読まれなくなった作家、読まれ続ける作家
歿後20年を迎える中島らもは読書メーターで四ケタ台が多く、まだ読まれてる
同じく20年の鷺沢萠も平均500〜300回は読まれているのだが絶版が多いな どうもおかしいのもあるけど、まあ読書メーターの数字は一つの基準にはなりうるね。 >>76
その通りだ。映画のトマトと同じようなことをしても、ふーんと思う人が多かろう。あえて読了メーターを使うなら属性(年齢・性別)についても知りたい まとめておこう
没した作家はどれぐらい読まれているのか
夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、安部公房、遠藤周作、江戸川乱歩、司馬遼太郎
このあたりは現代の小説家も凌駕するぐらい読まれているレジェンダリー(古典化していく)クラス
芥川龍之介、谷崎潤一郎、夢野久作、宮沢賢治、松本清張、川端康成、大江健三郎、田辺聖子、有吉佐和子、中島らも、藤沢周平
数千の読者数を持ち、準レジェンダリークラス
森鴎外、澁澤龍彦、倉橋由美子、泉鏡花
2000〜1000回台が二作以上あり、細々と読まれている作家たち
島尾敏雄、永井荷風、渡辺淳一、栗本薫、古井由吉、中上健次、山田風太郎、尾崎翠
1000を越える作品はあるが一作のみ、他は少なく、今後忘れられてしまう可能性もある作家たち
中上は900台がもう一個あるので上にいくかもな
古井と尾崎翠はほぼ同格でわずかに尾崎が勝ってるんだよな、ここが興味深い
武田泰淳、吉行淳之介、石川達三、小田実、森茉莉
1000を越える作品がない作家たち
かつて人気があったが今は落ち着いてしまっている者、コアなファンはいるがそれを越えていかない者とさまざま
それでも600〜800回ぐらいの作品はある
海音寺潮五郎、鷺沢萠、後藤明生、小沼丹、藤枝静男、埴谷雄高、丸谷才一、大西巨人
500〜300台がある作家たち
こちらもコアなファンのいる作家と、かつての人気から落ち着いてしまった作家が多いな >>57
草の花はネットで腐女子がネタにしてたのを見かけたことがある
腐女子が読んでるのかも 存命作家ではどうなんだろう。五木寛之や吉本ばなななど一部を除いて読まれなくなったように思うが >>82
自分は十数年前学生の時国語教科書や便覧で紹介されてたので吉本ばななの「TUGUMI」を読んだことがある >>81
そういう読まれ方をした方がはるかに残りやすいよな
彼ら彼女らオタクが市場を動かしているんだし、いるかいないかわからない文学マニアよりもそちらを狙ってアピールしていく方がいい気がする >>84
すまん、俺の日本語が曖昧だ。両作家とも一部の作品を除いて読まれなくなって来ているのではないかと思った。五木なら『親鸞』は読まれるが『青春の門』や『朱鷺の墓』は読まれない。吉本で読まれているのは『キッチン』、『TUGUMI』くらい。まあ根気はないが 中原中也なんて永遠に読まれ続けられるのではないか? 三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の作家。
復学後、1948年東京大学文学部言語学科卒業[5]。1950年第17次『新思潮』に参加し、1951年の「冥府山水図」で「芥川の再来」と呼ばれ、1952年「斧と馬丁」で芥川賞候補となり、作家活動に入る。妻の曽野綾子(本名:三浦知寿子)とともに、“第三の新人”の一人[6]。
父の口利きで1948年から日本大学芸術学部非常勤講師となる。1952年10月助教授、1967年10月教授となるが、もともと日大の教員になったのは三流私大なら不勉強な自分でも教えられるだろうと高を括ったためであり、殊に30代半ば以降は作家としての収入が助教授の給料の数倍に達し、教員をするのがバカらしくなり、そういう気持ちが態度や勤務状況に反映して同僚から反感を買ったという[7]。結局、1969年の日大紛争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職[8]。
1967年 - 第14回新潮社文学賞(『箱庭』)[14]
1970年 - 聖シルベストロ教皇騎士団勲章
1983年 - 第33回芸術選奨文部科学大臣賞(『武蔵野インディアン』)[15]
1987年 - 日本芸術院賞・恩賜賞[16]、日本芸術院会員
1999年 - 第14回正論大賞、文化功労者顕彰
「芥川の再来」と呼ばれ
「芥川の再来」と呼ばれ
「芥川の再来」と呼ばれ >>83
内田百闢ヌまれてないな
『小川洋子と読む 内田百閭Aンソロジー』が279で、石川淳とならぶクラス
こんなに読まれてないのかとむしろ驚くが
木山捷平は『鳴るは風鈴 木山捷平ユーモア小説選』が52回、読まれてない >>88
『給仕の室』だろ、読んだ
面白かった
>>91
「冥府山水図」読んだ気がする
全部読んだかわからんが面白かった気もしたんだがな
古代中国を舞台にした小説だったはずだ 梶井基次郎の檸檬は新潮文庫5910回
ほぼ同内容の他の本を加えたら1万いくな
やはりよく読まれてるよなと思う
中島敦はそれよりも少し読まれてないんだが3958回の本がある
かなり大量の本を出しても100いかない大家もいるかと思えばここまで読まれる存在がいる
その違いは何なんだろうな 池波正太郎、意外に読まれていないんだな
司馬遼太郎に次ぐぐらいはあるんじゃないかと思ったが2000台が最高
読んでる層が年寄りのためネットに現れてこないのかもしれんが 歿後十年以上になる伊藤計劃
五ケタが二つもある
ほぼ古典化してると言ってもいいのかもしれんな 虚宮改め櫻塚くんが好きな森敦は222回か
石川淳よりちょっと下ぐらいだが
10回程度しか読まれていない文豪も多いなか、これはすごいのかもしれん >>94
両方とも教科書に載ってたからだろ
アホすぎる 教科書に載っても読まれなくなった作家はいるぞ
立松和平とか
絵本を除くと『光の雨』が117回で最高
教科書に載った『海の命』絵本が152回と今まであげてきた作家と比べても読まれていない 松下竜一も教科書に載っていたようだが78回が最高と読まれていない
横光利一は583回でギリギリ残っている水準
石川達三読まれなくなったといわれていたが、それでも横光に並ぶぐらいは読まれていることになるな ただ読メもどこまで読書率を反映しているか微妙だな
例えば『転生したらスライムだった件』ってラノベ、アニメ化したぐらいだからかなり読まれてると思うんだが、読了は1000ぐらいだ
あまり登録したがらない読者層はいるのだろう
かといって高い本はやはり読まれてるし、逆に低い本は読まれていないのは確かだな 現行の教科書に掲載されていてなおかつ今も文庫ですぐ手に取れる本に決まってんだろ
アホすぎる
そらいつまで経ってもワナビ止まりなわけや 単純に梶井と中島の文の良さもあると思うぞ
読んでて気持ちいいからな それでいいならこのスレいらんわな
アホすぎる
ただの冴えない暇人っぽいからもういいや
乙 俺も別にレスバしたいわけじゃあねえからな
次行くぞ
瀧井孝作、『無限抱擁』が読まれた数32回!
これが最高、文芸文庫の中ではまだ読まれている方なのかも知れんな 豊田三郎は知らんだろ
俺も知らん
それでも青空文庫で『リラの手紙』が6回読まれている
やっぱり青空で読めるようにしておくのは大事なんだと思う
著作権保護期限が21年伸びたことで、忘れられる作家はさらに増えるだろうな 宇井無愁
知らんだろ(略)
それでも中公新書の『落語のみなもと』が3回読まれている
肝心の小説の方は0ばかり
本自体は読まれてるんだがな
土岐雄三
知らんだろ(略)
山本五十六の本やカミさんについて書いた本が2〜3回ぐらいは読まれてるな 北町一郎も知らんかった
探偵小説集成で復刊されているが、それでも1回しか読まれてない
こんなにたくさん本出していて今は読まれないとは無情なもんだなあ 豊田三郎って森村桂の父親なのか
知らんかった
森村はベストセラー『天国にいちばん近い島』が208回読まれてるが絶版
たくさん著書があるがいずれも絶版で忘れられた作家だろうなあ
エッセイスト系でもまだ読まれている作家もいると思うがなぜこうも明暗がわかれるのか 森瑤子は忘れられた作家として語られることが多い
だが、『情事』は301回、『望郷』は275回も読まれている
森瑤子を忘れられたとすると石川淳も忘れられた作家になるだろうな
景山民夫は『遠い海から来たCOO』が741回読まれている
だが他の作品は総じてあまり読まれてないな 検索で引っかかったが船山馨も忘れられた作家
代表作『お登勢』が28回
このスレで取り上げた作家のなかだと富士正晴のクラスだな 少し番外編になるがエッセイストとしてのさくらももこも準レジェンダリークラスだな
もちろん『ちびまる子ちゃん』という不朽の名作の原作者として語り継がれていくわけだが、随筆家としても読まれている存在になるだろう バカバカしい。何がレジェンダリークラスだ。鷗外より遠藤周作の方が偉いと
本気で思っているとしたら、度し難いアホだ。 読書メーターはあくまでも一つの基準であって、絶対的なものじゃない。
当たり前。そもそも読書メーターに登録しない層が圧倒的。50代以上は、
極端に登録が少ないだろうし、高校生以下もそうだろう 遠藤周作は、「沈黙」の映画化が近年あったし、新潮文庫で「文豪遠藤周作」とかが
出たことが実力以上の結果を招いている。遠藤の母校である慶應閥が暴れまくって、
持ち上げていることもある。明らかに実態がかさ上げされているのが明白。
それに対して鴎外とか志賀直哉とか島崎藤村、大江健三郎や中上健次は、
親しまれにくい作風や文体で、数字は低く出ている。
一つの参考と思えばいい。 いや、俺も鴎外は好きだぞ全集集めてるぐらいには
たしかに遠藤は過大評価な気がするわな
実際ここまで読まれてるのかとちょっと驚いたぐらいだ
だが日野啓三や田久保英夫みたいに明らかに読まれなくなった作家も実在するわけだろ
晦渋な作風で読者が限られているのと、本当に忘れられたのをどう区別するか Xで拾ってきたが、西東登(25回)、藤村正太(28回)、太田俊夫(2回)、奥野他見男(2回)、土屋隆夫(83回)
土屋は知っていたが他は知らんかった
過去には物凄くたくさんの人がいて物凄くたくさんの出来事があったが今を生きる俺らはほとんどそんなこと関心なく生きており、そしてまた百年たてばあらかた忘れられているということなんだろうな 菊田一夫、『君の名は』某映画とタイトル被りなので少しは読まれてるかとおもいきや、8が最高
ここまで読まれなくなるもんだな >>119
某映画は著作権の問題かタイトルは『君の名は。』としている。この辺は鋭く見抜くのだろう >>118
ミステリー好きには知られた名前だがもう読まれないのかな? 俺も本を持っているのは西東と藤村と土屋だけだし、実際何年も買ってないし読んでもいない >>122
読まれなくなって映画も消えて行くのか、それとも残るのか 賀川豊彦、『復刻版 死線を越えて』が31回読まれている
富士正晴や坂上弘、田久保英夫など若い世代の作家よりは読まれてるな
国語便覧とかで見た気がする徳永直は『太陽のない街』が56回
古い世代の作家のなかで選ばれた者は後の世代より読まれる傾向があるのかもしれん 立原正秋は『冬の旅』が301回
森瑤子とならび忘れられた作家か
昭和期に流行作家で今忘れられてるだと数百クラスぐらいにはなるな
逆に昭和期でも読まれてなくて今でも読まれていない作家は、100もいかないことがある 干刈あがたは『ウホッホ探険隊』59回が最高
ほぼ全作品が絶版、忘れられた作家だ
森村桂や立原正秋らと何が違うのかなと考えてみると、やはり大衆的な人気が当時あったかなかったかがカギなんだろうな
昔読んだ本を思い出登録する人もいるので 井上友一郎も読まれてねえな、1回とかだ
西川満、99年まで生きていた作家だが同姓同名の人物の著作以外だと2回が最高 大藪春彦こんなに読まれてないのか
『蘇える金狼 野望篇』がかろうじて残っていて、60回
賞名とかで残っている感じなのか >>126
当時の選評を読むと干刈あがたは何回も候補に挙がってて毎回評価が高い。
島田雅彦よりかなり高い評価を得ていたが受賞できなかったのが不思議だ。 読み継がれる作家がそんなたくさんいるわけがない。
本当は百年に一人か二人くらいだ。
日本近代文学のくくりでいうと、夏目漱石くらいしか残らないかも。
源氏物語の時代だって、「物語」の類は山ほど書かれた。当時の日記にも、
海岸の砂粒ほどの物語があると記されている。でも今残っているのは、
源氏物語のみ。 寺山修司は四ケタあるな
準レジェンダリークラスだ
一方別役実、高取英、元虚宮くんの好きだった清水邦夫、最近亡くなった唐十郎などの演劇人の著作は読まれていない
彼らの戯曲を上演している人々もいるから、忘れられたとは一概に言えないだろうが 井上ひさしも忘れられてるんじゃねえかと思いきや、『十二人の手紙』が四ケタだな
意外に残ってるほうか 忘れられたとは言いながら獅子文六はリバイバルしてる方だな
最高1796回で古井よりも読まれてることになる 白井喬二、八犬伝の翻訳が読まれてるだけ
小説の読まれた数は9回!
本人が生きてたら確実に不本意だろう残り方だな
吉田絃二郎は最高5回!
だが青空文庫で読まれている痕跡がある
こういうかたちでリバイバルすることもあるからなあ
尾崎士郎も『人生劇場』14回
『平家物語』翻訳の方が読まれてる
確かオウム信者の回想記かなにかで大学を『人生劇場』のような感じだと思っていたら全然違ったみたいな記述があったはず
その頃はまだ読まれていたのか 中野実もまったく読まれてないな、1回が最高のようだ
同姓同名もいるので分かり辛い
下村千秋は読書メーターで復権してる
11回
やはり著作権51年のままにしているべきだった気がするんだが 伊藤永之介も青空文庫での復活組
あとアンソロジーで読まれてるな
芥川賞を辞退した人としてのみ知られる高木卓は源氏物語と義経記の翻訳が読まれてる
阿部知二は翻訳ばかりが読まれていて、自作小説の冬の宿は21回だ 100年経ってしまうと社会はまるで変わってしまうから顧みられなくなってしまう事象は多いな
いま皆が当然と思っていることも十年後は廃れてるかも知れない 胡桃沢耕史は『黒パン俘虜記』が72回読まれてる
1回とか見てしまうとまあ読まれてる方なのかと思ってしまう 西村寿行も忘れられたと語られる
『君よ憤怒の河を渉れ』は映画化しても180回は少ないな >>140
名前は知ってるが読んだことないなあ
『おせん 東京朝日新聞夕刊連載版』が11回読まれてる
高い本なのを考えるとまあそこそこか
>>141
読まれてるだろ
と思ったが『神州纐纈城』が130回
忘れられかけてるのかもしれんな
>>142
知らんかった
かなり本が出てたようだが読書メーターでは堂々の0回 結局、結論はこんなに凄い人たちでさえ残るものを書けないなら何もしないほうがマシだー!なんだろ?
自分が無能なのを棚に上げるための方便
それのアラフォー版
10年後にまた違う言い訳用意するだけ
くだらなすぎる 山本有三ってどれぐらいなんだと思って検索してみると『路傍の石』が意外に読まれてて605回
『心に太陽を持て』、『真実一路』も読まれており、石川達三に次ぐぐらいには読まれてることになる 俺自身マイナーな作家が好きというのはある
誰も読まないような小説家に興味を持って本を集めたり
好古趣味みたいなもんだろうな 佐佐木茂索は芥川賞選考委員にまでなったが、青空文庫でちょこちょこ読まれてるぐらいだな
本で読んだという人はいない 黒岩重吾、あまり読まれてないがそれでも100回が何作品もある
歿後二十一年なのでまだ読んでる人はいるだろうが
半村良、『戦国自衛隊』が486回
かつてと比べると余り読まれてないのだろうが、微妙なとこだわな 樹下太郎、単著では7回
加堂秀三は4回
まあ忘れられた作家たちだわな
津原の師匠だった山村正夫は43回
半村ほどは認知がないが、残っている本があるな 佐多稲子は37回が最高
読まれてないっぽいな
だが復刊もされてるし、どうなるかわからないとこだ
永倉万治、16回
この人の著作見掛けたことあるが、知られてた人なんだな
親交のあった向田邦子はよく読まれている四ケタの準レジェンダリークラス
向田繋がりで
久世光彦は281回が最高であまり読まれていない
この人のエッセイは面白かったが小説はなんか微妙な感じだった 作家ではないが、ヤスケンこと安原顯もほぼ忘れ去られている
19回が最高
この人も一時期はえらく影響力あったよな
あまり好きな人物ではないがこっそり小説を書いていて賞で落とされ続けていたという話はちょっと寂しい
今ではヤスケンと言えば安田顕だからな
津島佑子、『狩りの時代』130回で、最近まで存命だったのに読まれていない 岩橋邦枝、野上弥生子の伝記が25回か
小説も書いてたが、ほとんど読まれてないな
野上は秀吉と利休が88回だがほとんど絶版でやはり読まれているとは言いがたい
深沢七郎は『楢山節考』が1681回読まれていて思いのほか影響力を留めているな ここ十年で明らかにパラダイムシフトあったよな
十年前は「小説をちゃんと読めないやつが悪い! 売れ筋ばかり追いかけているのは陳腐!」がまだ通用したが、現在は「小説? なにそれ美味しいの? 読まれたいなら読まれるよう書く努力をしなさい!」が普通に通用する社会になった
で、読まれなくなった小説界は政治的に目覚めた方向に進んでいったと 吉村昭は準レジェンダリークラス
『羆嵐』は5000回も読まれてる
昔に起こった事件を題材にしているものでも読まれるものは読まれるよな 三浦綾子は読まれてる
『塩狩峠』が9714回でレジェンダリークラスに近い
昭和のベストセラー作家ってぱたりと読まれなくなるのと、順調に読まれ続けるのと二傾向があるな 菊村到は硫黄島が89回読まれてるな
ちょっと興味ある読んでみたいのだが手に入るか
極力小口研磨は入手したくない 住井すゑ、戦争賛美してたのに戦後は反戦主義に転じたあたりあまり良い印象がない
まあ逆に言えばそれぐらい変わり身が早い方がいきやすいということだろう
反戦左翼はやはり信じられないがな
まだ『橋のない川』は現役だ
374回が最高、あまり読まれてる方ではないな 戦争協力してても戦後黙って生きていったのなら別に批判はされないわな
戦争協力したその口で反戦平和だみたいなこと言ってるのはやはり信じられんとなる 純文学スレでプロレタリア文学について言及があったので調べてみる
宮島資夫青空文庫で、8回
宮地嘉六は6回
後者の名前は知ってたが、前者の方が読まれてるな 平林初之輔は推理作家として青空文庫ちょこちょこ読まれてる
Rinkoの四コマ文庫で紹介されたことも影響しているのか
20回とかもあるな
まあ残ってると言えるクラスではないが
評論家としては注目されていない 小林多喜二と葉山嘉樹ぐらいだよなプロレタリア文学で読まれてるのは
小林の場合、殺されたインパクトが大きいのと、蟹工船ブームが起こったのも関係があるだろう
葉山は間違いなく教科書に載ったからだな
あと読まれてるとは言いがたいが黒島伝治と宮本百合子は青空文庫効果もあるのかちらほら読んだ報告がある 橋本治も生前の一時期あれほど影響力があったわりに忘れ去られてる方じゃないか?
『これで古典がよくわかる』761回が最高
50〜60年代生まれのじいさん著作家はみんな橋本を読んで礼賛してるよな
でも若い世代ではぜんぜん読まれてもいないんじゃないか? まあ映画監督なんでここで述べていいのか迷うが、青山真治は『ユリイカ EUREKA』が199回と最近まで存命だったのに読まれてる率が低い
基本的に現代の作家は読書メーターが出来る前に死んだ作家より有利なのに、それよりも読まれていないとは グインサーガの1が1000読まれてるが絶版
中島梓名義では200回台だな
あまり読む人が増えていない印象がある 中勘助は『銀の匙』で四ケタも読まれている
同内容の文庫二冊の数も併合できるな 読まれなくなった作家として上げられる倉田百三だが『出家とその弟子』309+175回読まれている
400台は現代の作家でもざらにいるので、読まれてる方ではないだろうか 檀一雄は『火宅の人』上が440回
意外に読まれてる方なのかもしれない
だが、当時は太宰治、檀一雄と並称されていたはずなのに、大半の著作が絶版
いま太宰と並び称されるのは夏目漱石だからな
どうしてこうも差が生まれたか 今東光、読まれていない
『毒舌 身の上相談』が108回
かなり知られていた人だと思うんだが、なぜこうも注目されなくなるのか
今日出海はヨルシカ効果で『地の糧』の翻訳が復刊されてたが、自身の著作は6回が最高っぽいな
和田芳恵、読まれてない
最高が32回
でも資料的な価値から読まれることはあるのかも知れない
鹿島孝二、読まれてない
1回が最高
かなり本がでてるんで生前は読まれた作家だと思うんだが、知らないな 椋鳩十、こんなに読まれてないのか
119回が最高
だが別の軸で捉えるべきかもしれん
多くの本がまだ生きてるからな
読書メーターを使わない子供には読まれてるが大人には読まれていない感じなのではないか 青山光二もそこそこ書籍を残しているが忘れられ気味だな
晩年の『吾妹子哀し』が一番読まれてる 能坂利雄、Wikipediaではなかなかの地方の名士と書かれている
家紋関係の本がちょっと読まれてるな
だが本業の小説はほとんど読まれていない
そこからの繋がりで土師清二は砂絵呪縛上が9回
読まれてる作家とは言いがたいな
村雨退二郎は『明治巌窟王』が2回読まれてる
いま完全に忘れられている作家でも80〜90年代にリバイバル的に復刊されてる人はいるな
まだ出版に力があったからだろうか 101歳まで存命だった今川徳三も一桁代
著作とか読んでいけば面白いのもありそうだけどな
山手樹一郎も相当読まれた作家だと思うが今は30回ぐらいがやっと
時代作家でも残っている人忘れられている人が明瞭だが、どのあたりに差があるのだろうな
遠藤周作も吉村昭も山本周五郎も新潮文庫に多く本がある
やはり安かったので多くの人が買ったのはあるんだろう
でも新潮文庫でも立原正秋はほとんど消えているので
やはり残る残らないはある種の運みたいなものがあるに違いない 例えば丹羽文雄とか「昭和文学とは何か」を考えるためには重要な作家だし、その著作は資料的価値はあろうが、古典としては生き残れなかったということだろうな
太宰治の影響を受けた作家・漫画家・他のクリエイターは現代も続いてるし本人もキャラクターとして蘇っている まともに読んでなくても
教科書?便覧?に顔写真載ってると親しみがあるよね
落書きしたり 残る残らないは運だよ
残ったから優れてるわけでもないし
優れてるものが残るわけでもない