日本史上最高の歌人って誰?
呉竹のよよの竹取野山にもさやはわびしき節をのみ見し
讃岐造 寺山か塚本のどっちか。今生きている人間の感覚では古典だと隔世すぎるしな 今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひ出でける
かぐや姫 さりげなく言ひし言葉は
さりげなく君も聴きつらむ
それだけのこと
啄木 道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそたちどまりつれ
西行 海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり
牧水 うらうらに照れる春日にひばり上がり
心悲しもひとりし思へば
大伴家持 「紅旗征戎我ガ事ニ非ズ」
幽玄耽美妖艶の心酔者、藤原定家の後世への影響は素晴らしい。 梅の花
にほひをうつす袖の上に
軒もる月の
影ぞあらそふ
藤原定家
何と言う妖艶優美なイマジネーション。平安時代の歌人の感性の豊かさよ。 和漢朗詠集
風雅調の内には、. 花芬馥の気を含み、流泉の曲の間には、月清明の光浮かぶ
平家物語
風雅調の内には、. 花芬馥の気を含み、流泉の曲の間には、月清明の光をあらそふ
藤原定家の歌は、本歌は在原業平の歌だが、↑の和漢朗詠集の漢詩にも着想を得ているといわれるので、
本歌取りだというだけではなく、漢詩取りでもあるということになるだろう。
わたしとしては、定家が「争ふ」としたのは、筝(そう、こと)この文字からの連想だろうと思う。
そして、平家物語で「浮かぶ」が「あらそふ」になったのは、定家の歌の影響であろう。 「猿を聞く人捨て子に秋の風いかに」
芭蕉
「〜汝の性(さが)の拙さを嘆け」