに野心的な冒険はできないはずなのに
そこをあえてやってしまうのもすごいことなのだが
同時代の古井由吉もそうだけど
あんな小説を書いていてよく食えたものだと感心してしまう
出版社はもちろん読者の方も根気強かったのだとおもう
良い時代でもあったのだろう Amazonレビューや読書メーターで『晩年様式集』を難解と言っているのは
総じて初期作品しか読んでいないか大江初読者のみだね
最低でも『万延元年』『M/T』『懐かしい年』『燃えあがる』『水死』くらいは読んでおかないとそうなるわな
読んでさえいればきわめて平易である
2,30冊読んでいるのに難解と感じるなら大江に向いてないw 1980年代及び90年代で、秀作といえるのは独断と偏見で、
『新しい人よ眼ざめよ』『人生の親戚』『僕が本当に若かった頃』しかない
21世紀になって蘇った >>840
ゆうてもバブルの時代に日本を代表する大御所だったんで金はポンポン入ってきたんじゃないの
特に講演のギャラ
小説読む限りでは大江は別荘だって二つも三つも持ってるじゃん
あれ設定なのかな?設定だとしたらちょっとダサいけどw それとたしか『死者の奢り・飼育』は100万部超えてるよな
売れたのはノーベル文学賞獲ってからじゃないでしょ
金は潤沢にあったんじゃないかね >>842
独断と偏見の
いかに木を殺すか
懐かしい年への手紙
評を聞きたい 大江は伊豆と北軽井沢に別荘持ってるね
大江が80年代に「本が売れない売れない」愚痴ってるのは
自分自身が若手の旗手として新著をハードカバーで10万超売ってたころと比較してとか
1980年代の若手の旗手W村上と比較してということでボヤキ漫談みたいなものでしょ 前者の表題作は他の小説を読めば十分なので秀作とは言えない
揚げソーセージの食べ方は山羊のオマンコがどうのこうのと下ネタが気持ち悪い
後者はそうだな
風呂場の外でシコる語り手から中世以前の男性は皆どこでシコっていたのだろうかという大きな疑問が残されたので秀作とは言い難い
ラストだけ急にイイ話っぽく締め括るのもわけわからん
21世紀になって蘇った 柔いチンコ根治、岩や!
(やわいちんここんちいわや)
〜令和回文百物語・第一夜〜 1980年代では『懐かしい年への手紙』、90年代では『燃えあがる緑の木』が
大きな作品だが、当時の作家の精神が文体に反映して、弱々しい印象
長さに見合う強靱な文体の張りが見られないのが何とも残念だ >>838
タイトルまで書いてあげたんだから、自分で読めよw >>839
身辺雑記というのは、本人にとっては大きな(重要な)感情の動きだから表現されるが、他人にとってはどうでもいいことも多い。
それが作品として成立する根拠はどこにあるのか、ということを考えるだけでも難解だよ。
君には高級すぎる議論だがw >>841
君には難解の理由がまるで分っていないw
朝起きて歯を磨きました、というのは文章としては平明だが、それを作品として成立させる根拠は極めて難解。 >>850は簡単なことなのでページ数・行数を提示するべきですね
>>851は何とでも言える空疎な「言い回し」ですね
>>841は私にも即参照可能なただの事実ですね
>>852は毎度おなじみのただの臆断ですね
根拠が難解という日本語からしておかしいです
単純なことを難解と言いたがる人にありがちな日本語のヘタさですね >>851は晩年略式集が身辺雑記であると作者が明言しているという根拠を提示してからでなければ何の意味もなさない
議論というのはそういう手順を重ねて行われるものです
それは知性の高低に関わりのない最低限の手順です
さもなくばただの個人的な意見の表明に過ぎません
あなたが身辺雑記そのものをどう思っているかなどこの際どうでもいいのです
お分かりですか? 大江健三郎にはこれから死ぬ気持ちはどんな
気持ちなのか聞いてみたいものだよな。 ロビーの意見言うななう、陰茎伸ーびろ!
(ろびーのいけんいうななういんけいのーびろ)
〜令和回文百物語・第二夜〜 陸奥・早漏と亀頭、蝋燭の魑魅
(みちのくそうろうときとうろうそくのちみ)
〜令和回文百物語・第三夜〜 負荷の足りない尺八は悔しい、成田の寡婦
(ふかのたりないしやくはちはくやしいなりたのかふ)
〜令和回文百物語・第四夜〜 愛しいなケツ穴、呆気ない死・問い
(いとしいなけつあなあつけないしとい)
〜令和回文百物語・第六夜〜 スカトロ世代クソ食い出せ!炉溶かす
(すかとろせだいくそくいだせろとかす)
〜令和回文百物語・第七夜〜 Cure!原発反対、タイタン発パンゲア行き
(きゆあげんぱつはんたいたいたんはつぱんげあゆき)
〜令和回文百物語・第八夜〜 鬱!酢にペニス2
(うつすにぺにすつう)
〜令和回文百物語・第九夜〜 世の悔いた摩羅勃つ、一発イッたらまたイクのよ
(よのくいたまらたついつぱついつたらまたいくのよ)
〜令和回文百物語・第十夜〜九十夜を残して完〜 大江健三郎さん、自筆作品の原稿1万枚超を東大文学部に寄託…自作にかける強い執念伝わる資料
2/12(金) 16:05
配信
読売新聞オンライン
ノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎さん(86)が、1万枚を超える自筆原稿を母校の東京大文学部に寄託した。同大が12日、発表した。大学在学中に執筆した著名な短編「死者の奢(おご)り」をはじめ、原稿や校正ゲラなど寄託資料は約50点に上る。
東京大文学部は「大江健三郎文庫」(仮称)を設立し、大江文学を中核とする日本近代文学の研究拠点にするという。
「優しい人たち」や「火葬のあと」などの初期の活字になってない原稿も寄贈したのだろうか 大江君もねえ、出始めの頃は実に面白かったのだがなあ・・・。 >>854
タイトル名まであげたんだから、まず読んでからレスしなさいね。
値段も安いし、1日あれば読める分量なんだから。
お金が惜しければ図書館で読めばいい。
>根拠が難解という日本語からしておかしい
日本語に難がある人なんだろうとは思っていたけど、この文がおかしいと感じるのでは、確かに誰のであろうと文学作品を理解するのは無理だ。
文学のみなっらず、日常一般でも、コミュニケーション障害といわれるレベルだ。
単純なことを難解といっているとか、文学理論も哲学書も読んだことがないのだろう。
あなたは人文科学の素養を少しでも身に着けてから、僕に絡んできなさいね。 >>855
議論するには最低限の知識と教養は必要だ。
あなたが最低限に届かないとしても、指摘されたことに反論したければ、簡単なインタビューの本ぐらいは読んで殻にしなさいね。 >>869
作家自身を語るに晩年様式集を本人が身辺雑記と認めるくだりはありませんね
だからページ数行数を聞いているのですがなぜ読んでいないと思われたのでしょう
簡単な日本語使用の誤りすら認められないのですから
ご自分の誤りを認めることがないことはもう把握しております
だらだらと言い逃れをするのがあなたの場合誤りの証明となるので非常に明解です
今後とも人間の最底辺ならではの言い逃れをお待ちしておりますね
根拠は難解というのは上の下品な回文ほどの面白さもなく知性のかけらもない
ちょうど頭が悪い人が使う用法なのでしょうね、ちょうどです >>871
読んでも理解できなかったのなら、無駄な気がするが、一応引用しておく。
「どうにも現実から逃れられないから、 それならとにかく膝に載せた画板に、いま差し迫った気持ちでいることを書こうと思った。」
(大江健三郎「作家自身を語る」第7章)
以下、自分にとっての現実に対する自分の思いを書いたと話している。
これがまさに身辺雑記ということなのだ。
難解の意味は、あなたにはいつまでたってもまったく理解できないだろうねw >>871
それから、どうでもいいと言えばいいんだけど、文の段落と無関係に1行空きで書くのはとても読みづらい。
句読点も入れられないみたいだし、きちんとした日本語教育を受けてないんじゃないの?
学校の勉強がすべてではないとはいうけど、やっぱり義務教育の勉強はとても大切だと思う。
あなたも日本の作家を論じたいなら、もう一度日本語の勉強をきちんとやらないと、今回みたいに、まるで見当違いの感想を持つことになるよ? 予想通りのレスが返ってきただけでしたね
簡単なことを難解にして自己満足しているよくいる頭の悪い人でした
書いてもいないことを勝手に独自解釈して書いてあると言い張る
すべてがこの調子なので言い逃れだけをし続けている人生と言ってよいでしょう
ただ書いていませんと言えたらずっと楽になるでしょうが
本人の中では書いてあることにしてしまっているので仕方がありませんね
絶対に自分は誤らない、なぜなら私はこう考えたのだから
単に唯識論的とも言えますがそれならば他人と会話するべきではないでしょう
これはもはや救いようがないあなたにではなくこのスレに来る人への忠告ですね
こんなふうになってはいけませんしこんな人と会話をするのは時間の無駄です
というわけでたった一つの聞きたいことが数日もかかってようやく聞けたので私もあなたとのやりとりはこれで終わりに致します
私があなたの代わりに明言しておきます
作家自身を語るで晩年様式集のことを本人が身辺雑記だと認めると言っていたとする>>822はただの嘘です
皆様は参考になさらないように
ネットにはこのように自分の正当さを疑えなくなった虚言癖の人間がちらほらいます
頭の悪い妄言に騙されないように気をつけましょうね >>874
なんだ、悪口を並べることしかできないのか。
本も読まず日本語の理解もできず勉強する意欲もないのがあなただね。
そもそも「晩年様式集」の前口上でも、この作品が自分の身辺雑記であることを明言してるんだよw
あなたは、日本語の勉強をしなさい、本を読みなさい、そしてネットで悪口を覚えるより、社会に出て日常会話の習得に励みなさい。 ホント、どっちもどっちだな
細かいことで難癖つけ合って、自分が高みに立とうとする
誰でも書き込める気楽な掲示板なんだから、気張るなよ 「句読点も入れられない」と煽るわりには句点の代わりに「w」を使うとかよく分からん >>877
あっちも悪いがこっちも悪い・・・
ご隠居さんかよw
いかにも大江が嫌った日本的風景だな。 >>878
言葉を使いこなすためには、基礎的な勉強が必要だってことさw >>872
ところで、この引用箇所をもって「身辺雑記」というのは無理があるんじゃないの
むしろ引用するならここだろうけど、これにしたところで「この特別な時に、と自分にあるものを伝達したい、その気持ちで書いた」と書いてるように「身辺雑記」とは違うもんでしょ。
(以下引用)
やはり『水死』が、しっかり作った小説としては最後の作品で、『晩年様式集』と名付けて今度発表したものを、私としてはこれが小説だと主張する気持ちは半分半分です。
「前口上」のなかでも、これは私の作ってみる私家版の雑誌、年を迎えた人間がどのように文章を書き、どのようにして残りの人生を生きようとするか。
それもこの特別な時に、と自分にあるものを伝達したい、その気持ちで書いたわけです。
そうした日記的なもののなかに、過去の小説に書いた人物の本当の顔というか、かれについての最後の描写というべきものが、ある完結を示しているのが、自分でも不思議です。 第一 メキシコからの手紙
僕は数かずの書き方をやってみた、ずいぶん永い間にわたって。そしていまいちばん単純なやり方に戻って手紙として書く。あの人への手紙であることにまちがいはないが、しかしきみ宛に書く。
↓
第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって
妹よ、僕がものごころついてから、自分の生涯のうちいつかはそれを書きはじめるのだと、つねに考えてきた仕事。いったん書きはじめれば、ついに見出したその書き方により、迷わず書きつづけるにちがいないと信じながら、しかしこれまで書きはじめるのをためらってきた仕事。それを僕はいま、きみあての手紙として書こうとする。 >>876
>「晩年様式集」の前口上でも、この作品が自分の身辺雑記であることを明言してるんだよw
確認したけど、そんなこと書いてありませんw >>874が答え出してくれてんじゃん
バカは放置でよくね?
バカの発言を初心者が鵜呑みすると困るだろうけど >>882
引用してくれた部分は、まさに身辺雑記宣言だと思うよ?
他にどう受け取れと?
>>884
「私は東京でも相当なものだった揺れに崩壊した書庫をノロノロ整頓しながら見つけていた、数年前店頭に積んであるのをひとまとめに購入した「丸善のダックノート」の残り一冊を膝に乗せて(それはダックという呼び名どおり無地のズック地で堅固に作られていて、いかにも老年の手仕事にふさわしい)、どうにも切実な徒然なるひまに、思い立つことを書き始めた。」 >>818、>>820
から議論が始まっているようだが晩年様式集が身辺雑記「風」であるかといえばそれはそうなんじゃないか
少なくともそう受け取る人がいてそれを誤りといは言えない
単純に>>820が晩年様式集をよんでなかったんじゃないかと思われる
>>820が言い負けたくなくて
あれがフィクションの徹底だとわからないのか、とか
大江自身がリテラルに身辺雑記と述べたことがあるのか、
とか論点ずらしをしている
自分がジャッジするならそうだが
まあはっきり言って特に意味のある論点に思われずid真っ赤にして無駄にスレのばされるのは迷惑極まりない 横だけど「身辺雑記」よりは「フィクションの徹底」だと思うね
>>886の「思い立つこと」からしてフィクションの圏域内でしょ
雑誌「「晩年様式集」+α」や「三人の女たち」による反論の草稿とやらも実在してないでしょ
実在しないものを想像力で生み出してるなら身辺雑記「風」ですらなく「フィクションの徹底」という言い方でいいんじゃないの
他のものでも大江の小説読んでたらそれは分かりそうなことだけどな しいて補足するなら、自己批評も通してフィクションから当時の大江個人の本音をあふれ出させようとしている、くらいには言えるかもしれないが、それ自体が構築抜きにはなされないように書かれている
まず身辺雑記とは言えないだろうね >>888
大江の中後期作品はフィクションと現実の境界を曖昧にすることがひとつのテーマになっている。
しかし、「晩年様式集」は、まさに現実からそのフィクションが吹き飛ばされたことによって成立している。
なぜなら、現実の大江にとって非常に大きな関心ごとである原子力の問題が発生したからだ。
もちろん、フィクションの要素がゼロということはない。
吹き飛ばされたフィクションを、どう現実につなぎとめるかに腐心した結果が、身辺雑記風としての表現だ。
大江の作品を政治的な、あるいは家族の問題から切り離して、テクストとして読む読み方を大江は拒否した。
だからこそ、「晩年様式集」は、わざわざ自分自身で身辺雑記宣言をして、その現実の重さへの理解を自分の読者に強く要求した。 >>890
まあ身辺雑記風と捉えたがるのは勝手にすりゃいいんだけど
「わざわざ自分自身で身辺雑記宣言をして」ってのは他の人同様俺から見ても「嘘」なのよ
ないじゃんそれ
>>886で引用されている箇所にもない
あれをそのままへえそうなんだと真に受けて読む大江の読者はいない
(作家がノートを膝に乗せて小説を書く姿というのはそれまでの他の小説でも書かれているね)
それも含めての構築である
そもそも本気で身辺雑記にしたいなら光さんがアカリである必要もない
「もちろん、フィクションの要素がゼロということはない」じゃなくてさ、
フィクションって度数で測れるようなもんじゃないんだよ >>888
もっと単純に、上っ面として、身辺雑記「風」であるか否かで身辺雑記「風」だという話ですよ >>892
まあ俺は上っ面としてもそうは思わないし他にもそう思っていない人がいるみたいだからそこは平行線じゃないすか
どっちを立てるでもないけど大江が「身辺雑記」だと言っているというのは事実言っていないので、そこは誰でも引っかかるんじゃないですかね
論点ずらしというよりそっちにみんな引っかかってんじゃないですか
誰がどんなふうに思うとかはそこまで重要じゃないというか人それぞれでしょうし 死者の奢り、飼育、個人的なナントカ?(忘れたけど)あの頃
面白いなと思って結構ムシャムシャ読んだよ。 「どうにも切実な徒然なるひまに、思い立つことを書き始めた。」
こんなことを語り手が言い始めるのは大江の小説を読んできて異例に思うけどな
「徒然なるまま」なんて言葉遣いを大江が小説に書き込むのも異例に思う
晩年様式集の長光の語りパートを「身辺雑記「風」」と受け取らずに
最初から「ハイハイ大江の書くことだから最初から全部フィクションでしょ」ととってしまったら
あの小説の仕掛けとか企みが台無しにならないかと思うけどねえ >>895
さっき他の人にも書いたけどフィクションというのは度合で測れるものじゃないので「最初から全部フィクションでしょ」という捉え方はかなり偏っていますね
「上っ面」な人はそのように思うことがあるのかもしれませんが、そういう人は小説自体読まないでしょうし
フィクションであるがために「ハイハイ」となるとしたら、その人の知性や人格の問題でしょう
登場人物の語りに耳を傾けられるかどうかはフィクションの構築方法に関わることではあっても、「身辺雑記「風」」と受け取るか受け取らないかとは無関係のことですね
ただ、小説を読み慣れていないだけでしょう(あなたがということではなく、フィクションに「ハイハイ」と言う人がです)
読み方は自由なのでそこに言うことはないけど、ところどころあなたの捉え方と極端な意見とを対照させていたので、ちょっと口を挟みました フィクションの度合いというのはばっちり定量的に測定できないとしてもあるでしょ
少なくとも作家自身はフィクションの度合いは従前の自分の小説に比して低いと思っている。
(もちろん作家の考える通りに読者も受け取る必要はないが)
「私としてはこれが小説だと主張する気持ちは半分半分」「年を迎えた人間がどのように文章を書き、どのようにして残りの人生を生きようとするか。それもこの特別な時に、と自分にあるものを伝達したい、その気持ちで書いたわけです。そうした日記的なもの」 まーなんだ、とりあえずお前ら顔真っ赤だぞ
身辺雑記じゃねーじゃん、と引用までして反論されたら「身辺雑記”風”だ!」とすり替えしたのには恐れ入る
草 あ、でも一番最初に「身辺雑記風」って書いてんのか
失礼、>>898は取り消す >>897
俺としてはその引用の途中で削られた後半部分こそが残り半分の「小説だと主張する気持ち」と通い合うものだと考えますね
「日記的なもののなかに、過去の小説に書いた人物の本当の顔というか、かれについての最後の描写というべきものが、ある完結を示しているのが、自分でも不思議です。」
日記的に書こうとしたのに、どうしても小説になってしまったということの「不思議さ」を言っていると読めます
だとすれば「フィクションの度合いは従前の自分の小説に比して低いと思っている。」と少なくとも大江は言っていない
あえて言うなら「フィクションとして書くつもりはなかったのに不思議にもフィクションとなってしまった」となる
俺はこう理解しますが、そこらへんはさっきの平行線と同じで解釈の違いに過ぎないでしょう >>899
恥ずかしいだろうけどあえてその問題まだ引っ張るなら>>822も読んでから反応して
「本人も認める身辺雑記」、どっちかというこれにみんな引っかかっているのよ
「身辺雑記風」と思うかどうかはその人の勝手だから別にいいのよ てか>>882の人とか帰ってきてくれないかな
そろそろ俺離脱するわ
>>884に賛意を示すために書き込んだだけなんであの人いないなら長々話しててもね >>903-904
あ、すんません
数時間経って戻ってきたらすげースレが進んでた
あなたの言葉に特に付け加えるものはありません
いろいろ代弁してくださってありがとうございますw 今回のオリンピックの森事件は大江健三郎とその一味が
関与しているのではないかと俺は思っているけど
後期の大江の描く女の大江の妹に象徴される大女を想起させる様な
太々しい描き方は俺は全く馴染めないな。
そしてその登場人物の女が全て大江の妹と同じ話し方という有様。
今後人類が1000年生きようとも決して
それは受け入れられるものではないと思う
大江に夢を見るのやめよう。日本人の奴隷根性だ。 >>905
よかったね、仲間ができてw
でも、あなた方には大江は理解できないだろうね。
ただただ文章の理解力がないのか、作家としての大江、とかいう妙なくくりを固持したいのかは知らないけど、どっちにしてもあまり大江作品を読んでないんだね。 なんにしても、作品や大江の言動について語り合うことができてよかった。
大江の政治的(現実的)な発言は、いままで軽く扱われ過ぎていたと思う。
一番の理由は、吉本隆明とその随伴者による「大江の小説は優れているが、政治発言は幼稚だ」みたいな党派的な見解だ。
そろそろ大江の全体像を再構築していく時が来てるんだと思う。 根拠のないマウンティングで〆
最後までしょうもないヤツ >>909
マウンティングか・・・・
いかにも5chにふさわしいレスだね。
読書量も知識も教養も日本語の修練も、あなたとレベル争いをする必要はないよw 言い返せないので結局こうやってマウンティングするしかないのでした 蓮實や吉本が大江をどう言おうが関係ない
大江の小説だけが問題であって、政治的発言には興味がない ID:smlOh3ce
だがやっぱりなんか引っかかるなあ
大江作品を網羅的に読んでいない
小説の読み方もわからない
だからいつも頓珍漢なことばかりいう
そしてそれを言い張って連投するいつものID:F8OmVpbXが言っているからでそれに逆バリになってないかなあ?
大江が自分の小説について「小説だと主張する気持ちは半分半分」なんてライン設定をしたことは一度もないはずなんだけどなあ
晩年様式集を初読して、大江の擬似私小説として全くいつも通り同じであると受け止めました?
自分は全然違う肌触りを感じてギクリとしたのを鮮明に覚えてるんだけど
「大江さんこんなに生味をさらけだして大丈夫か?」と
後になってインタビューで楽屋裏の話として
「年を迎えた人間がどのように文章を書き、どのようにして残りの人生を生きようとするか。それもこの特別な時に、と自分にあるものを伝達したい、その気持ちで書いたわけです。そうした日記的なもの」の生煮え状態で見切り発車して「小説だと主張する気持ちは半分半分」のものが出来上がってと言っていて答え合わせだと思ったけど >>912
自分に興味があるかないかと、客観的な判断は別問題。 >>915
客観的な判断は誰がどう下すんだい?
作家の評価はすべて各人の主観だよ やたら饒舌に言葉を積み重ねてリベラル思想を流布する作家って感じ。
神経症的な言葉遣いは安岡章太郎あたりと被ってみえる。 >>916
結局主観にもどるとしても、十分な研究があるもとないのでは、評価の価値はまったく違う。
優れた評論家の評価は、わりと一致していく。
それは、主観もまた、自身の客観性によって大きく変化するものだからだ。 こいつが死んだらこいつの墓は忌み嫌われると思う
海に散骨した方が良いんじゃなかろうか? 親でも殺されたのかってぐらい大江叩いてる奴いるけど何がきっかけで大江嫌うようになったんだろう? >>920
大江がノーベル賞とってすぐ文化勲章蹴ってウヨのお気持ち傷つけたのが1994年で河野談話、村山談話も丁度その前後
ここらで火がついてウヨ論壇が盛り上がって、例えば小林よしのり戦争論が1998年
そもそも大江はアホウヨ論壇の隆盛のブーストかける火付け元の一つになってたのね
今のこの大江スレみてたら想像もつかないだろうが2chがメジャーになってから2010年代半ばくらいまでは
ネトウヨのコピペ絨毯爆撃で大江のスレは完全に機能停止でコピペで50スレくらい消費されるような状況だった
そういう状況下でウヨがノリノリでしかけた大江の沖縄ノート裁判(2005〜2011)は
原告が勝てる要素がまったくないスラップ訴訟を歴史修正ウヨ界隈総がかりでしかけただけなんだが
あの当時ウヨがネットでガンガン盛り上がってるなかでの論調は大江が裁判上、民事の被告席にたってるだけで
反日国賊売国奴の犯罪者だーとの罵声投げ放題
そのノリを更新できずにいるアホがまだいて
あなたはそういう生き残りを目撃したのでしょう >>921
おのな、大江の文学は人間の感性として間違ってるよ
俺には大女を想起させる大江の妹のアサなど死刑囚の林真須美にしか思えない。
そしてその女たちの話し方が全て同じ。
これを良いと思える人間の感性がおかしいと思う。
奴隷根性としか言いようがない おのな、話聞いてんのかおい、おのなって言ってんだよ!!!
お・の・な!!! 大江は万延元年のフッボールを一つの山として
それを乗り越えることを読者に要求しているが
その山を乗り越えた結末が晩年の大江のくだらなさだとするならば
それを要求することは人類への罪だろうと思う。 岩波新書がeクラシックスとしてkindle化進めており「文学入門」は桑原武夫のものが選ばれている
あれが古風でクラシックスぽいと言うことだろうが流石に古色蒼然としているので大江の「新しい文学のために」をkindleにして欲しい
他にkindleになっている黄色版の山口昌男「文化人類学への招待」中村雄二郎「術語集」と並べて一緒に読み直したい >>921
原告側弁護士に稲田朋美がいたことと、被告が最高裁で完全勝利した日の読売新聞の恨み節くらいしか覚えてないなあ ボケたという朗報だけじゃなく、本当に死んだという朗報を
早く知りたいものだな。 スターリンへのフルシチョフの批判と同じように
大江健三郎という左翼への批判が行われて初めて日本の復興は
行われるのだろうと思う。 またまた、子供さんが知ったかぶって空想を。
スターリン/フルシチョフと同列視するのはお門違いでしょう?
大江君と同程度って事なら、吉本隆明なんて言うのが居て、ヤツもあれこれ批判の対象になって来たが、その間我が国の復興なんてあったか? >>930
内容にもよるだろうよ。お体裁な片手落ちの批判など
いくらやっても無意味だ。
大江はそういうお体裁が好きでそれを他人にも強要する
そもそもの元凶の様だが。 >>932
実態を知らず理念だけで見てしまったんだろうな。
賛美といえば、自民党などの保守派は戦前の戦争賛美から一歩も抜け出してないんだがw 大江君もね、ケツの穴がちっちゃいな!あれではいかんと思うよ。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。