三島由紀夫Part64
三島と芥川のレベルの差異を考えながら、今夜の食を蕎麦にするかカレーにするか迷っている、優柔不断な某にj、アドバイスする事は無いであろうか?
たとえ四分六でもその感覚的意識は、カレーの方へと傾いているのだが... >>336
カレー蕎麦にすればいいと思う。
おいしいよ。 『音楽』に出てくる麗子の幼少期・・・
西洋鋏にハサ美ちゃんという名前を付けて毎日何かを切って遊んでいた。
「ハサ美ちゃん、ちょきんちょきん。今日は何を切るのかしら?お父様のおちんちん?」 >>335安倍譲二がボクシング禁止したから出場しないだろ ひょろひょろの青年があそこまでムキムキになったんだから認めてやれよ 三島が運動苦手だったみたいなことをバカにするみたいなのよくありすぎる風景だけど、それ言ってる本人はどんなもんなんだということは思ったりする >>343
知識人の大半は運動音痴を自慢してるような気がする。 三島が憧れる古代ギリシャだが、敢えて三島的に想像すれば、古代の武道は現代の格闘技ほどにはディフェンスに重きを置いておらず、少しでも速く、相手に打撃を与えることに主眼が置かれていたのではないか?
アキレスとヘクトールの戦いもそうだったろう。要はスピードが第一に重要であり、それに比べてディフェンスの重要性はかなり低く、
ましてやフェイントやそれへの対応などは大して重要ではなかったから、運動神経は古代では余り問題とされなかったろう。
形態的にはkourosコウロスのような肉体や無邪気な表情を理想としたと思う。 筋肉はついても運動神経的なものはつかなかったみたいだ
それはボクシングでも空手でも、彼の稽古の姿を見れば一目瞭然
それは単なる事実でしかないのだが、
問題は、多分それらの指導者が、三島の名声に遠慮する形で
おそらく褒めちぎったであろうことで、
それにより彼が大いなる勘違いを増大させたことにあるだろう
少し本気を出してぶん殴ってやれば、彼の妄想も現実に引き戻されたかも 三島は剣道の継足が出来なかったらしいが、継足の合理性をちゃんと教えてやる先生がいなかったんだろう。
継足を覚えないと、第一歩目のスピードが身に付かない。
階段をステップを叩きながら降りて来る継足は音楽でもある。 >>345
武道と武術をごっちゃにしていると思う。
実際の戦闘では武道は役に立たないだろう。
武道はむしろ太平の世に精神鍛錬で発達したもの。
石川淳は三島がいくら剣道をやっていても実践ではないと看破していた。
「道」なんて無意味だとさ。
実践といえるのは神田のお神輿体験であって、こっちの方が本物だと。 >>348
武術と武道の混同の指摘サンクス。
訂正 古代の武道→古代の武術 >>345
アキレウスの踵やトロイアの木馬の話は? >>349
このスレで武術論を戦わしてるようなもんかな? >>349
石川淳の現代語訳・上田秋成雨月物語所収の短編「菊花の契り」の最後の丈部左門が単身、義兄の仇の陣内に入って、
かたき討ちの口上を述べ終わる寸前、仇の赤穴丹治に抜き打ちに切りつけ、をただ一刀にたおし、騒ぎになる暇に逃れ出るところの
石川の文が良いんだよ。この良さが分からない人はしょうがないが、石川は相当剣術を研究してる。 >>356
最初にレスしたのはお前だ。
何も言わず黙ってろ馬鹿阿保カス。 >>357
その程度のレスしかできないのが、お前の知的レベル。 剣道が無意味だと言っていて剣術を相当研究しているということは、実際の斬り合いをやったか見たか以外にはないということだよね?
文章で読んで分かった気になるなんて実践以前の問題だし 三島さんは日本人が絶対者を求める民族だと言って天皇を担ぎ上げたけど今はアイドルとかvtuberとかアニメのキャラクターがその絶対者の役割をしてる部分もあるね そういうところはあんなに文才のあった人なのに単純な世代論で切れてしまうのでつまらない >>362
それは特殊な趣味の極少数、ほんの数パーセントの人達だけの話だな。 >>362
日本人に限らないよね。
世界でも絶対者を求めない人間の方が少ないだろ。 相当剣術を研究した石川でも三島のように自分の腹は切れねえんじゃねーのwwwwwwwwwwwwww 勝手な思い込みで論を進めている人が多いのは今さらだけれども・・・
三島と石川は三島の晩年に2回対談している。
石川は三島に剣道は無意味、剣術というべきといっている。
そういわれて、別に三島はそれを否定しなかった。
それとこれは石川の慧眼だが、今後、三島君は変わるだろうと石川は言った。
ただ、さすがの石川も役人のたむろするところで派手な演説をしてハラキリをするとは思っていなかっただろうね。 喧嘩さえしたことない動画見てるだけの格闘技オタクが、実戦ではこうやりゃ勝てるんだと言ってるのと何が違うんだ >>369
正にそれについて、三島と石川は話しているよ お前らとは違うって何だ
この前自衛隊で銃をぶっぱなした奴でも書き込んでんのか >>372
明治維新にまつわるテロはどう考えてたの?
反政権側の実力行使はみんなテロだよね?
逆に政権側の違法な実力行使はテロではないのかな? 剣道でも格闘技でも、カジった奴の御託はみっともないよね。
自分で理論を突き詰めたわけでもなく、”師”からの話だったり、だれかの本の受け売りだったりだからね。
ただの格闘技愛好家である自分の場合、一番納得した武術論は大山倍達だったな。
極意は極めて単純に、パワーとスピード。
剣術の伝説でも、宮本武蔵は巨漢でパワーとスピードがもの凄いから勝てたと言われている。
いろいろな武術の極意とはどんなものなんだろう? >>374
対談を読みたかったら「夷斎座談」(中公文庫)の上下巻を古本で見つけたらいい。
因みにテロリストのモラルはその場で死ぬことだとご両人とも同意している。死ぬ覚悟でやるんじゃない。はじめから死ぬのを決めてやるのだと。テロリストが生き延びるなんて考えられないとさ。 >>376
そんなくだらないこと言ってるの?w
二人とも相当なバカだな。
もっとも、天寿を全うした衒学作家と死にたいだけの作家では、その中身はだいぶ違ってたんだろう。
どちらにしても、その話にもっとも欠けてるのは坂口安吾のリアリティだな。 >>378
自他ともに認める大ボラ吹きだけど、強かったことだけは間違いない。 >>380
ヤクザではないが、日本での南北朝鮮人の争いに勝ち抜いたことは確かだ。 実戦経験の有無さえ取り沙汰されるくらい虚実入り乱れた伝説みたいな話ばっかだと思うんだけど、「確かだ」というのは何をもってして「確かだ」と言えるんだろう >>382
ドキュメンタリーとして書かれた『大山倍達正伝』という本によれば、アメリカでのポスター、複数の朝鮮人の証言、大山の親族の証言、当時の新聞などの各種資料があるそうだ。
この著者である二人の編集者が嘘を書いてるなら、自分には確認する術はない。 長渕剛
「今の日本はアメリカかぶれが酷くてやたら横文字を使ったりする。
英霊が護った美しき国土と文化を破壊する行為。
60年前の戦いに殉じた日本の男たちに対する鎮魂歌
『クローズ・ユア・アイズ』。聴いてくれ」 仮に本当に大山がリングにあがっていたとしてもプロレスのリングだろ
プロレスはプロレスだぞ >>385
大山はアメリカでプロレスやサーカスの余興として出ている。
自分のこぶしを見物人にハンマーで殴らせるという荒業の見せ物だったそうだ。
プロレスの試合をしたかどうかは知らない。 >>384
それしかネタないの?
みんなとっくの昔に飽きとうし、だいたい長渕はそんな事言ってもないし 三島だって似たような事をいっていながら、西洋風の家の庭にアポロの模造を置いて住んでいた。 細かいことにこだわるなよ。
右翼というのは変幻自在。
豊饒の海のラストシーンを思い出さないと。 で
石川は自分の腹は切ったのかwwwwwwwwwwww机上理論なら俺でも言えるわwwwwwwwwwwwwwwwwww >>384
いつの頃からか、長渕さんは戦争に行った兵士の死を美化することに傾倒するようになった。で、実際に
あの戦争でどんなことがあったか、総体は見ない或いは見たくないのかもしれないが。美談しか視ない
で戦争を語りつくすことは不可能。あのclose your eyesはその美談の典型。だからたしかに美しい歌だが
根本から言えば戦争については美談でしか歌わない欠損を持ってる。その欠けたものが何か、今の彼は
見えないのか見たくないのかどっちにしろ認識上の欠陥をそのまま歌ってるだからイマイチ説得力がない。
YouTubeに、彼が自衛隊の所有だろう戦艦のうえでこの歌を歌ってる動画がUPされてる。こういうことを
やってる彼には戦争の総体を知ってくださいと言うしかない。イタイですはっきり。ついでに言えば
あのCLOSE YOUR EYESて歌。彼の1989年代のアルバム『LICENSE』収録の「何の矛盾もない」に
曲調やメロディがそっくり。つまり自己模倣してる。しかしわかりやすさでいうと「何の矛盾もない」のほうが単純な
恋歌で国家も時代もないのではるかにわかりやすい。もっといえばああいう自己模倣をやらなきゃいけない
背景に、歌うモチーフの稀薄化があると思います。稀薄化とともにメロディが湧かなくなってるんじゃないか。
2000年頃から彼は、かつてのように歌うことでしか自己を救えなかった、
そこから変貌して、何を歌えばいいのかはっきりしなくなってきたんじゃないかと思う。
なんではっきりしなくなってきたのか。知らないが、かつてのような社会の底辺からの視点で歌を書くことを
しなくなってきた。まあ単純にリッチになって高級なジムにも通えるようになったし、筋肉もついたし(笑)
病弱コンプレックスもなくなったし、昔みたいにウジウジ悩まなくても良くなった。でしかし歌は書けなくなった。
そこから国家や民族や戦争の装飾に傾倒するようになったみたいでイタイし筋肉とは比例して
精神が硬直化、視野が狭まり、今みたいに首をかしげる歴史の装飾の後ろ盾がないと歌えないという事態になってる。
誰かが教えてやったほうがいい。誰も言わないんだろうが実はイタイと思われてるんだって。
長渕剛 - CLOSE YOUR EYES
https://www.youtube.com/watch?v=pN0yRYR929E&t=7s
長渕剛 何の矛盾もない
https://www.youtube.com/watch?v=hIxzvWnG-RA >>392
失礼。
>彼の1989年代のアルバム『LICENSE』
ではなくて1980年代のアルバムですね。正確には1987年のようですね。 三島のスレで長渕の話が持ち上がってしまうのも、所詮は同質と思われる二者の心意気に感化された、観衆の概念的な情動に因るものか。
ま、何れにしても、三島の哲学論は、不変の原理を以て、何れはこの緩み切った日本に、鞭なる刺激を与えてくれるであろう >>394
緩んでいるのは悪いことなの?
WW2の緊張した時間が必要で、大量殺人を犯すことが良いことなの? >>395
是非、可否、正邪という二元論に終始している時点で、論駁する価値にも値しないとは思う所であるが、
緩んだ時流の、負の産物の典型例は、すしペロにこそ在ると思うけどな
あの事件から学ぶ点など皆無だろうに。この衰退途上と謳われる、憂わざるを得ない日本経済も然る事ながら。 >>396
それで、なにが言いたいの?
大量殺人はどう思うの?
”すしペロ”は殺人以上の悪なの?
逃げずに考えてごらん。 >>397
何? その大量殺人て?
現代日本社会が緩いと言っただけで、誰もそんな事には一切触れてないけど?
極論に逃げてるのはお前さんだろうに(憫笑) >>398
触れてないのは想像力の不足。
とても三島を語る資格はないよw
いまでも世界中で戦争があり非常に多くの人が死んでいる。 >>399
そんな事今更言うまでもないし、上から目線で講釈垂れられる筋合いもない
何様のつもりか知らないが、お前さんは人のレスに文つけなければ気が済まない、単なるレスコジキみたいだな
そんな奴には三島どころか、何を論じる資格も無いだろう(憫笑) >>400
そのレスに象徴されるように、僕が上から目線なんじゃなくて、君が下過ぎるんだよ。
人を殺すことの是非も問えないなら、社会のことはもちろん、三島の死に関してもなにも主張する資格はない。
社会が緩いだの平和ボケ(言ってなかったっけ?w)だのと能書きを垂れる君のレベルはそんな程度。 私の父親は戦争中だかその合間だか、サイパン島に行っていたらしい。で現地人に農業を教えて楽しかった
、と私に話したことがある。現地人は喜んでいるし自分は戦争責任はないかのように。しかし父親は一方
満州で戦車にも乗っていたらしい。そこでまさに殺し合いに従事していたわけだ。殺し合いを経験したこと
が誇りだったのかどうかは知らない。また、軍隊で先輩にいじめられてキレて銃剣を突き付けたことがある
とも言っていた。ようするに戦争といっても何に重点をおくかで語ることは違うってことでしょう。
それが総体をみるということである。しかし、そういった何層もの重層的な視点をもって、なおかつ
その後に戦争を語ることは可能だと思います。三島さんは実際には従軍してはいない。或いは行っても彼なら
最高司令部に陣取って前線には行かずに済んだかもしれない。ようするに理想化しているところが多々あった
に違いない。実際に従軍したらうちの父親と一緒でいじめられて厭になったかもしれないですよ。ひ弱だった
わけだから。或いはそれこそキレて先輩を殺してしまったり。自衛隊経験といってもそもそも三島先生だから。
手加減されたに決まってる。言われなくても分かり切ってる(笑)或いは三島さんの理想化する通りの
イメージしか視えないようにしただろう。最後の日には現実を彼は知ったわけだけど。野次り倒されて。
自衛隊の実際の意識がいかばかりのものか。いかに自分が勝手な理想化しかしてなかったか。 それと最近あった銃乱射事件で分かるように、自衛隊員といっても色々千差万別。私の昔遇った元自衛隊員でも
「僕はけっこう優秀だと言われてましたよ。銃の扱いが上手いって」と言ってる若者がいた。彼には日本に
ついての深い洞察もなにもない人です。現代っ子でね。女性を買うのが好きでね。三島さんの話が実際の
自衛隊には掠ってないってことは当時から自衛隊員には分かっていたでしょう。それでも三島さんに語って
もらえることで大変な宣伝にはなるから。面と向かっては何も言わずにいたんでしょう最後の日までは。
そこを考えればかつての三島さん今の長渕さん・・・自衛隊が特別な場所だとか、日本人の心の砦だとかね。
そもそも軍隊が特別な場所だとか、魂のありかだとか。そもそも自衛隊だろうが現代日本の一部。インターネットが
遮断されてるわけじゃなし。聖域扱いするのは無理だと思いますよ。 >>401
はいはい、マウント取りたくて仕方がないみたいだね
お前さんのレスは、俺という個人の存在に拘わらず、常に高慢なんだよ
だいたい誰が三島の死について論じた? 誰が戦争について?
緩いと謳った俺の発言に、そういう二元論、或いは飛躍した反論しか出来ていない時点で、お前さんのレベルもたかが知れてるよ
↓
はい屁理屈マウントどうぞ(冷笑) >>404
これに懲りたら、二度とくだらないことに三島を引き合いに出すなよw
>三島の哲学論は、不変の原理を以て、何れはこの緩み切った日本に、鞭なる刺激を与えてくれるであろう >>405
ウレシ-何でも嬉しがる、目出度い性格を有した人物
ヨッテシ-直ぐに寄って入ろうとする短慮な人物
何方ももはや死語になって久しく、実社会で口にする者など殆ど見かけないが、憂わざるを得ない現代日本人を象徴するような語でもあり、所詮はお前さんも之に類する人物であった事は否めない
これに懲りたら、誰彼構わず手あたり次第にレスを付け、屁理屈論を命令口調で言い表すような莫迦な真似はやめたまえよ^^ >>406
君は日本語が不自由みたいだから、丁寧に繰り返しておくけど、君は現代の日本人のどういうところが気に入らないの?
もちろん、君が気にいるとか気にいらないとかいうことは、君以外にはなんの価値もないのに、そんなことを他人に押し付けようとしたがるのはなぜ? >>408
だから、何でお前さんは、何故、そうまでして他者に干渉するの?
俺はただ意見を述べてるだけ、想いを叙しているだけで、それを他者に強要した事など一度もない。押しつけてるのはお前さんだろうに
お前さん少々文学に精通しているかもしれないが、一人間としては、かなり欠陥のある人物みたいだな >>409
>三島の哲学論は、不変の原理を以て、何れはこの緩み切った日本に、鞭なる刺激を与えてくれるであろう
そうだな、カッコつけたいだけ、マウント取りたいだけの愚にもつかない与太話を相手にしてもしょうがないな。 相変わらずの過疎ぶりだから、敢えてレスしたい所なんだが、
緩いか硬いかという、個人的な好みでしかない二元論に、己が主観を以てマウントを取ろうとする、自称文学精通者か
やはり人という、憂わざるを得ない生命は、贋作とも言える、救い難い衆生だったんだな
そんな生命に生まれた俺も、所詮は、同類か
やれやれ... 三島さんの作品は一文一文が本気で書かれてる感じがして好きだ。ふとした文章に学ばされる。 >>414
そうやって一々優位に立とうとしている時点で、確かにお前さんなどとは同類ではないかもな
そして未だして、自他不二の精神すら持ち合わせていない、相変わらず目出度い性格のお前さんとはな
俺はそういう人間という、遍く衆生の中で最も滑稽で稚拙な生命が嫌いなだけ。俺とかお前さんといった、個人の存在などはどうでも良い >>415
くだらないこと書いてないで勉強しろよ。 やはり、そのドタマでは理解出来なかったかぁ~... >>417
繰り返しておくけど、日本語を勉強しろよ。 読解力ない奴が口にする常套句だな
日本語すら読めないとは。気の毒な事よ >>331
三島由紀夫は作家としては強靭な肉体の持ち主を目指していたのだろうが
平岡公威さんという存在としては
虚弱体質だったと思う >>422
作家として、つまり芸人としての強靭な肉体を目指していたのだろう。
芸人は上半身は鍛えても良いが、下半身は絶対に太かったり、ごつかったりしてはいけない。昔の歌舞伎役者の太い脚が見えたので、観客の総スカンを食らった話もある。
下半身を鍛えないと上半身に分厚い筋肉はつかないんだが。
下半身ががっしり安定すると芸が重くなってしまうような。
三島由紀夫には歌舞伎役者のような気構えがあったのかも。
昔、西川きよしが後輩の脚のごついのを「芸人がこんなゴツイ脚はいかんw」
筋肉の仮面で虚弱な体質を隠すのも芸人魂。 人間はものごとを理解するときに頭の中で物語の形にして認識する
だから何かが起こった時にそれに対する理解の仕方というのは人によって違ってくる
それを利用して言葉だけで擬似的に世界を構築するのが小説や落語や物語 8日早朝、佐賀市の道路脇で遺体で見つかった女性は福岡県内の高校生と分かりました。警察は自殺とみています。
午前6時ごろ、佐賀市鍋島町森田で「女性が倒れている」と近くの男性から110番通報がありました。
女性はその場で死亡が確認され、腹部に刺し傷があり、現場から刃物が見つかりました。
その後、所持品などから福岡県内に住む高校生と確認されました。現場の状況などから、警察は事件性はなく自殺とみています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d6a4871c17d45881c2fbc3315ca489068dad430
天晴れ、腹切り娘
介錯無し、三島を越えた 発見者が刺して通報したってオチだったりしてなwwwwwwwwパパ活していた高校生から別れを切り出されカッと……以下略wwwwwwww 三島と川端に秘められし真実とは
運命の物語の内容は真実なのか?
無論見てはないのだが >>426
三島信者(一水会とか特に)は、なぜ後追いしない?
「自民党政治に抗議して腹切りするニダ~」
と、やってみやがれ! 『仮面の告白』初めて読んでるけど。なんかあの最期に至るすべてがここにある、
という感想を前半で早くも抱いてしまう。この小説読んで晩年のあの思想を真に
受けるのも言ってみれば、有り得ないようにも思えてくる。ていうか、この1作
だけでもうこの人は分かった、という感じもしますね。初めから最期迄。吉本
隆明があの最期の後に「三島氏にたいして、私はいつもどこまで本気なのか?と
いう疑念があった。そして今こうなって、やはり本気かね?という疑いが消えない
」といった発言をしていた記憶がある。あの『仮面の告白』を読んでると、もう
分かったという感想が序盤で出てくるし、となると、この後のこの作家の作品は
いったい何だったのか、という疑念も出てくる。誰だったか「壮大な無駄」とか
言ってたような。まったく不思議な人だったというのはあるけども。 言ってみれば確信犯的に、作家生活の初めから終わりまで、突っ走った。すべて
が予定調和だったような。『仮面の告白』を辿れば。何かすべてが見通されてい
たかのような。なんだ、最初に全部さらけ出しておいて、あとはそこを変奏しな
がら辿っただけ。という既視感がある。 予めこの時点で既に予定された自殺であり、その自殺が美(意識)の完成であっ
たことまで素描されてる。となると用意周到に自殺の準備を整えて、決行しまし
た。成功しました。てことになる。 しかし現に彼は民間防衛組織まで組織して、男の涙迄共有して、あれは何ですか?
なんだけど。彼を信じた人間はバカだったんですか?と。そこまでは断定はしな
いけども。彼の本質をここで言ってしまうと。彼の真実とは、簡潔にいえば、
すべては両義的。すべては両義的である。矛盾してある。矛盾した形容とか
美とかがあることは彼の美でも文学でも言われてるけど、彼にとっての真実の
概念がそもそもいつでも反対の意味を湛えたものだった。虚としての実。
真としての偽。それは意味としてはあり得ないけども。意味としてはありえ
ないのにある。不思議なことに。生存としてはある。或いは意識としてはある。
或いは有るとしては有る。二重性としてはある。そこが彼だったんだと思います。 三島がこういう批評家的見方にたいして実は、とうに見通して、回答もしていたの
ではないか、という気もする。どっかで答えていたのではなかろうか。
「私はね、私の文学的出発点とかを引っ張り出して、そら三島はあの作品で、
すでに後年の彼の思想的進化をすでに予言していたのですと。言い張る人もいる
かもしれません。しかし、なんと言われても私はもう気にはしません。ああ、そう
見えますか。そうかもしれない。そう言うだけですよ。つまり他人が私のことを
どう云ったとしても別に構わない。好きなように評伝でも書いてください。分析
してみてください。大いに結構だと思います。但し私には私の使命があるので、
そういう分析に関わっている暇はない。どうぞ好きなように分析でも何でもして
みてください。私が言うにはそれだけですね。どうぞ好きなように書いてください
。」どっかでこういう発言を、していたのではないか。それも十分ありうる話だ
と思います。 >>438
>他人に理解できるように書いて欲しい
がどういうのかよく分からないけど、他のスレでも私と全く同じではないが
よく似た意見になってる人がいたのでコピーしておきます。ちなみにこの人の
意見を参考にして私は書いてはいませんでした。
スレッド名:【日本的スノビズムの】蓮實重彦7【法王】
0920田中淳 ◆ANNA//s1pY
2023/07/13(木) 03:19:21.08ID:2BugC029
三島は『仮面の告白』だけでいいよw
あれは本当に凄い
あとは要らないw
最初の一作で燃え尽きちゃった感じだな
0921田中淳 ◆ANNA//s1pY
2023/07/13(木) 09:00:03.56ID:rdZigRdw
『仮面の告白』だけエクリテュールの質が異質なのよ
あとは駄文の山
残念ながら?私と同じように読む人はけっこういると言うことかもしれません。 >三島は『仮面の告白』だけでいいよ
これって松浦寿輝がとっくの昔に言ってますよ
同じことを 人の意見などどうでも良い
三島文学に外れ無し
俺としては、仏教唯識論、阿頼耶識にまで言及した暁の寺が、最高峰かな 〈既有的に将来する〉=既に有ったものが生長し現れていく。自分では意識せざる
うちに、耳を澄ますように、本来性を奪取せよという命令に従う。これは
ハイデッガーの根本命題だが、三島は彼自身がどこまで意識したか知らないが、
この命題にまっすぐ導かれるように突き進んだかにみえる。最後の対談でも、
自己の10代に帰郷することしか誠実さは考えられないと言ってる。彼は自分の
変貌をそうとらえていたが、しかし実はこのことは彼が考えていた以上に根が
深く、根が深いというのは評伝でしばしば指摘される祖母による実の母親からの
引き離し。監禁だけど。その時期の、地層で言えば最古期の層に他の乳児にはな
いものが刷り込まれていったことが、彼の根本感性につながっていると思える。
だから自分では最後の対談のように、10代に回帰したと思ていたようだが、
単なる10代回帰ではない。単なる10代回帰ならもっとことは簡単で、
あれほどの感性は生まれてはなかった。彼の悲劇を解読するならそういう話になる
。その悲劇と引き換えに優れた芸術作品を次々創作したわけだけど。いまだに
「三島の作品ではコレ」と論議されるような。 三島は仮面の告白だけとか言ってる奴は、総じてアホ(憫笑) >>444
どういうところに、どういう意味で衝撃を受けたのか、教えてくれるだろうか?
私もそれを二回ほど読んだけど、そこまで大きな衝撃は感じなかった。
まあ、正直に自分のことを描き出してるんだろうなとは思って、それが
素晴らしいことだとは思ったけど。
三島の生きざまとその文学については、これからも詳しく見ていきたいと
私は思っている。 >>445
極々簡単に言えば個人的な嗜好(性的なものがメインだが)が一般的なものにまで敷衍され文学にまで昇華されているところ。もちろん書かれてある事全部が事実とは思ってないしそこにこの作家独特の文学的何創作もあると思う。大江の『個人的な体験』にも同じ事を感じる。ちなみに三島は作家としてはあまり好きな方ではないし、他の作品は上手だなと思う程度で(短編は除く)感銘は受けない。三島の政治的な信条な行動、生き様にはあまり関心がない >>446
なるほど。ありがとう。私もこの作品を、折に触れてまた何度も繰り返して読んでみたいと思っている。
私の場合は、彼の文学よりもむしろ彼自身の人生とか考え方に興味がある。だからと言って彼の
生き方をそのまま真似たいとかいう意味じゃないけど。
いろんな文学者の評伝とか友人たちによるコメントとか、作家自身によるエッセイなどを通して、
そしてもちろんその文学作品を通して、それぞれの作家が何をどう考えたり感じたりしたのか、
どのように生きたのか、なぜそんな生き方をせざるをえなったのかを知りたいと思っている。 >>447
そう言う意味では自分は昔流行ったテクスト論の読み方に近いかも知れない。ただ三島に関しては映画『憂国』は観てみたいと思っている。三島と思しき人物をモデルにしたゲイムービーもあるが『巨根伝説 美しき謎』(大杉蓮が主演)や『愛の処刑』があるがこちらは今のところ鑑賞予定はない 追記だが三島が別名で発表した映画『愛の処刑』の原作小説は読んでみたいと思っている >>449
ほう、「愛の処刑」も読む価値があるとどこかに書いてあったし、
文庫本に換算すればほんの30ページほどの短いものだから、
私は「決定版・三島全集」の補巻の中に入っているからそれを
1年くらい前に読んだ。
この作品の中の人物たちとか三島自身や、彼と一緒に自決した
男性などと同じことを今の私は実行しようとは思わないけど、
若い時にはああいうことをしてしまうことになってもおかしくないような
タイプの人間だったので、この小説の中で描かれている人物たちや、
三島とか盾の会の人たちの気持ちや考え方は、よくわかるような気がする。
ともかく、「愛の処刑」も、実に興味深い作品だと思う。三島の作品すべてとか
三島の実人生をすべて知っているわけではないけど、おそらくこの「愛の処刑」は
三島らしい作品なんだろうなと私は思っている。 なお、「愛の処刑」の映画版があるとは知らなかった。
いずれ見てみようと思う。 金閣ってその後の天皇制との関係を暗示してるね。戦前の神々しい美ー金閣ーが
戦後、観光名所となることによって神性を失った。その神性をいかにして復活
させるかが小説の肝になってる。
小説では金閣を焼失させることでモノ化した金閣を焼失させ、すなわち物象と
化した金閣を焼失させ、それによって価値も無効化するというメカニズム。そこで
超絶性は空として、死として蘇生する。モノ化への反命題という箇所で、
当時の左翼とも通じている。ただ共通するのはそこだけだけど。
現実には人間宣言で神性を失い、流通の一部と化した天皇制に神性を復活させ、
自衛隊を国軍化し、欧米の消費文化を排斥し、日本の文化を死守することを最後に
彼は訴えた。それは結局日米戦争の再開にしかならないし、結果も分かっている。
失われていく日本の美とともに滅びていくことを、彼は夢見ていたと思う。
元々、超絶的美とともに滅びていくことが戦争の唯一の夢だった。敗戦でそれは
不可能になったときに、小説『金閣寺』のモチーフは始まっていたわけで、
押し寄せる消費文明からいかにして超絶性を死守するか。
彼の小説というのは、不具や吃音の障害、裏切り、自慰、男色、嗜虐性、背徳、
性的サディズム、といった市民社会の外部、裏面の夢によって裏側からモノの
社会による抑圧・水平化を暴き立てるのを本領としていた。それら、外部と超絶性
が死に向かって邁進する夢が小説になってる。切腹、頓首、葉隠れ、は外部の隠蔽
であり、三島の好きな嗜好が歴史に現れていた証拠であるとともに、自己の
晩年の思想が日本古来のものであるかに偽装するトリックでもあったと思う。実は
それらは西欧合理主義にたいする反命題を形成するために歴史から拾われてきた
だけだった。問題はただ、水平化・相対化されない存在、をいかにして現出させる
かという1点にあったのだろう。 なので、三島の死について、共同体的死あるいは思想的死あるいは政治的効果を
狙う死あるいは文学的衰えを示す死・・・とか多様に言われたけれども、実は
実存的死という比重が最も大きいんではないか。すなわち何にも交換不可能な
実存を示すための死。最もここで妥当な語彙を用いるならば小林秀雄が「様々
なる意匠」で提出した、「傑作の豊富性の底を流れる作者の宿命の主調低音」
という語彙が妥当なのではないか。三島が様々に集結させた古今の諸概念は、
彼のそういう実存が集結させた。とみればよいので、それ以外ではない。というの
が私の視方。実存的死、というのはたぶん誰か言っているはずだとは思うが
三島がハイデッガー有論的であることは疑いない。実存が物事を集める。その
集大成が彼の文学であり思想だったと思う。三島の死について語られたなかでは
当時語られた小林秀雄の「感想」が最も秀逸だと思う。というのは三島自身にも
見えてはいなかった自己について言及していたのはそこだけだったように思えた
から。 三島の自刃の本質などは、実に単純明快で、論ずるにも値しないよな
確かに一つは自国への哀憐だろう
もう一つは、人間としてこの世に産み落とされた、現実への悲観
最期に、滅びの美学への執着と
小説は極めて高尚だったが、死への欲求は通俗に過ぎたな
整合性の取れた落とし所(オチ)とも言えるか... 死んだ理由は単純明快、
老いていくのが嫌だっただけですよ。
そこへ自衛隊だの226事件、天皇制、楯の会等々で
壮大な舞台装置を作り上げて三島戯曲の主人公を自分で演じて死んだ。 三島は経済的には成功したが文化的にはつまらない極東の島国になるという旨を書いていたが、今や経済的にも落ちぶれた国になっちまったねえ
しかしサブカルチャー的な分野では小さな国にしては世界中に影響力があるな 経済的な発展といっても、反動的な戦後の高度経済成長とバブル期と、不謹慎ながらも災害復興という、一時的で刹那的な盛況に過ぎず、
栄枯盛衰にも及ばない、その場限りの虚構でしかないよな
現代日本社会はもはや、軍事的にも経済的にも精神的にも道徳的にも、ありとあらゆる面で堕落し、
総体的な地位、力量、豊さなどに於いても、世界最弱小国と断言出来るだろう(憫笑) 死にたい人間に理由はない体質だ
理由は後からつければいい 理由自体しらんしな
生きたくないから死んだだけだろ >>455
老いへの嫌悪感は自決の大きな理由のひとつだと私も思います。 三島の署名本って神田古本屋界隈ではAランクで高価ですけど、
あれ書のうまい人が100かいくらい練習すれば書けるんじゃない
ですか 三島は、小説は言うに及ばず、喋り方にも独自性があるよな
あの、如何にも全てを知悉したような、己が世界観に浸り切ったような、落ち着いた物言い
その存在自体が、正に、美なる芸術といった所か 反権威のつもりだけどものすごく権威に弱いし気にする
東大卒
賞レース
映画
極めつけは天皇制
やっぱ時代に抑圧されたマゾなんだろうな 三島にしろ大江健三郎にしろ日本の純文学という体制がガンだったんじゃないか
物語性のある読者向けの物語を書いたら通俗とバカにしてきたため
つまらない話を書くことになってしまい現代では読まれない。
大江健三郎に比べたら三島は読めるものは多いと思うけどエネルギーの向け方が間違っていたんじゃないか 今三島由紀夫のように自衛隊駐屯地で檄文唱えて自決しても、マスコミが自宅に駆けつけて張り込んで近所の人に
インタビューしまくって、同窓生にインタビューして、卒アルが流出して、あらゆる個人情報がさらされて
まとめサイトに載って、2か月後にはみんな忘れさってしまうんだろうな。
突飛な行動とれば瞬間的に世間のおもちゃにされてすぐに飽きられて捨てられる世の中。 好き勝手演説して自殺する盛大なオナニーが目的だから自衛官に感銘与えようとか思ってないよな
その通りだ!なんて言われたら逆に困りそう 生首並べられてたが自殺じゃなくて殺されたんじゃね? 思想的にも作品傾向的にもトーマス・マンの影響を感じる マンや鴎外の影響は三島が後年意図的に付け加えたもの 国立劇場で三島の助手をしていた人によると、例のパレードでは、階下の舞台照明がズレて困ったそうだw死の間際で聞いた貯金は3000万だそうな ウルトラマンが怪獣にボコボコにやられて苦しみ悶える姿にドキドキしてしまう三島先生 天皇を神と考えようとしていたのに、自分を神とするなら逆賊だな 三島を始めとする文豪たるお歴々は、詰まるところは、厭世主義に傾倒していたような気がするのだが、如何に
無論それは、俺みたいな名もない人間も同じで、そういう思想なくしては、もはや生きて行く力すら無いに等しく、いっそ無に帰依した方が良いのではとさえ考えてはいるが、
未だその逡巡解けず、こうして生き恥を晒すに終始する、不甲斐ない有り様と嘆息せし候
然るに、人間としてこの世に生を授かってしまった不運を嘆くものなりと 美輪明宏にヒョロヒョロと馬鹿にされ筋トレに目覚める
病弱で徴兵検査に落ちたことがトラウマで愛国心に目覚める
この男の書く小説が面白いわけだよ 愛国心といっても昭和一桁の軍国少年世代限定の愛国心だな
神風や回天みたいのをみて狂ってると思うほうが正常な精神だろうが、三島はそうではなかった 金閣寺で主人公の母親が「こんなどもりが兵隊に取られたら日本もおしまいやな」って
言ってたがあれは著者の自虐的な意味もあったのだろうか 三島は絵がへただった。字も下手だった。詩も善く書かなかった。
その分散文というか地頭の良さからくる論理的な文章と構成はなかなかだね
それでも本当の上品さは谷崎や秋声のほうが上だと思うが
宮沢賢治もかなりキレイな日本語だね 字は下手ではないような
youtubeの動画にある原稿の文字は下手ではなかった
普通に達筆だった 三島の文章は、不意に論文調になる事が、結構あるよな
個人的にはそれが好きなんだが 「君のせいでもう間に合わなくなった!」三島が自決2日前に託した未完の遺作 平野が明かす、三島への共感 「虚無から美を創造することに自らをかけた」 まあ法文書のような仕事には向くかもしれないが文壇ではこれからだ有紀子は。 暁の寺院とかは地が法学部だなあ。さっくり。転科とかも時間と労力がかかる。 やっぱりカリキュラムとかの影響を受けるから学習院や東大と過度につるまない方がいいね。 刑務所に詳しいというわけではないんだろう。文法でも刑務所扱えるんだよ。 自分のバックグラウンドが才を限定してしまうなら、まだ学問を続けるべきだろう。遅咲きと編集力。 金閣寺に立てこもって焼死したなら文学美学になるが。 >>495
三島由紀夫自身金閣寺は、当時付き合ってた最愛の恋人だこさん連れで見学したくらいだからね。 >>498
三島由紀夫は、お祖母さんはどっかの藩主の娘なんだよね。 >>493
三島由紀夫は、少ない年金暮らしの親がいたからね。お金稼がないといけなかったんだよ。 >>490
年金暮らしの親を支えるためには、三島由紀夫は小説でも文学でも、とにかく稼がないといけなかったんだよ。 三島由紀夫の父親は、高等文官試験首席だったにもかかわらず、局長どまりという出世から見放された人ではあったが、
それでも、いろんな会社に天下りして、高給を貰い、退職金もあちこちから沢山もらっていた。
年金暮らしの老人などではない。 やっぱり血統ってかぎりなく人間にあらわれるだよなあ
おそらく田吾作出身のごみみたいな俺の血、両親共に中卒のゴミどもの子である俺は三島の文章よんでも何書いてあるか意味わからねえ だとしたら、両親ともに中卒で、母親はことに、ほとんど文盲にちかいという
中上健次はどうなるの。中上の文章には、三島由紀夫の文章よりも難しげなところも多いが。 中上健次って別に評価されてないよ
ニューアカブームで柄谷がおだてたから今に残ってるだけで別に作家としてみたら・・・
野間宏とかのほうがすごいよ 中上健次が、小説家としてどうかということとはまた別に、
柄谷行人、浅田彰からの受け売りを書くだけでも、三島由紀夫の書いたことよりは、
とりあえず「難しく」はなるだろう。 >>505
おいおい、自分の好みを一般化するなよ
野間宏こそ今では読まれてない作家だよ
中上健次は最近岩波文庫から短篇集が出たし、
代表作もほとんど文庫が刊行されている 中上健次も小学館文庫ででていたが全部絶版
批評空間グループがやたらと押していたけどファンは少ないだろう
大江も中上もフォークナーめいた作品を書いていたけどフォークナー自体アメリカでも読まれなくなった作家で
さほど面白くもない
どっちも村上龍以下だと思う >>508
お前ごときの評価なんて誰も気にしない
お前は東野圭吾でも面白がっていればいいよ 中上健次は今でも河出文庫と講談社文芸文庫、文春文庫が刊行されている 話の発端は、中上健次の作品が良いか悪いかではなく、
中上の文章が小難しいかどうかということだった。
わたしは、両親とも低学歴でことに母親は文盲にちかかった中上の文章のほうが、
祖父、父がキャリア官僚だった三島由紀夫の文章よりも、小難しいところが多かっただろう、
ということを述べた。 ちなみに、柄谷行人の父親にしても旧制中学卒だが、柄谷の文章は、三島由紀夫のものよりも小難しいのではないか。 柄谷の文章が難しいってのは内容が難しい。
単純な構造の文でも、抽象的な単語の具体的な知識がこちらにないと理解できない。
小説家の文の難しさってのは、概念の難しさではなく、
作家が思考、描写を自分にしっくりくる手触りを感じるように並べている難しさで、
逆にいうとその手触りが伝わってきたら非常に心地よい文章に感じられる。 文学者の文章と親の学歴を関連させようとするのがアホらしい 今本読む人少なくなってるし、大半が積読状態だろうし、文章自体も平易な文になってるから、三島由紀夫を5冊くらい何往復も真剣に読み込めばかなりの日本語力がついて、差異化できる 問題は集中力が続かないこと。
10分読んで1時間ネットサーフィンしての繰り返しになることが多い。
スマホを別の部屋に置かないと意識が分散されてしまう 藤島泰輔
ジャニーズ事務所元社長のジュリーの父親(メリーの夫)
初等科から大学まで学習院に学ぶ。
上皇明仁の学友の一人。
1956年(昭和31年)、学習院高等科時代の上皇明仁(当時は皇太子)と「ご学友」たちを題材にした小説『孤獨の人』で作家デビュー。
三島由紀夫が序文を寄せ、「うますぎて心配なほど」と評価している[3][4]。
前妻は高浜虚子の孫娘。
三島由紀夫とは学習院の先輩後輩で親しくしていた。
三島からは「君は皇太子の友達なんだから直接意見してきたらどうか」
と度々からかわれていたという。
三島の自決後は、憂国忌の代表発起人となった。 久々に「不道徳人間講座」を再読したら「〜だわねぇ。」ってのがあって
ちょっと笑った。三島先生はカマっぽい喋り方もするのか 三島由紀夫のアポロの杯と豊饒の海4部作は旧版表紙ってあるの?
白地に朱色の字だけのやつ >>520
ダムの話ですね。ヒロインが、三島由紀夫が当時付き合ってただこさんにそっくり。だこさんは独身だったけどね。着物とかは、だこさんが着てた着物を聞いて、そのまま書いてる。 https://i.imgur.com/Un8TRvX.jpg
更に友人等などに教えて、更に\4000×人数をゲット可能
tk..tk [あぼーん用] 新潮新人賞、最年少17歳で受賞「とにかく三島が好き」 個人的に三島と言えば戯曲。
黒蜥蜴以外に江戸川の原作を戯曲化して欲しかった。
黄金仮面とか。 >>535
同じく女性が活躍する作品の
鏡子の家 はどうかな。
映画化もされてるし。 >>536
『鏡子の家』は失敗作
ヒロインに接する青年たちがみな三島の分身でつまらない
『宴のあと』はいいね
プライバシー侵害でモデルから三島が訴えられたが、
政治と恋愛の関係をよく描けている >>537
やはり三島は自身の内省や体験より
実際にあった事件を元にした執筆が上手いのかも。
個人的には一番独創的な小説だと思う
『美しい星 』はモデルになった
家庭とか人物はあるのかな。 大江健三郎の新潮文庫はいずれ全部絶版になりそうだけど
三島は生き残るだろうな 福田和也も三島の戯曲は完璧といっている。
それでも近代1とは見てない。
福田和也的には真山青果、宇野信夫らしい。このふたりは新歌舞伎の作者でもある
時代考証が完璧で、言葉の説得力が違う。作者の想像ではあるがその人物が実際に言ったとしか思われないくらいまで調べ上げる。 福田和也の鑑識眼をまるっきり信用していないのでどうでもいいが、
『鹿鳴館』を映画化した市川崑監督作品はとてもよかった
演出がオーバーだと批判が多かった映画だが、
自分にはドストエフスキーのようにダイナミックで面白かった
権利を持っている製作者が偏屈なので、
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家族・友人に紹介したり、通常タスクをこなせば更にポイントを追加でゲットできます 御殿場の記念館はみんな行ってる?
近いうちに行く予定。
川端の記念館も行ってみたい。 新潮文庫のアポロの杯、絹と明察、三島由紀夫 十代書簡集あたりは全く見かけない 外国の批評家が「切腹」からギリシア悲劇を連想したことは、興味深い。
作家が意図した否定とは逆に、形骸化したとはいえ一民族の一時代のモラルを宿命と見て、肯定した批評であった。因みにギリシア悲劇が、死の場面を決して舞台に出さなかったことはよく知られている。
かくして、知性と感性の両刃の剣を持った作品であった。相反する方向へ向いながら、異様な均衡を保ちえた作品であった。
ただ、作者が残酷場面を主題強調のために必要だったとしているのは疑問のある点で、残酷美に高めたものはむしろ感性的側面の力であり、又、一見知的に見える構成と場面設定の単純性は、実は伝習の形式美と不可分であることを言ひたかったのである。
そして観客がつとに、無意識の裡に感じとっていたことである。 板垣退助も刺された時、痛みでうーうー言ってただけというし
三島先生も同様だったのかもしれん 三島のことになると天皇とか政治の話題になって嫌だな 愛の渇きはあんま感心しないな。
悦子の気持ち、行動が全然共感しないし、
最後の殺人が唐突すぎてな。 >>556
午後の曳航もな
三島の小説は不自然極まりない
人間的にはすきだが小説はかなり駄作おおいよ その不自然な所が良いんだよ
理路整然とした内容に相対性を見出す、現代日本人の感覚の方がおかしい
芸術とは奇にして優なる情景の中にこそ生まれるもの 防衛省の警備員に刃物を突き付けたとして、新宿区の居酒屋経営者(45)を逮捕した。
タクシーで乗り付けており、運転手に「俺は三島先生が大好きだ。頑張れって言ってやりたいんだよ、岸田」などと話していたという。 『美徳のよろめき』『午後の曳航』は三島の観念のみでこしらえた空疎な駄作だが、『愛の渇き』はモーリアックの『テレーズ・デスケルー』を換骨奪胎し、三島の感覚で戦後日本に蘇らせた傑作 こんな天才、二度と出てこないだろう。
三島の藤原定家、読みたかったなぁ。
「紅旗征戎我が事にあらず」 東大全共闘の映画を見たが、サルトルと他者の話とか全くわからんが、東大生が静かに聞いていて、笑いのツボがあるのがわかるのが驚いた。昔の学生はアタマが良かったろうな。 >>570
同じく読みたかった
年重ねてからの作品も読んでみたかったなあ
今「サド侯爵夫人」の舞台動画見つけて視聴中 錦の御旗を掲げて辺境の蛮族を征伐する事は自分の仕事では無いと若き日に誓った藤原定家。
歌道に身を捧げた定家に、同じく若くして文学に生きた者として共感や憧れを抱いていたと思う。
しかしながら三島は皮肉にも己の美学、芸術の着地点として錦の御旗を掲げて殉じた。
昭和の激動の中、体制や思想がぐらぐらと揺れ動く中で経済だけが成長し、実の無い日本に落胆して行き、封建時代の様な忠誠や自己犠牲の美しさ、強がろうとする矜持に針は触れて行った。鋭敏過ぎる感性は自身の文学に現行一致を求め留まる事を許さなかった。
自身の文学に男性的な作家特有の息の短さを悟っていた三島には必然だったと思う。
死の数日前のインタビューで三島文学の今後を聞かれ「自分は古代の日本語に通じた最後のジェネレーション」「さぁ次は無いかもね、もうくたびれました、、」と笑うのは印象的。 定家 とか ラップの 身体境界魔界和歌とかドラム脚でできないけど。
三島の首領有紀子の胸に期待。 世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事
白楽天(白居易)「紅旗破賊非吾事」
これからきている。
この言に関する「芸術至上主義」の宣言だとかいうよくある理解は、ただの俗説だと思う。
じつのところ、戦争については日記には書きません、というだけのことだったのではないか。
藤原定家は、宮廷政治に参与することに生涯を通じて熱心だった。
ようするに、わりと俗物だったでしょう。
俗物でないのは、西行でしょう。女院に恋慕したあげく出家したり、諸国を修行したり、
最後には仏陀の入滅に日に、自分の詠んだ歌の通りに自殺したようだし。
吉本隆明は、『西行論』で、方下の禅師の類だと言っていたと思う。
三島由紀夫の思想と行動は、むしろ西行の系統だろう。
藤原の定家の系統は、しいていえば、かっこよさげなことを言いながら、
それなりに世俗の垢にまみれながら出世した蓮實重彦みたいなものだ。 新古今集の技法について、三島由紀夫は、当時の通説どおりに象徴主義的だと理解していた。
これは間違いとは言わないが、少々単純な理解だと思う。
三島由紀夫は、本歌取りについては、よくわかっていたわけだから(漢詩取りについては、三島が何か書いていたという記憶がない)、
その「象徴性」が、今風に言えばエクリチュールの操作にもとづくもので、むしろ脱象徴主義的なのだ、ということに感づいていたのであるが、
当時の通説的な思い込みが強かったせいで、知的にわかることがなかった。
三島由紀夫は、日本のポストモダン文学の先駆者なので、創作技法上は、よくよくそれについて(いわば体で)わかっていたと思う。 もっと長く生きて欲しかったけど、今にしてみれば、あの時点であの様に死ぬからこその三島である気もする。昭和と共に生きた作家。
リルケや上田秋成、葉隠を愛し、戦争を経験し、死があってこそ、しかも身近にある時に生が一番輝く事を知り、それに取り憑かれて行った。一時は時代の寵児となり、新古典主義、芸術至上主義にも向かったけれども結局地金は隠せなかった。
「人は自分の為だけに生きるほど強くはない」
それまでの価値観はどこ吹く風、経済大国に成長して矜持が捨てられて行く日本の中では、三島の美意識は空虚さに耐えられなかったのだと思う。天才の鋭敏な目には先が見え過ぎていた。
金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
痛々しいほど純粋な人であった。 >>569
愛の渇きはよんだことないが他は同意だ
午後の曳航とちがっておもしろいなら読んで見るか ≫金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
昭和四十年代の頭悪い人むけの文芸評論みたいだな。 一部で新古今集の象徴主義といわれたようなものは、
じつのところ、たいてい縁語、掛詞の類で、ダジャレや言葉遊びに近いものである。
三島由紀夫は、「鰯売恋曳網」みたいな御伽草子丸写しのような翻案歌舞伎狂言も書いているくらいなので、
創作技法上は、よくよくわかっているはずなのだが、ところが、いざ和歌を論じるとなると、
それこそ『金閣寺』の中高生向け「観念論」みたいな大げさで幼稚なことを書く。
このズレは、最後まで修正されなかった。 後鳥羽院の西行評
こころ殊にふかし
定家評
定家は生得の上手にてこそ
こころなにとなけれども
美しくいひつづけたれば殊勝のものにてあれ
「こころ」というのは、歌意のことだろう。
こういうクールなのが、かしこきところの批評なわけで、三島由紀夫みたいな下々とはちがうわけね。 三島曰く
「残虐さは人間の女性的な一面から来る」
「女々しさは人間の男性的な一面から来る」
本当にその通りだと思う。
三島の嫌いだった太宰は実の所、正直な程、男性的な作家だったのであり、才能は認めていたが、同族嫌悪から来る軽蔑を感じていた。
「太宰を好きになってしまえば自分も太宰の様になりはしないか?」と述べている様に意識的に距離を置いていたが、皮肉な事に共に自死してしまった。どちらも扱い方、向き合い方は異なるが死を利用していた作家。 >>583
男の残虐さは
心で泣いている部分があるけど
女の残虐さは全く意に介していないところなんじゃないのかな。
それが心にある男もいる。 宴の後、読んでる。政界の裏話かと思ったら恋愛の話みたいだ 『宴のあと』は傑作
恋愛と政治の関係がよく描けている >>584
女性的な残虐さは、女らしい情念の深さから来る、強さ、純粋さの様にも思えるね。
夾雑物が無いから強い。女性は恋愛が好きだし、日本では古来から掛け軸の幽霊画になってサマになるのは女だ。お岩さんも女だから絵になる。
三島の好きな雨月物語の「菊花の契り」にも、約束を果たす為に幽霊になって恩人に会いに来る男がいるが、「これは同性愛(恋愛)の話」と看破している。 三島由紀夫は石川淳と座談会を含めて3回も話してる。
石川に親しみを覚えたのは石川が雨月物語の愛読者であり、
優れた新釈・雨月物語の訳者でもあったからだろう。
三島は戦時中、雨月物語を座右の書にしていた。その中の短編でも
「菊花の契り」を殊の外愛読していたようだが、石川の「ただ、一刀の下にたおした」の表現は余りにも美しいが、三島の最後はそうではなかった。 三島由紀夫の最後が大量の血と腹から出た内蔵にまみれていたことは、
「仮面の告白」に登場する汚わい屋との関連を思わずにいられないが、
これは今の若手作家らの強い関心を呼ぶことのような気がするのだが。 >>588
崇徳院のドロドロとした怨念と情念が燃え上がる「白峯」も好きだったみたいだね。
三島は人間の持つ純粋志向、言行一致の美学に魅せられていて、体面の為なら狂死も是とする「葉隠」にも惹かれていた。最後まで鍋島藩の侍の手引きを手元に読み返していた。
死が身近にあってこそ生が輝く事を知っていた。
「戦争の時代、明日死ぬかもしれない世界が妙に幸福に思える時があった」と話しており、
終戦後の生への倦怠感、拍子抜けは最後まで三島の心を満たさなかった。
リルケの様に若くして純粋に美しく死にたかったけど、生き長らえ戦後の昭和を駆け抜けて美学に殉じて自死した。
女性と情死した太宰も死ぬ事を利用する作家だったが、向き合い方がまるで違う。 「天才は若くして死ななければならない」
三島少年はこの言葉に魅せられていたし、実際に純粋な天才だった。自身の作家論の中で、自分は谷崎の様な息の長い作家の部類には入っていないと思っていた為、歳を取り創作意欲、才が減じて行くのを恐れていた。焦燥感もあったと思う。
その三島が体力のある内に書きたかったのが藤原定家。歌道にその生涯を生きた古代の天才に惹かれるものがあったのだろう。
三島の面白いのは、最後の死への過程で、文も体も鍛え言行一致の境地へと若々しくなって行った所。
老いて醜く畳の上で死ぬ事など考えられなかった。 男女に新旧、洋の東西と、相変わらずの二元論に固執する現代日本人が短絡思考か
いや、それこそが、人間たる衆生の、最たる悲哀か... 三島が畏敬の念を持っていた作家はゲーテ、トーマスマン、鴎外。
「彼らは、したたかな作家」
「綺麗な、か弱い作家が苦手」
「意識的にモノを書き始める前はただ綺麗なモノを何となく書きたいと思っていたけど、次第に変わって行った」
文章は荘重かつ無駄なく骨格がしっかりとした鴎外の文を目指しており、鴎外の「寒山拾得」の中の一文、「水が来た」への感銘が慧眼。
純粋で強い感情、情念を理性の効いた文章で綴りたい気持ちがあったけど、「思春期の感情形成に受けた地金が出てしまい、統御するのは難しかった」と話していたのが印象的。 もう芸術家という概念が変わっているんだよね
三島的な芸術家像は過去のものだから、今は漫画家、映画アニメ監督、エンタメ作家が芸術家だよ
日本国内に限らず世界的に影響力があるのはエンターテイメントで、純粋芸術という歴史的な存在は意味がなくなっている >>590
白峰は西行のカッコ良さが俺の気に入ったw >>596
君の、その実に通俗的な主観などは、どうでもいいから 日本文化、日本的なモノ、日本の情緒の根源は何なのか?
玉葱の皮を剥いて行く様に辿って行くと雨月物語や源氏物語や何やらと巡って行き、古今和歌集、万葉集等に収斂されて行く。
三島由紀夫は自身を古い日本の言葉に通じた最後のジェネレーションと自負しており、一時期は新古典主義と自身を規定し古典に通暁していた。
儚さに共感し、全てを言わない、言えない、仄めかす、余白を残す文化。
日本に西洋の様な骨太の長編小説が比較的少ないのは、そもそも日本人の気質に合わないモノらしい。
口下手な民族でもあり、多くを語る事を良しとしない美徳があり、沈黙の礼節を持っていた。谷崎曰く日本語はそもそも「語彙も少なく息が続かない」言葉。故に源氏の特殊さが際立つ。
雨月物語なども各章短く簡潔単純だけど、滲み出る日本人の嫉妬や強欲、情欲、情念が鋭利な刃物の様に強烈。 13世紀を「古代」だという人が、古典文学についてあれこれいうのがすごい。 >>1
【訃報】
写真家・篠山紀信さん死去、83歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1704399835/
1970年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。
三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。 地球の自転という事実が、決して五感では知られず、科学的理性を媒介として辛うじて認識されるように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何かたしかな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識されるのではなかろうか
何度も同じ事を書いて悪いが、自分としてはやはりこの一文が好きで堪らない。
此処にこそ三島の神髄が在るように思えて >>603
三島が読んでいた浜松中納言物語の世界観。
その影響を受けているのが豊穣の海だからね。
体力がある内に長い小説、、世界を包摂する小説を書こうした。 暁の寺では、阿頼耶識という言葉を使う程に、仏教に言及していたが、
三島はどのくらい仏教の勉強をしたのだろうか
彼の知能を以てすれば、何の事はないだろうが 多くの人は三島の仏教知識なんて半端だと思ってるよ
松岡正剛安岡正篤 年々、三島より太宰の方が魅力的に感じられてきて好きな順位が入れ替わってしまった
そういう人いる? 作家としては太宰のほうがいいな
実人生含めた面白さは三島 >>608
作家として太宰の方がいいというのは作風?作品全般の内容かな? 人間性はともかく、総体的なレベルは、圧倒的に三島が勝ってるからなぁ〜 駆け出しの頃の三島が太宰に会った時、直に「私はあなたの作品が嫌いです」と伝えてるのが面白い。
三島曰く太宰の文学上のモチーフは「寒風摩擦すれば治る類のもの」
ただし後年のインタビューで才能はとても優れていると認めている。
同族嫌悪があり好きになると溺れてしまう恐れがあり、作品と作家の関係性が苦手だったと話している。
「文学は薬では無いけど、書く作品からその作家が生き返らなければいけない」
三島は強がろうとする美学に年々惹かれて行って、女々しさを遠ざけようとしたので我慢ならなかった。
太宰の弱さ、女々しさを切り売りして作品を作り衰弱して行く姿は何やら凄いけど、大人になると読まなくなる人が多いのは、何かしらの男が持つ同族嫌悪の感覚があるのだろう。川端も徹底的に鼻を摘んでいた。
三島も太宰も自死するけど、切腹と情死、人生の終わり方の違い。 面白いyoutubeチャンネルを見つけた
「三島由紀夫の金閣寺を100回写経してプロ小説家になる男」だってw
これまでにすでに12回やったらしくて、ようやるわと思う
https://www.youtube.com/@user-jj8gu7jc4r/streams 日本、日本人、日本文化、、日本的なモノ(曖昧、勤勉、清潔、儚さへの共感、他への尊重謙遜etc)を知りたくなるとその要素の濃い、昔の作家を読みたくなる。SNSで世界が繋がり国際化が進む程、どの国でも自国のアイデンティティ、文化の根源を知ろうとする動きが若者の間にも出て来る傾向にあるらしい。
鴎外、谷崎、鏡花、川端、三島、、、文章にも内容にも日本的なモノが色濃く詰まってる。
行き着くと古典、和歌に辿り着く。三島由紀夫は藤原定家が好きだった。 >>611
そのエピソードの堂々とした感じは三島の主観で、
一緒にいた人の話だと小声でボソボソ言った感じで、
太宰は「そんなら来なきゃ良いじゃねえか」と言って
すぐに別のことを話し出したそうだ 大人になると太宰を読まなくなる人が多いと言われるのは何故だろうか?
社会に出ると男は取り分け、誰しもが女々しさや男の弱さを隠したり、取り繕ったりする必要性が多かれ少なかれ出てくる為か?
もしくは思春期の多感な時代に誰しもが感じた厭世観の青臭さが太宰を読むと鼻に付いて来る為か?
三島は戦前から戦後の価値観が激動する時代に生き、武士のある意味愚直な忠勤、自己犠牲の様な「強がろうとする美学」に惹かれた作家。
終生愛読していた「葉隠」も「外面の美学」であり「ダンディズム」に近いと述べている。
どちらも男臭さ、女々しさを持ってるが、作品への昇華の仕方が真逆で面白い。 子供、いや高一あたりの青少年と言われる頃か、
太宰が好きで、というより耽溺していて、そのように小説に惹かれることは
それ以前も、それ以後の長い期間にも他に一度もなかったので、
小説の内容よりも、そういう惹かれ方をした記憶で、
大人になって何度も読み返すことがあったが、
自分の場合、まず恥ずかしさとか、自己愛的なものへの嫌悪感が先にくる。
そこには太宰自体への感情よりも、
同化して読んでいた太宰との違いが明らかになった羞恥が大きいように思う。
つまり太宰は選ばれてあるものという自己認識を持ち、
今現在事実としてそれは間違ってはいないと思うが、
自分の方はまったく無能だったのであり、
そう思い知らされた自分が、正体を曝け出した恥ずかしさの方が大きいように思う。 三島と太宰は言行一致の作家。
太宰は自堕落で不摂生、精神病院にも入り、自己嫌悪、憐憫にのたうち回って作品を紡ぎ出し、玉川上水で情死、女と紐で繋がった醜い水死体となって上がった。
三島は絶対的なモノへの忠誠、自己犠牲を追い求め宛らドンキホーテの騎士道の如く、狂った様に武士道に殉じ嘲笑、罵声を浴びせられながら市ヶ谷で切腹介錯を持って生涯を閉じた。
苛烈な文学の時代があったと言えばそれまでなのかもしれないが心は揺さぶられる。
今の何事もニュートラルな時代、価値観も多種多様時代には弱さよりも強い価値観、美学に惹かれる人が多いのではないか。 三島は石川淳との対談で、亀井勝一郎のことを大嫌いだと言っていたが、その遍歴時代のエピソードの席上で太宰の隣に居たのが亀井勝一郎 三島由紀夫
「エベレストに登って落っこちそうになった。とか、そんなものばかりが体験では無い。その辺の石につまづいた時に、その石が人によっては大きな意味を持つ事になる」
「体験を体験足らしめるものを才能と言う」
「その体験を、音楽家は音で、画家は色で、文学者は言葉で表現する」
「全ては言葉に還元されるので、文学者になりたければ辞書を1ページずつ覚えて食べてしまえば良い」
「自分は日本の古い言葉、古典の言葉にまで通じる最後のジェネレーション」 三島先生はウルトラマンが怪獣にボコボコにされて最後の抵抗も虚しく
力尽きるところを鑑賞したら興奮したのだろうか >>618
今をときめく作家、九段理江は太宰治と三島由紀夫の小説を自作に取り込んでいる
女の作家は概して自分の分身を主人公にした小説ばかり書きがちだが、
この人は違うんじゃないかと思っている 結局の所、時代の試練を超えて読まれる作家は行く行くは皆、古典となって行く。
その当時は持て囃されて読まれていたが、後に忘れられる作家が大半である。
例えば芥川賞の作家達のどれ程が残り続けているか?
三島が言う様に、作家や芸術家の真価は50年、100年と行った年月を経た後に本当の意味で測られ、語られるのでは無いか?
三島は昭和と言う時代を象徴する、したたかで才能に溢れた稀有な作家。日本を遡る時、日本人を知ろうとする時には必ず現れ読まれ続けるだろう。
川端、谷崎、鴎外、、、上田秋成、紫式部、、脈々と連なってる。
さて今の村上春樹を始めとした日本の作家達は如何に、、? 全てを言わない、言えない、言う事を良しとしない民族。葉隠にもある「沈黙は金なり」。
愛惜、憧憬、抒情、、いかに言わずに伝えるかの和歌の世界。源氏物語の一見饒舌饒多だが曖昧模糊で是が非か断定せずに連綿と続く表現。
現代の日本人にも十分に受け継がれている言葉を扱う機微の匙加減と難しさ。言葉でなく空気や言外を汲み取る。
三島曰く、いかに伝えづらいものを言葉で伝えるか?
言葉は連ね重ねる程、真意は遠ざかって行く事が多い。
三島は簡潔簡逕の鴎外の文章が好きで一時期目指しながら文体を作り上げた一方で、
太宰の自分だけに囁きかける様な文章は多感な時期の若者に好まれた。
流麗、変幻自在、小説における日本語の文章の極致は谷崎潤一郎だと思う。 志賀直哉『暗夜行路』の文体は誰にも真似できない名人芸
夏目漱石も芥川龍之介にああいう文は書けないと言った 五木寛之はイケメン作家、って言ってた人がいて他には
三島由紀夫もイケメン!かっこいい!
私が「身長低いですよね?」「低いけど筋肉質で素敵」
私が「仮面の告白」読んだことありますか?(暗にゲイですよね?っていうつもり)
って聞いたら、とぼけられた爆
三島由紀夫のことが好きだったらゲイであるっていう事実も
受け入れてあげてほしいなーって思った。
三島の文体はどうしても苦手だけど(だから「金閣寺」と「仮面の告白」しか
読んだことがない)ひとつの作品としての物語というか構成というかは
凄いなあって思ってる。
もう本当に読むのがしんどかったけど代表作くらいは読んでおかないとなあって。 ごめん、場違いだった
3年ぶりに5ちゃんに書き込めるようになってたから嬉しくて嬉しくて。
しばらくはROMってカキコの復習します。 『仮面の告白』は贋の自伝小説
あれで三島がホモだと思い込むヤツは低能
文学に向かないから読まない方がよい >>621
楯の会は科学特捜隊から着想得てると思う
もちろん三島にとってウルトラマンは日本軍でるべきであって米軍であるべきではないと思ってただろうが 衆道の話なら三島が愛読していた雨月物語の一編「菊花の契り」がお勧め。 >>632
それも演じてただけだよ
三島を舐めすぎ 最初に人生があってそれに創作を合わせていく太宰治を批判して、自分は先に創作があってそれに人生を合わせていくんだってどっかで言ってたし
仮面の告白が念頭にあったのは間違いない どっかで言ってたし
あやふやな根拠だな(笑)それで間違いなしと、おい、大丈夫か >>636
こんな有名な話をしらないニワカがここにいることが不思議だな 別にゲイでもバイでも良いでしょ。
芸術家は多い。ミケランジェロ、ダヴィンチ、オスカーワイルド、、評論家のドナルド・キーンも然り。
独特の美意識、視点がなせる作品ってのがある。 >>635
それができなかったって後年発言してるだろ
村松剛の伝記には最晩年の酒の席で「それじゃ太宰と同じじゃないか」「俺は太宰と同じだ」と発言してたというし 小説(芸術)が先か?人生が先か?
どんなに理性で統御して純粋な創作を試みても、何かしらその人の自分の価値観、美意識、倫理、理想、性的嗜好、生きた時代と社会、家庭環境、すなわち人生が出て来てしまうものでしょう。
三島自身、ある所まで自分を理性で統御し新古典主義、芸術至上主義で貫き通せると思ってたが、歳を重ねるに連れて多感な10代の頃に受けた感情教育の影響が湧き出して来て、地金の様なものが出て来てしまった。と述べている。
そして生まれた時から実験室の様な所で育った人間には小説家にはなれない。とも。
AIには本当の意味での芸術作品は作れない由縁である。 三島も太宰も好きだけど太宰はもう読んでない。
読まない理由は 太宰は短編小説しかない。研究材料に乏しい。
死んだ年齢が若すぎてとっくに追い越してしまった。
単純に読む時間が無い。 >>642
バカ丸出し
三島自身が否定してんのに
古典的作家になれると錯覚起こしてたとまで言ってるのに
創作に人生を合わせる?w無理無理 >>644
文脈が理解できないバカ
このレベルが文学板にいるとはな >>643
作家の「体力」と言う問題がありますね。
地の体力があり、息が長く続く作家は長編が得意。
西洋の作家に多い。日本人は饒舌を嫌い言葉足らずな気質の面もあるが比較的、短編、中編の名手が多い。
病弱、神経質な芥川、太宰のような作家は短いものが多い典型。
三島が死の間際に体力のある内に、うんと長い小説、世界を包摂する様な小説を書きたいと言って完成させたのが豊穣の海。
面白い事にマラソンもして健康的な村上春樹は西洋人みたいな長い小説を書く。
谷崎の細雪も長い。古典の歴史の中で異質に輝く源氏物語の影響もある。 >>642
どうしてそんなに攻撃的なんだ?
対面にも君と同じく人がいる事を自覚して 禁色を再再読してるけど
檜俊輔は川端康成のイメージなんだけど
これは多くの人の共通認識? すみません、
ポプコーン心霊術の様な
芸術作品(美術・音楽・映像)の評論を読みたいのですが
手に入る文献での評論集を知ってたら教えて下さい。
黒澤明氏の映画を
中学生並のヒューマニズムと
評していた話は知ってます。 ハサ美ちゃん。今日もお元気?
今日は何をはさむのかしら。何を切るのかしら
お父様のおちんちん? >>654
そうなんだ、安部工房読んでみようかな。
安部工房が急逝していなければ絶対に安部工房が
ノーベル文学賞だった。 三島由紀夫て、嘘か本当か知らんが、5年位前から自殺の準備していたらしいとか見たが
自殺の少し前に東武百貨店で三島の展覧会があった、それに行った、土日でなかったからか人はまばらだった
真っ暗の上下左右の壁紙か?トンネル中のような異様な暗さの会場に、子供の時の作文や賞をもらったものや、腹に矢が刺さった等身大写真や色々あり、まあ面白かった、白黒写真のパンフレットも買った
小説やエッセイも面白く読んだが
自殺願望が先にあり、それに政治をこじつけたのか、よく分からない
展覧会見て暫くして、ニュースにぎょっとしたが
死ななくても良かったのに、理解不能 井伏が太宰の死について同じことを言ってたな
なぜ死ぬ必要があったのか訳がわからない、みたいな
太宰と三島の共通点といえば自己愛の強い目立ちたがりということかな
その意味では選んだ死に方も似てるな 三島の心に長らくあった藤原定家を題材にした作品も読んでみたかったが、年老いた三島由紀夫の姿も見たくない気がする。今の日本と日本人を見たら、どう思うのか?
戦前戦後の価値観の激しく変動する中で強烈かつ鮮烈な感性を持った作家だった。
この様な作家はもう出て来ないでしょう。 三島の晩年は、ボデイービル、楯の会、演劇、著名人と対談、東大全共闘演説で目立って
作家らしくない行動が、何なのあの作家て
不信感とか奇異な行動に見えて、著作はベストセラーでも無いし、そんな読まれて無かった
一部の純文学オタクは読んでも、殆どの人は名前は知っていても、本は精々1冊読んでるかどうかだった
あの事件で一気に研究や解説が出てきただけ >>665
お前は三島が死んだ後に生まれた世代だな
三島の存命時代を知りはしない
三島作品がどれだけ売れまくっていたことか
なぜお前のような低能が文学に関心があるのか
AVでも見ていりゃいいのに ベストセラー小説の題名から流行語になったのは
斜陽族、よろめき、太陽族、なんかがある >>665
そもそも作家らしい行動って何ぞや?
坂口安吾みたいに反故にした原稿に埋もれて頭掻きむしりながら呻吟して作品を書くとか??
しかしながら、大抵の作家、芸術家はどこか奇抜で特異なモノや慧眼を持っていて、社会と摩擦を来しかねない変人が多い。そのズレを作品に昇華している。
村上春樹みたいに規則正しい生活をしてマラソンをするのもいるし、太宰の様に女と情死するのもいるし、、
ドストエフスキーなんてギャンブル依存症。
三島由紀夫は若くして天才と称され、メディアの水にも合い、激動の昭和を象徴する様な鮮烈なスター作家だった。
今はもう本を読む人自体少ないし、文学なんて必要とされなくなってる時代。色々な意味でこんな人はもう出て来ない。 三島が存命中にどれほど売れてたか知らない世代を憐れむことも必要だろ。
今は文学統制供給時代なんだ。文芸誌は談合して、発行部数を極低レベルに
調整し、広告をほぼゼロにすることを実行し、
書き手の原稿料を低めに設定することによって作家を締め付けて、
書き手を奴隷化させる。
元気な小説家など殆どいない。批評家は大学勤務者が多いから、
収入は安定してるが、官僚化してやはり元気も活気も無い。
文芸誌の発行部数が余りにも少ないので、
近所の古本屋で最近の過去の号を買うことも出来なくなった。つまらんわな。 今どき文芸誌は読まんわな
刊行された小説本から良さげだけ買って読む
書評はどれも褒めるばかりだし、文学賞は数が多く、
受賞作でもつまらんものがほとんどだから、当てにならん
玉石混交から数少ない玉を見つけるのが面白い 価値観も娯楽も多様化が進み、人それぞれ好きな事に簡単に没頭出来る時代。文芸誌どころか本を読み終える経験自体、少なくなっている印象。
映画も野球もサッカーも最初から最後まで観られる人達も少ない様に、何でも簡潔に分かりやすさが求められる。
文学なんて学生の課題以外には、物好きにしか相手にされない。
答えの無い、人間、人生、世界の追求なんぞ仰々しくて小難しくて。
せめて鏡花や谷崎やG・マルケスみたいな、筋が面白い作家ぐらいは読んで見てほしいけどね。 そのようにして劣化しゆく人間の歴史に迎合するだけの、人もどきで溢れた現代社会か
それも一興、これも一興と (冷笑) スマホひとつで簡単に手早く情報や答えの様なモノが出て来る時代と、新聞やテレビ、ラジオしか無く、本など数少ない媒体からモノを知って行った時代では人間の感性も確かに変わっていると思う。
集中力の持続性も無くなっている気はする。映画館で2時間座って観る事すら苦痛の人も多い。
ただネットで世界との繋がりも簡単になった時代だからこそ、自国のルーツや日本的なモノを知る時には昔の作家や古典を読むのは良いと思う。
三島や川端、谷崎辺りまでが日本の古い言葉にも通じていた最後のジェネレーションでは無いか?
三島本人が晩年のインタビューで自身をその様に自負していた。 三島も長生きしてたらとんねるずとモジモジ君とかやってくれそう。 三島の父親と澁澤龍彦の父親が中学の同級生だったのがわかったんだね
卒業写真で隣同士だったから仲が良かったんじゃないかと推測されている 年老いた白髪頭の三島由紀夫は想像できない。
美麗、絢爛、重厚な文体の作品を残して、強烈かつ情熱的に死んで行ったから永遠に若い。
芥川も太宰も若くして死んで行ったけど病的な暗さがある。三島の最後は鬱勃とした情念が爆発して花火みたいに命を昇華させた。己の美学に殉じた死狂い。 三島先生は当時「最近の青年は外見も内面もなよなよ(女性化)していてけしからん」と嘆いていたという 所謂エリートと言われる知性を持った人達が文学をやらなくなったと思う。
森鴎外や三島みたいなゴリゴリの秀才が今の時代、文学などやらない。
もっとお金になる事をやってるのだろうか。
と言うか作家になろうとしてる人も減ってる様な気はする。 三島事件の時に学生だった、昼休みが終わり、午後の授業が始まって学生が教室に集まってきた
いつもと違い、三島が、、三島が、、とざわざわとして
事件を知らなかったが、昼にニュースを見た学生でざわついていた
そのうち自衛隊どうのと事件が分かった
下宿に夕方帰る三島の話題で持ち切りで、驚愕していた
でも、その前あたりの行動が,楯の会とか異様だったから
ふーーん、さもありなんと、少しは思った
色々と不思議な行動が多かったから ボディービルで鍛えるのは作家でも別に良いけど
憂国の日本刀持った写真やセバスチャンを真似た写真や
自己顕示にしても少し異様に感じていた
ミリタリールックの制服で楯の会を作った時は、何?
ミニ軍隊? この作家は何を目指いる?
作家活動はエッセイ書いたり対談や普通にしていたけど
ちょと異様なものを感じていた 言行一致を純粋に目指していた。
書く。言う。述べる。だけでは無く行動を持って体現する。三島文学の一つにある自己犠牲の美学。戦争を経験した或人に「文士も体を張るもんだな」と言われて、殊の外喜んだ逸話がある。
戦後は余生の様な感覚が常にあると述べていた三島。高度経済成長で突き進む社会に浮かれて軽薄に生きて行くのは耐えられなかったと思う。
日本人のお家芸、極端に変わり身の早い民族の姿は軽佻浮薄で我慢ならなかったはず。 戯曲「わが友ヒットラー」の自作解説で、何事も無計画的、行きあたりばったりな日本
と三島は書いている。
三島が嘆息したように、日本人の浅薄さは戦前からの伝統だな。 人生の老後の趣味として三島研究をやってるけど
もう一人作家の研究したいと思ったけど、
川端は読んでもなにも残らない。谷崎はブルジョワで熱いものが無い。
漱石は研究されつくしてる。荷風は孤独感や厭世観は面白いけど作品の幅が狭い。 >>687
鷗外、秋声、藤村、埴谷、安部、大江あたりは? 漱石だけ読んでりゃいい
三島は当たり外れが多すぎる
ハズレでも読ませる文章力はすごいがはずれをひいたときの虚無感がやばい >>687
饒舌を嫌う、息が続かない民族性なのか、どっしりとした長編が不得手で短編、中編が多い日本。日本人作家の宿命みたいなものを感じる。
芥川も長編どころか中編作品にも四苦八苦していた。
源氏物語などは異質な立ち位置にある。
辿れば古今、新古今和歌にあるのか、全てを言う、連綿とつづる事が体質的に向いてない気質が関係していると思う。
喋りまくり、ある意味美文とは言えないドストエフスキーの様な異様な迫力のある作品は日本の土壌には無理だと感じる。
比較的、異質なのは谷崎。戦争、政治運動、、激動の社会の影響など作品にはさほど感じさせず、飄々と職人みたいにお話を創作して長生きして、したたかに書き続けた。
本人も好きだった「少将滋幹の母」は文章、構成も傑作。 三島は高尚すぎるんだよな
あれだけ多様な作品を極めて知的に生産できたのに
今影響力のある作品が意外とない
美と知はあるかもしれないが、本当に共感して読みたいと思う作品がない
まあ最後の豊饒の海は人生の総決算として読み解く面白さはあるのかもしれないが三島に興味がなければ
スルーしても大丈夫だし 日本人の情念や怨みつらみのぎっしり凝縮されていて読後感に強烈に何かが残るのは上田秋成の雨月物語と春雨物語。三島もドロドロした世界観が好きでずっと手元に置いて読んでいた。
浅茅が宿や白峯の怨恨、死首の笑顔の振り切れた残虐さは苛烈。下手な中編、長編より濃い。
三島作品、理知的で時に無機質に感じる事が多いが、情念のドロドロしたものも根っこに通底していた。
それが垣間見れる作品は滅茶苦茶面白い。人気作家であり多作なので軽く洒脱に書いて、所謂、薄い作品も多いが、、
最後は何だかんだで、その美学や情念が爆発した。
「金閣寺」、「潮騒」、「豊穣の海」etc
日本文学史に残る作品なのは確か。 迫真とか真実とか、それまでの日本文学には無かったものを志向して一時期台頭したのが赤裸々に語る自然主義文学だったと思うけど、やっぱり日本人の肌には合わなかった。
いわゆる鴎外や鏡花、谷崎、川端、三島らが未だに読まれ続ける由縁でもあると思う。
通じる話で、ベトナム戦争から帰還した人が作家になったケースが両国であったけど、赤裸々に戦場の経験を書いても伝えたい事が伝わらない。伝えられない。と言う作家が多かった。実話をベースに話を創作した方が根っこの部分を伝えられるのだと。 文庫の末尾についてる解説は
意味ないアホみたいなのあるけど
三島の文庫はみんなちゃんとしてるな。
川端康成の少年という文庫の解説は
ぶっ飛ばしたくなる。 >>696
解説っていらんよな。妙に小難しく高尚にして作品よりも解説者自身の衒学趣味が往々に跋扈してる。
志賀、谷崎なんかも評論家を嫌悪して不要論唱えていた。
谷崎「どうにも肯綮に当たらない感がある」云々。
村上春樹も文芸評論家、解説者を毛嫌いしていて絶対に載せない。ミチコカクタニなんかを酷評してる。
曰く、文学者になりたかったけど才能がなく成れなかった人が、上から語るのが多いのだとか。
三島は相手が高校生でも書評が優れていたらお礼の手紙を書くぐらいの素直な人。 大江と並行して読んでいこう。
政治的には真逆だけど政治思想はあんま興味持てないからいいか。
三島に比べて大江はユーモアが足りない。
背が低いのを除けばキリッとしてる三島に比べて大江は秋元康みたいで
迫力に乏しい。 三島由紀夫の何となく心に残る問いかけ
「日本に内発的な革命が起きないのは、天皇制があるからか?もしくは内発的な革命が起きないから天皇制があるのか?」
「講堂に立て籠った学生達は、結局誰一人革命の為に死ななかった、、、明治維新の時はバタバタ人が死んでるが、あの時代の人間だって死ぬのは怖いのは同じはずだ」
「戦後アカデミズムの連中は歓喜雀躍として『暗い軍部の連中が去り、これから自分たちの時代が来るのだ。知的再建の時代が来るのだ』と言っていたが、私は疑り深い人間なので、何ら知的再建など無かったのではないか?と思っていた」
三島は自己犠牲の美学とか芸術至上主義、新古典主義の審美的な資質が多分にあるけど、晩年にかけて玉ねぎの皮を剥く様に日本人の内面に向かって行った。遡って昔の日本人像と照らし合わせる程、戦後の経済成長に浮かれ騒ぎ、矜持を忘れて、変わり身の早い人間達の軽薄さに、我慢ならなかったと思う。
今現在も然り。腐敗した政治、教育、日和見のメディア、好き勝手にやる移民達の問題、、、右寄り左寄りの次元ですら無く何事にもニュートラルで無関心な日本人像を見たら何と思うか? 文庫の解説、自分はどうでもよくて、流し読む程度
ところが、講談社文庫が新刊をビニールで包装したら、
解説の良し悪しで買うか決めたいから、ビニールやめろという人がいる
あのビニールは汚れ防止、研磨もされない利点があるから、いいのに 午後の曳航
宴のあと
沈める滝
最近読んだ
3作とも肩の力を抜いて書いている感があって、佳作だと思った
次、絹と明察に行きます 仮面の告白、金閣寺、豊饒の海以外読む必要なし
戯曲のほうが面白い
3作も代表作があれば作家としては上々だよ 三島は45年の人生とは思えないぐらいの仕事量と私生活も濃い人生だった。
文庫本だけでも前に数えたら70冊ぐらい今でも入手出来る。 あたしも熱帯樹が1位
2位は沈める滝、3位は金閣寺 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=8244_01
伊集院光の百年ラヂオ 三島由紀夫vs高校生 高等学校の時間・国語教育
4月7日(日)午前11:00放送
2024年4月14日(日)午前11:50配信終了
ラジオ放送が始まりまもなく100年。
NHKが保管する膨大な資料から歴史的価値のあるお宝音源を伊集院光さんと一緒に味わいましょう。
配信期間内ならこれで音源落とせます
【radiko】どがらじ Part8【Time Free】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/software/1710679341/ 九段理江、三島について「作品ごとに文体を変え、言語世界を構築しようとしていた」 三島由紀夫は色んな奴に利用されてるが、殆ど全部はネトウヨ。
三島の再来と言われた平野が三島を批判したのは、20年ぐらい経ってからだから、
左翼でも、三島と関連付けられて悪い気のしない作家は多いんだよ。
新潮社なんかは未だに三島と小林秀雄で食ってる。だから、日本の文壇は駄目なんだ。
新潮が月に2−3000部しか刷らないんだから、文芸出版のshowcaseショーケースとして、全く不足なのは明らかで、
芥川賞作品の「東京同情塔」が2−3万部しか売れないのは当たり前なんだよ。
大手出版社の文芸誌の発行部数の最低ラインが2−3万部だよ。
そのレベルで販促しないと芥川賞が数十万部売れることは有り得ない。 >>664
頭の硬い長男だな
今の時代、Kindleにするともっと読まれるだろうに 「明日死んでも。十分な生き方を・・・」三島が茨城大の討論会で残した言葉だ。招いた学生は今も、あの日の意味を考え続けている。 三島は最後に安易に人を死なせすぎるような気がするざんす。 >>701
「午後の曳航」は最初に読んだとき、三島にしてはえらく薄味だなと感じた。
外国では映画になったし、ヘンツェがオペラにしたね。
最近ではpewdiepieが読んで感銘受けたらしい。英訳がいいのかな。 30年文学読んで質、量と三島に匹敵するのは
漱石、ドストエフスキーしかいないな。
なんか単純すぎる結果だけど。 師匠格の川端康成がもっと強い人格と才能があれば
三島もあんな情けない死に方をしないで済んだかも。 昭和以降の作家では太宰と三島が漫画に対抗できるかな。
しかし他の作家は漫画ほどの影響力はないね。 >>721
どんなマンガ?
鬼滅の刃とかワンピースなら、何も面白くないがな。 >>723
そもそもApple to Orangeの比較に何の意味がある? >>721
太宰治は漫画家になりたかったんじゃなかったけ ドラえもんが世の中に影響を与えることはないと思うがな
太宰とかホリエモンなら影響を受ける奴もいそうだが 失敗作といわれてる青の時代なんか結構好きだな。
ニーチェ哲学みたいな捻くれた警句が多く出てきて。 三島の墓のある多磨霊園と
三島の家
駒込の古河庭園
市谷台ツアーなど行った
お墓はお花も沢山でとても綺麗にしてあったわ 三島は6本の歌舞伎を書いた。10代から耽溺し「くさやの干物みたいなもので、非常に臭いんだけれども妙な味がある」と評した。 アマプラで春の雪見たけど
妻夫木聡が清様なのは納得いかん 三島由紀夫の著作は、美と狂気が渦巻く深淵のような世界へと誘う。絢爛たる文体で紡ぎ出される言葉は、鋭利な刃となって読者の心をえぐり、深い思索へと導く。
金閣寺では、金閣寺に魅入られた青年僧の狂気が、鮮烈な映像で描かれる。仮面の告白では、同性愛への葛藤と社会への反逆が、繊細な筆致で綴られる。潮騒では、純粋な青年と少女の恋物語が、美しい自然描写とともに展開される。
三島作品の魅力は、その多様性にある。耽美的な小説から政治的な評論まで、幅広いジャンルの作品を手がけ、それぞれに独自の境地を開拓した。
しかし、その華麗な表層の下には、常に深い絶望と虚無感が潜んでいる。三島は、戦後の荒廃した日本社会に生きる人間の苦悩を、鋭く洞察し表現した。
そして、自らの命を絶ち、美と狂気の狭間に永遠に留まることを選んだ。三島作品は、現代社会を生きる私たちに、深い問いを投げかける。 >>710
三島由紀夫は、様々な思想を持つ人々によって利用されてきましたが、その多くはネトウヨと呼ばれる人たちです。
三島を「再来」と称された平野氏が三島を批判したのは、20年ほど経ってからのことでした。 左派陣営でも、三島と関連付けられることに抵抗を感じない作家は多く存在します。
新潮社は、現在も三島由紀夫と小林秀雄の作品によって多くの利益を得ています。 これが日本の文壇の停滞の一因であると指摘する人もいます。
新潮社は、文芸誌を月に2〜3000部しか発行していないため、文芸出版のショーケースとして機能していないことは明らかです。 芥川賞受賞作品である「東京同情塔」が2〜3万部しか売れないのも、この状況が原因の一つと考えられます。
大手出版社の文芸誌の発行部数の最低ラインは2〜3万部と言われています。 このレベルでしか販売促進活動を行わない限り、芥川賞受賞作品が数十万部売れることはあり得ないでしょう。 スマホの時代になって、本を読まない人が多数派なんだよ
出版社のせいではない
うちの職場でも漫画は読むが、小説は読まない人がほとんどだ 本を読まない。ではなく、本を読めない。だと思うよ。
映画もスポーツもじっと観れない。
スマホの情報の波に漂う事に慣れて、集中力が続かない。簡単に答えやマニュアルの様なモノが見つかる生活が人を変えた。
紙の媒体を買って、ページを繰って思索する等、億劫になっている。
仮に読んでも実践モノ、実用的な本。
数式の様な、明確な答えも無い文学など必要とされない時代。三島本人が存命中に川端との対談で述べている。
文学などに時間を使うなら、英語を話せる様になりなさい。お金の勉強をしなさい。が今の日本。 恩人で家族ぐるみの付き合いがあるから悪く言えないだけじゃないのか?
あんなスカスカ文学を評価するなんておかしくないか?
安倍公房や谷崎潤一郎や大江健三郎は評価されて当たり前だと思うけど。 川端は未完の作品が多いみたいだけど、連載も書きながら考えて着地点を
見失うパターンだろ。
どの作品もどうでもいいエピソードを繰り返して最後までなにも起こらない。
過大評価にも程があるな。 >>727
三島作品って、なんだか難しそうって敬遠しがちだけど、実は聖地巡礼って結構楽しいのよ。美しい景色や歴史的な建造物に触れながら、作品の世界観をより深く味わえるなんて、最高でしょ?それに、女子同士で行けば、写真映えするスポットもたくさんあるし、思い出に残る旅になること間違いなし!
例えば、『潮騒』の舞台になった伊豆半島は、海も山も楽しめる素敵な場所よ。作品に出てくる港や旅館を訪ねたり、美しい海岸線を眺めながらドライブしたり、海鮮料理を堪能したり…女子旅にぴったりでしょ?
あるいは、『金閣寺』の舞台となった京都は、歴史的な街並みや寺院が魅力的な場所よ。金閣寺のきらびやかな美しさはもちろん、清水寺や伏見稲荷大社など、見どころ満載。着物レンタルをして街歩きを楽しむのもおすすめよ。
もちろん、三島作品には他にもたくさんの聖地巡礼スポットがあるわ。山中湖や三輪山、バンコクなど、作品の世界観に合わせて好きな場所を選んでみて。
三島作品って、一見難しそうに見えるけれど、実は女性にも親しみやすいテーマがたくさんあるのよ。美や愛、死、そして人生…三島作品を通して、自分自身の生き方について考えるきっかけになるかも? >>739
うーん、確かに川端康成さんの作品には未完のものが多いですよね。でも、それは必ずしも「連載しながら書き進めて着地点を見失った」ということではないと思うんです。
川端さんは、作品を完成させることよりも、その過程そのものを大切にする作家だったと言われています。 作品の構想を練り上げ、推敲を重ねることで、より深い真実を表現しようとしていたのかもしれません。 現代日本人に文章読めないというのを痛感しますな (憫笑) 三島由紀夫
「川端先生の作品は、蕾から、これから今まさに花が開こうとする時に終わる」 >>747
安部公房にについて、車の細部にまでこだわり作り上げ、さぁ
動こうとした時にパタっと止まって
終わると、評していたような >>734
平野の芥川賞受賞作を今更読み返そうという人っているのかな。
あんなもの歴史がない弱点を払拭したい
左翼によって作られた三島再来でしょ。 死ぬ事を前提に書いていた「春の雪」の文章のまぁ美しい事。
情景、肉体、心理描写の緻密かつ流麗さ。
内容もさることながら、文章が心地よい。
日本語をあんなにまで壮麗に綴る作家はもういない。 日本の純文学は、平野をして、実質的な終焉を迎えたのだろうな
それ程までに彼が洗練された文章は、三島文学を華麗に、より繊細に精妙に模倣していた あらゆる芸術は模倣から生まれるけど、こと今の日本の文学はなんだかなぁ。
中身はともかく、言葉そのもの、漢字や文章の流れ、表現を大事にしていない気がする。悪文でもドストエフスキーの様な得体の知れない凄みに達する場合もあるけど。
まぁ、今の社会情勢、今の文化の空気感、、三島らが生きた価値観や思想が激動し、衝突し、各々の美学、立ち振る舞いが問われた時代とはまるで違うので、ある意味ふわふわした作品になるのは仕方ないのかもしれない。
より土着の空気、風習が色濃く残っている国、社会体制が緊迫、もしくは揺れ動いている国、、そんな所から骨太な作品は出て来ているように思える。
今の日本からは村上春樹の様な作品が出て来るのは必然。 >>754
今の日本の文学には、言葉や表現へのこだわりが薄れているように感じる部分があるよね。でも、必ずしもそれが悪いとは限らないと思うんだ。むしろ、現代社会の多様性や流動性を反映しているとも言えるんじゃないかな?
三島由紀夫のような、強い信念に基づいた作品が求められていた時代とは異なり、今は個人の価値観や思想も多様化している。だから、作品も必然的に多様化していくのは自然な流れだと思う。
それに、今の日本だって、一見平和に見えて、実は様々な問題を抱えているよね。格差社会や孤独、不安を抱えた人たちもたくさんいる。そういった社会のリアルを表現している作品も、確かに存在する。
だから、一概に「今の日本からは村上春樹のような作品が出てくるのは必然」とは言い切れないと思う。 鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島らの文章に共通するのは、言葉すなわち漢字やひらがなの連なり、それらの視覚的な伝わり方への愛着があり、意識しているように思える。
宛ら金銀細工を彫琢していく様な文章の綴り方をしている。
漢詩や和歌、連歌、様々な古文への素養が下地にあって、それらが独特の気品の様な物を醸し出している。
死ぬ直前の対談で「自分は古い日本語に通じた最後のジェネレーション」と語っている三島の言葉が切ない。 俺も多少くずし字は読めるがまるで至らんな
知識と知能の足りなさを感じる 学校教育や読み物を取り巻く環境等、戦前戦後、時代を経るごとに変化しているので、ある意味仕方ない。
古典などは忘れ去られる存在。
どこかでそう言った素養を腹一杯詰め込んだいた世代は途絶えているので、日本文学の質は文章を見ても確実に変わっている。
これは世界各国でも然り。古典作品、ラテン語等、忘れ去られているそうだ。
今は今でスマホ世代の新しい文章が生まれているのどろうが、そこに三島らの作品が持つ気品や深みは滲み出るはずは無い。良い悪いではなくて。
習うべき日本語の漢字を減らしたり、比喩や喩え、語彙を減らす昨今の教育は何なのかね?
「英語を覚えなさい。話せる様になりなさい」
文科省は何考えてんの? イギリスでは戦後世代のボリス・ジョンソンがギリシャ語やラテン語の古典を暗唱できるらしいから、まだ古典の教養は一部では残ってるっぽいな そんなふわふわした雰囲気から生まれたオタク文化が世界を席巻しつつあるのは実に痛快という気がするな >>758
鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島ら、明治から昭和にかけて活躍した作家たちの文章に共通するのは、確かに言葉への深い愛着を感じます。彼らは単に言葉を羅列するのではなく、漢字やひらがなの音韻、字形、意味合いを巧みに組み合わせ、まるで金銀細工を彫琢するように美しい文章を紡ぎ出しています。
彼らの作品には、漢詩や和歌、連歌などの古文への深い理解が滲み出ています。古典文学に根ざした豊かな教養が、彼らの文章に独特の気品や深みを添えているのです。
特に、三島由紀夫が晩年の対談で「自分は古い日本語に通じた最後のジェネレーション」と語った言葉は、胸に迫ります。現代社会における日本語の変化を憂い、伝統的な日本語表現の美しさを惜しむ彼の気持ちが伝わってきます。
鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島らの作品は、単なる文学作品を超えて、日本語の美しさ、奥深さ、そして日本語文化の価値を教えてくれる貴重な存在だと思います。 そういうのは意味がないように思う。
そういうこと言う人時々いるけど、変わったら変わったそれが日本語なのであり、
過去のものは過去のものに過ぎない。
それへの偏愛は単に古典趣味なのであり、そういうのが好きな人がいてもいいが、
それを押しつけるみたいなのは転倒してると思う。
だから時代錯誤的に切腹なんかしたんだと思う。 いわゆる国際化が進み、スマホで世界の情勢が簡単に知る事が出来、宗教の力も弱まり、世界の距離が縮まる中、各々の風土を感じさせる土着性は薄れて行き、全てが普遍的なモノになり始めている昨今。
村上春樹の文学が世界に好まれるのは、どこの国のバックボーンを持った人も頭の中で自分の世界観に変換出来る構造の物語だから。マンガ、アニメ然り。
ニュートラルな姿勢を崩さない。カフカや安倍工房も似た様な要素を持っている。
ただ振り子の様に、だからこそ世界では逆の動きが出て来ると思われる。
世界の国で現れているナショナリズム、右傾化の兆候。
移民の時代でもあり、己の、自国のルーツ、アイデンティティに立ち返る動き。
「日本人とは?日本文化とは?」と考え玉葱の皮を剥いて行くと何が核にあるのか?
辿って行くと和歌などの古典に突き当たる。 具体的なストーリーはともかく、取り敢えずは、たとえ一節だけでも、三島が文章を教科書に載せるべきだな
漱石や走れメロスは、おまけで良い 単に愛国心愛国心見たいなことを言う前にちゃんと古典を押さえろと言いたくなるわな
俺も遅ればせながら古典に関心が出てきている
ある程度年齢を経ないと良さがわからんかった 愛国心みたいなことを主張するやつの言うことを頭から鵜呑みにするのはよくないが、今のリベラルが家族の解体を目論んでるっぽいのは確かなんだよな
親1、親2みたく無機質な言葉で言い換えていくことがいいとは思われん
三島の言葉が左派リベラルの都合の良いように使われてる場合も多いな 逆で日本は国の根本に良い意味での古臭さを残すべき
左派リベラルはそれはマイノリティへの差別だから「目覚めよ、声を上げよ」と叫ぶだろう
だがそれを選んだ欧米がどうなった? ろくなことになってないだろうがよ 世界中で増えている移民問題を取ってみても、文化摩擦が起こり治安の悪化や生活圏への不安が募る時代に、何かしらのフラストレーションは移民側、非移民側が抱えてる、、
そこから文学でも政治でも新しい動きが出て来る様に思われる。短絡的なナショナリズムも起こるだろうし、より自国の、自分達のルーツを遡及して求める人達も出て来るだろう。
「仕事でも恋愛などの日常でも、日本人の白黒言わない、最後まではっきりと言わない、曖昧さはどこから来るのか?」
「お互いの生活圏に触れない様に過剰なまでに気を使うのはなぜか?」
「何故言われなくても列を作って並ぶのか?」
「これと言った強い宗教があるわけでも無いのに、他を尊重する、和を大事にするモラルはどこから来るのか?」etc
日本人の美意識、矜持、倫理観、狡さ、弱さ、、、どこから来るのか?
鴎外の「阿部一族」など読んでも、かつての日本人の極端さには驚くし、特攻隊で敵艦に突っ込んで行った日本人の姿は何処に行った?
変わり身の早い民族とも言われている由縁だが。 漱石159センチ、三島163センチ・・・身長コンプレックスに悩んだ文豪 三島が深夜、「少年マガジン」編集部にやってきた。欠かさず発売日に買っていたが、映画撮影のため買いそびれてしまった。 >>758
なるほど、確かに鴎外、鏡花、谷崎、川端、三島といった巨匠たちの文章には、共通する一つの特徴がありますね。それは、言葉に対する深い愛着と、その視覚的な美しさへのこだわりです。
彼らの文章は、まるで金銀細工師が丹念に彫琢していくように、言葉一つ一つを丁寧に選び、磨き上げていくかのようです。漢詩や和歌、連歌といった古典文学への深い造詣が、彼らの文章に独特の気品や風格を与えているのでしょう。
特に三島由紀夫の言葉は、胸に深く突き刺さりますね。「自分は古い日本語に通じた最後のジェネレーション」という言葉には、時代とともに失われていく日本語の美しさへの惜しさと、伝統への深い愛を感じます。
彼らの文章を読むことは、まるで言葉の宝石箱を覗き込むような、至福のひとときです。一つ一つの言葉が輝きを放ち、私たちに深い感動を与えてくれます。
現代社会では、便利さを追求するあまり、言葉の美しさや奥深さを軽視する傾向があります。しかし、巨匠たちの文章を読むことで、日本語の持つ本来の美しさや力強さを再認識することができます。
彼らの言葉は、私たちに生きる勇気と希望を与えてくれます。これからも、彼らの作品を読み継ぎ、日本語の美しさを守っていくことが大切です。 鏡子の家・・読んでるけど退屈だな〜
「全ての同盟は歴史上全て破綻している。助け合わない同盟を・・」印象に残った
この作品はコッポラが映画化してるんだな・・日本未公開、知らなかった
ハリウッドのロイシャイダーも三島のファンだったそうだ 『鏡子の家』は三島の失敗作だね
鏡子の周りにいる数人の青年がすべて三島の分身で、
他者性が皆無なため、空疎な作品に陥っている >>774
ロイ・シャイダーって、あの『ジョーズ』の俳優だよね?三島由紀夫のファンだったなんて意外! やっぱり三島由紀夫は日本の鑑だと思う。
大江などがしゃしゃり出てきた結果
碌でもない日本になるばかり。 >>778
批評家が褒めた、貶したより自分がどう感じたかが大事 三島は積極的な思想があったというより
自己顕示欲の異常な肥大が大きかったのではないか
それを満たすために思想も小説も利用し
ああいった死を自己演出したように思う
そしてそれに自覚的だったとも思う >>780も>>781もどこかで読んだような感想だ。別に反対はしないが。 日本人としての美を求めて、言行一致を体現し、己の芸術に身を捧げた作家だ。死狂いの極致。
市ヶ谷で犬死に、笑われる事は分かっていただろう。
一方で三島は、立て篭もった全共闘の学生達が機動隊に抵抗した後、誰も死なずに降伏した事に幻滅した男だ。
東大で討論した学生達は良い歳の老人になってると思うが、何を思うのか? 三島由紀夫は、「日本人としての美」を追い求めた作家だったと思うよ。作品を通して、伝統や美学を表現し、自身の信念を貫いた姿は、多くの人を魅了したよね。
しかし、「死狂いの極致」や「市ヶ谷で犬死に」という表現は、ちょっと極端じゃないかな? 三島は、政治的な理念に基づいて行動した部分もあるけど、彼の死は、単なる「死狂い」とは違うと思う。
一方で、全共闘の学生への幻滅は、当時の日本の状況を反映しているよね。学生運動の熱気と理想主義は、三島のような保守的な思想を持つ人にとって、刺激的だったんだろう。
東大で討論した学生たちは、今どのような人生を送っているんだろう? あの頃の熱意を今でも持っているのかな? 三島の死について、何を考えているのか聞いてみたいね。 「命をかけて」「死ぬ気で」、、
おおかたの人間はこういう言葉を軽々しく使う事が多いですな。
革命運動に躍起になっていた左翼の人間達などは、その後、装いを変えて各々何事も無かった様に就職し歳を重ねて、家庭の幸福を築いて行ったのでしょう。
市ヶ谷や、テレビを通し嘲笑を浴びせていた人達は、三島の覚悟、苛烈な最期を年老いた皺だらけの顔で今でも嘲笑っいるのだろうか?今の日本を見て何を思う?
対して三島由紀夫は若く猛々しい姿のまま、脳裏に戦後の日本史、文学史に焼き付いて刻まれている。 三島と石川淳は対談で始皇帝暗殺を企んだ荊軻に触れている。
荊軻が決起したときには既に死ぬことを決めていた。刺客が失敗して生き延びるなんて考えられない。そのままその場で死ぬべきであり、それがモラルだと二人は一致している。 三島は言う。
「例えば明治維新で人はバタバタと死んで行っている。それは昔の人間がバカで単細胞だったから。と言う話では無い。いつの時代でも人間は死ぬのは怖かったはずだ。それを突っ切ってやれるかどうか、、これに尽きる」
生前語っている様に、三島には戦後は余生であり、若い時分から死に魅了され、常にそれは身に付き纏っていた。
まさに死ぬ事を身近に置いて、美しく生を光らせて、身を処して行く葉隠の生き方。
理想、信念、美学の為に命を賭して生き切れる人間など今はいるのでしょうか?
保身や変わり身の早さ、矜持の無さばかりではないか?
「革命の為に彼等は結局死なない」
三島のこの幻滅した言葉に尽きる。
方向性は真逆でも、当時の若者達が理念の為に死ぬ姿が見たはずだ。かつての日本人の姿を。 死に魅入られた三島はまさにロマン主義者であるが、
ほとんどの人が楽しく生きることを実践しており、
三島のような人は稀有だ
三島の考え、生き方を賞揚する気はないな >>785
「命をかけて」「死ぬ気で」という言葉は、軽々しく使われがちだね。革命運動に熱心だった人達も、その後普通に就職して家庭を築いたんだろう。市ヶ谷やテレビで三島を嘲笑った人達は、今もその時の顔で嘲笑っているのかな?今の日本を見て何を思うんだろう。一方、三島は若く力強い姿で、戦後の日本史や文学史に刻まれているね。 三島
「人は自分の為だけに生きられる程、強くは無い」
「家庭の幸福、レジャー等の楽しみに興じても、生きる事に次第に飽きて来る。そこで大義の様な、人生に意味を求める」
学生運動に身を投じていた人も、戦後左翼運動や諸々の活動に躍起になっていた人も、皆根っこは同じ。
生きる事に何か理由を求めていた。
価値観、美学、モラル、矜持、、各々の針の振れ方の違い。
浮かれやすく、単なるファッションの人も多かったが。
三島は戦後の高度経済成長の中で、失われて行く日本の姿のある一面が、歯痒かったのではないか?
価値観、美学、モラル、矜持、、針の振れ方の違い。
三島文学の中にある「自己犠牲の美」が鍵だと思う。
「誰かの為に生きる時、人は最も美しくなる」
ロイヤリティの対象が必要だった。
最愛の親や子であり、封建時代の殿様であり、神であり、三島にとっては天皇だった。 >>787
連合赤軍とかは外国で自分たちの大義のためにたくさん死んでて
国内ではつい最近まで完全に犯罪者扱いだったけど
ここ数年のイスラエルの横暴への国際的批判が高まってくると
当時から問題は同じでだったので、そうなると彼らは
先見的に正しいことをしてたと言えるのかな。 >>791
正しいか?正しくないか?とは少し次元が異なる問題だと思う。
突っ切ってやれるかどうか?の問題だと思う。
西郷や二二六事件の青年将校達の生き方は正しいか?否か?を問えるのか?
それを理を持って決めるのは野暮な話である。
ハタから見れば、三島も犬死にしたのと変わらない。何も動きは起きずに日本の流れは変えられなかった。
楯の会を経て市ヶ谷での自決は、日本人への三島流の諫死であり、本当の意味で変えようとも思って無かったかもしれない。
むしろ明晰な三島には、変わるはずが無いのは自明だったと思われる。
ただ三島が愛し、終生手元に置いていた「葉隠」にも述べられてる。
「生きるか死ぬか?の選択で命が惜しいのが人間。
だからこそ死を選ばねばならない。
まして無駄死にだと分かってる場合はなおさら。
すなわち仕損じても、的を外れても、恥にはならない」
侍の生き方。前のめりの死に方。
行動するか、しないか。 実践の問題。
「葉隠」は一種のダンディズムでもあり、ギリシャのスパルタの教えにも似ていると三島は言う。 葉隠って武士が官僚化した平和な時代に
本来武士は云々みたいにすでに引退してた人が著したもので
それが先の大戦の頃に再発見みたいにブームになって
勝ち目のない戦争を推進することに思想的に寄与した。
それはあなたのいう結果とかことの正否を問わない
主体の行動自体の問題ということに重なるだろう
しかし実際に武士が現役である侍であった時代のモラルはそうしたものではなく、
何よりも自分の利益が根底でありそのために主君を裏切り
権謀術数で生き抜き自分が大きくなることが目的だった。
したがって葉隠とは現実の生活と離れたところで、
純粋に思想として生まれ使われてきたもので、
大義の名目はそれだけのもので、本当の目的は
自分の美的な死に方、生き方にしかない。
当人は勝手だが、周囲は巻き込まれたくないものである。 >>793
生を受けて人生を生きる以上、多かれ少なかれ、誰かを巻き込む、誰かに巻き込まれる事は不可避です。
市井の人であれ芸術家であれ子供であれ赤ちゃんであれ。
人間はそれぞれ生まれ落ちる時代にも巻き込まれてしまいます。
特攻隊として故郷の空を回った後、敵艦に突っ込んで行った当時の若者達は、その時代に巻き込まれたと言えます。
今の時代を生きる自分達でさえ、今の時代の価値観、モラル、の影響から逃げられません。
歴史に残る事件、事象は何らかの形で多くの人を巻き込んでます。
ある人の創作物に触れる、三島の作品を読む事自体、読み手の人生に程度の差こそあれ、何らかの作用、影響を及ぼします。 三島はたった一人で乗り込んでいったのではない。「会」をつくって乗り込んだ。
これは芸術家の精神ではないから文学読者が離れていく所以だろう。
三島は文学よりももっと手応えのあるめのを見出したのかもしれない。
しかし文学の才能に比してやったことといえば、まあ、言わないことにする。 私は最近、三島由紀夫の『鏡子の家』という小説を読みました。この小説は、戦後の混乱期を舞台に、鏡子の家で集まる若者たちの青春と葛藤を描いた作品です。
この小説で印象に残ったのは、なんといっても登場人物たちの鮮やかさです。主人公の清一郎は、理想と現実の間で揺れる繊細な青年です。一方、収は、力強さと冷酷さを併せ持つ魅力的なキャラクターです。また、鏡子という女性は、謎めいた存在感を放ち、物語に深みを与えます。
彼らの青春は、時に明るく、時に切なく、そして常に刺激的です。恋愛、友情、政治、芸術など、様々なテーマが絡み合い、読者を飽きさせません。
この小説を通して、私は青春の葛藤について考えました。若者たちは、大人になることへの不安や、自分の進むべき道への迷いを感じながら、それでも前に進んでいこうとします。その姿は、とても眩しく、そしてどこか切なくもありました。
また、この小説は、戦後の日本という時代背景を反映しています。戦争の傷跡が残る社会の中で、若者たちは新しい価値観を求めて模索していました。その姿は、現代の私たちにも通じるものがあると思います。
『鏡子の家』は、青春の美しさと残酷さを描いた、深く考えさせられる作品でした。この小説を読んで、私は自分自身の生き方について改めて考えるようになりました。 没後50年余り、三島ほど今現在、特集、増刷されている昭和の作家はいないです。三島の不世出の才能(金閣寺、潮騒、豊饒の海は日本文学史に残る傑作だと思います)に加え、生きた年代が昭和に、戦前戦後の価値観の変動に奇妙に重なり合う為に常に示唆に富む存在だからです。
三島の問いかけが戦後を経て経済発展に邁進した日本人の琴線に触れるのは確かです。
ふわふわしたニュートラルな時代に変わって行く中で、三島なりの価値観を自身の創作と、身を持っての自決と言う行動で提示しました。
いつの時代の人間も本質は同じです。丁髷を結って刀を差していた若者も、零戦に乗って死んで行った若者も、学生運動や赤軍に与していた若者も、現在のAirPodsを付けてスマホに興じている若者も。
各々、自分が生きる時代の器の中でどう生きるか?
です。
必竟、是が非かで振り分けるのは酷であり驕りです。
三島自身も戦前戦後の激動の時代に、価値観も国のあり様も変わる中で、鋭敏な感性を触媒にして自己の人生を歩んで行った人間です。
時代の影響、周囲の人間から影響を受けない人間はいません。過去に出会った何気ない人の一言が自分の人生に意味を持つ事もあります。
人間は相対的な生き物であり、その呪縛から逃れられません。
三島が「芸術家の仕事はその時その時を作品にして、流れ行く時間を止める事」と語っていたのが興味深いです。 本棚の三島本の朱色の背表紙が時が経つに従い褪色していく
これは何を意味するのであろうか >>800
本棚の三島本の朱色の背表紙が褪色していくことは、単なる物理現象ではなく、三島作品に対する社会全体の評価の変化を反映していると言えるでしょう。
三島作品は、今後も時代とともに評価が変化していく可能性があります。しかし、その作品が持つ文学的な価値は決して色褪せることはないでしょう。 遺族は何考えてんだろう。
電子化承諾しなければ若い世代は読まなくなる。 >>804
そもそも電子化しているかどうか?が若い世代では本を読む、読まないの境目なの?
まず小説を読むのかね?
読んだ所で漫画、実践本、自己啓発、ビジネス書が主流だろう。
フランスでも若者の読書離れが甚だしくて、政府が図書カードを政策として若者に配ったら、その大半が日本のマンガを買ったそうな。 >>798
三島由紀夫は、戦後日本を代表する作家の一人であり、その作品は今もなお多くの人々に読み継がれています。しかし、彼の作品や思想には賛否両論があり、単純な評価は難しい。
上記コメントは、三島作品への評価、現代性、自決の解釈、人間の本質と時代性などについて言及していますが、いくつかの点で事実誤認や短絡的な解釈が見られます。
三島作品は確かに高い評価を得ているが、「日本文学史に残る傑作」と断言するのは根拠が弱い。彼の作品は、美と暴力、個人と国家、伝統と現代性など、複雑なテーマを扱っており、読者に様々な解釈を与えます。
また、三島文学が現代社会に通じる普遍的なテーマを扱っていることは事実だが、「戦後を経て経済発展に邁進した日本人の琴線に触れる」というのは一面的な見方です。彼の作品は、時代を超えて多くの人々に訴えかける力を持っている。
さらに、三島自決を「ふわふわしたニュートラルな時代に変わって行く中で、三島なりの価値観を自身の創作と、身を持っての自決と言う行動で提示した」と解釈するのは短絡的です。彼の自決は、複雑な政治思想、美意識、死生観に基づくものであり、単純な時代への抵抗として断定することはできない。
人間の本質と時代性に関しては、時代の影響を受けるのは当然だが、「いつの時代の人間も本質は同じ」という意見には賛否両論ある。時代によって人間の価値観や行動様式は大きく変化する一方、普遍的な人間性も存在する。三島作品は、そのような人間の多面性を描き出している。
最後に、三島が「芸術家の仕事はその時その時を作品にして、流れ行く時間を止める事」と語っていたのは興味深い。この言葉は、三島が芸術の役割を時間との対峙として捉えていたことを示唆している。
三島由紀夫は、複雑で多面的な作家であり、その作品や思想は単純に評価することはできない。彼の作品を深く理解するためには、様々な視点から考察していくことが重要である。 >>798
三島で一作を取るなら『仮面の告白』だろう。この戦後文学史に残る傑作をなぜ外す 「仮面の告白」から文体を取り去ったらただのオナニー小説だな 三島の死生観は特殊だった。写真集出版・・・弓矢が刺さった三島の写真
三島には戦って死ぬことに対するあこがれが有ったそうだ
三島は特殊な人、変人・・・写真集見たときゲイ、変態、変人っていう感じがした >>813
歴史版各地のスレに書き込まれているこのキモいスレは、上の西郷吉之助のレスも間違いだらけで、AI生成なんだろうが、何の目的があって書き込んでいるのか 初めて読んだ三島由紀夫の作品が仮面の告白だったが
偉大と名高い作家がこんな怪しい妄想を詰め込んだ小説を書くとは衝撃的だった 仮面は過大評価さるてる感が否めない
仏教唯識論、阿頼耶識にまで言及した暁の寺こそ、三島が最高傑作 三島作品を読んで「揚棄」とか「秘鑰」とか「黝」とかその他、諸々の言葉、漢字を知りました。
昔の作家は語彙が深まりますな。日本語って奥深いです。 >>820
高校生との対談で言ってましたね。
「作家になりたかったら辞書を1ページ1ページ最初から全部食べちゃいなさい」
「結局、全ては言葉に還元される」
「音楽家は音で表現し、画家は色で表現し、文学者は言葉で表現する」 ボードレールは尊敬していたゴーチェに「辞書を読むかね?」と訊かれて「もちろん」と答えたのですぐに打ち解けたのは有名な話。 辞書を食べると最初に言ったのは、確か北原白秋だろう
白秋は少年時代「言海」という辞書を買って言葉を覚え
覚えたらそのページを破って捨てた、という
三島も言葉を必死に覚えた作家の一人だった >>823
おばあちゃんに育てられていた、小さい頃から百科事典とか周りにあって読んでいたらしいね。おばあちゃんが泉鏡花とかも好きで、自然、公威少年も色々な漢字や語彙に触れる経験が尋常ではなかったと思われます。
母親も漢学者で漢詩に通じていた人なので、遺伝的素養もあったのでしょうね。 泉鏡花といえば、長谷川時雨がこんなこと言ってた。
ああ、誰もいちどは鏡花につかまるものよ。でもねえ、その先生の江戸っ子崇拝は、そう言っちゃあ失礼だけれど、つまり田舎者の勘違いなのよ。江戸っ子ってのは鏡花の考えるように、むやみとむかしの伝統にしがみついちゃいませんよ。江戸っ子は新しいものにとびつくものよ。 昔の作家の本は面白いね。
谷崎の文章讀本を読んで、「肯綮に当たる」と言う言い回しを覚えました。
三島も「斥す」とかを評論で使っていて最初は戸惑った。
また「韜晦」と言う言葉を使って、三島はその谷崎を評しています。
「その本心を世間に上手く韜晦させて、戦後を飄々と生き抜いて見せた作家」
「あの社会的な影響、価値観の揺さぶりが強い中だからこそ、その姿がある意味特異さを際立たせている」云々 小さな子供二人いて幸福の絶頂みたいな気分じゃなかったのかな?
そんなときに自決してるから。 「韜晦」なんて言葉は日常の話し言葉でも出てくるくらいありふれた言語だな。三島とは結びつかない。 なんで三島を読んでるの?
・物語の面白さ? ・思想、哲学の共鳴? 王子は巨大な毒蜘蛛の糸に絡めとられ毒液をその肉体に流し込まれる。
苦悶の表情を浮かべながら死にゆく王子。私はその光景を恍惚と共に― 大江健三郎は朝鮮系かもしれない
でも、文学的には三島由紀夫よりランクは高い
「三島由紀夫賞」など全く不明な文学賞は
早急に廃止してほしい
あんなおかしな文学賞が存在するかぎり、日本は
信頼されない 日本の純文学は講談社、新潮社、文芸春秋社、集英社など、元々が右翼保守系出版社に
依存している。文藝の河出はしょっちゅう倒産しているwww
三島由紀夫に媚びることが大事なんですww 地球の自転という事実が、決して五感だけではそれと知られず、科学的理性を媒介として辛うじて認識されるように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何かたしかな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識されるのではなかろうか。
何度となく書き込んでいる文言なんだが、この文章に若干の矛盾はあろうとも、こういう表現法が、個人的には好きで仕方がない。
そういう主観、自我を、未だして捨て切れない俺も、まだまだなのか... 松本清張が三島や芥川は社会経験がないから作品にリアリティに欠けるところが
あると言っている。
しかし一方で三島の文学者としての才能は高く評価してもいる。清張の見方では
三島の前では芥川は極めて小さな存在で、川端康成をも凌いでいる。川端以上と
いう評価だから、戦後作家では最高だという意味だろう。 ボードレールの詩も薄っぺらいなあ。。。合わないというか。。。 ヒトラーを主題にしたような作品をブックオフさんで買ってパラ読みしましたが、あれはほんの少し好きかな。
でも、自衛隊の前で割腹自殺とか白痴ですよ三島由紀夫は。太宰治の方がまだ良いなあ。 何が笑えるのか、わかりませんよ。I was gay. 三島由紀夫が予言したように、極東に現れた醜悪な経済至上主義国家は、その悪しき思想を周辺に撒き散らし、自らも腐敗し崩壊しようとしている。まさに絶好のタイミングで、潔く散った三島は、ある意味幸福な死を迎えたと言えるだろう。
「私に付いてくる者はいないのか」
という演説の最後の言葉は、彼の孤高の境地を象徴し、三島を伝説化し、絶対視する要因となった。
大江健三郎は、三島の死によって、日本と日本人は文化的な荒蕪地として見捨てられたと結論付けた。しかし、これは同時に、哀れな生存者として生き延びざるを得ない大江自身の苦悩の吐露でもある。三島による自決劇をここまで深く受け止めた人物は、一般人だけでなく、文学者の中にも少なかっただろう。 水咲ローラちゃんの、8時間の奴が刺激強すぎますよ。ヘルス行きたいなあ。フェラされたいなあ。 白痴の三島由紀夫スレなんかでバカにされたくないですよ。 いや、原口一博さんのツイート経由してyoutubeで、プロレスラーみたいに、政治家の奴らと戦います。俺はあいつらは信用出来ない、とか三島由紀夫がまくしたてるのは、楽しかった。澁澤のセンスとか、合わないんだよな。河出文庫の裸のランチに、三島、或いは空虚のビジョン、とか海外の方が出してるんですよね。無論、読んで無いっす。 三島先生が映画ダイハードを見たらマッチョい男らしいマクレーンが
ボロボロになっていく姿を見て興奮したことだろう ダイハード4はどうですか?ブルースウィルスの娘が出てきたような!決めた!ダイハード2派をやめて、ダイハード3派になる! まざーれすぶるっくりんと言う映画で、銃で撃たれたブルースウィルスが、アルコールぶっかけられてましたが、現実ではそんなことしねだろ派です! 愛国心がある人で、唯一大好きなのは、令和タケちゃんですよ。素晴らしいですよ!右翼の鏡! >>860
女目線で男の怪我萌えと言うのがあるらしいけど
三島のそれってそれと同じ系統のものなんだろ?
ジャニーの「ユーやっちゃいなよ」と言うのも
同じなんだろうと思う。