読まれなくなった作家、読まれ続ける作家
林芙美子とか田辺聖子とか有吉さわことかまだ読まれてんのかね 鴎外は四ケタあるが最高が約3000回で他の文豪と比べると読まれていないのが明確だな
https://bookmeter.com/authors/14916
>>48
林芙美子は『放浪記』が678回で、吉行、丸谷、野坂、武田泰淳とほぼ同クラスだな
田辺聖子は映像化の影響もあってか『ジョゼと虎と魚たち』が4206回で、四ケタの五文豪に準じるぐらいには読まれているようだ
有吉佐和子は『悪女について』が3304回で並んでいる
石川淳もほとんど読まれてない
紫苑物語が297回で最高
忘れられた作家になりつつあるのかもな 中村光夫は再刊してる『日本の近代小説』が185回で、石川達三の小説には負けてるかもしれんが舟橋聖一、丹羽文雄よりも読まれているのが現状なとこだ
花田清輝は102回が最高でほぼ忘れられている
ああいう文章を面白いと思える層がほとんどいないんだろうな 倉橋由美子は案外復活するかもな、1000回を越えている本が多い
ちゃんとした全集が出ていないので期待したいところだ 大江健三郎や中上健次は人気のないのが明白。
大江はノーベル賞取ってこれくらい? ラノベのイケメンキャラにしてもらえば人気が出るんじゃねえの 中上健次は岬が1550回で最高だから倉橋由美子と同じような感じだな
>>52
乱歩は順調に読まれてるな
久作も『ドグラ・マグラ』上巻が9296回読まれてる
やはり話題性のある作品は残りやすいんだろう
対して久生十蘭は570回が最高で、読者を選ぶ作家と言える
石川達三が600回はあるのでまあ同じぐらいだな 俺が大江スレで読書メーターに世界各国のAmazon、中国の当当網を
使って何が読まれてるのか調べて遊んでたのが3年前やな
あの時点で俺が見切ったことを今さらやってんのな
センスねえ〜 中村真一郎で読まれてるのは翻訳だけだな
文筆家・作家としてはほぼ忘却の彼方にある
本読んだらすごい知識の人だと思ったんだがなあ
それでもこうなるのか
福永武彦は草の花と何作かがまだ読まれてはいるようだ
堀辰雄も風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)が読まれてるな
加藤周一はそれに準じる感じ 文豪の中では泉鏡花はあまり読まれていないな
やはり難しいからだろう
読了回数では1000回〜で、中上、倉橋とならぶ感じだ 小川国夫は個人作品では88回が最高、100を越えなかった
地味な印象のある純文学はやはり徹底して読まれない傾向があるようだ 後藤明生は432回が最高で思ったよりも読まれていた
小沼丹も同じく 藤枝静男もそうだな
久生、倉橋、後藤、小沼、藤枝と皆、コアなファンがいてネットでたまに語られる作家たちだからな
対して日野や坂上、田久保、小川、高井の場合はコアなファンは昔はいたが死んでしまったか、ネットをやらないかといったところなんだろうな 近藤啓太郎は16回が最高で、しかも古事記の解説本
他の第三の新人とも差がつきすぎている
長谷川四郎も個人著作だと38回しか読まれていない
三浦朱門はエッセイ集も30回台
安岡章太郎も庄野潤三も阿川弘之も500回台が最高
小島信夫は717回なので少し上
島尾敏雄は『死の棘』が読まれていて1000を越えてる
なんで遠藤周作だけが飛び抜けているのかさっぱりわからん 柏原兵三は40回台が最高
阿部昭も同じく40回台でほとんど読まれてないな
大庭みな子も『三匹の蟹』が99回で最高であり、読まれているとは言いがたい
最近まで存命だった富岡多恵子は『波うつ土地・芻狗』の63回が最高でさらに読まれていない
井上光晴は129回が最高で読まれておらず、
堀田善衛は『方丈記私記』262回読まれているが、これは古典の解説本的な意味合いで読まれているのだと思う
小説の『路上の人』は32回でやはり忘れられた作家だろう 大岡昇平は『野火』が3574回読まれている
安部、三島、大岡、次いで島尾が戦後派作家のなかで残っていると言えるのではないか 第二次ではだな
だが第一次もあまり読まれていないな
武田泰淳は割合読まれてるほうだったんだな 田宮虎彦も47回が最高で読まれていない
富士正晴も翻訳が29回でもう読まれていない
復刊はされてるがそれも7回しか読まれてないとは 北村小松は1が最高
もうこのクラスになるとマジで呼んでる人がいないレベルだわな
北林透馬も当然読まれていない作家
橘外男は有名だし、最近復刊されているがそれでも57回が最高
乱歩とどうしてこうも違うのか 尾辻克彦はなかなか味があったが今は読まれてるのかな 新潮文庫が圧倒的に多く読まれている。
「新潮文庫の100冊」とかに選ばれると、一夏で3000くらいは
行くかもしれん。逆に岩波文庫とか講談社文芸文庫とかひどいね。
そんな文庫に入った時点で、むしろ読まれなくなるイメージ。 回数云々の話はもういいよ。そんなことして何か意味があるのか? >>69
『父が消えた』が165回ながら絶版
赤瀬川原平としてはまだ本が残っている
>>73
文学好きは数値化とか嫌う傾向があるが
あえてゲスい目線、ミーハーな観点で語るのがいいのかもしれん 歿後20年を迎える中島らもは読書メーターで四ケタ台が多く、まだ読まれてる
同じく20年の鷺沢萠も平均500〜300回は読まれているのだが絶版が多いな どうもおかしいのもあるけど、まあ読書メーターの数字は一つの基準にはなりうるね。 >>76
その通りだ。映画のトマトと同じようなことをしても、ふーんと思う人が多かろう。あえて読了メーターを使うなら属性(年齢・性別)についても知りたい まとめておこう
没した作家はどれぐらい読まれているのか
夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、安部公房、遠藤周作、江戸川乱歩、司馬遼太郎
このあたりは現代の小説家も凌駕するぐらい読まれているレジェンダリー(古典化していく)クラス
芥川龍之介、谷崎潤一郎、夢野久作、宮沢賢治、松本清張、川端康成、大江健三郎、田辺聖子、有吉佐和子、中島らも、藤沢周平
数千の読者数を持ち、準レジェンダリークラス
森鴎外、澁澤龍彦、倉橋由美子、泉鏡花
2000〜1000回台が二作以上あり、細々と読まれている作家たち
島尾敏雄、永井荷風、渡辺淳一、栗本薫、古井由吉、中上健次、山田風太郎、尾崎翠
1000を越える作品はあるが一作のみ、他は少なく、今後忘れられてしまう可能性もある作家たち
中上は900台がもう一個あるので上にいくかもな
古井と尾崎翠はほぼ同格でわずかに尾崎が勝ってるんだよな、ここが興味深い
武田泰淳、吉行淳之介、石川達三、小田実、森茉莉
1000を越える作品がない作家たち
かつて人気があったが今は落ち着いてしまっている者、コアなファンはいるがそれを越えていかない者とさまざま
それでも600〜800回ぐらいの作品はある
海音寺潮五郎、鷺沢萠、後藤明生、小沼丹、藤枝静男、埴谷雄高、丸谷才一、大西巨人
500〜300台がある作家たち
こちらもコアなファンのいる作家と、かつての人気から落ち着いてしまった作家が多いな >>57
草の花はネットで腐女子がネタにしてたのを見かけたことがある
腐女子が読んでるのかも 存命作家ではどうなんだろう。五木寛之や吉本ばなななど一部を除いて読まれなくなったように思うが >>82
自分は十数年前学生の時国語教科書や便覧で紹介されてたので吉本ばななの「TUGUMI」を読んだことがある >>81
そういう読まれ方をした方がはるかに残りやすいよな
彼ら彼女らオタクが市場を動かしているんだし、いるかいないかわからない文学マニアよりもそちらを狙ってアピールしていく方がいい気がする >>84
すまん、俺の日本語が曖昧だ。両作家とも一部の作品を除いて読まれなくなって来ているのではないかと思った。五木なら『親鸞』は読まれるが『青春の門』や『朱鷺の墓』は読まれない。吉本で読まれているのは『キッチン』、『TUGUMI』くらい。まあ根気はないが 中原中也なんて永遠に読まれ続けられるのではないか? 三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の作家。
復学後、1948年東京大学文学部言語学科卒業[5]。1950年第17次『新思潮』に参加し、1951年の「冥府山水図」で「芥川の再来」と呼ばれ、1952年「斧と馬丁」で芥川賞候補となり、作家活動に入る。妻の曽野綾子(本名:三浦知寿子)とともに、“第三の新人”の一人[6]。
父の口利きで1948年から日本大学芸術学部非常勤講師となる。1952年10月助教授、1967年10月教授となるが、もともと日大の教員になったのは三流私大なら不勉強な自分でも教えられるだろうと高を括ったためであり、殊に30代半ば以降は作家としての収入が助教授の給料の数倍に達し、教員をするのがバカらしくなり、そういう気持ちが態度や勤務状況に反映して同僚から反感を買ったという[7]。結局、1969年の日大紛争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職[8]。
1967年 - 第14回新潮社文学賞(『箱庭』)[14]
1970年 - 聖シルベストロ教皇騎士団勲章
1983年 - 第33回芸術選奨文部科学大臣賞(『武蔵野インディアン』)[15]
1987年 - 日本芸術院賞・恩賜賞[16]、日本芸術院会員
1999年 - 第14回正論大賞、文化功労者顕彰
「芥川の再来」と呼ばれ
「芥川の再来」と呼ばれ
「芥川の再来」と呼ばれ >>83
内田百闢ヌまれてないな
『小川洋子と読む 内田百閭Aンソロジー』が279で、石川淳とならぶクラス
こんなに読まれてないのかとむしろ驚くが
木山捷平は『鳴るは風鈴 木山捷平ユーモア小説選』が52回、読まれてない >>88
『給仕の室』だろ、読んだ
面白かった
>>91
「冥府山水図」読んだ気がする
全部読んだかわからんが面白かった気もしたんだがな
古代中国を舞台にした小説だったはずだ 梶井基次郎の檸檬は新潮文庫5910回
ほぼ同内容の他の本を加えたら1万いくな
やはりよく読まれてるよなと思う
中島敦はそれよりも少し読まれてないんだが3958回の本がある
かなり大量の本を出しても100いかない大家もいるかと思えばここまで読まれる存在がいる
その違いは何なんだろうな 池波正太郎、意外に読まれていないんだな
司馬遼太郎に次ぐぐらいはあるんじゃないかと思ったが2000台が最高
読んでる層が年寄りのためネットに現れてこないのかもしれんが 歿後十年以上になる伊藤計劃
五ケタが二つもある
ほぼ古典化してると言ってもいいのかもしれんな 虚宮改め櫻塚くんが好きな森敦は222回か
石川淳よりちょっと下ぐらいだが
10回程度しか読まれていない文豪も多いなか、これはすごいのかもしれん >>94
両方とも教科書に載ってたからだろ
アホすぎる 教科書に載っても読まれなくなった作家はいるぞ
立松和平とか
絵本を除くと『光の雨』が117回で最高
教科書に載った『海の命』絵本が152回と今まであげてきた作家と比べても読まれていない 松下竜一も教科書に載っていたようだが78回が最高と読まれていない
横光利一は583回でギリギリ残っている水準
石川達三読まれなくなったといわれていたが、それでも横光に並ぶぐらいは読まれていることになるな ただ読メもどこまで読書率を反映しているか微妙だな
例えば『転生したらスライムだった件』ってラノベ、アニメ化したぐらいだからかなり読まれてると思うんだが、読了は1000ぐらいだ
あまり登録したがらない読者層はいるのだろう
かといって高い本はやはり読まれてるし、逆に低い本は読まれていないのは確かだな 現行の教科書に掲載されていてなおかつ今も文庫ですぐ手に取れる本に決まってんだろ
アホすぎる
そらいつまで経ってもワナビ止まりなわけや 単純に梶井と中島の文の良さもあると思うぞ
読んでて気持ちいいからな それでいいならこのスレいらんわな
アホすぎる
ただの冴えない暇人っぽいからもういいや
乙 俺も別にレスバしたいわけじゃあねえからな
次行くぞ
瀧井孝作、『無限抱擁』が読まれた数32回!
これが最高、文芸文庫の中ではまだ読まれている方なのかも知れんな 豊田三郎は知らんだろ
俺も知らん
それでも青空文庫で『リラの手紙』が6回読まれている
やっぱり青空で読めるようにしておくのは大事なんだと思う
著作権保護期限が21年伸びたことで、忘れられる作家はさらに増えるだろうな 宇井無愁
知らんだろ(略)
それでも中公新書の『落語のみなもと』が3回読まれている
肝心の小説の方は0ばかり
本自体は読まれてるんだがな
土岐雄三
知らんだろ(略)
山本五十六の本やカミさんについて書いた本が2〜3回ぐらいは読まれてるな 北町一郎も知らんかった
探偵小説集成で復刊されているが、それでも1回しか読まれてない
こんなにたくさん本出していて今は読まれないとは無情なもんだなあ 豊田三郎って森村桂の父親なのか
知らんかった
森村はベストセラー『天国にいちばん近い島』が208回読まれてるが絶版
たくさん著書があるがいずれも絶版で忘れられた作家だろうなあ
エッセイスト系でもまだ読まれている作家もいると思うがなぜこうも明暗がわかれるのか 森瑤子は忘れられた作家として語られることが多い
だが、『情事』は301回、『望郷』は275回も読まれている
森瑤子を忘れられたとすると石川淳も忘れられた作家になるだろうな
景山民夫は『遠い海から来たCOO』が741回読まれている
だが他の作品は総じてあまり読まれてないな 検索で引っかかったが船山馨も忘れられた作家
代表作『お登勢』が28回
このスレで取り上げた作家のなかだと富士正晴のクラスだな 少し番外編になるがエッセイストとしてのさくらももこも準レジェンダリークラスだな
もちろん『ちびまる子ちゃん』という不朽の名作の原作者として語り継がれていくわけだが、随筆家としても読まれている存在になるだろう バカバカしい。何がレジェンダリークラスだ。鷗外より遠藤周作の方が偉いと
本気で思っているとしたら、度し難いアホだ。 読書メーターはあくまでも一つの基準であって、絶対的なものじゃない。
当たり前。そもそも読書メーターに登録しない層が圧倒的。50代以上は、
極端に登録が少ないだろうし、高校生以下もそうだろう 遠藤周作は、「沈黙」の映画化が近年あったし、新潮文庫で「文豪遠藤周作」とかが
出たことが実力以上の結果を招いている。遠藤の母校である慶應閥が暴れまくって、
持ち上げていることもある。明らかに実態がかさ上げされているのが明白。
それに対して鴎外とか志賀直哉とか島崎藤村、大江健三郎や中上健次は、
親しまれにくい作風や文体で、数字は低く出ている。
一つの参考と思えばいい。 いや、俺も鴎外は好きだぞ全集集めてるぐらいには
たしかに遠藤は過大評価な気がするわな
実際ここまで読まれてるのかとちょっと驚いたぐらいだ
だが日野啓三や田久保英夫みたいに明らかに読まれなくなった作家も実在するわけだろ
晦渋な作風で読者が限られているのと、本当に忘れられたのをどう区別するか Xで拾ってきたが、西東登(25回)、藤村正太(28回)、太田俊夫(2回)、奥野他見男(2回)、土屋隆夫(83回)
土屋は知っていたが他は知らんかった
過去には物凄くたくさんの人がいて物凄くたくさんの出来事があったが今を生きる俺らはほとんどそんなこと関心なく生きており、そしてまた百年たてばあらかた忘れられているということなんだろうな 菊田一夫、『君の名は』某映画とタイトル被りなので少しは読まれてるかとおもいきや、8が最高
ここまで読まれなくなるもんだな >>119
某映画は著作権の問題かタイトルは『君の名は。』としている。この辺は鋭く見抜くのだろう >>118
ミステリー好きには知られた名前だがもう読まれないのかな? 俺も本を持っているのは西東と藤村と土屋だけだし、実際何年も買ってないし読んでもいない >>122
読まれなくなって映画も消えて行くのか、それとも残るのか 賀川豊彦、『復刻版 死線を越えて』が31回読まれている
富士正晴や坂上弘、田久保英夫など若い世代の作家よりは読まれてるな
国語便覧とかで見た気がする徳永直は『太陽のない街』が56回
古い世代の作家のなかで選ばれた者は後の世代より読まれる傾向があるのかもしれん 立原正秋は『冬の旅』が301回
森瑤子とならび忘れられた作家か
昭和期に流行作家で今忘れられてるだと数百クラスぐらいにはなるな
逆に昭和期でも読まれてなくて今でも読まれていない作家は、100もいかないことがある 干刈あがたは『ウホッホ探険隊』59回が最高
ほぼ全作品が絶版、忘れられた作家だ
森村桂や立原正秋らと何が違うのかなと考えてみると、やはり大衆的な人気が当時あったかなかったかがカギなんだろうな
昔読んだ本を思い出登録する人もいるので 井上友一郎も読まれてねえな、1回とかだ
西川満、99年まで生きていた作家だが同姓同名の人物の著作以外だと2回が最高 大藪春彦こんなに読まれてないのか
『蘇える金狼 野望篇』がかろうじて残っていて、60回
賞名とかで残っている感じなのか >>126
当時の選評を読むと干刈あがたは何回も候補に挙がってて毎回評価が高い。
島田雅彦よりかなり高い評価を得ていたが受賞できなかったのが不思議だ。 読み継がれる作家がそんなたくさんいるわけがない。
本当は百年に一人か二人くらいだ。
日本近代文学のくくりでいうと、夏目漱石くらいしか残らないかも。
源氏物語の時代だって、「物語」の類は山ほど書かれた。当時の日記にも、
海岸の砂粒ほどの物語があると記されている。でも今残っているのは、
源氏物語のみ。 寺山修司は四ケタあるな
準レジェンダリークラスだ
一方別役実、高取英、元虚宮くんの好きだった清水邦夫、最近亡くなった唐十郎などの演劇人の著作は読まれていない
彼らの戯曲を上演している人々もいるから、忘れられたとは一概に言えないだろうが 井上ひさしも忘れられてるんじゃねえかと思いきや、『十二人の手紙』が四ケタだな
意外に残ってるほうか 忘れられたとは言いながら獅子文六はリバイバルしてる方だな
最高1796回で古井よりも読まれてることになる 白井喬二、八犬伝の翻訳が読まれてるだけ
小説の読まれた数は9回!
本人が生きてたら確実に不本意だろう残り方だな
吉田絃二郎は最高5回!
だが青空文庫で読まれている痕跡がある
こういうかたちでリバイバルすることもあるからなあ
尾崎士郎も『人生劇場』14回
『平家物語』翻訳の方が読まれてる
確かオウム信者の回想記かなにかで大学を『人生劇場』のような感じだと思っていたら全然違ったみたいな記述があったはず
その頃はまだ読まれていたのか 中野実もまったく読まれてないな、1回が最高のようだ
同姓同名もいるので分かり辛い
下村千秋は読書メーターで復権してる
11回
やはり著作権51年のままにしているべきだった気がするんだが 伊藤永之介も青空文庫での復活組
あとアンソロジーで読まれてるな
芥川賞を辞退した人としてのみ知られる高木卓は源氏物語と義経記の翻訳が読まれてる
阿部知二は翻訳ばかりが読まれていて、自作小説の冬の宿は21回だ 100年経ってしまうと社会はまるで変わってしまうから顧みられなくなってしまう事象は多いな
いま皆が当然と思っていることも十年後は廃れてるかも知れない 胡桃沢耕史は『黒パン俘虜記』が72回読まれてる
1回とか見てしまうとまあ読まれてる方なのかと思ってしまう 西村寿行も忘れられたと語られる
『君よ憤怒の河を渉れ』は映画化しても180回は少ないな >>140
名前は知ってるが読んだことないなあ
『おせん 東京朝日新聞夕刊連載版』が11回読まれてる
高い本なのを考えるとまあそこそこか
>>141
読まれてるだろ
と思ったが『神州纐纈城』が130回
忘れられかけてるのかもしれんな
>>142
知らんかった
かなり本が出てたようだが読書メーターでは堂々の0回 結局、結論はこんなに凄い人たちでさえ残るものを書けないなら何もしないほうがマシだー!なんだろ?
自分が無能なのを棚に上げるための方便
それのアラフォー版
10年後にまた違う言い訳用意するだけ
くだらなすぎる 山本有三ってどれぐらいなんだと思って検索してみると『路傍の石』が意外に読まれてて605回
『心に太陽を持て』、『真実一路』も読まれており、石川達三に次ぐぐらいには読まれてることになる 俺自身マイナーな作家が好きというのはある
誰も読まないような小説家に興味を持って本を集めたり
好古趣味みたいなもんだろうな 佐佐木茂索は芥川賞選考委員にまでなったが、青空文庫でちょこちょこ読まれてるぐらいだな
本で読んだという人はいない 黒岩重吾、あまり読まれてないがそれでも100回が何作品もある
歿後二十一年なのでまだ読んでる人はいるだろうが
半村良、『戦国自衛隊』が486回
かつてと比べると余り読まれてないのだろうが、微妙なとこだわな 樹下太郎、単著では7回
加堂秀三は4回
まあ忘れられた作家たちだわな
津原の師匠だった山村正夫は43回
半村ほどは認知がないが、残っている本があるな 佐多稲子は37回が最高
読まれてないっぽいな
だが復刊もされてるし、どうなるかわからないとこだ
永倉万治、16回
この人の著作見掛けたことあるが、知られてた人なんだな
親交のあった向田邦子はよく読まれている四ケタの準レジェンダリークラス
向田繋がりで
久世光彦は281回が最高であまり読まれていない
この人のエッセイは面白かったが小説はなんか微妙な感じだった 作家ではないが、ヤスケンこと安原顯もほぼ忘れ去られている
19回が最高
この人も一時期はえらく影響力あったよな
あまり好きな人物ではないがこっそり小説を書いていて賞で落とされ続けていたという話はちょっと寂しい
今ではヤスケンと言えば安田顕だからな
津島佑子、『狩りの時代』130回で、最近まで存命だったのに読まれていない 岩橋邦枝、野上弥生子の伝記が25回か
小説も書いてたが、ほとんど読まれてないな
野上は秀吉と利休が88回だがほとんど絶版でやはり読まれているとは言いがたい
深沢七郎は『楢山節考』が1681回読まれていて思いのほか影響力を留めているな ここ十年で明らかにパラダイムシフトあったよな
十年前は「小説をちゃんと読めないやつが悪い! 売れ筋ばかり追いかけているのは陳腐!」がまだ通用したが、現在は「小説? なにそれ美味しいの? 読まれたいなら読まれるよう書く努力をしなさい!」が普通に通用する社会になった
で、読まれなくなった小説界は政治的に目覚めた方向に進んでいったと 吉村昭は準レジェンダリークラス
『羆嵐』は5000回も読まれてる
昔に起こった事件を題材にしているものでも読まれるものは読まれるよな 三浦綾子は読まれてる
『塩狩峠』が9714回でレジェンダリークラスに近い
昭和のベストセラー作家ってぱたりと読まれなくなるのと、順調に読まれ続けるのと二傾向があるな 菊村到は硫黄島が89回読まれてるな
ちょっと興味ある読んでみたいのだが手に入るか
極力小口研磨は入手したくない 住井すゑ、戦争賛美してたのに戦後は反戦主義に転じたあたりあまり良い印象がない
まあ逆に言えばそれぐらい変わり身が早い方がいきやすいということだろう
反戦左翼はやはり信じられないがな
まだ『橋のない川』は現役だ
374回が最高、あまり読まれてる方ではないな 戦争協力してても戦後黙って生きていったのなら別に批判はされないわな
戦争協力したその口で反戦平和だみたいなこと言ってるのはやはり信じられんとなる 純文学スレでプロレタリア文学について言及があったので調べてみる
宮島資夫青空文庫で、8回
宮地嘉六は6回
後者の名前は知ってたが、前者の方が読まれてるな 平林初之輔は推理作家として青空文庫ちょこちょこ読まれてる
Rinkoの四コマ文庫で紹介されたことも影響しているのか
20回とかもあるな
まあ残ってると言えるクラスではないが
評論家としては注目されていない 小林多喜二と葉山嘉樹ぐらいだよなプロレタリア文学で読まれてるのは
小林の場合、殺されたインパクトが大きいのと、蟹工船ブームが起こったのも関係があるだろう
葉山は間違いなく教科書に載ったからだな
あと読まれてるとは言いがたいが黒島伝治と宮本百合子は青空文庫効果もあるのかちらほら読んだ報告がある 橋本治も生前の一時期あれほど影響力があったわりに忘れ去られてる方じゃないか?
『これで古典がよくわかる』761回が最高
50〜60年代生まれのじいさん著作家はみんな橋本を読んで礼賛してるよな
でも若い世代ではぜんぜん読まれてもいないんじゃないか? まあ映画監督なんでここで述べていいのか迷うが、青山真治は『ユリイカ EUREKA』が199回と最近まで存命だったのに読まれてる率が低い
基本的に現代の作家は読書メーターが出来る前に死んだ作家より有利なのに、それよりも読まれていないとは グインサーガの1が1000読まれてるが絶版
中島梓名義では200回台だな
あまり読む人が増えていない印象がある 中勘助は『銀の匙』で四ケタも読まれている
同内容の文庫二冊の数も併合できるな 読まれなくなった作家として上げられる倉田百三だが『出家とその弟子』309+175回読まれている
400台は現代の作家でもざらにいるので、読まれてる方ではないだろうか 檀一雄は『火宅の人』上が440回
意外に読まれてる方なのかもしれない
だが、当時は太宰治、檀一雄と並称されていたはずなのに、大半の著作が絶版
いま太宰と並び称されるのは夏目漱石だからな
どうしてこうも差が生まれたか 今東光、読まれていない
『毒舌 身の上相談』が108回
かなり知られていた人だと思うんだが、なぜこうも注目されなくなるのか
今日出海はヨルシカ効果で『地の糧』の翻訳が復刊されてたが、自身の著作は6回が最高っぽいな
和田芳恵、読まれてない
最高が32回
でも資料的な価値から読まれることはあるのかも知れない
鹿島孝二、読まれてない
1回が最高
かなり本がでてるんで生前は読まれた作家だと思うんだが、知らないな 椋鳩十、こんなに読まれてないのか
119回が最高
だが別の軸で捉えるべきかもしれん
多くの本がまだ生きてるからな
読書メーターを使わない子供には読まれてるが大人には読まれていない感じなのではないか 青山光二もそこそこ書籍を残しているが忘れられ気味だな
晩年の『吾妹子哀し』が一番読まれてる 能坂利雄、Wikipediaではなかなかの地方の名士と書かれている
家紋関係の本がちょっと読まれてるな
だが本業の小説はほとんど読まれていない
そこからの繋がりで土師清二は砂絵呪縛上が9回
読まれてる作家とは言いがたいな
村雨退二郎は『明治巌窟王』が2回読まれてる
いま完全に忘れられている作家でも80〜90年代にリバイバル的に復刊されてる人はいるな
まだ出版に力があったからだろうか 101歳まで存命だった今川徳三も一桁代
著作とか読んでいけば面白いのもありそうだけどな
山手樹一郎も相当読まれた作家だと思うが今は30回ぐらいがやっと
時代作家でも残っている人忘れられている人が明瞭だが、どのあたりに差があるのだろうな
遠藤周作も吉村昭も山本周五郎も新潮文庫に多く本がある
やはり安かったので多くの人が買ったのはあるんだろう
でも新潮文庫でも立原正秋はほとんど消えているので
やはり残る残らないはある種の運みたいなものがあるに違いない 例えば丹羽文雄とか「昭和文学とは何か」を考えるためには重要な作家だし、その著作は資料的価値はあろうが、古典としては生き残れなかったということだろうな
太宰治の影響を受けた作家・漫画家・他のクリエイターは現代も続いてるし本人もキャラクターとして蘇っている まともに読んでなくても
教科書?便覧?に顔写真載ってると親しみがあるよね
落書きしたり 残る残らないは運だよ
残ったから優れてるわけでもないし
優れてるものが残るわけでもない その時代の政治とか風俗に密接に結び付いていた表現は忘れられやすいのはあるんじゃないかと思う 直木賞を獲ったから残るわけではないな
鷲尾雨工は忘れられてる
ただ大河効果か黒田官兵衛の小説は42回!
直木賞の候補者湊邦三も忘れられた作家だが
聖教文庫から出た日蓮の小説が二ケタ台
学会員読んでるのか
木々高太郎の全集持ってるがちょっとしか読んでない
推理文庫では72回読まれてるな
橘外男と拮抗できるぐらいは残っているのかも知れない 「黒田官兵衛」と言えば吉川英治くらいしか知らない。
「日蓮」について書いたものは現代作家だけど
佐藤 賢一氏が良さそう? >>181
黒田官兵衛は、今なら大河の原作にもなった火坂の「軍師の門」が傑作だぞ。
吉川英治よりもはるかに上。
日蓮は、たくさんあるけど、あんまり深入りしない方がいいw
例の学会の方に誘導さないように。 三島、川端なんかは消えると思う
気になって何冊か読んでみたがクソつまらんし 森荘已池、直木賞作家なのに読まれていない
宮沢賢治の名前を広げるのに重要な役割を果たした人だよな
再評価されるべきだろう 納言恭平は読まれてない
ただオンデマンドで出版してるところがある
山田克郎もぜんぜん読まれてないがこちらもオンデマンドで復刊の動きがあるな >>178
『桃太郎侍』の原作としても残らないのか 『桃太郎侍』は最近復刊されてる
だが読まれてないなあ 池波は今だに映画化されても山手が振り向きもされない事実 池波正太郎と山手樹一郎を一緒にすべきではない。
司馬遼太郎、藤沢周平と並んで、「一平二太郎」と呼ばれた巨匠だからね、池波は。 >>190
もちろんそれは分かっている。事実を指摘したまでだ。ちなみにそのさんにだと、
藤沢>池波>>>>>司馬だろう。藤沢の文章のうまさが際立っている >>190
山手はおそらくは颯手と同じ線で語られるべき作家。春陽文庫の功績はもっと評価されてしかるべき。そういえば初めて買った江戸川乱歩の大人向けの小説は春陽文庫版の『人間豹』だった >>191
藤沢押しの人だな。
一般には、司馬遼太郎>>>池波>藤沢くらいだろう。
藤沢好きの人はいるよね。 >>193
司馬の文章はなんかルポータジュを読んでいるみたいでねw 颯手達治、知らんかった
まさにこのスレで取り上げるべき忘れられた作家だな なんで藤沢や、池波や司馬は読まれてるのに山手や颯手が忘れ去られたのかはわからんな
忘れられていっている南條範夫もそうで、シグルイの原作者という印象だけじゃないか?
南條のある短編読んだんだがなかなかすごい作家だなあと思ったことがある 忘れられていっているというなら
だったな
山手も本はまだ入手出来るものが幾つかあるので
買う層はいるのかも知れないが、若い世代には読み継がれていかなかったとみるべきなのかもしれん >>196
>なんで藤沢や、池波や司馬は読まれてるのに山手や颯手が忘れ去られたのかはわからんな
いやいや明白に見えるがなw そろそろ言及すべきかと思うが、津原泰水はどうだろうな
絶版も増えてるがXでは慕う声もある 海老沢泰久は『美味礼賛』のみが読まれてる
502回
一世を風靡した作家だと思うが、こうも絶版が増えるものか
丸谷が褒めてた書き手はあまり残らない傾向があるな むかしむかし文学板に丸谷信者がいて、石川淳スレとかいろいろ書き込んでいたが
ここまで周辺作家が読まれなくなっていっているのについてどう思うんだろうな >>200
本棚探せばどっかに『監督』があったような 本棚には朝日ソノラマ文庫も結構あってあんまり面白くなかったという悪い意味で藤村正太の『謎の環状列石』という本を覚えているのだが、まあ絶版だろうな >>196
なるほど、藤沢、池波、司馬といった巨匠と比べて、山手樹一郎や笹沢左保のような作家が忘れ去られがちなのって、興味深い問題だね。
たしかに、山手樹一郎は「忍びの者」シリーズや「江戸城秘聞」などの時代小説で人気を博した作家だけど、近年は作品が復刊されることも少なく、知名度は落ちているよね。笹沢左保に至っては、「鬼平犯科帳」の原作者として知られているくらいで、他の作品はあまり読まれていない印象がある。
南條範夫は、シグルイの原作者として有名だけど、時代小説や推理小説など幅広いジャンルの作品を執筆した作家なんだよね。確かに、近年はシグルイのイメージが強くなりすぎて、他の作品が埋もれてしまっている側面があるかもしれない。
では、なぜこれらの作家たちが忘れ去られがちなのだろうか?
まず、時代小説や推理小説といったジャンル自体が、近年はSFやファンタジーなどのジャンルに人気を奪われているという背景がある。特に、時代小説は若者にとって馴染みがないジャンルであり、読者層の高齢化も進んでいる。
次に、これらの作家たちの作品は、現代の読者のニーズに合致していないという可能性もある。例えば、山手樹一郎の作品は、勧善懲悪的なストーリー展開や、類型的なキャラクター描写などが特徴なんだけど、現代の読者はもっと複雑なストーリーや多面的なキャラクターを求める傾向がある。
さらに、これらの作家たちの作品は、映像化されていない作品が多いという点も不利だ。近年は、映像化によって人気が再燃する作品も多いんだけど、映像化されていない作品は読者の目に触れる機会も少なく、知名度が上がりにくい。
もちろん、これらの作家たちの作品には、現代の読者に訴求する力があるものも多い。出版社や書店が、これらの作品を再評価し、現代の読者にアピールするような取り組みを行っていくことが重要だろう。 塞王の楯
集英社 (2021/10/26)
- 3,331位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 12位歴史・時代小説 (本)
- 294位文芸作品
木挽町のあだ討ち
新潮社 (2023/1/18)
- 3,516位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 14位歴史・時代小説 (本)
- 311位文芸作品
黒牢城
KADOKAWA (2021/6/2)
- 8,893位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 237位日本文学
黒牢城 (角川文庫)
KADOKAWA (2024/6/13)
- 14,090位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 496位角川文庫
- 668位評論・文学研究 (本) >>204
細かいところ指摘しておくと笹沢の原作は『木枯らし紋次郎』 朝日ソノラマ文庫で出版された藤村正太の『謎の環状列石』は、1976年の初版以降重版されておらず、現在では古書店などでしか見つけにくい絶版本となっています。 司馬遼太郎はネット上で批判が多い作家筆頭なので近い将来どうなるか予想が難しい
今世紀に入ってから戦国時代と室町時代研究が進んで史実と乖離したところが目立つようになった いや逆に批判が多いから残ると言うこともあるからな
本当に忘れられた作家は批判的な意味ですら語られることはない 畑山博も忘れられた作家と検索で出てきた
芥川賞受賞者ながら多くの本が絶版で残っているのが宮沢賢治関連のものぐらいだな >>204
「鬼平犯科帳」は池波正太郎の代表作。
それを笹沢と勘違いするようだと、相当に知識として怪しいぞw >>209
司馬遼太郎作品、特に戦国・室町時代を題材としたものは、長らく多くの人々を魅了し続けてきました。しかし、近年、これらの時代に関する研究が飛躍的に進展したことで、作品と史実との間に乖離が見られる部分が指摘されるようになり、ネット上を中心に批判的な意見も目立つようになりました。
女性として、歴史小説を愛読する一人として、この状況をどのように捉え、司馬遼太郎作品と向き合っていくべきか、私なりの考えを述べさせていただきます。
まず、戦国・室町時代の研究が近年大きく進展していることは、歴史学にとって非常に喜ばしいことです。従来の文献だけでなく、考古学や民俗学などの学問分野からも新たな知見が次々と明らかにされており、当時の社会や文化に対する理解が深まっているのは間違いありません。
しかし、その一方で、司馬遼太郎作品が史実と異なる部分があるという指摘は、作品の魅力を損なうものではありません。むしろ、史実との違いを理解することで、作品をより深く味わうことができるという側面もあるのではないでしょうか。
司馬遼太郎作品は、あくまでも小説であり、史実を忠実に再現することを目的としたものではありません。彼は、膨大な資料を読み込み、独自の視点で歴史を解釈し、そこに人間ドラマを織り交ぜることで、読者を作品世界へと引き込んでくれます。
史実と異なる部分があっても、それが作品の魅力を損なうとは限りません。むしろ、司馬遼太郎の想像力や創造力によって、新たな視点から歴史を捉えることができるという可能性も秘めていると言えるでしょう。
もちろん、史実と異なる部分について、誤解を招くような表現があれば、それは問題視されるべきです。しかし、多くの場合、司馬遼太郎は史実と異なる部分について注釈を付けたり、読者が自分で判断できるように情報を提示したりしています。
重要なのは、司馬遼太郎作品を単なる歴史書としてではなく、一つの創作物として捉えることです。そして、作品と史実を区別しながら、それぞれの良さを読み解くことが大切なのではないでしょうか。
近年、司馬遼太郎作品を批判的に捉える向きも増えているようですが、女性としては、作品の魅力を否定するのではなく、むしろ多角的な視点から理解し、楽しむことが重要だと考えています。 小島直記も松永安左エ門と小林一三の伝記がちょっと読まれてるぐらいで、ほぼ忘れられた作家だな 文芸誌スレの流れで思い出した池宮彰一郎
一時期飛ぶ鳥落とす勢いだった覚えがあるが、歿後十五年以上経つ現在ほぼ全ての作品が絶版になっている
話題をさらった『島津奔る』も読書メーターで300台で、上下合わせても600台
読まれなくなりつつある作家だろう
本人がまだ若かったら再起も出来たと思うんだよな 島田雅彦は読売文学賞獲った『君が異端だった頃』だけは残るだろうな
太宰治なら『人間失格』三島由紀夫なら『仮面の告白』大江健三郎なら『万延元年のフットボール』
やっぱり純文学は自分の体験に基づいた話が面白い >>216
司馬作品はフィクションとして楽しみましょう、の一言ですむ話
それに、女性として、とか関係なくない? >>220
女性として、の意見抜きだとChatGPTに書かせたような意見に見えなくもないし、別に良いと思う
悪口じゃなくて、ChatGPTは最大公約数を出力するから丁寧な文体で書くと似てきてしまう >>2の作家たちの同世代では三浦哲郎がいる
読書メーターで見ると読まれている方ではないか、もちろんほとんどが絶版だが >>219
ねえよ。太宰三島大江と比較するなら、村上春樹の「ノルウェイの森」くらい。
実名まで出して、自分の半生を自虐的露悪的に語ったからと言って、何の文学的達成
にもならない。 田村泰次郎もほぼ全著作が絶版読書メーターでは単著21回が最高と読まれなくなった作家だ
ただ『肉体の門』とか映像化は何度かされてるんだよな
それでもここまで忘れられるとは ノルウェイの森みたいな妄想小説と比べてんなよ
比較対象にすらならねーわ 戦前の文壇で一番評価されてたのが田山花袋だ
花袋を読むとき「布団」から入るのは良くないとか言われるけどどうなんだろうね 石原慎太郎の最高傑作も自身の経験に基づいて書かれた『わが人生の時の時』と言われてるし、やっぱり読者も純文学に求めてるのは中途半端なエンタメくずれじゃなくて、作者の体験したリアルな話なんだろうね こう言うと島田雅彦さんには申し訳ないが、島田さんもエンタメくずれみたいな小説ばっかなんだよね
だから『君が異端だった頃』がいちばんの残る可能性高い >>225
『暁の脱走』=『春夫伝』もあるんだがな。映画の原作者としてのみかろうじて名前が残るのか。話は外国人作家の話となるが『太陽がいっぱい』、『アメリカの友人』、『見知らぬ乗客』などの傑作映画の原作を書いた パトリシア・ハイスミスも似たようなものだろか 安部公房を最初に評価したのは中村真一郎だと中田耕治が書いていた
どちらが作家として後世に残っていくかはみれば歴然なんだが、こういう関係性はある訳でそこを忘れてしまうのはちょっとな 安部公房は亡くなった直後はちょっと評価が低迷気味だった
数年後中上健次が亡くなったときは凄い持ち上げられてたんだけど、今どうなんだろうなあ 安部の『砂の女』とか前に花田清輝を読んでいたのでまんま花田じゃないかと思った 中田耕治は唐木順三や森田たまを嫌っていたようだな
今となってはほとんど絶版だが、中田の翻訳は結構残ってる
『死の接吻』は俺も読んだが面白かった 中田ブログから若杉慧
全然知らん作家だ
当然多くの著作も絶版
当時は一角の作家だったようだが
ここまで忘れらてしまうものなのだな 同じく中田ブログから宮林太郎、若城希伊子
まるで知らん作家たちだ
特に宮は幻想的らしい
興味あるな なるほどね、確かに全然知らない作家だね。 絶版になっている作品が多いのも寂しいね。当時は人気作家だったんだろうけど、時代とともに忘れられてしまう作家もたくさんいるんだね。 伊藤桂一も読まれてないな
読書メーターでも3ケタ越えないし、絶版も多数
長生きしたし、かなり影響力のあった作家のようだがな これも中田ブログから拾った作家だが森志斐子
中田もほとんど知らないとのことだが不思議と印象を残す
数冊本を出してるが絶版みたいだな
こういうよくわからない作家ってのは当時本当にたくさんいたのだろう
宇尾房子も知らなかった
こんな人がいたんだな 「読まれなくなった」作家ではなく、もともと「読まれなかった」作家を上げているような。 中田ブログで紹介されていた作家、森志斐子と宇尾房子。お二人とも存じ上げなかったのですが、中田さんすらほとんどご存じないとのこと、その独特な魅力が逆に興味をそそられますね。
森志斐子さんは、数冊の著書があるものの、現在は絶版とのこと。当時、多くいた「よくわからない作家」の一人なのでしょうか。しかし、その作品が現代に再評価されることもあるのが文学の面白さです。
宇尾房子さんについても、初めて知りました。どんな作品を書かれていたのか、ぜひ読んでみたいものです。 一人で誰もしらないような作家の話してるやつバカだろ 深沢七郎は「楢山節考」だけ残って後の作品はもう読まれてないんじゃないの >>246
深沢七郎は作家活動初期に「楢山節考」で大ブレイクしたんだけど、その後は様々なジャンルの作品に挑戦して、独自の文体や世界観を築き上げていったんだ。SF、時代小説、戯曲、エッセイなど、幅広い分野で活躍したんだよ。
確かに、彼の作品はどれも癖が強くて、万人受けするような内容ではないかもしれない。でも、その独特な文体や世界観にハマる人は、ものすごくハマるんだ。深沢七郎ファンにとって、彼の作品はどれもかけがえのない宝物なんだよ。 去年「楢山節考」読んで衝撃を受けて深沢七郎にハマった。他の作品も面白いから読まれてほしいけど、「楢山節考」さえ読まれていれば十分だとも思う。
深沢七郎にハマった流れで正宗白鳥も読み始めたんだけどすごい良かった。個人的に白鳥が今ほとんど読まれていないのは話の筋があまり面白くないからじゃないかと推測してる。 誰も知らない作家はいいぞ!
調べればすぐにパイオニアになれる
森志斐子はなかなかの美人だったようだが、2001〜2年頃に亡くなったことがわかる 田宮虎彦、前に名前だしたが何てここまで読まれなくなったんだろうな
自殺で亡くなった作家と言えば佐藤泰志だが、見事に復権を果たしている
読書メーターではさほどではないが、残る作家になっていくかも知れんな 読まれなくなった又は忘れられただと
石川淳、大岡昇平、野間宏、中野重治、吉田健一、坂口安吾、藤枝静男、大西巨人、田中小実昌、色川武大、小林信彦、今東光、陳舜臣、川上宗薫はどうだろう
文豪でももう読まれていないという人は多いと思うが 宇能鴻一郎は純文時代の小説に光があたって再び読まれてる 最近石川淳の革装の豪華版買ったら度肝を抜かれた
巨大さ豪華さに
今こんな本出ないだろうな
40年前 暴論かもしれないが、新潮文庫とつながってる作家は読まれ続ける確率が高い
石川淳などは生前集英社との関係が深くて損をしていると思う 「風流夢譚」はびっくりしたな
かつてこれと同時に出版不可能だった「政治少年死す」が今は解禁されているのに対して、
今もこれは正式には表に出てないのかな?
俺は前に両者とも同じサイトで見つけて読んだが、こっちの過激さ、
それもおちょくるような悪ふざけ的内容に、こりゃあテロ起こるわと思った。
だって当時皇太子と美智子の結婚が大ブームになってる最中に、
二人の首をちょんぎってみたいな描写が出てくるんだから。
でも考えるにフランスはそれやったんだな。 橋本治は小説家としては将来消えている可能性が大きいと思うな
エッセイストや評論家としてなら残るだろうが
あとポストモダン御三家でも小林恭二は他の高橋源一郎や島田雅彦に比べると忘れられてるような(個人的には好きな作家だけど) >>253
田中小実昌は古書価格高いよ
オレもときどき読み返してる >>253
安吾は漫画家やラノベ作家にファンが多いから、いまだに影響受けてる若い子に読まれ続けてるイメージある
アマチュアの劇団でも上映されてるの何度か見た
ただ代表作の白痴とか不連続殺人事件はあまり読まれなくなって、満開の森の桜とか夜長姫とか青鬼のふんどしとか、ちょっと寓話的な短編が読まれてる気がする >>253
大岡昇平もなんだかんだ言っても読まれていると思う >>261
安吾の独特な文学世界は漫画やラノベにも影響を与えていて、若い世代にも読み継がれているんですね。劇団で作品が上演されるのも、作品の魅力が伝わっている証拠だと思います。ただ、代表作が読まれなくなっているのは少し残念ですね。満開の森の桜や夜長姫など、寓話的な短編は読みやすく、安吾の魅力が凝縮されている作品だと思います。 安吾で良かったのは「私は海を抱きしめてゐたい」とか
「風と光と二十の私と」あたりの自伝的な作品だな 安吾は柄谷行人が推してたな
小説を書けば中上健次で、批評を書けば小林秀雄で、歴史物書けば司馬遼太郎とか言ってた ポスト構造主義が流行ったときはデリダ、ドゥルーズ、フーコーなんか頑張って読んでいたが、今では読まれなくなったんじゃない 安吾はアニメ化もされてるし、まだそれなりに影響力を保ってるな
漱石、太宰みたいに全て読まれてるわけではないかもしれんが 安吾捕物帳をテレビドラマ化したら復活するんじゃない。内容的にも面白いし 吉田健一は日本のボリス・ヴィアン的なところがあって若者に人気がある
「絵空ごと」「金沢」「東京の昔」など >>258
「風流夢譚」って2012年に正規に電子書籍化されたらしいよ
ttps://magazine-k.jp/2011/12/14/furyu-mutan/ >>259
今はどうか知らないけど10年ぐらい前の中学の教科書で「桃尻語訳 枕草子」が紹介されてたっけ
自分が読んだ当時でも「ナウい」とか「レディコミ」とか「ワープロ」とか時代を感じるなーとは思ったけど 三島と双璧の右派作家と言われていた林房雄も読まれてないよな
三島とか安部にはなぜか残る不思議な力があるのだろうな >>269
かわもんとか一部で熱心に調べてる人たちがいるようだが
若者に人気とは聞かないなあ 中村地平は忘れられた作家だが井伏門下で太宰と並び称されていたようだな
だが、郷里の方で復刊の動きがあるようだ
もう一人の小山祐士も、劇作家ということもあるがほとんど忘れられている 太宰は現代人の精神性にかなり近いものを持っていたんじゃないかなと思うんだよな
ある種の過剰さと言うか
三島も別のベクトルでそうだ
安部もだな
逆に昔の日本人っぽい作家はどんどん読まれなくなってる気がする 正直忘れられてもいいんだよな
現世で金が稼げれば後世で評価されようが知ったこっちゃないわけで
太宰は自分がここまで弄り倒されてるなど思っていやしなかっただろう 久生十蘭とか、稲垣足穂とかスタイリッシュな作家は基本的に読まれないが一部の熱心な読者が着いてる印象だよな
俺も若いときはああ言うのに憧れたが今となっては金が欲しい 死後忘れ去られるって分かってて悪戦苦闘して書くのも虚しい作業ですな 海外文学だってアンドレ・ジイドとかトーマス・マンはあんまり話題にならんからな
ドイツ本国で一番論文が書かれてるのはカフカらしい
短めの寓話風の作品は残るということなのか…
あとマルクス主義が表に出てるやつは流石に今は苦しいだろう >>265
ほんとそう思う
過小評価されてる
天才だと思う >>225
『肉体の門』は四回、『春婦伝』二回映画化されているのにな。とくに最初の『春婦伝』は李香蘭だ。彼女も忘れ去られていくのかな >>280
カフカの変身は5ケタ読まれてるな
海外文学では珍しい
カフカを冠するキャラは色々な作品で出てくるからな
怪獣8号の主人公もそうだ
後世に滅茶苦茶影響を与えていると言える 列挙した中では若杉慧、伊藤桂一はかつて読まれていたのに読まれなくなった作家といっても過言ではないと思う
今となってはなぜこの作家がこんなに出版されたのかわからないのも多いな >>282
明治の作家はamazonにすら本がないのがゴロゴロいるから、復刊されてるだけでもましなのかもしれん
斎藤緑雨は全集が出てるぶんまだ認知度がある
半井桃水は復刊がほとんどなく今後本も出るかと言えばまあでないだろうな 中村武羅夫もそうだな
小説家としては完全に忘れられてる ジッドもマンも佐藤春夫もちゃんと読まれている
君たちが怠け者で読んでいないだけだろ マンは何だかんだ言って好きだ
右派でも結構読んでる人がいるようだぞ 「読まれなくなった作家」と「読まれ続ける作家」がいるのは事実。でも、どちらが良い悪い、とかって簡単に決めつけられるものではないと思う。作家にとって大切なのは、自分の信じるものを表現し続けること。そして、それを誰かに受け止めてもらうこと。それがいつ起こるかなんて、誰にも分からない。だから、作家は常に挑戦し続けるべきだと思う。
金井美恵子の「小説論:読まれなくなった小説のために」にもあるように、作家は「書くこと」を通して世界と向き合う。その過程で、読者と共鳴する作品が生まれることもあるし、そうでないこともある。でも、作家は諦めずに書き続けるしかない。
私も、いつか誰かの心に響くような作品を書きたい。そのためには、常に学び続けること、そして自分の感性を磨くこと。それが大切だと思う。 大江健三郎がノーベル文学賞受賞した時、ワイドショーでは街頭インタビューで「大江健三郎って知ってますか?読んだことありますか?」とたすねて、回答はほとんどの人が知らない&読んでないだった
ワイドショーそのものも大江って誰という報道の仕方だった 立野信之も読まれなくなった作家だよな
往時はそれなりに認知度があったようだ
二・二六事件の著作が資料的に読まれてる感じだろうか >>294
「読まれなくなった作家」と「読まれ続ける作家」が存在するのは事実ですね。しかし、単純に「良い悪い」で片付けるのは違うと思います。
作家にとって大切なのは、何よりも「自分の信じるものを表現し続けること」だと私は考えます。作品が世に認められ、多くの人に読まれることはもちろん素晴らしいことですが、同時に、商業的な成功に囚われず、自分の内面を正直に表現し続けることが重要です。 >>299
立野信之は、埋もれた文豪と言われるほど、現代ではあまり知られていない作家かもしれません。しかし、彼の作品は、現代社会にも通じるメッセージを発信しており、再読する価値のある作品ばかりです。 澤野久雄もそれなりに読まれてたんだな
やはりほぼ全作品が絶版で読書メーターでもほとんど読まれていない
『夜の河』は映画化もされたのだが、まさにこのスレで取り上げるべき読まれなくなった作家の一人だ 立野は正直知らなかった。
このスレ読んで初めて名前を知ったのもぽつぽつある。
こうして言及される声があるというだけでも、読まれ続けている証とも言える。一度活字と成った著作はこの世のどこかで静かに生きている。 イギリス人にとって、誰もが知っていて、売れてもいるけど実は読まれてない、買ったまま、もしくは挫折した小説の典型がジョージ・オーウェルの「1984」と聞いた事がある。
日本だと古いが「源氏物語」とか漱石、鴎外辺りだろうか。
谷崎の「細雪」も然り。
川端も大江健三郎もノーベル賞取った事は知ってるが日本人の大半が触れた事無いだろうし、どんどん疎遠になってるだろう。
芥川も教科書の「羅生門」ぐらいをチラ見で通り過ぎて行く人が殆どじゃなかろか? 源氏物語は、原文では読まれていなくても、瀬戸内寂聴とか角田光代とかの翻訳では
よく読まれてる。やっぱり日本最大のベストセラーだわ。千年前に書かれているんだから。
漱石もよく読まれている。
鴎外はもともと敬遠されがち。
近代の作家では、漱石、芥川、太宰、三島くらい。それからあとは村上春樹。
それくらいが読まれ続けているのかな。大江健三郎は早くも読まれなくなっている。 村上春樹の様な、リベラルでどの国の人が読んでも所謂翻訳調に感じられる作家が読まれる一方で、
より日本的なモノを探って行ける作品が日本人に求められて、ポツポツと読まれて行く傾向になるのだろうかね。
世界的にグローバル化や移民の問題が顕著になっているけど、そうなればなるほど各国で自国のアイデンティティを欲する動きが読書においても既に出始めているらしい。
例えばそれも、大江よりも三島が好まれる一因ではなかろうか?
日本も英語教育が幼少期から盛んになっており、あたかも日本語よりも大事な風潮になっているが、
鴎外や泉鏡花の様な、音節の連なり響きに限らず、文章に用いる漢字など視覚的な美しさにまで拘った文体も再発見されて行く流れになれば良いが、
もうゆとり教育を経て難し過ぎて、一部の人の文化的嗜好品になっている感があるのが悲しいね。 村上春樹のようなグローバルに読まれる作家と、大江健三郎のような日本的な作家では、読者層が異なってくる傾向がありますよね。
世界的にグローバル化や移民の問題が顕著になる中、自国のアイデンティティへの回帰が読書にも表れているのは興味深いですね。三島由紀夫が好まれるのも、その一例と言える >>305
日本の文学作品に対する興味が深まりました。原文を読むのは難しいかもしれませんが、翻訳で作品に触れるのも良いですね。また、近代・現代の作家についても、もっと深く知りたいと思いました。 >>308
源氏物語、とっつきにくいかな、長くて大変そうだな、、って思うが読んだら昔の人の恋愛観、情緒の深さ、柔らかさ、先進性などに驚くよね。
三島由紀夫曰く
「物事の裏表から、是も非も決めずに連綿と綴られる文章」
大昔から日本人は最後までモノを言い切らない、言えない、言う事を良しとしない民族で、御先祖様たちから脈々と受け継がれている気質ですね。
YESorNOが言えない。良くも悪くも曖昧な国民性。
恋愛にしても現代人より高度で繊細な綾を知っている感性。
そこから時代を経た武士達の世界でも、片想い、それも相手がまるで気付いていない、そして成就させない片想いが最上の恋と言う考えもあったくらい。
面倒くさい日本人。 >>307
例えばドイツでは若者に移民社会のフラストレーションは顕著で、難しい方向にも作用し始めて、いわゆる右傾化が起きている。
世界中の移民を受け入れている国で政治もその流れになっている。
「忘れられて消えて行く自国の文化への回帰」からより「排他的な自国文化の維持」の流れになってくる。
今の日本もいずれはそうなると思う。クルド人の問題しかり、どこのコンビニ、チェーン店に行っても外国人が働いている。
リゾート地も外国の富裕層に買われ始めている。
三島由紀夫の作品や生前の言葉に惹かれる人が多いのも分かる気がする。
色々叩かれた人だが、石原慎太郎の言葉も右派文学者特有の力強さがあったね。 野間宏のWikipedia読んだがなかなかひでえやつだな
左派とかリベラルが言葉とは裏腹にとかいうのも現代ではよくある話だが、文学界は過去の問題を総括しないままにフェミジェンダー、ウォーキズムに流れたんだよな
五十年前なら文学を志す者はまず読んでおけと言われた作家であろうに、今の忘れられっぷりが凄いな 添削後
野間宏のWikipedia、なかなかひどい内容だな。
左派やリベラルが言葉とは裏腹な行動をとるというのは、現代ではよくある話だが、文学界は過去の問題を総括しないまま、フェミニズムやウォーキズムに流れてしまった。
五十年前なら、文学を志す者はまず読むべき作家とされていたのに、今ではすっかり忘れられてしまったようだ。 野間宏はマルクス主義者だったんだよ。死ぬまで変わらなかった。
今まったく読まれないのは、それも大きいと思う。
まあしかし野間に限らず、あの当時の作家たちで読まれているのは、
三島由紀夫とか安部公房しかいない。 野間はソ連崩壊の直前に死んでるんだよな
そこからガラガラとなにもかも変わってしまい、過去の遺物と化したのだろう
当人たちが生きてたらなんで「三島と安部だけがこんなに読まれてるんだ!」と激怒しそうではあるよな 長谷川四郎が読まれていないのは戦争を扱ったのもあるからか
七月に文庫で作品集が出るようだが
ロシア語・ドイツ語ほか外国語に長けた作家なのでガイブンとの比較とかの意味でももっと語られないのか
島尾敏雄は『死の棘』があたってそれのみの作家みたいにみなされて戦争物はあんまりだろうな 長谷川は英独仏、さらに西語の翻訳をこなしてるあたり、相当な才能だったのだろうなと思う 少なくともスターリンを持ち上げた作家は全滅に近い
花田清輝は本当に例外だがあれは澁澤龍彦が愛読していたからかな
つまり若い世代の作家が「この作家が大好きでした」と宣伝してくれると読まれ続けるのかもしれない いやいや長谷川に限らず「戦争文学」なんて誰も読まないから。
戦争が身近だった当時だけ。「プロレタリア文学」とかも同じだけどね。
戦争だの労働争議だの革命運動だの基本的につまんねんから。 ≫319
花田清輝はどこでスターリンを持ち上げてる? この流れから言ってフェミジェンダー的な現在の文学の流行り小説も時代が過ぎればすっぱり読まれなくなることは十分想定できるよな 花田清輝は美術理論などはそうじゃないか
アヴァンギャルド芸術も最終的には社会主義的リアリズムへ移行すべきと説いていた 花田清輝も読まれてるとは言えないんじゃないのか
吉田健一と近い枠だな
一部に支持者はいるが新しく読者を獲得できて言ってるかは微妙だ >>320
主義や問題提起、どんな時代や体制の中での作品であれ、作品は創作物として面白くないとやっぱり生き残らないですね。
自然主義やプロレタリア等、その主義に作者が酔っちゃって枠の中に収まっている感が、時間の経過に耐えられずに賞味期限切れを起こしている。
ロシアのノーベル賞作家のソルジェニーツィンの「イワン・デニソヴィッチの1日」とかは、作者とあの時代の弾圧体制下での摩擦や齟齬を痛烈に批判しているんだけど、読み物として視点や描写、収容所内での人物像が滅茶苦茶面白いから読まれ続けている。
セルバンテスの「ドン・キホーテ」も当時流行っていた騎士道精神と現実の人間等の俗悪さと言った乖離、欺瞞への痛烈な皮肉を書いてるが、話が下世話でクソ面白いから読まれ続けている。 大物がいた
吉本隆明
あれだけ読まれていたが読者層が団塊に偏っていたためか
名前を聞くことも激減した >>322
読まれなくなると思う。
フェミだ何だが当たり前になれば素材としての鮮度も失うし、そもそもがそれありきで内容が薄い。
自由恋愛が主流になって、駆け落ち物、心中物が忘れられて行った様に。不倫なんて食傷気味でしょう。 まあ結末は見えてるよな。
フェミLGBT系、コロニアル人種民族系、ディストピア系。
これら流行ものは、すべてプロレタリア物や戦争物と同じ運命。 主義、主張、思想が軸でも、話者として語り部としての才能が当然ながら大事だね。
川端の「眠れる美女」とか三島の「豊穣の海」とかまず話が面白い。
谷崎の「少将滋幹の母」なんて語りの職人芸。安部公房も然り。
泉鏡花の「天守物語」のイマジネーションは現代に読んでもびっくりする。
鴎外も武骨ばったイメージがあるが「高瀬舟」や「最後の一句」等、流石の切れ味で。
社会的な問題提起をされて深刻になるだけの小説はその時代が終われば忘れられるよ。
結局、サマセット•モームが言う様に
「小説は面白く無いといけない」 ほとんどの作家が読まれなくなって、最後に残るのは漱石だろうな >>330
漱石はあんまり面白くない。
でもお札に顔がのるのは、鴎外でも川端でもなく漱石なのは何となく分かる。
中庸の賢人っぽさ。 自分が漱石を凄いと思ったのは「明暗」を読んだときだな。
例えば劇場の場面なんか、プルーストにも負けない描写力だ。
あと数年生きて、「明暗」を完成して欲しかった。漱石の早すぎる死は
日本文学最大の損失だった。 イギリスで文化、風土に馴染めず神経衰弱になって帰国した漱石と、
ドイツで人種差別にも屈せず、毅然と独語で議論を交わし敬意を得て、ドイツ人女性と恋愛も出来る鴎外。
日本人の意地を感じられる、人も作品も鴎外の方に魅力を感じる。
生徒に「I love you.」を日本人なら「月がキレイですね」と訳しなさい。と教えた漱石も好きだが。
芥川の「鼻」を激賞したのも流石。 >>331
コメントにある「漱石はあんまり面白くない」というご意見、確かに人によって作品との相性はありますよね。しかし、お札の肖像画に選ばれたことからも分かるように、漱石作品には単なる面白さ以上の魅力が存在すると言えるでしょう。
漱石作品の魅力の一つは、普遍的なテーマを扱っていることです。人間心理の複雑さ、社会の矛盾、人生の苦悩など、時代を超えて多くの人が共感できるテーマを、鋭い洞察力と巧みな筆致で描き出しています。 >>332
コメントにある「明暗」を読んだ時の衝撃は、多くの読者が共感するのではないでしょうか。特に劇場の場面は、まるでその場に自分がいるかのような臨場感で描かれており、漱石の卓越した描写力に圧倒されます。 >>333
漱石と鴎外は、海外留学経験を通してそれぞれ異なる魅力を培いました。漱石は繊細な心理描写とユーモア感覚、鴎外は客観的な視点と論理的な思考が特徴です。 それとAIはクソ。
読まれる読まれない以前の問題。 文学板らしく実証的にいこう
「月が綺麗ですね」って漱石は発言してないらしいぞ >>336
海外に出て剛健な姿では無く、胃痛に悩まされる漱石の姿は、何だか控え目で、より日本人らしいね。
鴎外の気骨、豪放磊落な恬然とした一面は侍の強がり、列強国に負けじとしていた当時の日本の矜持にも感じる。
文学の内容にもそれは互いに出ていて、本読みがどちらをより好きになるか、興味深い。
三島は案の定、鴎外の文体を一時期目指していた。
谷崎も露伴や鴎外の影響を受けていると語っているね。 2000年くらいに急に小林多喜二の「蟹工船」がベストセラーになったみたく
妙な切っ掛けで本が売れるというのはある
あとプロレタリア文学は教科書に載っているから知名度がある程度ある
葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」など >>338
近年ではこの逸話の信憑性に疑問を投げかける研究も増えています。まず、この逸話を裏付ける文献資料は見つかっておらず、口伝のみで伝わってきたものです。さらに、漱石自身がこのような発言をしたことを示唆するような書簡や日記なども存在しません。 漱石、鴎外、芥川、谷崎、太宰、三島、川端らは何故に読まれ続けるのだろうか?
文学でも何の創作物にしろ、時代の流れに朽ち果てずに魅力を保ち続ける作品は、何がそうさせるのかね? 安部公房は読まれてると言っている人がいるが
本当に読まれているか?
それこそ好きな人は好きだけどという作家じゃないの カミュの異邦人なんかも文学好きには必読の書と思うが、
「理由なき殺人」の普遍性、先見性はこれからも時代を経ても読まれ、研究されて行くだろう。
あの時代に良く書いたと思う。
ジョージ・オーウェルの「1984」なども現在進行形のロシアや中国、その他の独裁国家を鑑みれば痛烈だ。
鴎外の「高瀬舟」なども「安楽死の是非」は今後更に色々な国の社会で問題になってくるだろうから、訴求力を持ってる。
「阿部一族」などもかつての日本人の極端さ、苛烈さ、モラル、恥の意識などが現代の日本人と照らし合わされて示唆に富む。
読まれる作家には何らかの「普遍性」があり、それは人間の本質に迫るテーマだったり、語り手としての純粋な娯楽性、芸術性が高次元であるのだと思う。
三島はただの右派では無くて、語りが面白く、日本語文章の洗練、絢爛、構成美等のある時点での天辺を突いていると思う。
死ぬまでロマンチストの天才文学少年だった。 大江健三郎なんかはノーベル賞までもらって、優れた作家なのは間違いないが、でもこれから
読まれ続けるかどうかは微妙。過去に志賀直哉も「小説の神様」とまで持ち上げられたが、
現在はほとんど読まれない。島崎藤村も文豪には入るが、あまり人気はない。
鴎外だって、それほど読まれているとは言えない。
だから評価が高くて古典の仲間入りしている作家と「読み続けられる作家」は
かなりずれる可能性はあるね。 佐藤春夫は座談の名手だったの込みでの大家だったから
死後急速に読まれなくなったのかな?
対談座談会に顔を出し続けて文壇内の地位を維持する…みたいな作家は相応にいるんじゃないかな 蓮實重彦や柄谷行人、浅田彰などのいわゆるニューアカの連中は三島由紀夫が大嫌いだな
それらに薫陶を受けた金井美恵子とかも三島が嫌い
三島に発掘してもらった感もある深沢七郎も三島自害後は猛烈に批判していた >>347
単純に純文学が読まれなくなっているだけでは? >>349
でも読まれてる。
没後50年の時も全国の書店で特集組まれていた。
誰誰が嫌いと言ってるから、読まれてない、売れてない。では無いから、趣旨がズレてる。
三島の同年代で活躍した作家で三島ほど読まれて評論が書かれてる作家はいないのでは? >>350
世界的な話で、哲学をやる人達も少なくなってるそうですね。
曰く「あいつらは結局、2千年以上、色々やってるが、何かを解決した事は無い」
と数学、物理、生物学、科学などの学界からは批判されるそうです。
大学の哲学科も減少してるとの事。
人生に懐疑的になったり思索したりする時に、文学作品を手にする人は今は少ないだろうね。
電車の中吊り広告で見られる様な、ハウトゥー本や実践所、自己啓発の本が売れるそうです。 いやそもそもポストモダンの連中なんて、クソみたいなやつらだからな。
三島や村上春樹を罵倒しているのは、連中が持ち上げている大江健三郎や
中上健次よりも人気があるからというだけだ。
あそこまで大江健三郎を持ち上げていたのに、大江自身はハスミや柄谷を
相手にもしていなかったという事実w当たり前だわ。
日本の批評家って屑ばかり。つか屑でなければ小説家になってるよな。 ポストモダンはソーカル事件の衝撃がなんだかんだ強くて
あれ以降はあちら系の人たちは純文学のテリトリーに籠もっちゃった印象 三島嫌いの批評家、作家は何故三島が売れ続け、読まれて行くのか?しっかり説明して欲しいね。
是が非では無く、あくまで机上の作家と本当に命をかけて生きた作家、より興味、訴求力があるのは後者だろう。
誰が今更、三島と同時代を生き、ぬくぬくと戦後に跋扈した左翼の話を金払って聞きたい、読みたいのか? >>354
村上春樹が痛烈に批判していて、
「批評家の大半は作家になる才能が無かった人達」
と言ってる。だから、あとがきを批評家に書かせないよね。 三島なんか先日もXでバズってたぞ
歿後も存在感がデカ過ぎるな ポストモダンは残念ながらポリコレwokeに変貌したからな
煙にまく思想が正義の名の下に弾劾する思想になったことはよく語られているわけで 好き嫌いは別として、話題性では漱石、太宰、三島が抜きん出てるな。
この三人は常に話題になる。文学も面白いけど、生き方も面白かった。 >>348
佐藤春夫は、小説家、詩人、随筆家として活躍した大家であり、座談の名手としても知られていました。しかし、死後急速に読まれなくなったという評価は、必ずしも正確ではありません。
たしかに、戦後しばらくの間、彼の作品はあまり読まれなくなりましたが、1970年代以降、再評価の機運が高まり、近年では再び注目を集めています。特に、小説家としての評価は高く、その繊細な心理描写と美しい文体は、現代の読者にも共感を呼んでいます。
一方、対談座談会に顔を出し続けて文壇内の地位を維持する作家は、確かに存在します。しかし、佐藤春夫はそうした作家とは一線を画す存在であり、彼の作品は、確かな文学的価値を備えています。 漱石、太宰、三島、そして現題の村上春樹。この4人くらいが話題になりやすい。
今でも純文学の新人は太宰とか三島を目標にしていることが多い。春樹も
人気がある。漱石も読まれている。 >>362
有名な細君譲渡事件の相手である谷崎と比べて佐藤は読まれなくなったとまでは言わないけれど影場薄い。松本清張が『昭和史発掘』の中で書いてあるように多岐に亘った佐藤の仕事は彼の死後多くの後継者に受け継がれていったが、谷崎の仕事は谷崎でなければなし得ることが出来ずそれが大谷崎の所以であり、佐藤との違いだと書いていたが、今日佐藤の作品の影が薄いのは案外こんな理由なのではないか >>363
このコメントは、それぞれの作家が活動した時代背景を無視しています。例えば、漱石は明治時代、太宰治と三島由紀夫は昭和時代、村上春樹は平成・令和時代と、それぞれ異なる時代に活動しました。それぞれの時代の社会情勢や文化的な背景を理解せずに、作家を単純に比較することはできません。 >>367
優れた作家、作品は時代を超えた本質的な価値があるだろう。活躍した時代が違うから比較できないというロジックはよく分からない >>366
シンプルに「谷崎の作品は今読んでも面白い」からだと思う。
スラスラと読み手の頭に流れてくる日本語文章の流麗さ、文体の変幻自在っぷりも相まって。
「刺青」読めば才能のぶっ飛び具合が分かる。
口の悪い永井家風が激賞する位だ。 ということで谷崎は読まれ続けられる作家と結論でいいのかな。因みに俺の頭ではすらすらと入ってこない文章もある。『吉野葛』や『少将滋幹の母』なんかは読むスピードががくんと落ちた 世界を見るとドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」はキリスト教社会、世界にとって、その宗教の本質を常に問いかけ続ける怪物的な小説だろう。
切っても切り離せない核心を付いて宗教関係者や信者を苦悩させる。禁断の書だ。
ずっと読まれ続ける所か最大の論点、「大審問官」の章は、キリスト教の根幹を鈍器で思いっきりぶん殴っていて世界が崩壊するかの様な衝撃。 読まれ続ける作家、作品はなぜ読まれ続けるのかに主旨が変わってきたなw 興味深いことだ >>371
『カラマーゾフの兄弟』が今日どれほど読まれているのか知らないが、読まれている理由をキリスト教だけに求めるのはこの小説の極々一部を言っているに過ぎないだろう >>372
1.教科書やメディアなどに出て来て、ある程度有名な事。
2.時代が変わっても読み物として面白く、示唆に富んでいる事(時代時代の風潮や価値観にある意味左右されず普遍的な内容を持っている事)
3.その国の文化を表す教養の趣きを帯び始めている事
4.文学作品として構成、文章、テーマがそもそも優れている事
時代に流行る主義、思想の文学ははいかんせん、その枠から出ずに時代が変われば廃れてしまう。
「生まれてすみません」
なんて文章は、生まれる事🟰裟婆苦に墜ちる事を言ってしまう、いつの時代の人が読んでも普遍的でドキリとする。 Shun'ichiro AKIKUSA @shun_akikusa
私はある作家が人気がなくなり、忘れられていくプロセスに関心がある(脱正典化)。ほとんどの場合、きっかけははっきりしないだろうけど。
たとえば五木寛之は、半世紀前にはそれこそ春樹・龍ほどの人気だったと言われるが、いつごろから・なんで読まれなくなったのか。論文もほとんどない。
あまりはっきりとは言われないが、(特に純)文学の世界では明らかに「書きすぎ」による評価低下というのはあると思う。人気作家になればなるほど
依頼がくるので次々に作品を発表するが、批評家が反応しきれないという現象だ。研究の面でも長編が例えば30ある作家を新規に論じるのは心理的に難しくなる。
こういった問いに応えようとした研究がなかったわけではない。フランコ・モレッティ『遠読』の中の「文学の屠場」より「なぜホームズ作品だけが同時代の
多くの犯罪小説のなかで生き残ったのか?」を「手がかり」やその可視性で分類した図。後の探偵小説に繋がらない小説は忘れられていったという説。
https://pbs.twimg.com/media/GPeIF1PacAAG9Ef.jpg
柳原孝敦 @cafecriollo
そういえばは僕の先生(牛島信明先生)ははじめて村上春樹を読んだ感想として、これで五木寛之は使命を
終えたという感じ、とおっしゃっていました。その時はピンとこなかったけれども、案外興味深い指摘かもしれないですね。 小説の良し悪しと売り上げは関係ないだとすれば
又吉直樹は大作家になっちゃうわけ? 五木寛之と村上春樹は違うだろ。エンターテインメント作家と純文学作家。 >>375
大家健三郎は長編小説がちょうど30あるぞ。
ディケンズは分厚い長編が10はあるけど、研究批評は盛んにおこなわれている。 >>379
この発言自体がいかに五木寛之が読まれなくなったかを如実に表している
当時、五木寛之の出現によって大衆小説と純文学の垣根がなくなったと言われるほどの存在だったのだよ 五木の『蒼ざめた馬を見よ』は作風はエンタメだが、
テーマはソルジェニーツィン級の本格派
村上春樹の小説にも大衆性がある >>383
そんなことを言われていたんだ。個人的には五木の作品に文学性を感じたことはないが当時は好んで読んでいた。とくに初期作品は印象深い。ただテレビドラマになった『水中花』あたりから通俗性が大きくなり『四季』シリーズで五木からは離れた。作品では『戒厳令の夜』がとくに印象に残っているが、もう読まれていないのかな >>375
その柳原とかいうセンセイ何も分かっていないね 真継伸彦も誰も知らんだろ
読書メーターでも17回が最高
だが筑摩の現代文学大系だと加賀乙彦と並んで収録されていたのだから、当時は有力な作家と見なされていたはず 古山高麗雄も名前はよく見た人いると思うが、読まれなくなってるな
41回が最高 田畑修一郎も読まれてないな
ある時期までは古典と見なされていたようだが、突然ふっと読まれなくなる
この現象はなんなのだろう >>392
歴史版各地のスレに書き込まれているこのキモいスレは、上の西郷吉之助のレスも間違いだらけで、AI生成なんだろうが、何の目的があって書き込んでいるのか 俺の先生曰く
遠藤周作と瀬戸内寂聴はよく読まれているけど
どちらも小説が下手だねえとのこと >>390
昔は文芸誌で時々見た。多分俺も彼の小説が掲載された号を何冊か持っている やはり当時はそれなりに認知度あったんだよな
作家同士が友人でも、友人は完全に忘れられてみたいなことはたくさんある
現世の付き合いは関係ないことがわかるよな >>394
瀬戸内については読まないからよく分からないが遠藤が小説が下手というのは当たっているね。好きだけど 今年で戦後約80年になるけど
日本のノーベル文学賞受賞者が2人は悲しいな
非西洋圏では多い方なんだろうけれど
ボブ・ディランに負けてると思うとね…… というより言語だね。日本語じゃあ勝ち目ないわ。
ノーベル文学賞の条件は、その作家の主要作品が英仏独語すべてに翻訳されていること。
圧倒的に英語で書いてる作家が有利。三人に一人は英語圏の作家。 >>402
川端、伊藤整、三島のノーベル賞受賞記念の鼎談があった時に、三島や伊藤らが当時からその点の難しさを指摘しているね。 川端康成のノーベル賞受賞については、色んな説があるが、俺が知ってるのだと、候補は谷崎潤一郎、西脇順三郎、川端康成、三島由紀夫の四人。
ドナルド・キーンとサイディンステッカーの意見がかなり大きく日本人のノーベル文学賞の推薦基準に影響を与えていて、谷崎は『雪国』で、その文学的才能が乏しく、世界レベルに達していない。西脇は翻訳が少ないうえにドナルド・キーンがやめろと意見した。三島は文学の才能が四人の中で一番高いが、何故か落選。川端はサイディンステッカーの翻訳した『千羽鶴』が評価されて受賞。 6/12 13:00~
沈黙
4度目くらい?
5度目?
ここには関係ないけれど。 >>402
いや言語はあるだろうが>>404が挙げた作家の他に候補に値する人いるか? 色々言われても村上春樹か古井由吉くらいじゃないか? 古井由吉は海外では読まれていない
安部公房は読まれていて、ガルシア=マルケスは
大江より先に安部が受賞すると思っていたらしい 何故か人間失格が今になって海外で売れてるらしいけど、もし太宰があと30年遅く生まれて長生きしてたらワンチャンあったかもな 古井は何か持ち上げてるやつが鼻に付いたから読んでねえな
今読めば、面白いのかもしれんが 後藤はちょっと好きなんだがやはり持ち上げている連中があまり好きではなかった
俺は左翼が嫌いでな 海外の太宰人気すげえ
amazon、15312個の評価って日本じゃ漫画すらここまでいかないぞ >>408
太宰の人気だが、おそらくここ近年のアメリカ社会の変容も関係しているんじゃないかと思う
内向的な人がより自分を晒して表現できるようになっきてるからな
日本の漫画やアニメが好まれるようになっている流れと太宰再評価は軌を一にしてる気がする 教科書関連だと、内海隆一郎も忘れられてきてるな
谷口ジローが漫画化したものは少し読まれてるっぽいが
一斉を風靡した作家だったはずだ >>409
食わず嫌いではもったいない作家だ。まあ読んでみな 芥川賞と直木賞の線引きもよくわからない
直木賞は大衆小説の賞だというが
井伏鱒二、梅崎春生、今東光、水上勉あたりは芥川賞でも不自然ではないような気がするが 太宰は中国で人気だからアメリカでもそうなら、いよいよ世界的作家になりつつあるわけだ いわゆる「チー牛」に脚光が当たる現象。日本だけではなくアメリカでも中国でも
共通なんだよね。太宰の文学は典型的な「チー牛」文学。 戦後派は読まれ続けてほしいけどなあ
これも戦争体験の貴重な記録だから >>298
大江健三郎のノーベル文学賞のニュースの時にニュースステーションで
小宮悦子も読んでないみたいなことを言ってた >>424
日本人の知的レベルも地に落ちたもんだな >>425
ベクトルが違くなってる。
金儲けや実践に役立つ本、啓発本は若者も良く読んでる。
スマホのように簡単に明確に何らかの答えが出る事が脳は求めているので、文学とか読めない。 >>427
「俺は大江を読んでるから、お前たちよりも知的に優れている。偉いんだ」
ってのも中々、、、
自分で「馬鹿です」って言ってるようなもんだと思うよ。
ワンピース読んでようが大江読んでようが、賢い人は賢いでしょ。 >>428
何を言ってるんだ、お前。俺は大江>ワンピースなんて言ってないぞ 中田耕治は唐木順三と中村光夫を嫌っていたが、こういう当事者間の生々しい感情は時が経つにつれて風化していくよな、と 豊島与志雄も小説家としては完全に忘れられているのだが、なぜか青空文庫でほとんどの作品を読める
牧野信一もそうだな 牧野繋がりで、浅原六朗
知らなかったが最近(当スレ基準、三十年前)選集が出てるんだよな
久野豊彦もそうだ
岡田三郎も選集は出てるようだな
やたら高いが
モダニズムの作家は変わったのが多そうだから復活する作家もいるかも知れん 折口信夫『死者の書』はあんなに読み難いのに読まれ続けている 有馬頼義
映画『兵隊やくざ』は俺も見てるが、原作まで遡ろうという気にはあまりならんなあ
原作は41回読まれていて、このスレ基準だと忘れられた作家になる 萩原葉子も朔太郎の娘という資料的価値から本を読まれることはあるだろうが、小説家としては読まれていないのが現状かもしれん
大森光章『たそがれの挽歌』がちと気になる
面白いらしい 獅子文六
鈴木保奈美がBSの番組でファンだって言ってるからワンチャンあるかも 北条誠は当時かなり人気があったのに忘れられた作家だな
語れることもほとんどなくなってる 中村武羅尾
吉田義男みたいな名前なのにあまり有名じゃない 誰だ 花園を荒らす者は
中村武羅尾
という石碑が地元の公園にあったの思い出した ttps://togetter.com/li/1231732
資料として大正時代の評価を 斎藤栄が91歳で亡くなったが聞いたことない作家だった
石原慎太郎と同人誌を作っていたんだな >>444
上位クラスは名前だけは残っているみたいな作家が多いな
田山花袋はなぜか津原が死ぬ前にこだわっていたようだ
日露戦争の小説などを多く残しているからか
>>446
そうだったのか! 知らんかった
現役で買える本はあんまり残っていない感じだな >>447
貴殿が斎藤栄を知らなかったというのは意外。1970〜80年代あたりが全盛期か。カッパノベルズでよく出ていた。多分程なく忘れられる作家 >>449
確かに。軽くてあたま使わないから電車の中で読むにはちょうど 田久保英夫…『氷夢』しか読んでないけどまあまあ面白かった。
短編の名手つながりだと山川方夫は再評価の目はあるだろうか?
高橋和巳は数年前、河出から主だった長編がシリーズで復刻されてたけど、読みつがれていくほうかな? かつて、有吉佐和子のように「恍惚の人」「複合汚染」などの名作を量産した作家も、近年ではあまり読まれる機会が減っているように感じる。 >>453
時流に上手く乗る作品を書いた人だったから(褒めている)時代が変わると忘れられるのも早くかと。『沈黙の春』が光文社から新訳で出るらしいが、これは『複合汚染』が消えてしまったのは逆で興味深い >>453
青い壺がリバイバルヒットして50万部超えてるんだが… 原田ひ香による文庫帯がヒットのきっかけらしいな
獅子文六は鈴木保奈美に書いてもらえ