三島由紀夫Part62
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しかし今の世に三島が生きていたら、陛下の大御心に叛く政府自民党やネトウヨに対してなんと言ったかね
自民党は保守でも何でもない。ただの腐敗利権集団だ
そして当然皇室を敬ってもいない。ただ自分たちが都合の良いように利用したいだけだ。憲法改正が党是だったはずの自民党こそが、実は一番日本国憲法の恩恵により成り立っている
三島の凄さは半世紀以上前に既にそれを見通してしまっていた事だな 確かにあの三島の死は直接的な政治的クーデターを企てたものではなく、あくまで「切腹」のみにその意義を持たせたものだったのかもしれない
前スレでもしあの時、市ヶ谷のバルコニーで三島が決起を呼びかけた際、大勢の自衛官が「三島さんついて行きます!」となったら、それこそコントだと言っていた人がいたが、俺も全く同じ意見だ。ああいった反応になることは三島も百も承知だった筈だ。
如何なる手段をもってしても、この矛盾だらけの政治体制を変えることは絶対的に不可能であると三島は知っていた
知っていたからこそ彼は死んだ。 三島は「熱い握り飯を無理やり陛下に差し上げるのが忠義」と言ってた人だぞ 昨日やっと、映画の「東大全共闘vs.三島由紀夫」を観た。
人間三島由紀夫に興味がある人は観るべき映画だな。
正直その議論の8割はそれ必要なのか?というものばかりだったけど
それでも三島はそれに付き合い、しっかり即興で議論していて
三島の優しさと、三島はやはり東大の卒業生なんだなということを感じさせた。
あと民青と全共闘というのがあったんだな。
ほんと左翼というのはクソだと思うよ。 >>7
基本的な知識として、全共闘の説明をしておく。
全共闘というのは学部や学科単位で学校に対する闘争委員会が作られ、それの共闘形態のひとつ。
特徴としては会議(委員会)の役員はいるものの、指導部ということではなく、連絡調整機関だという点。
誰かが呼び掛けて全体的な行動になることもあるし、全体的な行動であっても参加不参加は自由だし学外者の参加も自由。
当然、あの映画に出てくる学生または社会人は、東大生であるとは限らない。
民青というのは、民主青年同盟の略称で、日本共産党の下部組織。
全共闘の中には、反日本共産党(反スターリニズム)を掲げるに組織の人々もいたので、ときどき摩擦が起こっていた。
左翼がクソかどうかは知らないが、あの映画を見るにも、基本的な知識は把握しておいたほうがいいと思う。 >>8
共産主義というカルトが紛れ込んでいでしかも分裂している時点でクソだろ。 >>9
全共闘というのは、共産主義者もいれば、たんなる個人主義者もいた。
分裂じゃなくて、もともと一体じゃないからw
まあ、カルト度は現在の自民党や維新より遥かに低いな。 三島が生きてた頃は左翼の時代だったからな。
選挙になれば決まって自民党が勝つのはその頃も今も同じだが、昔はちゃんと良い意味でバランスが取れていたとも言える。政治は保守政党が行うが、論壇はほぼ革新一色という点でね。
ところが今は左翼も右翼も風前の灯だ。
「ネトウヨ」なんていう亜種もいるが彼らを右翼と一緒にしたら本物の右翼に申し訳ないからな。それにネトウヨは所詮ネットという限られた世界の存在でしかない。
要は今の国民は右でも左でもない。ただ「空っぽ」なのだ。思想を持たない。
だからこそ、自民党を支持している。
戦後の日本国民が自民党を支持した理由は「焦土となった祖国を復活させ、もう一度豊かな国にしたい」この一点のみだっただろう。
力強い経済発展と国民生活の質の向上、それは社会党のような革新政党には間違いなくできない。だからこそ安保闘争のような動乱もありながら、常に国民は一貫して自民党を支持してきた。
ところが今は昔のように左翼も右翼も強くない。それなのに自民党のみが変わらず支持されている。その理由はただ「現状維持」というだけだ。国民は思考を停止している。考えることをやめている。
一言で言おう。
全く愚かだ。 >>11
本物の右翼とは朝鮮人のことだろ。
自民党が支持されてきてたのは
家族制度を維持できる政党でもあったからだろ。
しかし今は家族もなくなりその原動力となるものがなくなった。
なので思考停止。
左翼の思惑通りなんだよ。 >>10
その個人主義者は、中に紛れ込んでいた共産主義者に
扇動されていただけなんじゃないのかね。 >>13
まったく違うよw
個人主義というのは組織的な行動を嫌う。
思考も教条を嫌う。
個人の自由を追及する以上、反資本主義である他はなかったし、反教条という点では反日共との親和性があった。
だから、一部の反日共系共産主義者と行動を共にした人もいるが、多くは自由な立場で自分の思考に基づいた活動をしていた。
そういうところは反共右翼系の人には理解できない自立の立場だろうね。 >>14
まぁ太宰治がそうであった通り、共産主義者への警戒心は弱かったんだろうな >>15
共産主義者を警戒する必要などないよw
裏切られることもないし。
右翼は自分のことが一番大事だから、平気で人を裏切るけどね。 >>16
>>共産主義者を警戒する必要はないよw
君はガンにかかってこれから死ぬけど怖がる必要はないよ。
天国は苦しみがなく幸せに満ち溢れているところなんだから
みたいな感じだなw
共産主義者を警戒しなければならない第一の理由は
国を売り破壊しようとしているというところだ。
シベリア抑留地で兵隊に紛れ込んでいた
コミュニストが共産主義万歳と叫んでいたそうだな。 >>17
日本が共産主義の国になっても、日本は日本。
そうだろ?w >>18
ジョージオーウェルの「1984」を読んだ事ないのかな?
そこは文化も時間も何もないところだよ。
そして中国は文化大革命で実際にそのような世界を実行しようとしてきた。 >>19
政治制度の違いで日本は日本じゃなくなる?
それなら、いまの政治制度を日本と呼んでるだけだよw >>20
左翼の得意技は、すり替え、デマゴーグ、なりすましだと思っている。
お前、政治を甘く見過ぎだろ。 >>21
政治はたんなる政権の政策。
江戸時代も日本だし、明治も日本、戦後も日本だよw >>21
なりすましは知らないが、すり替えとデマゴーグは安倍と麻生の得意技だね。 三島はエッセイで左翼の事をお遊びと書いてるけど左翼を甘く見ていたのか
それとも偽装保守だったのか
NHK,大学→左翼
全共闘時代の左翼は役所に就職したりイロイロな所に就職して政治活動を断続していると説明してる本がある
(日本間接侵略)
役所→自治体、外人参政権推進する条例作ったり天下り先に金流したり
左翼のやりたい放題
三島が生きていたころにマスコミ批判、偏向報道批判してる?
左翼の危険性には触れないで大甘に見ていたのはオカシイ >>25
甘く見ていたと思うね。日本人を信用していたと思うし
日本語を信用していたと思う。
そして大江健三郎がここまでクズのキーパーソンに
なるとも思ってなかったと思うし
安部公房が早死にするとも思ってなかったと思う。 >>25>>26
ネトウヨの無教養もここまでくると、レスする価値がないw 三島由紀夫はその人物像が他者のためにとか他者に開かれていない売れ方をしている。自分がモテようとする。卑劣。夏目漱石でも同じことだ。学習院の東大の低能が文学版の基幹になるかよ。 そう思うと海外の文学者もひどいのが多いんじゃないの?学歴記入欄作れよ。 >>1 >>29
へー、三島由紀夫ってこんな名前だったんだ >>28
姓は平岡、名はきみたけ。
みしまきみたけは有り得ない。 三島由紀夫「殉教」没後50年・新装幀カバー版がどこを探しても売ってない。
もしかしてまだ発売してない? 「我が国旗」
徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよいよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。それは鹿児島の大大名、天下に聞えた
島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文
石原慎太郎?笑っちゃうねw >>31夏目漱石も女を意識して文書いてたのか
しかし作家や有名人は一癖ある人が多いっていうけど人間みんな俗物だろ
人間嫌い・・・っていう小説で恋愛に関して書いてるんだが、愛した女は俗物だった
という内容 >>36
多少の知識が入っているけど、当時の大半の子供とまったく同じ感性だね。
優れたところはどこにもない。 11歳ならすごいんじゃないか
でも天才さでいうなら谷崎潤一郎の神童ぶりには敵わないんだから三島って何をとっても中途半端なんだよな 三島さんは言葉を操る天才だ
ただ登場する人物造形が、自分の分身になりがちで、
つまり現実に存在しないような人物像が描かれることが多い
しかしそれを好む読者も世界にはたくさんいるわけだ
谷崎さんと、三島さん、この二人はノーベル賞候補になったんだよね 人間のいろんな側面を描く作家ではバルザックとかいるもんね
そういう人はとにかく人生をよく観察して作品に落とし込める天才なんだねえ
三島とかの系列は自分の美学を追求してるから人物は作家の分身、観念的にならざるをえない
だからこそ三島の原体験と結びついてる仮面の告白後半部とか憂国あたりは面白いんだろう >>40
それは正確だな
そのため三島本人に関心がないと読む意味がかなり失われる 三島はニーチェの文体の影響を受けていると自分で語っているが、
たぶん超人も目指していたのではないか 形而上学と仏教の教えを無理なく結び付ける事が出来る三島はやはり天才である >>45
東京五輪は取材している
単行本、荒野より、にある 石原慎太郎も「豊饒の海」について三島が自らを「虚構内存在」であると吐露した作品だと評してたんだよな。
前スレでも天人五衰のラストについて、上の石原によく似た解釈をしている人がいたが、やはりこれが正しい見方なのかもしれない 政治家としての石原慎太郎はハッキリ言って軽蔑の対象だが、作家・評論家としての彼のものの見方は共感するところが多い。
数多の人間が三島を語っているが、石原の三島論こそが最も本質を突いていると思うし 石原慎太郎は天人五衰を読んで「三島さんがここまで衰えて弱ってしまっていたのか」
って泣いたそうだが。 >>49
それは自らを虚構だと明かしてしまうほど、彼は弱っていたのかという、その涙だろう。
むしろ晩年の三島は己が虚構の存在であるということを是として、あえてその虚構の中に飛び込んでいったように思える。 外界と折り合いがつかずに苦悩する芸術家など古来いくらでも存在する
折り合いをつけて傑作を残す人もいるが三島は自分のことだけで頭の中がいっぱいだったからね
自分の思想をのべた本はだいたい哲学者のかくような純度の高いものじゃなく情念に支配されてるし
カミュが思想書書いたのと同じような意味で文学者のエッセイって域を出てない いまや「物を言う」世論を左右するほどの文学者が一人として存在しない
その意味で三島さんの死は残念だった
そして今日のような純文学衰退の時代へ突入していった 天人五衰のラストは「昭和45年11月25日」だけども、実は夏頃に、下田の
東急ホテルに於いて完成していて、日付は後から入れたという説があるけど
本当なんですか? 小説なんてその日に完成するかどうかは神のみぞ知るだから、本当かもしれない。
編集者の証言でもあれば真偽はわかるが。 >>51
この意見は的確だと思う。
三島も面白いけど、その外界との折り合いをつけて傑作を残すような作家が好きです。 >>53
本当らしいね
三島はそれを隠していて
自決の当日に完成したことにしたかったらしいけど
バレててちょっと動揺していたとかどっかで読んだ >>56
バレるもなにも、作品の最後をどうするのかは作家本人にしかわからない。
日付を入れた後だったら、その本人がいないのだから、動揺のしようもない。
よくある、俺だけが知ってる、という事情通のホラだろうな。 予め完成していた作品をわざわざご丁寧に日付まで書き示して「その日」に脱稿した様に見せたという事は、やはりどう考えてもあの作品に自らの死を重ねたとしか思えないんだよな。
豊饒の海のテーマは「輪廻転生」だが、三島はいま何に生まれ変わっているのだろうか。 >>59
予め完成していたという話自体、ただの噂だよ。
噂を信じちゃ、いけないよ・・・w 豊饒の海を読む限りでも三島はかなり仏教に精通していたとも思えるのだが
彼は果たして空海の十住心論を完読したのだろうか
俺はまだ読んでいないけど 三島の著作に「空海」の文字が出てきたのを見たこと無いから
たぶん読んでいないと思う。 >>60
そういう噂レベルの話じゃなくて
けっこう身近にいた編集者か著述家の話のはず >>63
>身近にいた編集者か著述家の話のはず
「はず」というのが、噂ということだよね。
担当編集者は最後に渡された原稿で終わるとは思っていなかった、と証言したという「話」もある。
どちらにしても「わたしだけが知っている」話は、噂(の元)に過ぎないと思う。 >>53
伊豆あたりの東急ホテル良いよね
俺も常連 感じ連ねて並べまくるあの趣味みたいなん
オカルトスピとか
マジで気色悪い本当に
普通のまともな女性はやらんだろ 夫
れ
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方
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け
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き
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の
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に
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り 或
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生
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に
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り
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と
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き
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ら
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る
に
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り
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は
法
の
邪
正
を
知
ら
ざ
る
に
依
り 或
は
悪
師
を
信
ず
る
に
依
る
、
とは、どのようにして「悪師であるか、善師であるか」を知るのか? 此
の
中
に
於
て
も
世
間
の
善
悪
は
眼
前
に
在
り
愚
人
も
之
を
弁
う
べ
し
> 悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻なり。
悪は愚痴の人も悪としればしたがはぬへんもあり。 仏
法
の
邪
正
・
師
の
善
悪
に
於
て
は
証
果
の
聖
人
・
尚
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を
知
ら
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や
末
代
の
凡
夫
に
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。
> 修行の結果として聖果である声聞の阿羅漢、あるいは菩薩の初地以上の悟りを得た者のこと。
し
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の
み
な
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仏
日
・
西
山
に
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光
・
東
域
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照
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て
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り
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依
の
慧
灯
は
日
に
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じ
三
蔵
の
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流
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濁
る
実
教
に
迷
え
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論
師
は
真
理
の
月
に
雲
を
副
え
権
経
に
執
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者
は
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経
の
珠
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砕
き
て
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経
の
石
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す
、
何
に
況
や
震
旦
の 一年半もやる方が悪いのと違うか
こんなくだらないこと
コロナに重ねて
みなただでさえ苛立っているのに 宗
義
其
の
誤
り
無
か
ら
ん
や
何
に
況
や
日
本
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土
の
末
学
誤
り
は
多
く おれなど家に電話もできんままきてんだよ
一年半
どうやったら連絡とれるのかと半泣きだったわ 実
は
少
き
者
か
随
つ
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其
の
教
を
学
す
る
人
数
は
竜
鱗
よ
り
も
多
く 得
道
の
者
は
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角
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り
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希
な
り
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或
は
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教
に
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る
が
故
に 或
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時
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相
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る
が
故
に
或
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聖
の
教
を
弁
え
ざ
る
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故
に 或
は
権
実
二
教
を
弁
え
ざ
る
が
故
に
或
は
権
教
を
実
教
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謂
う
に
依
る
が
故
に 或
は
位
の
高
下
を
知
ら
ざ
る
が
故
に
、
凡
夫
の
習
い
仏
法
に
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て
生
死
の
業
を 増
す
こ
と
其
の
縁
・
一
に
非
ず
。
守護国家論
正
元
元
年
三
十
八
歳
御
作 以上は守護国家論100ページ位の冒頭の数行です。
三島スレのみなさん。質問があったら、どんどん聞いて下さい。
自分は特別の訓練を受けているので、何でもお答えします。 > 「我が国旗」
>
> 徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
> 朝日を背にすれば、いよいよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。それは鹿児島の大大名、天下に聞えた
> 島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
> 模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
> それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
> 明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
> からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
>
> 平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文
すばらしいね。初めて読んだ wiki
平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる
通説的には↑ですから。11歳の三島由紀夫の理解は、おそらく間違いでしょう。
当時流布していた俗説なのかもしれない。
ちなみに、平家物語絵巻で那須与一が射た扇に描かれているのは、むろん平家側の赤字金丸です。
白地赤丸のほうも、絵巻物に描かれているのかもしれないが、わたしは見たことがない。 面白い説を見つけました。日の丸・絵巻物で検索すれば画像が出てきます。
日の丸」の起源としてもっとも確実な絵画は「清水寺縁起絵巻」(東京国立博物館蔵》だと思います。
(15)日の丸を掲げた蝦夷_c0164670_1853660.jpgご覧のように「日の丸」を掲げているのは蝦夷(えみし)軍であり、朝廷軍ではありません。「日の丸」は蝦夷のシンボルです。この図は豪華な蝦夷の軍船から野獣のような顔をした蝦夷の連中が出撃する場面です。 三島さんの考えていることと、
世間一般の人の考えていることには、
乖離や違いが大きすぎる
しかし、そのことにあまり気づいていない
つまり言語を操る天才ながら、一般大衆の心を読めない作家だった
だから後半の長編は世間受けしない うっかり忘れていました。
那須与一が射た的の扇は、古い絵巻では赤字に金丸ですが、のちのものは、白地に赤丸、
つまり日の丸のデザインです。
たぶん、室町時代の絵巻ではすでに、白地に赤丸になっていたのではないでしょうか。
那須与一 的 絵巻 画像、で検索すれば、色々出てきます。 中
昔
・
邪
智
の
上
人
有
つ
て
末
代
の
愚
人
の
為
に
一
切
の
宗
義
を
破
し
て 選
択
集
一
巻
を
造
る
、
名
を
鸞
・
綽
・
導
の
三
師
に
仮
つ
て
一
代
を
二
門
に
分
ち 実
経
を
録
し
て
権
経
に
入
れ
法
華
真
言
の
直
道
を
閉
じ
て
浄
土
三
部
の
隘
路
を
開
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