【街とその】村上春樹【不確かな壁】Part2
>>563
バイアグラ服用しても効果が完全になくなって以降の文学的告白とみた ジャズ好きだから、彼の小説はあるコード進行に合わせて、「手クセ」で弾くギタリストみたいなものだよ。聴いている聴衆は雰囲気で分かったつもりになっているけど、弾いている本人も実は分からない。なのに、読者に解釈させろというのが無理。 村上春樹って、よくも悪くも、今の時代にフィットしてるんじゃね? 昔、大学生の頃、本屋で30代半ばくらいの村上春樹さんを見かけたことがあるんだけど、すごく印象的だったんだよね。
周囲を気にせず、自分の世界に没頭しているような雰囲気で、どこか影のあるオーラを放っていた。
モテるタイプではないんだろうけど、その独特な雰囲気がかえって魅力的に感じられたよ。 >>571
そうですね。私もそう思います。村上さんの作品は、現代社会の孤独や喪失感、閉塞感などを巧みに表現していて、多くの人が共感できると思います。 近年この人のを最後まで読めなくなっていたが、
久々にこれは読めた。まあまあ面白かった。 てことは、この作家の小説は全体的につまらないってことだね! 『ノルウェイの森』と『1Q84』は大ベストセラーだった
後者はタイトルが興味を惹いたのかな 村上春樹氏の『街とその不確かな壁』を読破した。
この作品は、現実と夢、影と実体といった、相反する要素が交錯する物語である。主人公の「僕」は、あるきっかけで「壁」に囲まれた街に迷い込み、そこで「夢読み」と呼ばれる不思議な職業に就く。彼はそこで出会った少女「君」と共に、様々な出来事を経験していく。
物語を通して、私は「壁」という境界線について深く考えさせられた。それは単に物理的なものではなく、現実と夢、意識と無意識といった、様々な境界線を象徴しているように感じた。また、影と実体の関係性も興味深い。影は実体から切り離された存在であり、時には主人公を惑わせる存在となる。しかし、影は主人公にとってかけがえのない存在であり、彼を成長させる役割も担っている。
この作品は、一見理解が難しい部分もあるが、読み進めるうちに不思議な魅力に引き込まれていく。村上春樹氏の独特な世界観と美しい文章表現は、読者の想像力を刺激し、深い思索へと誘う。
『街とその不確かな壁』は、現実と非現実の境界線に揺れる青春時代を、幻想的な世界観で描いた作品である。 >>584
この作品、まさに村上春樹ワールド全開って感じで、僕もハマったなあ。現実と夢が入り混じった世界観、読者を翻弄するストーリー展開、そして美しい文章表現…まさに圧巻の一言だよ。 >>565
一応、確認しておくが村上は何も考えてないどころかサンプリングの天才で、昔、村上作品はパッチワーク作品ってさんざん指摘されてて、本人もあるきっかけでそれを認めてアンダーグラウンドを書いた、って経由は知っといたほうがいい。 加藤典洋が村上作品の転換期を隠喩から換喩へ、と評して区分けしていて個人的にはそれがすごくしっくり来るし、海辺のカフカ以降の作品はつまらないとまでは言わないが羊やねじ巻き鳥ほどの求心力を感じないまま惰性で読んでいるが、村上を批評ではなく幻想文学として読んでる読者はねじ巻き鳥も海辺のカフカも地続きで読めるのかなぁ、と思うとなんか羨ましくもある。 加藤が指摘した隠喩から換喩へ、ってのはある時期から以前の村上作品は平凡な主人公が幻想文学の手法によって日常から外れ、非日常的な状況を経験し、形而上的な思考やらなんやらを獲得したりなんなり、なにかの変化を経て、日常に帰ってくる(あるいは帰ってくることに失敗する)という構造で、月並みな表現だが読者は主人公と一緒にその冒険を追体験する、というスリルと最後にはあくまで退屈な日常に帰る、という一連の手続きがあった。
加藤の指摘が客観的に見て正しいのは、換喩期に以降してからの村上作品にはもはや非日常的な現象が啓示的なものではなく、指示記号ではなく単なる意味記号として現れる、という変化に見られる。
パン屋再襲撃ではマクドナルドは明らかに資本主義の指示記号として描かれていたが、海辺のカフカに登場するカーネル・サンダースは資本主義を指示するどころか、マイルドヤンキーの兄ちゃんを風俗に勧誘して、なぜか結果的に哲学に導く。ピクトグラムとしての機能と考えても混乱している。 >>593
すごくお利口さんな見方をすれば、カフカの時期の村上はもはや自分の手癖になりつつあった冒険譚の手法を封印し、隠喩という作用を捨て、俗っぽいものは俗っぽいものと一括りにしつつ、メタ表現だけはしようと足掻いていたように思うのだ。その結果、出来たものが1Q84っていうラノベである。 めっちゃ老害な書き込みしてるんだろうな。
小説なんて面白ければいいし、別に好きなもんを読めばいいんだけど。 >>584
『街とその不確かな壁』は、現実と夢、影と実体といった境界線が曖昧に交錯する、幻想的な物語ですね。 >>593
加藤さんの指摘は、確かに一理ありますね。初期の村上作品では、平凡な主人公が幻想的な経験を通して成長する物語が多いですよね。読者は主人公と一緒に非日常を体験し、最後には日常に戻るというカタルシスを味わうことができます。
しかし、換喩期以降の作品では、非日常的な現象が啓示的なものではなく、単なる意味記号として描かれるようになっていると感じます。例えば、「海辺のカフカ」のカーネル・サンダースは、資本主義の象徴というよりは、マイルドヤンキーの兄ちゃんを風俗に勧誘する謎の人物として描かれています。
この変化は、村上作品が読者に何を問いかけているのかという点にも影響していると思います。初期の作品では、読者は主人公と共に非日常的な経験を通して、人生の意味や真実について考えることができました。しかし、換喩期以降の作品では、読者は主人公の経験を通して、現代社会の複雑さや矛盾を突きつけられるような感覚があります。 >>593
なにか、村上の中で諦念のようなものがあったんだと思う。
しかし1Q84みたいなラノベ的なレイヤー技巧にかまけた頃はほんと嫌だったんだけど、それ以降の、やんわり不思議な短編は好きラジ…。
タイトル忘れたけど、最近の村上の短編で、主人公の好きな女の子の元カレがデンバーで寿司屋をやってるってオチに、何年もノルウェイの森を咀嚼出来ない村上読者として、やっと救われた気がしたのだ。
昔の村上作品の元カレって、大体すごい謎を残して死んでる感じなんだけど、存命でデンバーで寿司屋やってるって、これを書けた今の村上ってやっば好きだわ。 >>597
あんた、りっぱな関節してるねぇ!まるで機械みたいだ!
一杯、奢ろうかい? >>598
いやマジで、「主人公の愛する人の元恋人が存命の寿司職人」っては、村上の覚醒だと思う。 >>598
咀嚼しきれないからノルウェイの森ってすごい作品なんだけどね。 >>598
村上作品に対する深い愛情と理解が感じられます。特に、初期作品と近年作品の変化を諦念と希望というキーワードで捉えている点が興味深いです。 村上春樹『街とその不確かな壁』あらすじ・感想
あらすじ
主人公「僕」は、ある日突然、奇妙な壁に囲まれた街に閉じ込められます。その街には時間が存在せず、音楽も映画もありません。図書館には本ではなく「古い夢」が並び、冬になると街の内外を行き来する単角獣たちは死んでいきます。人々は夢を見ず、涙を流さず、死なない。そんな世界で、「僕」はかつての恋人「鼠」と再会し、壁の謎を探求していきます。
感想
現実と虚構が交錯する幻想的な世界観と、村上春樹特有の美しい文章に圧倒されました。主人公たちの孤独や喪失感、希望を追い求める姿が胸に迫ります。特に、鼠との再会シーンは印象的で、切なくも温かい感情に包まれました。また、壁の謎や「古い夢」の意味など、考察余地のある作品で、読み終えた後も余韻が残ります。 >>593
いくら泥酔して書き込んだとはいえ、我ながらひどい。 >>593
いくら泥酔して書き込んだとはいえ、我ながらひどい。 >>593
パン屋再襲撃は、どんなに読解力のある読者だろうとパン屋襲撃を読んでないと意味が解らない話だし、カフカに出てくるカーネルはなにかの換喩ですらない。 >>608
パン屋再襲撃のマックは隠喩ではあるけど文脈依存的な記号だし(とはいえ、初見でもなんとなく雰囲気を楽しめるのが春樹の巧さだが)、カーネルは、シニフィエでもシニフィアンでもシミリでもない。ジョニーウォーカーや星野って命名もそうであるように、カフカの時点で春樹は意図的に人物の固有名に、意味の指示機能も、隣接性も与えず、一般名詞がなんの必然性もなく出会う、みたいなことをやろうとしてたんじゃないか?
これは、羊をめぐる冒険が固有名の回復をテーマにしていたことから比較すると春樹史的にはコペルニクス的転回で、 >>609
回復すべき固有名から、物語構造への叛乱ってのは言うまでもなく、実存主義から構造主義へって哲学史の変遷を100年遅れて再現していたような印象を、そこからさらに20年くらい遅れて、ワイは今さら持つ。
海辺のカフカで春樹がやろうしていたことって、非意味的接続みたいなことで、カフカを初めて読んだ当時、ワイはドゥルーズも読んでたはずなのに、読んでる気がしてただけで全然読めてなかったんだな。。 >>610
カフカから1Q84、色彩を持たない〜まで通底しているのはエディプス複合なんだが、なんだかこれも今になってみるとデカンショや実存主義から、構造主義にパラダイムシフトしたあとに精神分析が合流した哲学史を、春樹はそのまんま小説に落とし込んでるような印象すらある。100年くらいラグはあるんだけど。 >>611
読書って身体的な経験なんだが昔、春樹オタクだったワイが最近の春樹の小説より、例えば千葉雅也の何気ないツイートやエッセイとかの方に快を感じてしまうのは、とはいえハイコンテクストだった昔の春樹を愛してはいるが、解りやすくポスト構造主義を教えてくれる千葉雅也も愛しているし、いろんな軸がワイの精神の中で混乱しているのである。
フーコーとかパレーシアとかではなく、固有名の在りかたって他に全然あるよねって文句は双方に言いたいし。 >>612
あ、もう固有名なんてなんの価値もないんですか?なるほどそうですか。
固有名詞について、なにかを占うってのは例えば贅沢な作業なんやろな。 村上春樹を読んで普通の読者は面白いと思わないんだよ
中身も適当に書かれていて間違いだらけだし
隠喩も不正確
昔村上春樹が「解答編のない推理小説を書いたら面白いんじゃないかと思った」と初期に言っていたけど
答えのない謎掛け系の作品ってのはカフカいらい無数にあって珍しくもない
結局面白くないってのが最大の欠点なんだよ >>616
評判になったから売れたんだろ
読んでみたら、つまらなかったから、みんなブックオフに売り飛ばす >>614
歴史版各地のスレに書き込まれているこのキモいスレは、上の西郷吉之助のレスも間違いだらけで、AI生成なんだろうが、何の目的があって書き込んでいるのか >>617
もともと評判になったのは
面白かったからだろ
中身のない評判だけで世界的に売れるわけない
と考えるのが常識 春樹の文章ってマジで面白いんだけど、ただ文章が面白いって魔力が、批評においてテクストとしてどの程度の価値があるのかどうか、って話なんだが、そもそも春樹は作家としての出自からして穏健派リベラル、とかではなく、単なる個人主義者だったんだか、この微妙なニュアンスを書こうとすると、難しい。 >>621
ワイの親世代ってバブル期に社会人デビューした世代で、ワイの父親が母親にプロポーズするときに指輪と一緒にわたせせいぞうのチョーク色のピープルって絵本を渡したらしく、その本だけワイの本棚にいまだに受け継がれているんだが、あの世代の連中ってマジで浮かれ過ぎだろ。 >>620
もっといろんなもの読んだほうが良いぞ
面白いものを徹底的に追っかけた人間以外面白いものはわからない >>622
浮かれてた奴はとことん浮かれてた
お前の両親みたいに!
そうでもない奴も結構いたはいた あの時、浮かれてた若者たちは、当然、今は60歳過ぎ。
どんな生活を送っているのだろうか? 万が一、ハルキがノーベル文学賞受賞しちまったら、授賞式は基本的に夫婦同伴だけど、妻を授賞式に連れて行くいくのかな? ヒッチコックの『サイコ』みたいに、本当は村上春樹に妻なんかいないんじゃないか? そもそも結婚もしたことなんかないとか。
村上春樹にとって、最大にして最高の虚構は「妻がいる」ということだったりして!
村上春樹の自己申告があるだけで、誰もその妻の姿を確認したことがない、という怪談話のような現実。