アンドレジッドが好き
小林秀雄が私小説を毛嫌いしてるのはおそらくジッドに影響されその後離反したのに関係してるのかね
様々なる意匠にはエピグラフにジッドの言葉が載せられてるから最初は好きだったんだろう 小説としてはな。作家なのに作法に悩んだすえに書けなかった作家。
有名なのに大作家だという風格がない。 田園交響曲が面白かった
狭き門は苦手
贋金作りをそのうち読もうと思う
原書派なのですらすらといかないので読む時覚悟がいるw 田園交響楽の方が面白いと感じるのは翻訳の差もあると思う
神西清の翻訳で全部読みたいわ正直 >>8だけど原書で読みました
でも>>9さんの書き込みからして、田園交響楽の訳もいいみたいだね たまたま死の数日前のジッドの日記の抄訳を古本屋さんで読んだことがあったが、立ち尽くしてしまうくらい感動したなあ
「眠い、しかし書かねばならない。まだ書き足りないことがあるかもしれない」とこの老人は死に抗ってイライラするのだが、その精神は永遠の青春だった 中学生のころ狭き門を読んで、最近何十年ぶりに読み返してみたんだが
最後にジェロームと会った日のアリサの描写は素晴らしい。
これが本当の小説だと思ったな。 日記はカフカ日記と並んで芸術家の最高峰の知的に満ちた日記文学らしいな
他にはトーマス・マン日記とか トーマス・マンもジッドも晩年はご立派すぎてその言辞は鼻につくね 「・・そういうジイドのハゲアタマは象徴的である。おもえば、この人の面貌は若年のみぎりからいやに目立っていた。この地上に長生きして面貌がはっきり光るようなぐあいに大切な『自分』を仕上げて来たのだろう。」 そういっておきながら、日本で石川淳以上にジッドから影響を受けた作家はいない ちなみにジッド氏は文学に通暁し、あらゆる技法を心得、縦横に知識を用い、
術をつくし、ある時は型を破って、小説をつくる技師であるが、本当の小説家
だとは私は思っていない。ジッド氏が自身の小説に於いて、自我を創造、発
見したか、私は疑問に思っている。わが教祖、小林氏も芸術は自我の創造発
見だと言うのである。
坂口安吾『教祖の文学』
作家と読者は、もういちど全然あたらしく地割りの協定をやり直す必要があ
る。いちばん高級な読書の仕方は、鴎外でもジッドでも尾崎一雄でも、素直
に読んで、そうして分相応にたのしみ、読み終えたら涼しげに古本屋へ持って
行き、こんどは涙香の死美人と交換して来て、また、心ときめかせて読みふけ
る。何を読むかは、読者の権利である。
太宰治『一歩前進二歩退却』 「埋め立て」は荒らし行為ですので控えてください。なにこれ?