>>512
最終章では、慰安婦が軍に拉致をされて奴隷扱いを受け、韓国語で自己主張したら殺害されて、
後任の慰安婦は13歳でした、というエピソードでした。
強制連行、当時の慰安婦の平均年齢、一次資料的な物を全てすっとばして、「それが事実である」
と語られるのはきつかったです。
村山由佳は「証拠の有無として争うより、人間の痛みとして問題を扱おう」と言っていますが、
人間の痛みさえ介在すれば
何を書いても良いのか、という話になります。そう言った点では、遠藤周作の「海と毒薬」は名作ですね。
あれは実在が証明された事件ですし。

てのはともかく、感情移入のあまり表現として大げさになって描写がくどくなって、つまり描写に
客観性が失われたものを
お師匠さまにお出しして、駄目だしを喰らったことは何度もあります。
主観と客観は問題として難しいですが、俺はまずはとことん主観から入って、そこから客観的にみれる
部分を抽出するといった感じですね。
書いて泣くことはよくあります。辛さを認識するのは、『良いこと』なんです。心理学をかじるとわかる
んですが、
読んでなくというのは、泣くくらい、『まだ癒えてない』状態なのですね。泣くことは良いことだと思いますよ。