>>34
男は絶句した。
私は攻撃を予想したが、彼はただ、おののくばかりだった。
「攻撃しないのか?」
「何故、狂わない? 勅使河原蔦子!」
「それは、お前が嘘つきだからだ。催眠とも言う。そうだろう?」
 男は返事をしない。
 でも、せっかくだから続けた。
「中々手の込んだ嘘だな。いや、幻というべきか。お前は私に幻を見せた」
「……何故、分かった?」
「単純だ。人は世界を変えることはできない。精々認識を弄るだけだ。それに、マグマなら
『もっと酷い』。私は落ちかけた事がある」
「……! お前の、『痛み』は本物だったはずだ! それは、発狂するほどの……!」
私はため息をついた。肺は焼けただれているのに、である。
「私は何をどう、信じることができなくても、
ここにいる事を信じている。
大地を踏みして、呼吸をし、生きていたいまが
この道に続いている。
断じて、お前のお粗末な、幻などを、信じることはない」
男が返事をする前に、私は彼を抱き締めた。
強く、とても強く。
幾つもの骨が、腕の中で砕ける感覚と共に、
世界は回復した。
夜だった。道は暗く、小山の裾に沿って曲線を描いている。
体も服も元通りだ。
ただ、しがみついた腕の中で、男が息絶えている。
私は月を見上げながら、思った。

そう、どれだけ可愛くなくても、それでも、
私は彼を愛している。
この戦いが、如何に絶望だろうと……。
彼を愛する限り、終わらないのだ。
そして、私はその事を幸福に思う。
私が実在し、彼を想い、胸を痛める。
これが、この日々が、幸福なのだ、と。