長篠城の戦い 試案
寒挟川と大野川の合流する断崖の上に築かれた長篠城が川岸から望見できた。
 川を背に天然の要害を形成している点では西上作戦で攻め落とした二俣城に似ている。
 切り立った断崖は高さ三十間以上はあろう。
 東西に三十三町、南北二十五町の広さがある。
 二つの川が合流する地点の流れは非常に激しい。
 川幅も五町はある。
 土塀や板塀を巡らし、井楼も各所に建てられている。
 渡河して城に近づこうものなら雨霰と矢玉が浴びせかけられるのは必定であった。
 寒狭川側には服部曲輪、弾正曲輪、本丸が見えた。
 一方、大野川側には瓢丸、巴曲輪、帯曲輪、野牛曲輪が見える。
 城兵の動きも慌ただしい。
 四郎様は手勢一万五千を次の如く布陣させた。
 長篠城北方十町の距離にある医王寺山に四郎様の本陣を置き手勢三千。
 医王寺山の後方に甘利信康、小山田信茂以下二千、城から北方五町北の大通寺山に武田信豊、馬場信春、小山田昌行以下二千、
 その西北に一条信龍、真田信綱、土屋昌次以下二千五百、同西北にある瀧川に内藤昌豊、小幡信貞以下二千、その南方にある
 滋場野に武田信廉、穴山信君、原昌胤以下千五百、鳶ヶ巣山砦に武田信実以下一千、寒狭川の対岸、有海に総予備として某が主である山県昌景と源助の嫡子である高坂昌澄以下一千が城を取り囲んだ。
 五月十一日、夜明けとともに、城攻めが開始された。
 大通寺山から武田信豊、馬場信春、小山田昌行率いる二千の手勢が瓢丸に向かって、竹束を横一線にして押し出してきた。
 その様子が我が陣所の小高い丘からも望見できた。
 それに呼応する様に、瀧川の内藤昌豊、小幡信貞以下二千が竹束を一線に押し立てて服部曲輪に迫った。
 凄まじい鉄砲の撃ち合いが始まり、城の外郭では硝煙の黒い煙が勢いよく立ち上り、その臭いが風に乗って漂ってくる。
 鉄砲の轟音は五町離れた拙者の陣所にも響き渡った。
 その筒音はまるで梅雨の季節に鳴り響く雷を彷彿とさせた。
「凄まじい筒音じゃ」
 拙者が呟いた。
「兄者、これ程の鉄砲が使われるという事は戦も変わっていくのか」
「んだな。太刀や槍の出番は少なくなるやもしれん」
 拙者は太刀打ちの機会が少なると思うと、一抹の寂しさを覚えた。
 だが、野戦に於いては未だ、太刀打ちの機会があるであろうと気を取り直した。
 この日は両軍とも凄まじい撃ちあいに終始した。
 瓢丸の攻防では一部では両軍入り乱れ太刀打ちに及んだ。