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ワイが文章をちょっと詳しく評価する[78] [無断転載禁止]©2ch.net

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0001ぷぅぎゃああああああ ◆Puuoono255oE
垢版 |
2017/09/03(日) 20:33:09.93ID:lsHsDNAV
オリジナルの文章を随時募集中!

点数の意味
10点〜39点 日本語に難がある!
40点〜59点 物語性のある読み物!
60点〜69点 書き慣れた頃に当たる壁!
70点〜79点 小説として読める!
80点〜89点 高い完成度を誇る!
90点〜99点 未知の領域!
満点は創作者が思い描く美しい夢!

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前スレ
ワイが文章をちょっと詳しく評価する![77]
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0362この名無しがすごい!
垢版 |
2017/09/16(土) 02:04:00.58ID:e7ihhHym
私、勅使河原蔦子の友である、関ヶ原時雨せきがはらしぐれは同い年のデザインドだったが、
悲惨な程に弱いデザインドだった。
光さえ宿していれば涼やかであろう瞳は、常に何かに怯えていた。
その立ち姿は、堂々としていれば可憐だったが、常に自信なく肩を小さくすぼめていたので、組織の悪童達の嗜虐心を掻き立てた。

これは、私達が12歳の頃の話である。
この頃の彼女は、深夜になるとよく、指導員の目の届かない、育成施設の片隅に呼び出され、辱しめを受けていた。
朝方に、相部屋に戻る彼女の口からは、必ずと言って良いほど、悪童達から吐き出された白濁と、彼女の血が滲んでいた。
股関に、体格に見合わない色々な物を挿し込まれたのだろう。内股でよろめき、荒い呼吸のまま、泥だらけの服で、寝台に倒れ込んだりしていた。
 私は相部屋仲間だろうが何だろうが、基本人の事情には関わらない主義である。
 が、ある日、私は見かねて、彼女を寝台に無理矢理休ませ(縛り付けて)、代わりに悪童達のもとに赴き、派手に撃破をした。
悪童達は、片耳や片目を喪って、地に這いつくばりながら、弁明のそぶりを見せたので、私はとりあえず、耳を傾ける。
いわく、始めに組み敷いたのは彼らだが、盛んに求めるのは、関ヶ原だとのことだった。
喜び、涎を垂らし、だらしなく股を開いて、液で肉の裂け目をてらてらと濡らしながら、欲しがるのだそうだ。
つまり、彼らは慈善行為をしているに過ぎない。 私は納得がいかず、戦闘の自主訓練と称して、
デザインドの力をもって一人残らず道場に引きずって行き、「鍛えてやる。これは慈善行為だ」凄みを込めて笑い、
一人を残して、全員を再起不能にした。全員の関節を砕き、顎を蹴飛ばし、額に手のひらを当てて、
暴力性と性衝動、運動機能に関わる部分に、衝撃を『通した』。辛うじて生きる肉塊達で小山を作って、私はその頂上に腰を下ろし、
適当に残した一人を見下ろして、訊いた。
「こうなりたいか?」くぐもった否定が、彼の口から漏れた。私は、上体を前屈みにして
「なら、関ヶ原を連れてこい。限りなく、恭しく、連れて来るんだ」と命令した。
 関ヶ原は、この肌色の芋虫達を見たら、どういう顔をするのか。晴れ晴れとした顔で、一人一人に復讐するのか、とかを考えていたのだが、全然違った。
道場に現れた関ヶ原は血相を変え、激しく嘔吐して、医務室に駆け出した。
その一目散な疾走ぷり、高速で遠のいていく後ろ姿に、私の瞳は点になった。
0363この名無しがすごい!
垢版 |
2017/09/16(土) 02:07:28.96ID:e7ihhHym
>>362
 医務室から彼女が呼んできた診療担当に芋虫 を引き渡し、二人で相部屋まで歩く。
「私は、余計な事をしたか?」「つたちゃんの気持ちは嬉しいけど、あたしは望んで、されてるの」静かな口調だった。性癖や嗜好ではない。決意や覚悟の類いの、静かさ。
「理由を訊きたい」「望んで、されていれば、それ以上酷いことに、ならないから」「……関ヶ原は、それでいいのか」「だって、それしか、あたし、無理だもん」
関ヶ原は私を見て、笑顔を作った。酷い笑顔だった。
瞳は暗黒で、口の端が奇妙に歪んでいた。私は後ずさりかけた。美人が歪んだ笑顔をすると、めちゃくちゃ怖い、と私は学んだ。
「生き残りたいの、あたし」彼女はそう呟きながら、俯いた。

翌年、私達は組織の海外実習で、中東の紛争地帯に傭兵として派遣された。
その前線は、13歳には、過酷というか、かなりきついと評判の戦場だった。
これには組織の意向が伺える。つまり、私は訓練生を大量に再起不能にする、暴走気味の問題児で、関ヶ原は失敗作ということで、さっさと処分したいという事なのだろう。
これには流石にムッとした。成田空港ではモスのロースカツバーガーをやけ食いした。
そんな私を傍目に、関ヶ原時雨は、ニコニコしていた。
目には涼やかな光があり、口元は自然と緩んでいた。
不思議過ぎる。私達はこれから、修羅の地獄に行くのに。
「関ヶ原」
「なあに? つたちゃん」
「あんた、嫌じゃないの? 私達、酷いとこ行くんだよ」
「大丈夫。つたちゃん強いから。どんな事あっても死なないし、負けない。だから、あたしも絶対大丈夫なの」
そう言って、関ヶ原は満面の笑みを作り、私は激しく照れた。
そして、この友人のためにも、頑張ろうと思った。
この時、私はとても驚いたのである。
いつの間にか、関ヶ原時雨は私にとって、ただの相部屋仲間ではなく、友人になっていたのだ。
そういう訳で、彼女は私の数少ない友人なのである。
それは、彼女が死んで、つまり私が彼女をほふって、4年たった今でも変わらない事実だし、これからも変わることはないのだろう。
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